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【飛翔編】第042章 木沢長政包囲網
 三好筑前守範長が、苦心の末に摂津一国を完全統一したのは、天文十一年(一五四二年)に入った頃のことであった。
 その統一戦は、無論、決して楽な道のりではなかったが、摂津国内における反三好党の後ろ盾となっていた木沢長政の都における行状が知れ渡るにつれ、彼らの抵抗は急速に下火となっていった。
 例えば…。
 反三好党の中核的存在と自他共に認め、摂津に大きな政治的影響力を誇ってきた伊丹城城主伊丹大和守親興などは、木沢長政の呆れた虐政を知るや否や、愛想をつかし、その将来性に見切りをつけて、十二月二日、それまでの抵抗が嘘だったかのように、実にあっけなく三好範長の軍門に降って、城を明け渡してしまったのである。


 その伊丹大和守であるが、範長は彼が余り好きではなかった。長年抵抗を続けて、三好家の摂津支配における最大の障壁となってきた男なのだから、当然と言えば当然の話である。範長は決して聖人君子ではないのである。抵抗されれば嫌気もさす。人間である以上、そういう感情を抱くことは、当たり前のことだと言ってよかった。けれど、その伊丹大和はというと、全く開き直ったかのように、かつての仇敵の面前で従容(しょうよう)と頭を下げていた。牙を抜かれた狼の如く、ひたすら従順姿勢を貫いている彼を眺めながら、範長はどう対応してよいのか分からなくなった。
「その方はいろいろな顔を持っているようで、便利なものよの」
 範長は、精一杯苦々しげに笑うと、平伏す親興の頭上にそんな皮肉を思い切り浴びせた。
「ま、余とて鬼ではない。降伏に応じた者に死など命じたりはせぬし、領地とて安堵してやろう。無論、一部は没収するがな。…ま、それでもそなたは運のいいほうだ。余が気分の良いときに降伏したのだからな。余の気分が悪ければ、この城も、上田某と同じ末路を辿っていただろう。そういう意味では、そなたはなかなかの男だ。余の下でも、十分にやっていけるだろう」
 誰もがはらはらとした様子で、常とは明らかに違う主君範長の様を見守っていた。少なくとも、降伏した男に対し、これほど辛らつな皮肉をぶつけることは、一度もなかった。それだけ範長の怒りは強いのだろう。散々範長に抗い、楯突き、刃向かった男だから、当然といえば当然だったが、それにしても哀れなことよと、誰もが伊丹親興の今後に同情せずにはいられなかった。
「沙汰を告げる」
 と、範長は、摂津守護代として、その配下に属すべき寄騎大名としての伊丹大和守親興に言った。
「伊丹大和守。その方、幕府より摂津守護代を仰せ付かった、この三好筑前守に楯突いた罪は重い。が、自ら降伏し、その罪を謝したことは評価に値する。ゆえに、伊丹家の存続及び大和守の身分は安堵しよう。ただし、西富松城及び周辺領地は没収とする。詳細については、後日伝える。以上!」
 それは、勝者が敗者に下した、動かし難き厳命だった。降伏に応じた立場の伊丹大和守にしてみれば、屈辱以外の何ものでもなかったろうが、逆らうことは許されなかった。


 伊丹家が降伏したので、三宅城の三宅国村や一庫城の塩川政年ら摂津各地の反三好諸豪族も、「もはやこれまで」とばかり、相次いで、悉く範長の軍門に降っていった。
 かくして、範長は自身の摂津守護代就任より一年半の歳月をかけ、ついに摂津全土をその支配下に置くことに成功したのである。時に天文十一年は一月十日のことであった。
 無論のことではあるが、降伏した豪族たちには、当然のように厳しき処分が下った。降伏したからといって、免罪にしてもらえるほど三好体制というものは甘くない。臣従したからといって、それまでの事実を帳消しにしてくれるほど、三好筑前守範長という男も生易しくはないのである。また範長としては、処分に名を借りた今回の仕置をきっかけにして、摂津国主としての三好家の絶大な大名権力の確立…、即ち豪族たちの盟主に過ぎなかったこれまでの自分の立場を根本的に変革し、豪族たちに依拠することなく、単独で国全土を統治しうる力を身につけた絶対的存在への脱皮を目指していたから、甘い処分など下すはずもなかった。
 一月十二日。
 越水城において催された論功行賞で発表された正式な処分内容に、降伏豪族たちは、思わず耳を疑った。中には領地悉く没収の上、阿波への流罪を命じられた者もいるし、そこまではいかずとも、領地の半分以上を没収されたり、あるいは国替えと称して、全く別の城地を宛がわれたりした者もいた。伊丹、三宅、塩川ら有力土豪に対しては、それほど厳しい処分は下らなかったが、それにしても大幅に領地が削られたことに変わりはなく、中には「話が違う」と、三好家の重臣たちに詰め寄る者もいたが、基本的に誰も相手にはされなかった。
「これが余の決断である。逆らう者、異議ある者は、この場より去れ。一日だけ猶予をやろう。それでもなお考えが変わらぬなら、余は容赦なく兵を向けるぞ。そして、そのときに降伏などと生易しいことは認めぬ。一族縁者末端に至るまで、悉く根絶やしにしてくれるぞ」
 先には、上田某の一族を悉く虐殺したこともある範長だけに、この発言には圧倒的な迫力があった。そして何より、今更三好家に楯突いたところで勝ち目などあるはずもなく、ならば、これも一つの現実なのだと、従容と受け入れるほかなかった。
「此度、木沢方に組し者は、その嫡子を持って人質として差し出すこと。嫡子なき場合は、実の父母であれば、代わりとして認めよう。嫡子も実の父母もなき場合は、自ら人質として越水に参ること。また、木沢方に組した者、そうでない者、全員が負うべき義務として、年に三度、越水に参府し、御屋形様に謁見すべきこと」
 範長に代わり、そう声高に宣言する松永久秀の言葉に、誰もが絶句し、唖然とした。そして、それは何も処分を言いつけられた豪族たちだけでなく、居並ぶ三好譜代の家臣たちも同様だった。側近筆頭として今回の処分立案に大きく関与した久秀や、あるいは三好康長、三好長逸、岩成友通らの如く、事前に範長より知らされている者はいいとして、そうでない者たちは、
「少し厳しすぎるのではありませぬか」
 と、豪族たちが下がった後で、そう苦言を呈さずにはいられなかった。
 けれど、範長に妥協する気は一切ない。こうでもしなければ、三好家はいつまでたっても豪族連合の盟主から脱皮できないのだと、彼は心を鬼にして、今後生まれるであろう多少の不満や反発には目を瞑るつもりでいた。だから、彼は松永久秀に処分の全権を委ねると、後はどんな批判や諫言にも、全く耳を貸さなかった。
 

