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【飛翔編】第038章 渦巻く陰謀
 結婚から、またさらに日々が流れた。
 その間に、冬が過ぎ、春を迎え、夏を越し、そしていつしか、季節はすっかり秋になっていた。
 越水城の政治的立場は、この約一年の間にも、日に日に高まり、既に京の都、芥川山城に並ぶ、畿内の政治的拠点の一つに数えられるまでになっていた。
 また、外観も大きく変わった。三好家がその総力を注いで行っている普請により、その城規模は芥川山城のそれと比べても遜色ない、いやそれ以上のものと言っても、決して言い過ぎではないほどになった。天下にその名を轟かす三好家の居城としては、まさしく申し分なかった。
 けれど、そこに暮らす三好筑前守範長の生活態度は、今も昔も余り大差はなかった。せっかく正室を迎え入れても、夫婦生活は未だないようであった。相変わらず雅の方の下に出向いては、共に夜を過ごしているという。
「殿、雅の方もようございますが、御台所様の御許にも赴かれませぬと、何のためにお迎えした御台様か分かりませぬぞ」
 と、福などは口を酸っぱくして咎めるのだが、範長に聞く耳はなかった。
 実際のところ…、範長は波多野の姫が余り好きではなかった。無論、容姿は美しく、礼儀作法もみっちり仕込まれていると見えて、完璧だった。決まりきった台詞で、型の通りの動作をする。けれど、それだけだった。静の方や雅の方のような、接していて楽しさを感じるようなことは、一切なかった。


 そうした平穏な城内生活の外側では、当然のように、その政治状況はめまぐるしいほどの変化を繰り返していた。
 ここ最近の畿内情勢を動かす主要人物といえば、まず自他共に天下人と認められている細川晴元があって、彼の下で力を握る三好越後守政長と三好筑前守範長の二人がいた。目下、この二人の権力闘争を中心にして畿内の政局は推移していたが、それに対し、自らこそ第三の主役だと声高に主張している男がいた。
 それが木沢長政である。
 畠山家筆頭家老にして河内守護代、信貴山城主。
 少し前までは、三好政長と与党を組み、政治的に絶大な影響力を誇っていた実力者だった。
 しかし、ここ彼の零落振りは哀れなほど顕著だった。実際、彼の出身母体であり、かつ彼が畿内の政治を動かす上での大義名分的役割を果たしていた畠山氏では、遊佐河内守長教の地位が急速に高まり、今では彼こそが実質的な筆頭家老の座を占めていた。家中の木沢一派は、ほとんど非主流派の野党的立場に追い落とされてしまっている。遊佐一派が専権を振るう中、木沢長政の政治力は日に日に落ちていった。
 さらに、畠山家と並び、木沢の政治的基盤の重要な核となっていた細川政権内での立場も、今では大きく揺れ動いている。それと言うのも全て、先の戦いで三好政長の援軍要請を蹴り、眼前の畠山家での政争に明け暮れたつけが巡ってきただけのことであったが、その畠山家での政争にも敗れた今、まさに踏んだり蹴ったりの状況であった。
 無論、彼とて依然として大きな力を持っており、完全に零落したわけではない。大和への勢力拡大という従来の目標はほぼ完遂されつつあり、大和国人衆は木沢への臣従を誓っている。ただ、晴元の信任を失い、政長とも対立し、挙句畠山家では冷飯食い状態が続いていることに対する彼自身の不満は、日に日に高まっていた。彼の夢は天下であり、そのために、これまで突っ走ってきたのだ。大和に勢力を広げたからと、一地方大名に終わる気のない彼にとっては、その程度は些細なことでしかなかった。


 三好家の摂津支配は、案外はかどらなかった。
 一年以上の歳月をかけ、有力な国人衆を次々と被官化していったが、中には、三好家の支配を快しとせず、相変わらず抵抗を続けている者もいた。
 その筆頭が、伊丹城城主伊丹親興であり、また一庫城城主の塩川政年、三宅城主の三宅国村らであった。
 彼らは、範長の守護代就任から一年たってもなお、越水城に伺候することはなかった。彼らにしてみれば、僅か十八歳の若造に頭を下げることへの不満もあったし、何よりこれまで三好政長や木沢長政らと親しくしていた手前、範長体制下で冷飯を食わされる可能性もあり、それに対する警戒感もあって、彼らはひたすら抵抗を貫いていたのだった。
 ただ、彼らも独力で乗りに乗っている新興の実力者たる三好範長に刃向かうほど愚かではない。その背後に範長の政敵たる三好政長がいることは明らかであるし、また、彼らは反三好範長の急先鋒となっている木沢長政とも親しかった。


