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【飛翔編】第041章 木沢長政上洛
 摂津において、三好方と木沢方の決戦が本格化している中、肝心の木沢長政は、その主力五千を従え、人知れず北上していた。途中、細川政権に批判的な過激な一向門徒たちを仲間に加えつつ、さらに友軍として駆けつけてきた大和最大の土豪筒井氏の援軍をも自軍に取り込むと、その総勢は一万に達した。
 彼が目指していたのは、摂津ではなかった。誰もが、彼は兵を集め次第、摂津に入って苦戦を強いられている伊丹親興、三宅国村ら同志たちを救うものだと信じて疑わなかったが、何よりも人の意表をつくことが三度の飯より好きな陰謀家が、誰もが予想するようなまともな道を選択するはずもなかった。
「摂津には赴かないのですか?」
 側近は、木沢長政より基本方針を示されると、そう言って首を傾げた。
「たわけ。摂津などに出向いても、どうせ筑前守と決戦になるだけだろうが。よく考えろ。残念だが、俺の力では、筑前には到底勝てぬ。何しろ、奴にはいざとなれば四国より援軍を呼び寄せることも可能なのだ。阿波には豊前守之康、讃岐には十河、淡路には安宅…。三好に連なる与党は多い。これらが出てくると、我らの不利は否めん。そういう強敵に、わざわざまともに勝負を挑むことなどない」
 そんな風に言って、からからと笑う木沢であった。
「で、ですが、それでは伊丹殿らが危機に晒されることになりはしませぬか?」
 側近たちとて、此度の戦が木沢家の大事と分かっているからこそ、彼の判断に対してもいつになく食い下がってくるのだった。間違っているなら正すのも家臣の役目と、彼らもまた必死だった。
「ふん。所詮、奴らなどわしにとっては使い捨ても同然。生き残ったなら、いずれ助けてやるが、さもなくば、滅びようが構わぬ。ただ、時間のみ稼いでくれればそれでいい。…例え滅びたとしても、俺が天下を取った暁には、いくらでも領地は与えてやるのだから、問題はなかろう」
 からからと心の底から高笑いすると、木沢は改めて西の空を見上げた。元々、彼にとって、伊丹親興らなど、強大な大大名たる三好範長の足止め役に過ぎなかった。その任を、図らずも忠実にこなしている彼らの空しき労苦を思うと、ひたすらに笑いが止まらなかった。
 木沢長政軍一万は、摂津ではなく、京の都を目指していた。ここを支配する者=天下人だと、広く信じられている。実際、ここには帝もいるし、将軍もいる。管領さえもいる。有名な寺社仏閣が軒を連ね、天下に名だたる豪商たちも所狭しと犇いていた。まさに政治、文化、経済の中心都市である。これまでも天下を狙う数多の英雄たちが、ひたすらこの町を求め、その覇者となることを夢見ては、ついに叶わず滅びていった。
 木沢の狙いは、はなから京都だった。この町を押さえ、帝を押さえ、将軍を押さえる。さすれば自ずと天下は己がものとなるのだと、彼はひたすらに、愚直に信じ込んでいた。


 十月十一日に信貴山を発した木沢軍が都に迫ったのは、十月二十九日のことであった。
 途中、山城南部の諸豪族を味方に取り込みながら、木沢軍の総勢は一万四千近くに膨れ上がっていた。
 一方…。
 都の幕府に、迫る木沢の圧倒的な軍事力に対抗する術などあろうはずもなかった。無力の将軍は言うに及ばず、管領晴元すら、その手元には、僅か二千余騎の兵があるのみだった。
 木沢長政も、一挙に攻め込めばよかったのである。せっかく細川政権を圧倒する武力をもって、都を窺うところまで辿り着いたのだから、この機を逃さず、上洛を果たして、将軍と管領を問答無用に拘束してしまうべきだったのである。
