【雪辱編】第047章 新たなる脅威
三好家が、世子誕生の吉報に浮かれあがっている頃、大和では、松永久秀による筒井氏討伐が、いよいよ本格化しようとしていた。
範長により大和方面の全権を委ねられている彼は、既に決戦を覚悟していた。柳生氏、岡氏、奥田氏、十市氏といった大小無数の豪族を味方に取り込みつつ、筒井包囲網を敷くと、十一月六日、ついには彼自ら五千の精鋭を従え、木津城を発したのである。
「よろしいのですか。興福寺と全面戦争になりますぞ」
と、軍監として松永軍に従軍している立花又右衛門は、得意がっている久秀の傍らにあって、そう言った。
「構うものか。この際だから、我らに抗う興福寺とやらも一挙に叩き潰し、三好家の力の程を大和衆に見せ付けてやるというのも一興だ」
そんな風にからからと笑いながら、久秀は又右衛門をぎろりと睨み付けた。
「不安なのかね、立花殿は?」
と、まるで立花又右衛門という人間を試すかのごとく、不敵な笑みを漏らしつつ、その華奢にして少しばかりくたびれた体をまじまじと見つめている。
齢にして、又右衛門は今年で四十歳という。一方で、久秀は今年で三十二になるから、年齢的に差はそれほどない。けれど、長年の労苦からか、又右衛門の外見は、五十にも六十にも見えた。低き出自より、三好範長という英主に見出されたという同じ過去を持つ二人だが、どこまでも実力で今の地位をもぎ取ってきた久秀と、あくまで娘の七光りによって出世のきっかけを掴んだ又右衛門では、やはり何かが違うのだろう。松永久秀という人は、三十を超えてなお、十代後半の如き溌剌とした精気を醸し出している
「不安? まあ、興福寺と全面戦争に発展するのであれば、勝敗は五分五分となりますゆえ、不安ではありますな」
と、又右衛門は淡々と言った。
「五分五分? ふふふ、勝ち目なら十分にあり申す。軍監殿には是非ご安堵いただき、この松永久秀が采配のほどを見届けられよ」
どこまでも圧倒的な自信をその全身に表しながら、「ははは」と、大仰に高笑いして見せた。
筒井順昭は、危機に立たされていた。
彼は筒井城にあって、苦りきったような顔をしつつ、右往左往していた。
「興福寺は、まだ動かんか?」
彼は、ひどく落ち着かぬ様子で、側に控える実弟の筒井順政に尋ねていた。
「はい。興福寺の高僧たちも、調停に失敗した今、内部では主戦はと、非戦派が激しく対立して、身動きがとれぬようにございます」
「…くそ、頼りにならん坊主どもだ」
順昭はそう言って怒鳴ると、腹立たしそうに上座に腰を下ろした。
筒井氏は代々筒井城を拠点に、大和北部に勢威を誇ってきた在地豪族であったが、大和の実質的支配者といって過言ではない興福寺との特別な繋がりを背景に、勢力を広げてきた。順昭もまた、興福寺の権威を最大限に利用し、筒井氏を大和最大の大豪族へと成長させたのであるが、今回ばかりは、そうした恩義の一切を忘れて、興福寺に吐きつけてやりたいような衝動に駆られた。
「また、松永の根回しも徹底していて、はっきり申し上げますと、興福寺中枢は、既に非戦論に固まりつつあります」
「な、なんだと?」
順政の思いもよらぬ言葉に、順昭は愕然とした。
「おそらく、興福寺は松永の背後にいる三好筑前守の勢威に恐れを成したのでしょう。また、我らの間者の調べによりますと、三好筑前は、三好家による大和掌握の後も、興福寺の既得権益は全面的に認めると、内々に伝えているようです」
「…」
「無論、これらは全て、三好筑前の名を借りて、松永がやったことでありましょう。ただ、興福寺の高僧どもは、この甘言に、随分心動かされているようです」
そう言って、順政は悔しそうに歯噛みした。
興福寺とすれば、代々守ってきた大和守護の格式をはじめとする既得権益が認められるなら、あえて無益な戦を巻き起こす必要性もないのだろう。三好範長に支えられている細川政権は、思った以上に強大であり、政権と全面戦争に陥れば、例え負けなくとも、多大な損害を蒙ることは確実だった。
「腰抜け坊主どもめぇッ!」
