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【雪辱編】第045章 勢力争い
「何ゆえ、そなたは勝手に木沢を処分した?」
 範長は、怒り心頭に達したといった様子で、烈火のごとく怒鳴っていた。
「はて、悪いことでございましたかな? 木沢長政は逆徒ゆえ、逃がせば厄介なことになると思い、処分を急がせただけのことでございます。実際、奴は太平寺に一夜を過ごした後、信貴山に赴いて再起を期そうとしておりました」
 などと、松永久秀は、けろりとして答えるのだった。
「…た、例えそうだとしても、余に決断を仰ぐのが筋というものであろう。それでなくとも、木沢は余が父の仇。出来うることなら、余の手で殺したかったのだ」
 そんな風に声高に怒鳴る範長に、久秀は内心で苦笑いしていた。無論、久秀とて主君の気持ちなど百も承知だった。承知していながら、あえて独断で木沢長政を斬ったのは、主君を蔑ろにしたわけでも、もちろん嫌がらせでもない。いつまでも昔の恨みに囚われている主君を見ていれば、仇を目の前にしたとき、怒りの余りに冷静を欠き、取り乱さないとも限らないのである。そんな無様を満天下に晒すようなことになっては、行く末天下人を目指す範長にとって余りに都合が悪い。あくまで主君のため、御家のためと、涙をふるって処分したつもりの久秀は、範長の怒りを軽く交わしつつ、
「で、信貴山城は如何相成りました?」
 と、言った。
「…信貴山? あぁ、落ちたよ。我らに内応した十市遠忠殿が先鋒役を勤め、案外あっけなく落城した。まぁ、総大将が死に、主力が壊滅したのだから、無理もあるまいな」
「なるほど。されば、信貴山にいるはずの、畠山政国殿は?」
「政国? あぁ、彼ならば、さすがに殺すわけにもいかんからな。とりあえず、畠山稙長殿の要望もあって、紀伊に流罪ということで決まった」
「流罪? なるほど」
 妥当な決断だろうと、久秀も思った。後ろ盾である木沢長政が滅びた以上、畠山政国には何の力もない。畠山家は名門中の名門であるし、対立していたとはいえ、現当主畠山稙長と政国は兄弟なわけで、殺すには忍びないのだろう。ならば紀伊に流し、形だけ罰しておけばそれでいい。苛烈に徹することだけが政治ではない以上、妥当な判決と思うしかなかった。


 天下にその名を轟かせ、ここ十年、ずっと実力者として君臨してきた木沢長政が、案外あっけなく滅び去ると、人々は、栄枯盛衰の理なるものを、その身をもって感じずにはいられなかった。
 三好範長は木沢が横領していた旧元長領を回復し、三好政長も木沢が保持していた領地の一部を承継した。遊佐長教は正式に河内守護代となり、畠山稙長も河内守護職となった。
 しかし、木沢左京亮長政が滅びた後、俄然その存在感を示し始めたのは、三好筑前守範長であった。騒乱の中で、摂津の大半を事実上その支配下に置き、さらには山城、大和などにもその勢力を伸ばしつつある。淡路の安宅氏、讃岐の十河氏、丹波の内藤氏、波多野氏などの同盟国は、形としては対等な同盟関係を維持しつつも、事実上三好家の盟下に入り、その支配を快く受け入れていた。
 今の三好範長は、既に細川晴元すらも凌駕する絶対的な実力者となっていた。一般的な世論は、今後は彼と三好政長との間で、熾烈な政争が繰り広げられるものだとばかり思われていたが、実際のところは既に政長は範長の敵ではなくなっていた。
 