「相変わらず、伊丹らに参府しようとする兆しはありませぬ」
 と、常と変わらぬ苦りきった顔をして、康長はぼやいていた。
 世界はすっかり秋である。庭には、赤色、橙色、黄色など、実に様々な自然に満ちていた。いっそ、紅葉狩りなどしつつ、思う存分秋を堪能したかったが、そうもいかないのが、忙しなき三好筑前守範長の宿命であったりした。
「どうあっても、余に臣従するのは嫌と申すのだな」
 その彼は、淡々と、冷め切ったような口調で、ボソッと呟いた。
「叔父上。従わぬなら、滅ぼそう。兵を出して我らの強さ、奴らに思い知らせてやるのだ」
 と言って、彼はからからと笑った。
「…それも一つではございますが、ただ気になることもあります」
「気になること?」
「はい。伊丹大和守らがここまで強気に出てくるのは、おそらく背後に強力な後援者がいるからだと推測できます」
「…後援者? 越後か?」
 と、範長が言えば、康長は「はい」と大きく頷いた。
「ただ、間者からの報告によると、どうも越後守政長だけでなく、木沢長政も奴らに食指を伸ばしているようです」
「木沢?」
「はい。特に木沢は露骨に伊丹大和守らに接触し、関係を強化しているようです。いざというとき、奴らを手懐けておくことで、我らへの楔にしようというのが、木沢の考えでしょう」
 時折、庭先から吹き抜ける冷たい秋風が、範長と康長の肌を舐めるように通り過ぎていく。その冷たさにいてもたってもいられず、範長はスクッと立ち上がり、おもむろに障子を閉じた。
「伊丹らも、随分木沢に靡いているようです。実際、越後は、実際はともあれ表面的には、今のところ我らと友好関係を保っていますから、少なくとも、越後は露骨に摂津に手を突っ込むことはできませぬ。されど、木沢は我らの完全な敵でございますから、容赦がありませぬ」
「…」
「ただ、木沢のこの露骨な動きを、越後は実質的に黙認しているようです。ゆえに、木沢の動きを幕府に訴え出たとしても、管領殿はお聞き入れくださらないでしょう」
「…そうか。というより、木沢は、そういう政長の行動を完全に読んだ上で、伊丹らに手を伸ばしてきたのだろうな。全く、煮ても焼いても食えぬ狸爺だ」
 などとぼやきながら、範長は腹立たしそうに、障子に遮られた東の空を睨みつけた。
「ゆえに、制裁出兵も一つの手ではありますが、左様なことをいたせば、三好越後守政長はいいとしても、木沢左京亮長政との本格的な戦に発展しかねませぬ」
 と、康長は言うのであるが、肝心の範長などは、
「ふーん。だが、いっそ手っ取り早くてよいのではないか。木沢も、余が父元長を殺した宿敵の一人に違いない。父の死に関わった者は、いずれ皆死んでもらうが、まず木沢長政を血祭りに上げる。それも良いような気がするがね」
 そう言って、豪快に高笑いしていた。


「悪くない策ですが、いけませんね」
 そこに、祐筆として控えていた松永久秀が、楽しそうに口を挟んできた。
「まず、木沢長政を侮ってはなりませんぞ。あれも、その智謀で、この激しき動乱を生き抜いてきた傑物でございますからな。落ち目とはいえ、あの鬼謀を侮れば、故筑前守元長様と同じ末路を歩まれることになりますぞ」
 久秀は、長らく木沢の配下にいたわけで、その経験に裏打ちされる意見は、千金の重みがあった。
「木沢の如き策略家に対し、先手を打つのは愚策です。ああいう男を相手とするに、上策なるものはありませぬが、先手を打つのは、明らかに下策です。機を待ち、今はひたすら耐え忍ぶのが良いと思われます。それが、中策です」
「耐え忍ぶ?」
「はい。その間にこちらも力を強め、また奴が何を考えているのか突き止めるのです。わけもわからぬうちに動けば、それこそ奴の思う壺にござります」
 そんな久秀の言葉に、範長も大きく頷いた。
 これまで、どれだけ多くの英雄たちが、木沢長政の謀牙にかかって殺されてきたか…。そのことを考えれば、確かに軽挙妄動は厳に慎むべきだった。亡父元長も、彼の鬼謀を侮り、先制攻撃を仕掛けたものだから、ついに滅亡にまで追い込まれてしまった。
 父に学び、父を目指し、父を越えることを、自身の生き方に定めてここまで歩んできた範長であったが、父と同じ轍を踏むことだけは御免だった。自分は父とは違う。ならば、父の失敗に踏まえ、そこから学び、それを克服してさらに前へ進まなければならない。
「ならば、待とう。とりあえず、その『機』とやらが、余の下にやってくるまで、余はひたすら眠るとしよう」
 と、範長は言う。
「左様。果報は寝て待て、にございます」
 久秀はニタニタと笑っていた。
「ならば、伊丹大和らのこと、如何いたします? 果報は寝て待てと申しても、何もせぬわけにはいかんでしょう」
 三好康長はそんな二人の会話に割って入るように尋ねると、
「それなら、いつもの如く、伺候しろと言い続けるだけでよいかと思われます。ただ、それだけでは舐められますので、今のところは越水に軍を集め、伊丹殿らに現実的な圧力をかけるのが上策かと思われます」
 と、久秀は淡々と答えた。
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