 だが、彼はそうしなかった。巨椋池の南沿いに聳える槇島城に入ると、休憩と称し、そこに二日ほど居座ってしまったのである。


「将軍家より使者だと?」
 そんな報告に、木沢長政はにやりと不敵な笑みを漏らした。
「通せ。…いや、お通ししろ。幕府の使者とあらば、丁重にな」
 と、配下に命じつつ、嬉しそうに高笑いした。
 しばらくすると、小姓たちに伴われて、幕府政所代を勤める蜷川親俊が、将軍家の特使として木沢の下にやってきた。
「これは蜷川殿。幕使御苦労でござる」
 何はともかく、将軍家の特使であるから、木沢も自ら上座にふんぞり返るほど無礼ではなかった。蜷川親俊を上座に仰ぎつつ、彼は早速用件を求めた。
「木沢左京殿が先日お求めになられていた上様御警護の任にござりますが、上様は左京殿にその気持ちがあるのなら、快く任すとのことにございました」
 と、蜷川は至極淡々と、事務的な口調で言った。
「ほぉ。上様は我らが願い、お聞き届け下されたか!」
 木沢は身を乗り出し、興奮した面持ちで、じろりと蜷川を睨み付けていた。
「それは重畳! ははは。これでわしは、晴れて上様の被官。もはや細川晴元如き者に従う理由もない。はっはっは。こいつは大いに愉快だ」
 そんな風に、豪快に高笑いしながら、木沢長政は朗報をもたらしてくれた蜷川親俊の手を取り、その肩をぽんぽんと叩いた。
 その後、木沢は蜷川を大いにもてなしつつ、自らの実力のほどを、この幕府高官に如何に見せつけようかと、必死になった。贅の限りを尽くした陣羽織を羽織ってみたり、各地の村々から略奪して集めた金銀財宝を見せびらかしてみたり…。けれど、一番蜷川親俊が驚いた顔をしたのは、槇島城下に群れる木沢長政配下の兵士たちの余りの多さと、そして目に余る乱暴振りを見せ付けられたときのことであったりした。


 蜷川の接待に二日を費やした木沢長政が、その大軍とともに入京したのは、十月三十一日のことであった。
 けれど、そのとき既に肝心の将軍も管領も、都にはいなかった。即ち十月二十九日に、木沢軍の猛威を恐れた管領細川晴元が、まず都の北方に位置する岩倉に逃れたのを皮切りに、翌三十日には、将軍足利義晴が慈照寺(銀閣寺)を経て、六角氏を頼り、近江坂本方面へと落ちていったのである。
 将軍も管領もない都など、所詮ただ人口が多いだけの大都市に過ぎなかった。政治的に全く空虚な存在と成り果てた町の王者となったところで、木沢長政にとっては何の意味もなかった。
「無駄に時間を費やしたのがまずかったのだ」
 と、空っぽになった都の中で、木沢陣営の不満不安は急激に高まっていった。管領はともかく、将軍を抑えて初めて、木沢方の政治的優位は確保されるのである。零落れたりといえども、将軍は紛れもなき武家の棟梁であり、多分に名目的だが、足利尊氏以来十二代に渡り天下を統べてきた超名門一族の総帥なのだった。
 けれど、木沢長政の余裕と油断が、結局将軍家に逃げ出す時間を与えてしまったのである。速攻で都に攻め上り、将軍御所を制圧していれば、このようなヘマはしなかったろうと、同志たちの不安は、次第に木沢長政への不満に変化していった。
 で、その木沢はというと…。
 無人の館と化した管領御所内にあって、連日連夜、盛大な酒宴に明け暮れていた。管領御所、将軍御所に残っていた女官たちを根こそぎ拉致し、その中でとりわけ美貌に秀でた数人を自らの妾にすると、政治を省みることなく、ひたすらに遊び呆けていた。
 将軍も管領も取り逃がし、必勝と信じた政治的目論見が完全に破綻した今、もはや彼は腑抜けた廃人でしかなかった。で、自暴自棄になった挙句、高貴な女子を片っ端から抱いた。自分の権力は、既に管領家、将軍家をも凌駕したのだということを満天下に示すため、というのが表向きの理由であったが、実際は、目の前の女子たちに、言いようのない不安と不満、焦りと空しさをぶつけたかっただけのことに過ぎなかった。