 それからしばらくの間、範長は細川晴元とともに、京にあって政務を執っていた。その実態は、細川晴元が主導し、側近筆頭の三好政長と重臣筆頭の三好範長が協調して行う、ローマ的な三頭政治に近いものがあった。また、こうした政治体制の下では、三人の調停役であり、権威の裏づけ役となっている将軍足利義晴の存在感が俄かに高まることになった。
 ちなみに三好政長は、木沢長政が滅びたすぐ後に出家し、自らを宗三と号し、半隠斎を名乗っていた。ただ出家し、かつ嫡子三好政勝に家督を譲ってしまったとはいっても、完全に隠居したというわけではなく、依然として三好越後守家の実権を掌握し、細川晴元の側近として、天下の政務にも大きな影響力を保っていた。
 その宗三であるが、ここ著しく勢力を拡大している三好範長に対抗するかのように、自らの領国支配力を大幅に増強していた。例えば、自身の居城である江口城のほかに、堅城と名高き榎並城に三好政勝を入れたのも、その一環であった。
 摂津という国は、今のところ、大まかに三つに分割されている。最大勢力は北部及び西部一帯を完全掌握している三好範長であるが、他に芥川山を拠点に、東部地域に直轄領を持つ摂津守護職兼任の細川晴元と、江口城、榎並城を軸に、南部一帯を領有する三好宗三の二つの勢力があった。ただ、想定以上に三好範長の勢威が拡大し続ける今、彼の影響力は次第に晴元、宗三の領内にも及び始めていた。例えば彼らに属しているはずの豪族たちが相次いで範長の居城越水に伺候したり、あるいは彼自ら仲介だの、調停だのと様々な理屈をこねて口を挟んでくることもあった。だから彼は、家督を譲った息子に領内の要衝を預け、支配力を固めなおしたのだが、それもこれも全て三好筑前守範長という一人の青年が持つ絶大な影響力への恐怖感の表れでもあった。


 大和の筒井氏に不穏な動きがあるという噂は、ここ最近、実しやかに囁かれていたものであった。
 筒井氏当主筒井順昭は、大和の一土豪に過ぎなかった筒井氏を一躍大和最大の大豪族へと成長させた人物として、とかく名高かった。時の権力者木沢長政とは絶妙な距離感を保ち、彼の勢威が強大な時は、従順な臣下を貫き、彼が衰えたとなれば、一転して中立姿勢をとった。機を見るに敏で、かつ妙なこだわりなく、実力者間を次から次へ渡りまわった。そうした彼の処世術は、やがて筒井氏のお家芸となって、彼の息子たる順慶にも見事に受け継がれることになるが、とにかく、彼の時代、筒井氏は大和を代表する国人勢力にのし上がっていた。
 そんな筒井氏ではあるが、木沢滅後、大和への勢力拡大を本格化させた細川政権にとっては、最大の邪魔者であった。また筒井氏にとっても、強大な細川氏が大和に乗り込んでくると、ようやく築き上げた一族の利権が悉く奪われることにもなりかねず、なので、両陣営はこのところ、激しく睨み合いを続けていたのであった。
 天文十一年(一五四二年)十月になり、筒井氏が兵を挙げたという噂が、洛中に広まった。早速、管領御所では、真偽のほどを確かめ、かつ如何に対処すべきかを討議すべく、細川晴元、三好宗三、三好範長の三人が慌しく集結したのである。


 三頭政治の決定に従い…、というより、範長が半ば強引に押し切る形で、細川政権は筒井氏征伐を目的とした大和出兵を正式決定したのである。さらにはその征伐軍を三好範長が担うこととなり、早速範長は三好の精鋭を大和に差し向けることにした。ただ、範長自ら軍を率いることはなく、松永久秀を総大将とする総勢五千の精鋭が、範長に代わり大和へ進攻することになった。
 松永軍は山城南部、木津城に本陣を設けて、筒井城に立て篭もる筒井勢と睨み合った。
 十月も、そろそろ半分が過ぎた。夏の暑さは既になく、冬の寒さが、次第に身に染みてくる、なんとも微妙な季節だった。おもむろに庭を見つめると、生い茂っていたはずの緑は、茶色に染まって地べたに転がっていた。
「此度の戦は、御家の力を大和にも扶植する絶好機である」
 松永久秀は、そんな秋の空の下で、居並ぶ三好家の諸将を前に、そんな風に堂々と訓示していた。時折南の空を見つめながら、にやりと不敵な笑みを漏らしている。
 大和といえば、古き都の連なる伝統と歴史の国である。また、北部を中心に肥沃な大地の広がる、畿内を代表する富国でもあった。かつて木沢長政が、この地に地盤を求めたのも、その豊かさに挽かれたからに相違なく、松永久秀もそのつもりで、ここ半年ほど、ずっと範長に大和出兵を進言し続けていたほどだった。


