【飛翔編】第039章 決戦前夜
天文十年(一五四一年)になった。
三好筑前守範長も、晴れて十九歳である。まだまだ若いが、この九年間の凄絶な経験を経て、その身体から滲み出る風格は、下手な大人以上に大人びていた。
ただ、年が明け、しばらくたっても、木沢長政による陰湿な陰謀に歯止めがかかることはなかった。そればかりか、ここ最近は木沢の庇護を良いことに、三好家に楯突く豪族が俄かに増えてきて、それが範長ら三好家中枢の最大の悩みとなっていたのだった。
その一人が、上田某という小豪族で、豪族というよりは大地主の主といったほうが良いような些細な勢力を持っているに過ぎなかったが、その程度の男ですら、調子に乗って離反したことに、三好家は激怒し、範長も、その堪忍袋の尾を自ら切った。
だから、わざわざ三好政長より援軍まで頼んで、総勢一万の大軍を従えて出兵した。上田某は慌てふためき、老若男女を問わぬ百人ばかりの兵を強引に掻き集めたが、無論、勝てるわけがなかった。そこで伊丹親興や三宅国村ら、近隣の大豪族に支援を求めたが、彼らとて一万を超える三好の大軍に勝負を挑めるはずもなく、七月十九日、三好軍は孤立無援と化した上田某の居館を十重二十重に取り囲んだ。
「御屋形様、上田方より使者が参り、降伏したいとのことにございます」
御伽衆であり、かつ近習役として、日ごろ範長の下に侍っている側近立花又右衛門は、猛る龍の如き主君の御前に参上し、そう報告した。
「降伏? 木沢方の甘言に乗って、余に楯突いた分際で、今更泡を食って降伏とはふざけるな。城に立て篭もった者は、皆同罪である。これより総攻撃を開始し、全員を皆殺しにするのだ」
範長はいつになく激怒していた。その目は、凄まじく燃え盛っていて、立花又右衛門は思わず後ずさらずにはいられなかった。
「み、皆殺しにございますか?」
又右衛門が困惑気味に尋ねると、範長は二度は言わず、ただ静かに頷いた。
「で、ですが、城には年寄りも、女子もいるとか。彼らも皆、殺すのですか?」
「無論だ」
すかさず頷く範長に、又右衛門は絶句した。
如何に戦国の世だからと、老若男女を問わず皆殺しというのは、余り例がない。無論、全くないわけではないが、珍しいことであった。
又右衛門は余り合点がいかぬようであったが、兎にも角にも範長の決定は絶対である。早速、範長は諸将に対し、撫で斬りにするよう厳命した。
「見つけ次第、殺せ! 容赦はするな。一人も逃がすな」
それは、温厚と見られていた範長の発した命とは思えぬほどに厳しく、凄まじいものであった。が、それだけ彼の怒りが凄まじいのだと思うと、命を受けた諸将に、否やは言えなかった。
城は同日中に陥落し、立て篭もった百人余のうち、ほんの僅かに脱出した数名を除いて、全員が無惨に殺された。
当然、城主の上田某も、文字通り八つ裂きにされた。その無惨な髑髏は、彼の妻子ともども、彼の領内に数日曝され、その後は、それを酒盃に作り変えて、戦勝記念の名目で、伊丹親興の下に送りつけたのである。
三好範長は、既に木沢方との決戦を覚悟していた。伊丹に対するこの嫌がらせは、言うなれば彼なりの宣戦布告であった。
だから彼は、上田某の一件が片付くと、芥川山城に伺候して、晴元の御前にて政長らと今後のことを協議した。伊丹ら、摂津国内の反三好党の支援に、木沢長政が本格的に動くとなると、もはやこれは、三好家のみの問題ではなくなっていた。細川政権を挙げて対処すべき、天下を揺るがす大事であった。
「木沢長政は既に自棄になっている。彼には既に後がない。といって、侮るわけにもいかん。窮鼠猫を噛むの例え通り、あれが何を企んでくるのか、我らには皆目検討もつかんのだ。あの鬼謀の恐ろしさは、余が一番知っている」
と、晴元が言えば、政長も範長も、殊更大きく頷いた。
「これ以上、奴に時間を与えるわけにはいきませんな。これまでは彼の狙いがいまいち分からなかったので、あえて攻撃は控えて参りましたが…。あれは、既に天下をその実力でもぎ取ろうとしています。そのために仲間を集め、その上で一挙に挙兵するつもりでしょう。となると、奴に時間を与えれば、その分、奴の同志はどんどん増えていく」
と、範長は腹立たしそうに言った。
「ならばこちらより先制攻撃を仕掛けるしかない、というわけですな」