 摂津を固めた三好範長は、天文十一年一月十七日、その足で久方ぶりの石山御坊を訪れていた。
 この日は、生憎の雪国だった。はじめは、ぱらぱらと儚げに舞っていただけの粉雪は、時間とともに勢いを増し、今ではすっかり豪雪となっていた。
 石山御坊は、天文五年(一五三六年)に勃発した天文法華の乱以後、本願寺がその総力を注ぎ、改築を重ねてきた結果、既に見る者全てを圧倒しうるに足るだけの、壮大壮麗巨大な大宮殿に変貌していた。
「ほぉ、将軍家の?」
 すっかり法主としての威厳を備え、本願寺教団の総帥たる貫禄を身に着けたらしい証如上人は、昔と変わらぬにこやかな笑みを浮かべ、眼前に平伏す三好筑前守範長を見下ろしていた。
「はッ! 此度は公方様の御命令により、はるばるまかり越しました次第にございます」
 と言って、ゆっくりと頭を上げる範長も、既に二十歳になっていた。きりっとした、かつての三好元長を髣髴とさせる聡明な青年の姿に、証如はただただ呆然と、驚きを隠せぬようにまじまじと見つめていた。
「人というものは、変われば変わるものでござるな。…我らを説得すべく、細川右京大夫殿の使者として単身参られたのは、いつのことでございましたかな。…あの折は、まだ元服すら済ませていない、ただの三好千熊丸殿でござったからな。それが、今や、今をときめく三好筑前守範長殿となっておられる」
 証如のそんな言葉に、範長は少しばかり恥ずかしそうに、ニコニコと苦笑いした。
「前回、このお城にお邪魔させていただいたのは、天文二年(一五三三年)のことでございますから、九年ほど前の話になりますか」
「九年? はは、それはまた随分長い時間がたったものですな。九年というのも、実際に生きてみると、実に長いものでござるが、思い返してみると、実にあっという間なものでございますな」
「確かに…」
 などと、お互いとりとめもない雑談に花を咲かせていたが、やがて、どちらからともなく真面目な雰囲気となるや、範長は懐からおもむろに一通の書状を取り出し、証如に手渡した。
「公方様直筆の御内書にございます」
 と、範長が言うと、証如は恭しくそれを手に取り、まじまじと、その一言一句を噛み砕くように、見つめていた。