と、順昭はひたすらに怒鳴っていたが、弟の順政はというと、既に別のことを考えていた。今更、こんなところで怒鳴っていても、興福寺の心が変わるはずもないのである。興福寺が動かねば、どの道、筒井の命運もあと僅かで尽きる。かといって、筒井一門に連なる順政が、筒井氏を寝返るわけにもいかない。ならば、この絶望的状況下から助かりうる、他の手立てを考えるしかない。
そう思いながら、順政は、はたと気がついた。
「遊佐河内守殿など、如何でしょう」
「遊佐河内? 河内殿が如何した?」
順昭は、弟のあげた思いもよらぬ名に驚きつつ、しばらくすると、彼にもなにやら気づくところがあったらしく、「なるほど」などと呟きながら、にやりと不敵な笑みを漏らした。
「河内殿か。…河内殿に助けを求めるというのも、一つの手ではあるなぁ」
「はい。そして、河内殿なれば、必ずや我らに手を貸してくれるはずにございます」
そんな順政の言葉に、順昭もまた大きく頷いた。
遊佐河内守長教は、木沢長政亡き後、畠山家の実権を握っている実力者だった。三好範長や三好宗三の影に隠れ、案外目立たないが、名門中の名門畠山家の宰相として、彼の政治的影響力は想像以上に大きかった。また河内守護代として、河内一国を支配しているだけでなく、今では木沢の後釜を狙い、大和への勢力拡大を虎視眈々と狙っている男でもあり、苦境に立たされている筒井順昭にとっては、唯一無二の頼みの綱であった。
「順政、されば早速、河内守殿へ密使を送れ」
と、ようやくにして落ち着きを取り戻したらしい順昭は、逸る気持ちを必死になって抑えながら、主君として相応しい重厚な声色で、そう命じるのだった。
十一月八日。
松永軍は山城南部、大和北部の小豪族たちを加えつつ、総勢七千ほどの兵力で大和に入ると、この日、奈良に入城した。
かつては平城京と称され、桓武帝の御世に、長岡京へ遷都されるまでの間、およそ八十年間に渡り、この国の首都であった町だった。ゆえに、いつからか古都とも称されているが、最近では商業が盛んな経済都市として、俄かにその存在感を高めつつあった。
久秀は、この町に筒井征伐の本陣を設けると、まずは興福寺に使者を送り、その意を確かめることにした。さすがの久秀も、興福寺との全面戦争に発展するようなことになっては、勝ち目も薄いと見ているらしく、彼の興福寺対策は、綿密かつ完璧だった。
十一日になって、興福寺からの返使がやってきた。興福寺多聞院の学僧英俊が言ったような強硬論が、まるで嘘のような、冗談であったかのような弱気な態度に、久秀は苦笑いした。
「坊主どもはよう分かっておる」
などと呟きながら、今度は東大寺にも使者を送り、彼らにもその態度を明らかにするよう求めたのだった。
全ては、散々根回しをし終えた後の、事後確認のようなものであったが、あたかも三好の…、というよりは松永久秀本人の威力に屈服したかのように演出する久秀の技量には、軍監立花又右衛門はもとより、側近として、常に彼の側に侍っている林若狭守、楠木正虎らですら苦笑いせずにはいられなかった。
十一月十五日。
機は熟したと、松永久秀は、総勢八千にまで膨れ上がった軍勢を従え、奈良を発し、筒井城を目指した。
十七日、松永勢は筒井城を取り囲んだ。柳生家厳、十市遠忠ら有力土豪の兵も加え、包囲軍の総勢は一万まで拡大した。
「筒井を潰せば、大和はおのずから我らの掌に転がり込んでこよう。くくく。そして、筒井如きに遅れを取る松永久秀ではないのだ」
と、勝ち誇ったような顔をして、高笑いする久秀に、誰も何も言えなかった。
「それにしても、御屋形様は実に御運の強きお方ぞ。春には、父君の仇であった木沢長政が滅び、夏には、待望の若君様が御誕生になった。そして冬には、大和一国が御屋形様のものとなるのだ。大和までも御家の支配下に入れれば、もはや細川晴元も、三好宗三も敵ではあるまい」
久秀とすれば、大和掌握の暁には、自分こそが大和の国主になれるものだと信じている。貧しき家に生まれ、幼くして親を失った彼は、それこそ泥に塗れ、雑草で飢えをしのぐという極貧の環境下に育ってきた。そんな自分が、後一歩で国持大名になれるかもしれないのだから、戦国という時代は、実に不思議なものだった。
世の中を見渡しても、案外、自分と似たような者は少なくない。下克上、などと表現されているが、要するにこれまでの家柄、血筋重視が、実力重視に変化しただけのことだと、久秀は思っていた。そして、それこそが正しい姿だと思っている。久秀は、身分低き生まれなだけに、主君範長以外の高貴な人が、大嫌いだった。