「筒井方の戦力は?」
 秋風が爽やかに髪をなでる。久秀は気持ちよさそうに深呼吸しながら、そこに控える側近に尋ねていた。
「三千余騎とのこと」
 側近の一人が、すかさずそう答えた。
 松永勢五千と筒井勢三千。
 戦って負けるとも思えないが、戦うならば、まずは万全を期すべきだろうと、彼の中に渦巻く陰謀家としての血が、めらめらと燃え滾ってきた。
「若狭! 柳生家厳は我らに靡きそうか?」
 声高に怒鳴る久秀に呼びつけられた林若狭守通勝は、「はッ!」と、大袈裟に平伏し、
「上首尾にございます。我らが大和へ入った暁には、筒井勢の背後を叩くとのことです」
 と、嬉しそうな顔をして、そう言った。
「そうだろう、そうだろう。木沢左京が滅びた後、筒井に散々追い詰められていた柳生のことだ。我らの誘いは、まさに渡りに船だろうて。はっはっは」
 高笑いする久秀に、林若狭守もにっこりと微笑んだ。
 大和攻略に向け、松永久秀がこの半年間に注いできた努力は、並大抵のものではなかった。大和こそ、三好の将来に大きく関わる重要な土地であると信じる彼は、木沢亡き後、その後釜を狙って勢力を拡大する筒井氏に対抗すべく、柳生をはじめとする旧木沢方の国人たちに熱烈なアプローチを繰り返していた。
 それが、今ようやく功を奏したのである。側近として、彼と共に奔走してきた林若狭守にとっても、何より嬉しく、喜ばしきことであった。


 柳生家厳をはじめとする有力国人たちが、一斉に松永方に同心したことで、筒井方の劣勢は誰の目にも明らかとなった。
 実際のところ、如何に筒井が大和に大きく勢力を広げていたとしても、松永勢の背後に控える三好範長に勝てるわけがないのである。例え松永勢を蹴散らしたとしても、そうなれば、面子のかかる範長が本格的に乗り出してくるだろう。そうなったとき、はっきり言って筒井に勝ち目はない。
 そこで筒井順昭は、やむなく興福寺に和睦の調停を依頼したのである。自分の力を見せ付け、今後の細川政権内での立場をより高めんとするためだけの戦いで、自らの滅亡を招くようなことになっては、笑うに笑えない。泣くに泣けない。今回は少しばかりやりすぎたと、反省しつつ、恥も外聞もなく和睦調停を依頼する辺り、なかなかにしたたかな男であった。
 だが、それを松永久秀が受け入れるかどうかは、全く別の話だった。とはいえ、大和を主戦場としたくない興福寺にとっては、せっかくの依頼でもあるから、その任を完遂すべく必死になった。
「というわけで、和議というわけには参りませぬか?」
 十月二十六日、はるばる山城南部は木津の松永軍本陣までやってきた興福寺多聞院の僧侶英俊は、そう言って、久秀に頭を下げた。
「これは御高名な多聞院の英俊殿。…ははは、和睦斡旋でござるか。御苦労なことでござる」
 久秀はというと、そんな風にけらけらと笑うだけで、肝心の和睦については、素知らぬ顔を決め込んでいた。
「もしも松永様が和議を蹴られると仰せなら、代々室町将軍家より大和守護職を許されているわが興福寺としては、侵略者には徹底抗戦せねばなりませぬ」
 英俊は脅しに出た。それを受けた久秀がどういう態度に出るかは、それこそ神ならぬ仏のみぞ知るところであったが、英俊には自信があった。
 興福寺というのは、藤原不比等(藤原氏の祖たる藤原鎌足の子)が建立し、以来貴族の名門藤原氏の氏寺として、長く繁栄を極めてきた伝統と歴史の大寺であった。平安期には、摂関家たる藤原北家の手厚い庇護の下、延暦寺や東大寺などと並ぶ大荘園領主として、大きな政治的影響力を誇っていた。鎌倉、室町と、武家の時代が到来した後も、大規模な僧兵集団を抱えて隠然たる勢力を保ち、室町期には実質的な大和守護として、同国全土を支配下に置いてきた。
 如何に三好が強勢を誇っているといえど、不比等以来八百年以上に渡り大和に君臨し、根を張ってきた興福寺と全面戦争に陥ればどういうことになるか、分からぬほど愚かな松永久秀でもないだろう。
「我らを侵略者と評されるか、英俊殿は?」
 久秀は、ぎろりと睨み付ける。ここが正念場と、英俊はごくりと唾を飲んだ。
「無論、我らが八百年来守ってきた大和の地に、土足で兵を入れてくる以上、侵略者以外の何者でもありますまい」
「ほぉ。だが、我らは将軍家の命を帯びた、正式な幕府軍である。そして、筒井順昭は将軍家の命に楯突く逆賊。討伐するは当然であり、それを侵略者とは、聞き捨てならん」
「例え幕府の命を帯びていようと、我らの土地に土足で足を踏み入れる者は、例外なく侵略者でございます」
 今や三好家中にその人ありと言われる松永久秀を前にしても、英俊は一歩も引かなかった。その堂々たる態度を見て、久秀は「ははは」と苦笑いした。
「ならば、我らが筒井と決戦するなら、興福寺は筒井方に与力すると申すのだな」
 と、久秀が尋ねると、英俊は何も言わず、ただ静かに頷いた。