 冷たく寒い冬の風は、降り積もる雪と同じ、無機質な白色をしていた。
 障子の隙間から垣間見える外の景色は、見事なまでに白一色に染まっている。ささやかに雪化粧の施された庭先は、すっかり季節の中に溶け込んで、人間業ではなしえない独特の味を現出していた。芝生城や越水城のそれと似たような光景だが、故にこそ、ここが新興宗門の覇府であることも忘れ、筑前守範長は落ち着ききった顔で、ほっと小さく息を吐いた。
「如何なされた?」
 そんな彼の挙動不審な姿に、証如は不思議そうに首を傾げていた。
「何でもありませぬ」
 慌てた様子で、範長は「ははは」と苦笑いする。
「妙なお方だ」
 などと呟きながら、証如上人は、その壮麗な法衣を上下左右に落ち着きなく揺らし、最後に「ふぅ」と、大きな溜息を吐いた。
「要するに、我らに木沢左京殿の支援をするなとのことにございますな」
 証如は綺麗に書状を折り畳むと、側に控える小姓に厳かに下げ渡した。
「ま、掻い摘んで申し上げれば、そういうことになりまする」
 と、範長は淡々と答え、
「…我らが、いつ木沢左京を支援したのか? 我らは、常に局外中立を旨として生きておるつもりでござりますがね」
 証如はニタニタと不敵に笑った。
「はは、左様なことは、我らとて重々承知。ただ、門徒衆の中には、木沢左京と密接な繋がりを保っている者も少なからずおられるとか。そういう者たちに、くれぐれも軽挙妄動に走らぬよう言い含めておいてもらいたいだけでございます。公方様は、出来うる限り、此度の戦で発生するであろう犠牲者を少なくしたいと思し召しでございますから」
「なるほど。…さすがは、慈悲深き公方様でござりますな」
 その瞬間、ヒュゥと、甲高い悲鳴とともに窓からこぼれた冷気が、猛然と二人の服を揺らした。
 本願寺証如と、三好範長の二人は、お互い、じっと睨み合ったまま、微動だにしなかった。風は、どんどん勢いを増し、証如の左右に控える二人の小姓は、ぶるぶると寒そうに震え上がっていた。
 それでも、しばらくの間、こう着状態が続いた。ドク、ドク、ドクと、無音の世界に、二人の心臓の高鳴りがけたたましく響き渡っていた。
 先に折れたのは、証如だった。落ち着かぬ様子で、ゆっくりと立ち上がると、その足で、庭先のほうへと歩いていく。
「ま、公方様の御命令とあらば、逆らうわけにも参りませぬな」
 そんな風に、諦めきった顔で、溜息混じりに呟く証如に、範長はにこりと微笑んだ。
「上人様の御英断、深く感謝いたします」
 と言って、深々と平伏す彼を、証如は不思議そうな面持ちで、何か物足りなさそうに「ふむ」と、静かに唸った。
 障子を閉じる。上座に戻り、ゆっくりと腰を下ろす。用件を済ませた範長は、足早に彼の下から去ったが、その自信に満ち溢れた背中を眺めていると、これでよかったのかと、言いようのない不安や不満を、その内心に抱かずにはいられぬ証如であった。


「いよいよでございますな」
 越後守政長の言葉に、晴元はニタニタと笑っている。
 芥川山城から、酒など飲みながら眺める雪空は、これまた格別な趣があった。揺らぐことなき絶対の勝者として、その余韻に浸るべく晴元は朝からずっと、ぐびぐびと呷るように、酒ばかり飲んでいた。
「木沢如きに遅れをとる余ではないぞ。くっくくく。木沢長政如きに天下を奪われる余でもないわ!」
 と、大仰に騒ぎ、ひたすら楽しそうに高笑いする彼の様を、政長はまじまじと見つめている。
 木沢の滅亡は、既に間近に迫っていた。戦はやってみなければわからぬ、などとよく言うが、今回に限っては、やる前から勝敗は誰の目にも明らかだと、政長などは思っていた。それは何も根拠なき油断でも、驕った末の余裕でもない。厳正に状況を精査し、あらゆる可能性を勘案した結果導き出された、動かし難き答えであった。
 既に、芥川山城には一万の精兵が揃っている。彼らは皆、細川晴元直轄の精鋭部隊であり、晴元の命あらば、即出陣できるよう準備も整っていた。ばかりではない。和泉には、晴元の重臣たる細川元常が守護として国入りし、今まさに木沢討伐の兵を集めている最中だった。元常の和泉勢は、どれほど低く見積もっても、二千から三千は堅い。
 他に、越水に君臨する大藩三好範長もいるし、河内には木沢長政と敵対する畠山稙長と、彼を支える遊佐長教が健在だった。特に遊佐河内守長教などは、
「先主長経公を弑逆(しいぎゃく)し、あろうことか勝手に偽家督を擁立して無用な騒乱を巻き起こした逆徒木沢長政には、断固として天誅を下さねばなりませぬ。そのために右京大夫様の御力を賜りたく、失礼とは存知ながら、申し上げる次第です」
 などといった文を寄越し、明確に木沢長政との敵対及び晴元方への帰参を宣言していた。
 これならば、誰とて絶対の勝利を信じるだろう。それは決して油断でも、余裕でもない。誰が見ても、どう考えても、この状況では、負けるほうが難しいというものだった。
 芥川山の細川晴元・三好政長、河内高屋の畠山稙長・遊佐長教、和泉の細川元常、摂津の三好範長、丹波の内藤国貞・波多野秀忠…。これだけの勢力が、木沢包囲網に名を連ねている。挙句、本願寺や法華宗といった宗門勢力は、どれも局外中立を徹底して、細川方にも与力しない代わり、木沢方にも一切手を貸さなかった。さらにその上、包囲網の盟主として、室町幕府征夷大将軍足利義晴が加わると、木沢方の政治的敗勢は決定的なものとなった。 
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