彼と似たような立場の者として、具体的例をあげるなら、関東に覇を唱えている北条氏も、初代早雲は出自にいろいろ説はあるが、平時であれば、到底大名になどなれない立場であったことは確かだった。また、最近主君土岐氏を追放して、美濃の国主の座を奪い取った斎藤利政(後の斎藤道三)も、やはり出自にいろいろ説はあるが、北条早雲よりも遥かに低い身分から這い上がってきた苦労人であることだけは動かし難き事実だった。
無論、北条、斎藤だけではない。ただ、この二者だけは、その他多くの下克上と比べても、極めて特異な存在だった。例えどのような身分の者であれ、実力さえあれば大名にまでなれるのだということを、その身をもって表現した彼らは、下級階層の人たちにとっては、一種の希望の星だった。
そして十二月になった。
筒井城は、依然として頑強な篭城を決め込み、なかなか落ちそうもなかった。総攻撃を仕掛けても、松永勢に無用な犠牲が増えるだけと分かった時点で、久秀はその方針を徹底した兵糧攻めに切り替えていた。とにかく筒井順昭が音を上げ、降伏してくるまでは、いつまでも包囲を続けるつもりでいたのである。
そして、そんなある日、厳密には十二月十五日のことであった。
「申し上げます」
と、慌しく駆け込んできた伝令に、悠々と城攻めを続けていた松永軍諸将は驚いた。
「い、一昨日、さ、堺にて、ほ、細川氏綱が挙兵。討伐に出向いた細川元常様(和泉守護職)の被官日根野景盛殿を撃破したとのことにございます」
「ほ、細川氏綱?」
久秀ならぬ、誰もがその名に驚きを隠せなかった。
細川氏綱といえば、かつて細川晴国の乱において、晴国方の副将とも評されていた男で、今は亡き細川高国の養子でもある。だが、ここずっと音沙汰なく、死亡説すらも公然と噂されていたほど、今の畿内政局においては、完全な過去の人とされていた。
そんな氏綱が、今になって挙兵したという。これを驚くなと言うほうが無理な相談であった。
そして、さらに数日が立つと、氏綱関連の続報が、相次いで松永軍の下にもたらされてきた。
「氏綱の勢威は殊の外大きく、既に和泉国の過半が奴の支配下に入りました。どうも、氏綱の背後には、遊佐河内守がいるようで、畠山方が、密かに軍需物資などを氏綱方に横流ししているようです」
という林若狭守に、
「遊佐河内守だと?」
久秀以下松永軍諸将は、どれも唖然としたように、呆然と立ち尽くしていた。
そうこうして、年も明けた。
天文十二年(一五四三年)は一月。
筒井城は相変わらず落ちない。年末の細川氏綱の挙兵に始まるきな臭い雰囲気を受け、彼らの戦意は、日に日に高まっているようにも見えた。
「やはり、氏綱の背後には畠山がおりますな。畠山稙長公が守護を勤めている紀伊国の根来寺宗徒が、氏綱方に同心し、和泉に兵を動かしました。畠山家は無関係を装っておりますが、根来寺の背後に畠山…、もとい家宰の遊佐河内守長教がいることは間違いありませぬ」
そんな報告に、久秀の顔は、日に日に苦渋に歪んでいった。
実際、氏綱挙兵以後、彼の戦略は大きく破綻しつつあった。これまで松永方に与力していた大和国人衆の間には、遊佐長教との敵対を恐れ、彼と昵懇の間柄にある筒井氏攻めを躊躇するようになった。遊佐河内が後ろで手引きする細川氏綱の勢威が拡大するにつれ、彼らの態度は、素っ気無くなった。
そして、一月十五日。
越水城の三好範長より急使として、立花小太郎がやってきた。又右衛門の嫡子、雅の方の兄として、範長の小姓衆に列しているこの青年は、
「情勢が変わりましたゆえ、松永様には、速やかに兵を引くようにとの、御屋形様の御命令にございます」
と、松永久秀を前にしても、決して臆することなく、堂々と言うべきことを淡々と言った。
「兵を引けと?」
全権を委任されている立場の久秀からすると、それは心外であったが、もとよりそれしかないと思い込んでいる彼に、異論などあろうはずもなかった。
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