 その後、久秀はひとまず返答を保留した上で、京の範長の下へ使者を送ると、如何にすべきか彼の決断を求めた。さすがの久秀も、大和平定という大事業の是非を、己が独断で決めるわけにはいかなかったのである。
 そして十一月二日。
 範長の上使として、立花又右衛門が都からやってきた。範長の腹心として、久秀とともに、ここ急激に頭角を現しているこの男は、常に笑みを絶やさず、温和で、人柄もよく、何から何まで松永久秀とは好対照を成していた。唯一、出自が低いという点にのみ共通点はあったが、所詮娘(お雅の方)の七光りで出世したに過ぎぬと、久秀自身は余り評価していなかった。とはいえ、上使として来た以上、久秀はこれを恭しく出迎えると、何より範長の決定を誰よりも聞きたがった。
「御屋形様は大和における全てを松永殿に委任されました。されば、和議を結ぶにしろ、戦うにせよ、全て松永殿の思うとおりになされよとの仰せです。松永殿の御決断に対し、御屋形様は全面的に支持なされるでしょう」
 又右衛門はそう言って、にっこりと微笑んだ。
「お、御屋形様は全てをそれがしに委ねてくださるのですか?」
 さしもの久秀も、これには驚きを隠せなかった。如何に範長の側近として、その寵愛著しい松永久秀といえど、家中における立場はまだまだ低く、本来ならば大和攻略という大事業の全権を委ねられるはずもなかった。今回の出兵にしても、隊長たる松永久秀に与えられた役目は、後に出張ってくるだろう三好家の主力の、いわば先発、先鋒的なものだと、彼だけでなく誰もが認識していた。
「それと、このたびそれがしは御屋形様より、松永殿の軍監を仰せ付かりました」
「軍監?」
「はい。…されど、勘違いなさらないでください。それがしに発言権はありませぬ。松永殿がどういう判断をなされるのか、その過程全てを見守る役です」
「…ふーん」
 なにはともかく、久秀は嬉しかった。それだけ範長が自分を認めてくれているのだと思うと、それだけで心が躍った。
「ともかく、ならば今後はわしが全てを決める。誰にも文句は言わせんぞ」
 そう声高に叫ぶ久秀を、立花又右衛門は顔色一つ変えず、淡々とした表情で、じっと見つめていた。
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