【飛翔編】第032章 対峙
三好伊賀守利長は、早速室町御所に伺候すると、室町幕府第十二代将軍足利義晴に謁見した。
孫次郎も、これまで、何度か晴元とともに謁見したことはある。だが、単独で義晴の御前に出向いたことはなく、故にか、なんともいえぬ緊張感の余り、いたたまれない気分になった。
「伊賀守か…。面を上げよ」
義晴は、およそ高貴な天下人とは思えぬ粗野な顔を笑みで歪めると、じろりと睨み付けるように孫次郎を直視した。生まれてこの方、何かと苦労の耐えない将軍は、案外孫次郎と変わらない顔つきをしていた。
「おそれながら公方様、此度は単刀直入に申し上げます」
と、孫次郎が言えば、
「申せ!」
義晴は甲高い高貴な声で、そう答えた。
「此度公方様が御許に伺候いたしましたのは、管領様に諭していただきたいが故にございます」
「…余に管領を諭せと?」
「はッ!」
「何をじゃ?」
「しからば申し上げます。我ら三好家は、先の筑前守の乱の折に、その領地を管領様の配下により横領されました。されど、その後、管領様は返還すると約束なされたのです。されど、管領様は今もってなお返そうとはなさらない。…我らとて、これまで粉骨砕身の思いで、管領様並びに幕府が御為に働き、それなりの手柄功績を挙げてきたつもりでおりまする。さりとて、これまで恩賞と呼べる恩賞一つ賜ったことはなく、その上、横領された旧領すら返してもらえぬとなると、我らは何のために忠義を尽くしてきたのか分からぬというものでございます」
「…なるほど」
義晴は溜息混じりにそう呟くと、改めて、まじまじと孫次郎を見つめた。要するに、晴元に対する旧領返還要求の大義名分として、将軍家を味方に取り込まんとする孫次郎利長の政治的策略なのだということは義晴にもすぐ分かった。如何に管領の力が強大とはいえ、管領の傀儡に甘んじたくない将軍の本音と、形の上では、れっきとした主君である将軍家の命令を無碍にはできない管領政治の矛盾すら計算に入れた上で、こんな頼みごとをしに、わざわざ鄙びた御所まで足を運んだのだろう。そう思うと、眼前に平伏しているまだ若き青年の政治力に、義晴は唖然としつつ苦笑いせずにはいられなかった。
「ま、余とて家臣どもの揉め事を仲裁するにやぶさかではない。それが将軍たる余が勤めゆえな」
と、義晴が言うと、
「ありがたき幸せにござりまする」
孫次郎利長は深々と頭を下げた。
足利義晴直筆の御内書(将軍の命令を記した公文書)が、芥川山の細川晴元の下に届けられたのは、三月に入ってしばらくたった十二日のことであった。
なんといっても将軍家の命である。如何に天下を牛耳る管領の細川晴元とはいえ、無碍に扱うことはできなかった。将軍家を軽視し、その権威を否定することは、将軍家の権威を代行するという形で天下に君臨している自身の存在理由すらも否定することになりかねないからである。
しかし、だからといって容易く受け入れるわけにもいかないのが晴元の実情だった。実際、三好政長や木沢長政らに、横領した領地を返せと命じて、彼らが簡単に応じるとも思えなかった。無論、強制すれば従うだろうが、そこまでしてわざわざ家中に波風を立たせたくないというのが、晴元の偽らざる本音であった。
ゆえに彼は早速上洛し、室町御所に伺候すると、
「その儀はご猶予くださりますよう」
と、必死の諫言に走った。
けれど、義晴も伊達に苦労を重ねてきたわけではない。これまでは管領家の絶大な権勢を前に、ただだんまりを決め込み、傀儡に甘んじていなければならなかったが、今や三好利長という、晴元にも匹敵しうる実力者が背後にいる。ならば、いちいち晴元の意に従順と従う必要性もないのである。