そんな政長の言葉に、範長も大きく頷く。
「ゆえにそれがしは上田を惨たらしく攻め潰したのです。これで、我らの覚悟も満天下に知れ渡ったでしょう。恐れをなして我らに従うなら、快く受け入れ、さもなくば滅ぼす。こちらが本格的に動けば、木沢も動くでしょう。その上で、奴を叩く!」
無論、それで勝てるかどうかは分からないが、これが今のところとりうる最善策であると、範長は信じていた。はじめ、彼の参謀役となっている松永久秀より、そう献言されたときは、
「成功するのか?」
と、半信半疑だったが、今ではこれしかないと思っていた。晴元方以上に、木沢のほうが時間を欲していると分かった瞬間、これまでの中策は下策に、下策は中策に変わった。先制攻撃を仕掛け、木沢に時間を与えない。失敗するかもしれないが、時間を置けばさらに不利となる以上、仕方なかった。
「ならば、まず攻めるべき相手を定めねばなりませぬな」
政長はそう言って、摂津の詳細が記された地図をまじまじと見つめていた。
「攻めるとなれば、こちらにも攻めるだけの大義がいる。何の理由もなく攻め込めば、それこそ木沢の思う壺ゆえなぁ」
などと呟きながら、木沢に劣らぬ陰謀家は、腕組みながらじっと考え込んでいた。
「塩川政年など、良いのではないか」
そこに、ふと晴元が口を挟んだ。
「塩川? あぁ、一庫城(現在の兵庫県川西市)の城主…。されど、何ゆえに?」
と、政長が尋ねると、
「分からぬか。奴の妻は、高国が妹ぞ」
ニタニタと不敵な笑みを漏らしつつ、晴元は簡潔明朗に答えた。
「な、なるほど。高国の義弟たる塩川政年なれば、討伐する大義は十分。晴国が滅びたことで、勢いを失ったとはいえ、高国の残党どもは、今では氏綱(高国の養子)を盟主に奉じて、相変わらず復権を目指しているという…。その残党の一味という濡れ衣を着せてしまえば、奴を退治する大義は成立する」
ぽんと手を叩いて歓ぶ政長に、範長もニタニタと不敵な笑みを漏らした。
「それに、伊丹大和守も、三宅出羽守(国村)も、塩川の縁戚に繋がっているはず。となれば、塩川が攻められて、彼らが黙っているはずもない」
「左様。塩川征伐をきっかけに、一挙に木沢党が挙兵せざるを得ぬことになる。無論、木沢本人もな」
そんな風に言いながら、細川晴元は思わず小さな溜息を漏らした。元々、自分が目をかけてやったからこそ、木沢長政は今ほどの力を手に入れられたのだ。それなのに、その恩を仇で返すかの如く、自分に対し兵を挙げようとしている彼の行動に、晴元は腸が煮えくり返るような怒りを感じた。
一方、三好範長は、淡々として、いつもと変わらぬ平静を保っていた。父の仇を討てるという喜びよりは、木沢の鬼謀に対する恐怖、即ち父と同じ道を歩みたくないという気持ちが勝っていたのだった。
八月になった。
三好範長は、総勢八千の兵を率い、越水城を発した。途中、三好政長の軍三千と、波多野秀忠率いる丹波勢二千、摂津における三好方、即ち池田城城主の池田信正を筆頭とする豪族たちが合流したので、総勢一万八千の大軍となった。
三好軍は摂津多田にある一庫城を包囲すると、一庫城主塩川政年は手勢二千とともに立て篭もり、徹底抗戦の構えを取った。
「やはり、降伏はせんな」
と、範長は恨めしげに城を見上げながら、ぼやいていた。
「全く…。これではいったい何のために上田の者どもを撫で斬りにしたのか分からんではないか。…余の怖さを知らしめて、敵の戦意をそぎ落とすのが狙いだったのになぁ」
そんな風に呟きつつ、彼は静かに床机に腰を下ろした。
夏である。
そう感じさせてくれるような青々とした空が、頭上いっぱいに広がっていた。身に染みる蒸し暑さから逃れるように、側近たちに団扇を扇がせているが、夏というのは、その程度の小細工でどうにかなるほど、甘いものではなかった。
「とりあえず、包囲を続けるのだ。攻撃はならんと、各陣に改めて徹底させておけ」
そう側に控える松永久秀、立花又右衛門の両名に命じると、二人は恭しく頷き、大仰に平伏した。
大和は信貴山城。
木沢長政は、不満そうに、貝の如く口を閉ざしていた。
摂津諸豪族を調略し、着々その野望実現に向けた布石を打ち続けていた彼であったが、こと、畠山家の話になると、その類稀なる謀才は余り通じなかった。