 そして、十一月に入った。
 総大将がこんな調子であるから、木沢配下の兵士たちも、次第に暴走するようになった。軍律などないに等しく、それこそ古の木曾義仲軍の乱暴狼藉を彷彿とさせるかのごとき暴虐行為が、日常茶飯と繰り返されたわけである。木沢勢の暴走に便乗するかのごとく、夜盗盗賊も所狭しと暴れまわったが、当然、彼らを止め得る者などいるはずもなく、京の町は、僅か一週間で、一挙に地獄と化したのだった。
 十一月九日。
 この頃になると、木沢長政の凌辱的欲情は、将軍家の女官程度では到底満たされなくなってきた。さらに高貴な、もっと自分という存在を誇示できる存在を欲するようになったわけである。要するに、木沢長政という男の好みは、どんどん高くなり、彼自身ですら制御できないほどに膨れ上がっていったのだった。
「内裏なんてものが、都にはありますね」
 あるとき、側近がふと、そう呟くと、木沢はにやりと不敵な笑みを漏らした。
「内裏か。帝の姫宮など犯したら、随分面白いことになりそうだ」
 などと呟きつつ、彼は管領御所を発すると、総勢五百騎の精鋭を従えて、大内裏へと向かった。けれど、長年の戦乱のためか、散々荒んで、見る影もない内裏の様に、木沢は呆れ、苦笑いした。
「これが内裏か。…室町の御所すら、随分寂れていると思ったが、内裏はそれを上回るな。天子様などと誰もが敬うが、こんなところに住んでいる程度のお方なら、大したことはあるまい。わしの信貴山城のほうが、よほど宮殿に見えるぞ!」
 そう言って大声で高笑いすると、彼の興味は既に内裏から離れたらしく、配下を従え、逃げるように管領御所のほうへと戻っていった。


 その後も木沢勢の乱暴狼藉は、延々と繰り返された。
 まあ木沢本人の激しき欲情は、ここだいぶ収まって、彼自身、ようやく政務に励む気になったらしいが、時既に大いに遅かった。
 もはや暴走する木沢勢を、木沢長政ですら統制しきれなくなっていたのである。彼らは、町娘を犯し、あるいは貧しき町人たちから略奪するだけでは飽き足らず、ついには公家や宮家にすら公然と乗り込み、その女官や姫を犯したり、貴重な文化財や財宝を悉く略奪していった。
 そんな具合であるので、木沢長政に対する帝の不信感は大いに高まり、市民たちの不満や怨嗟の声は、日増しに急激に高まっていった。彼らは、法華宗や延暦寺などの宗教的連帯を基盤とし、木沢勢に対して武力抵抗するようになったので、十一月も中頃になると、専ら木沢勢は彼らとの熾烈な市街戦を繰り返さねばならぬ破目となった。
 さらに、この有様を見て、木沢長政を見限る善良な兵も少なくなく、彼らは皆、岩倉にあって軍の再建を図っていた細川晴元の下に加わったので、木沢としても、もはや都に長居するわけにはいかなくなってきた。
 かくて十一月二十四日。
 木沢長政は、五千にまで減じた軍とともに、逃げるように都から去っていった。
 翌二十五日。
 岩倉の細川晴元は、総勢七千の軍を従え、厳かに入京した。木曾義仲以上とすら評された木沢長政の後だけに、誰もが晴元入京を歓迎し、拍手喝采とともに彼を受け入れたのだった。
 十二月に入ると、晴元の招聘により、坂本亡命中の足利義晴が帰京した。晴元政権による京都復興が本格化すると、木沢の暴政を恐れて逃れていた市民たちも日に日に戻り、年も明けた天文十一年(一五四二年)には、早速、都はかつての威容を取り戻すようになった。
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