「ならぬ。それに、ひとたび将軍として発した命令が、容易く撤回されては、将軍家の権威に関わる。朝令暮改は、何より権力者がやってはならぬことである」
と言って、全く聞く耳を持たない将軍に対しては、如何な晴元とてそれ以上何か言えるわけでもなく、すごすごと退出せざるを得なかった。
しかし、その後も晴元は将軍直々の幕命を、のらりくらりと言い交わして、なかなか従おうとはしなかった。
開き直ったのだ。
確かに、将軍家の権威を否定すれば、補佐役に過ぎない管領の権威そのものも否定することになる。だが、だからといって将軍家の命令に服してしまうと、管領の上位権力としての将軍家の存在感が高まり、結局その下にいる管領の存在が霞んでしまうことになりかねないのである。
だから無視することにしたのだった。将軍家の権威が下がろうと、細川晴元が天下最大の武力を保持してさえいれば、それを補うことは可能である。少なくとも、形は将軍に服しながら、実質は将軍を超越する存在としての管領の政治的立場は維持できる。
こうした複雑な政治的意図の下、晴元は逃げるように都を去り、芥川山城に立て篭もった。だが、そこで軍を集めるなどの積極的行動に出るならまだしも、相変わらず女子と酒に明け暮れている彼の様が天下に知れ渡ると、諸侯の不安は高まり、それはやがて三好利長への待望論、期待論へと変化していった。
「もはや、晴元殿に対しては我らが実力、思い知らせてやらねば、動かぬようだ」
孫次郎利長は、悲壮感に満ちた顔をして、溜息混じりに呟いていた。
「決戦なさるおつもりか?」
今や側近中の側近として孫次郎の側に侍っている松永久秀、甚介兄弟は驚きを隠せぬように、彼の顔をまじまじと見つめていた。
「それも一つだと、俺は思う。…何といっても、晴元殿は将軍家の命を無視している。これだけでも、十分晴元殿討伐の大義名分はある」
と、三好孫次郎利長ははっきりとした口調で言い切った。
しかし、よもや孫次郎の口から、『晴元討伐』という言葉が出ようとは、さしもの松永兄弟も夢にも思っていなかったらしい。困惑を隠しきれぬように、ただ呆然と若き主君を見つめている彼らに、孫次郎は苦笑いした。だが、既に彼は本気である。第一、これほどの大事を軽々しく言うほど、この青年も甘くない。
ただ、事はそれほど容易な話ではない。何しろ、細川晴元を敵に回すのである。三好政長や木沢長政を相手とするのとはわけが違う。全細川と対峙するとなれば、勝算は五分と五分。敗北すれば滅亡必至である以上、重臣たちの賛否も分かれた。
けれど、
「これは三好家当主としての俺の決定である。異議は許さぬ!」
という孫次郎の強い決意の下、反対派の声は急激に萎んでいった。
孫次郎が兵を挙げたのは、四月三日のことである。
三好軍二千五百を基盤とし、内藤国貞の丹波勢二千や、晴元に愛想をつかした三好伊賀守派諸侯の軍を加え、総勢は一万近くに達していた。
既に将軍家からの正式な許可もある。これにより、三好軍は正式な幕府軍となり、細川晴元軍こそが討伐されるべき賊軍と化したのである。三好方の政治的優位は誰の目にも明らかとなった。
一方、細川方とて手を拱いて三好方の行動を眺めていたわけではない。晴元に代わり、京を守る三好政長は、突如の孫次郎利長の挙兵に驚き、慌てて都を離れたものの、彼が三好利長軍の決起を容易く認めるはずもなかった。そこで高槻城に入って兵を集めることにしたのであるが、その強権的政治で反発を買っていた彼の下にはせ参じる諸侯は少なく、集まったのは自らの手勢を中核に、僅か三千余騎であった。
そして四月九日。
高槻を発した三好政長軍と三好利長軍は、山崎辺りで激突した。当初激戦が予想されたものの、数に勝る利長軍は終始政長軍を圧倒した。結局、寄せ集めの政長軍は劣勢と分かるや否や、たちまち崩れ、その日の正午頃には総崩れとなった。