彼が畠山家内部で事実上失脚しつつあることは、何度も述べた通りであるが、実態はともかく、形としては、足利将軍家に連なり、かつ三管領家の一つとして、古く細川家と同格に扱われてきた名族畠山家は、木沢の野望を実現するにあたってなくてはならぬ存在だった。
だから、彼は一発逆転を期し、賭けに出た。失脚状態を乗り越え、かつての如く、自らが畠山家の実権者に返り咲くには、生半可な策では通じない。そう思ったからこそ、彼は一生一度の大博打に打って出ることにしたのだった。
天文十年(一五四一年)八月十五日。
畠山家当主畠山長経が、本城たる河内高屋城を離れ、物見遊山も兼ねつつ大和国内に入ると、木沢長政は自らの居城信貴山で、これを出迎えた。如何に非主流とはいえ、長経にとり、木沢は自分を擁立してくれた恩人であるし、多分に名目的とはいえ、依然として筆頭重臣の座を占めている男だった。疑う余地などなく、堂々と、平然と彼は信貴山に入ったのである。
だが…。
「よいな。手筈どおりにやれよ」
木沢は、実弟の左馬允に命じると、彼は深刻そうな顔をして、大きく頷いた。
左馬允率いる木沢勢三十騎は、木沢家中より選び抜かれた精鋭揃いだった。そして、彼らは無用心にも、無防備のまま入浴中の長経の下に押し寄せると、猛然と襲い掛かったのである。
結局、長経は必死の抵抗空しく、木沢の配下により暗殺されてしまった。その上で、木沢長政はすかさず兵を動かし、高屋を目指した。彼としては、長経を暗殺し、自らの意のままになる新当主を擁立することにより、畠山家を一挙に己が支配下に置こうとしたのである。
だが…。
「守護様、至急のお戻りである。門を開けい!」
と、左馬允が怒鳴っても、城門は堅く閉ざされたまま、微動だにしなかった。
「何ゆえ開かんのだ?」
と、木沢長政は不思議がっていたが、しばらくすると、開くことなき城門の上より、無数の矢が猛然と放たれ、そして、それは容赦なく木沢勢の兵士十数人を貫いた。
「愚か者め! そなたが守護様を暗殺したこと、我ら先刻承知しておるッ! この悪逆非道な主殺しを討ち滅ぼせ!」
そこに高らかに響き渡ったのは、憎むべき遊佐河内守長教の発した大音声であった。
すると、遊佐が予め配していたであろう伏兵たちが、どこからともなく現れ、木沢勢に猛攻を加えた。こうなると、木沢長政に勝ち目はなく、彼は慌てふためいて信貴山城まで逃げ戻ったのである。
してやられたと、木沢は今も思っていた。
実際、長経死後、遊佐河内守は、かつて遊佐と木沢が共同して追放した畠山稙長を、再び守護職に擁立して、完全に畠山家の実権を掌握してしまった。それに対して木沢はというと、主殺しの汚名のみ背負って、名目のみ保っていた畠山家筆頭重臣の身分まで失ってしまった。まさに踏んだり蹴ったりである。
稀代の陰謀家たる木沢も、遊佐河内守には敵わなかった。また、今にして思い返せば、なぜ遊佐が、長経暗殺のことを、あれほど速く知り、準備万端整えていたのかということも腑に落ちなかった。
「…全ては、奴の手のひらの上か。俺が長経殿を殺すことを、奴は予想していたのだろうな」
そんな風にぼやきながら、彼は手にしていた酒盃を、どこともなく投げ飛ばした。
「長経殿を信貴山に送ったのも、奴の策だろう。…くそッ! 完全に嵌められたな」
悔しいといえば、これほど悔しいこともなかった。いってみれば、木沢長政は、遊佐長教に体よく利用されたのだ。自ら稀代の陰謀家と任じている彼にしてみれば、屈辱以外の何者でもなかった。
だから彼は、仕方なく畠山稙長の弟にあたる畠山政国を半ば強引に擁立して、勝手に畠山家の家督であると宣言してしまったのである。その上で、自ら政国政権の筆頭家老に納まり、政国には木沢のかつての本拠であった飯盛山城を与えて、とりあえず新体制としての体裁を急速に整えていったのだった。
破れかぶれともいえる政国擁立ではあるが、これにより形としては遊佐長教に支持される畠山稙長と、木沢長政に支持される畠山政国によって畠山家は真っ二つに割れることとなった。かくてしばらくの間、両陣営共に、自分たちのほうが正統な畠山家当主であると主張し、激しき睨み合いを続けることになるのであった。
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