四月十一日。
勝勢に乗る三好利長軍は、たちまちのうちに高槻城を奪取し、その目と鼻の先にある芥川山城攻略の拠点とした。その上で細川晴元に使者を送り、将軍家の命に服するよう求めたのだった。
三好利長を主将とする芥川山包囲軍の数は、日に日に増大した。
四月十五日の段階で、総勢一万六千に達し、二十日には二万を越えた。その後も続々集まって、三好伊賀守利長は彼自身の想像を遥かに超える力を持つに至った。
「孫次郎の下に二万だと?」
晴元は、予想外の展開に、呆然と立ち尽くしていた。
「さらに増える勢いです」
そんな側近の言葉に、晴元はもはや絶句するしかなかった。
芥川山城には、とりあえず三千の兵が常駐しているが、二万の前にはたった三千である。さらに増えるとなると、当然細川方に勝ち目はなくなる。
「かくなる上は、一つ考えねばなりませぬ」
と、三好政長は言った。
「今のところ、我らが取りうる手は二つあります。一つは、このまま伊賀守と戦い、万に一つの勝機に賭けるか。…あるいは、伊賀守の要求を受け入れ、機を待つのです」
「…要求受け入れ? だがな、それは即ち、お主に与えた領地を、孫次郎に返すということだぞ。それでよいのか?」
そう言って、不思議そうに首を傾げる晴元に、越後守政長はにやりと、常と変わらぬ不敵な笑みを見せた。
「もとよりそれがしは先の戦に敗れ、御所様をかくの如き窮地に追い込んだ戦犯なれば、領地没収ぐらいは覚悟しておりました。…ただし、お分かりいただきたいのは、これは策であり、何もまともに伊賀守の要求に応えるというわけではありませぬ」
「…なに?」
「要するにです。ひとまず伊賀守の要求を受け入れたように見せかけ、奴の軍を撤退させます。要求を受け入れた証として、それがしは領地を差し出し、また蟄居と称して丹波辺りに引っ込みましょう」
「…」
「丹波は内藤国貞の支配下にあるとはいえ、奴に反発する勢力は少なくありませぬ。例えば、八上城主の波多野秀忠。それがしは丹波に引っ込んだ後、味方を集め、隙を見計らい挙兵します」
「…だが、それで勝てるのか?」
晴元はすっかり弱気になっている。実際、眼前には三好利長が二万もの大軍を率いて芥川山城を包囲しているのだ。孫次郎利長が持つ圧倒的な底力を見せ付けられた今、彼が及び腰となるのも、無理はなかった。
「勝てないでしょう」
と、政長は、あっけらかんと言ってのけた。その余りに開き直ったかのような態度に、晴元はぽかんと、呆けたように口を開けたまま、ただ呆れていた。
「それがしのみの力では、残念ながら伊賀守には勝てませぬ。されど、御所様が助力してくだされば、話は別」
「…余が?」
「左様。即ち、まず御所様が最初に兵を挙げます。されど、これは伊賀守の主力を誘き寄せる為の陽動。奴の軍が芥川山へ進発した後、それがしは丹波にて兵を挙げ、もぬけの殻となった京の都を占領するという策です。その後は御所様の軍とそれがしの軍で、伊賀守軍を挟撃するのです」
「な、なるほど」
晴元は、腕組みながら、じっくりと考え込んでいた。これ以外の、これ以上の策は、残念ながら彼には思い浮かばなかった。ここで徹底抗戦してみたところで、圧倒的な三好軍に勝てるとは思えなかった。権力欲、名誉欲が人一倍強い晴元ではあるが、死してまでそれに拘る気など更々ない。生き延びた後に復権の道があるのなら、彼はどんな苦渋でも舐める気でいた。
「よかろう。それでいく」
と、常の彼らしくもなく即断即決すると、政長もまた嬉しそうに、ニヤニヤと、食えない笑みをその満面に表していた。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。