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【飛翔編】第030章 挙兵
 三好家の勢力は、確かに飛躍的に高まった。
 三好利長の尽力により、内藤氏が危機を脱したことで、細川氏傘下の諸侯たちも、さらに彼を高く評価するようになった。また、三好政長に対抗しうる唯一の人間だとして、彼に接近を図ろうとする者も少なくなかった。
 けれど、そうした状況を、当の三好政長が快く思うはずもない。彼は何とか孫次郎の勢力拡大を防ぐべく、木沢長政と連携するなどしたが、日に日にその力を強める孫次郎の前にあっては、大した意味もなかった。


 三好越後守政長と三好伊賀守利長の対立が日に日に深刻化する中で、天文七年は、比較的静かに幕を閉じ、世の中は、新たに天文八年(一五三九年)を迎えた。
 しかし…。
 天文八年は、その初っ端から不穏な兆しに満ちていた。即ち、細川晴元が都において開いた新年の祝賀に、三好伊賀守が参席しなかったのである。彼はずっと国許に留まり、晴元の再三の上洛命令を受けても、微動だにしなかった。
 当然、世論は俄かに騒がしくなった。何と言っても、伊賀、越後の両三好家が、先の丹波騒動以来激しく対立していることを知らぬ者はない。細川政権執政たる越後守政長と、政権傘下屈指の雄藩たる伊賀守利長の激突は、時間の問題であると、かねてから囁かれていたほどなのである。
 だから、誰もが、伊賀守は挙兵すると考えた。阿波に留まっているのも、そのための準備だと、誰もが信じて疑わなかった。
「誠に伊賀殿は挙兵なさる気なのかのう?」
 新年祝賀に三好伊賀守の姿がないと分かるだけで、既に諸侯はこんな調子で、完全に浮き足立っていた。もしも孫次郎が挙兵するつもりだとすれば、どちらに味方すべきなのか。諸侯たちが悩み、迷うのも無理はない。
 三好孫次郎の勢力は、既に細川家中最強である。単独の大名家としてみるなら、無論、三好家に匹敵する領地を持つ者は数多いる。だが、淡路最大の土豪にして、瀬戸内海を支配している安宅氏や、讃岐の有力豪族十河氏を事実上掌中に収め、その上、丹波守護代の内藤氏とも友好な同盟関係を築いている彼の力は、圧倒的に強大だった。もしも孫次郎が挙兵すれば、少なくもこの三家は伊賀守方に与力するだろう。これに阿波国最大の土豪たる三好家の力を加えると、その勢力は細川政権の半分近くに達するといって過言ではなかった。
 逆に越後守政長はというと、確かに彼は摂津江口城を中心に、摂津、山城、丹波などに根強い勢力を持ってはいる。だが、孫次郎と比べれば幾分劣る上に、彼に与力するであろう大名家といっても、せいぜい木沢長政ぐらいであった。細川晴元が明確に政長を支持すれば、また話も違うだろうが、孫次郎優位と見れば、晴元とて安易に政長を支持しないだろう。また、有力な同志といえる木沢長政にしても、ここ最近は彼の出身母体である畠山氏内部で急激に台頭している遊佐河内守長教に実権を奪われ、かつてほどの影響力を失っているというのが、専らの噂だった。


 その木沢長政は苦境に立たされていた。
 木沢と言う人は、今でこそ河内守護代、信貴山城主として畿内に絶大な影響力を誇っているが、元来は、畠山氏に仕える数ある中堅家臣の一人に過ぎなかった。
 そこから持ち前の知恵と胆力で、次第に頭角を現した。彼がその存在を天下に轟かせたのは、主君畠山義堯とともに細川晴元方に与力して以後のことだった。
 政治的才略に長け、戦国と言う荒波を生き抜くに足る鋭い嗅覚を持っていた木沢長政は、この当時既に畠山義堯の重臣にのし上がっていたが、義堯より晴元の方により大きな将来性があると見た彼は、自ら晴元支援軍の総大将の役目を買って出て、畠山軍を率いて戦列に加わった。そして高国の重臣だった細川尹賢(氏綱・藤賢兄弟の実父)を摂津富田に滅ぼすなど、大いに活躍したのである。その過程で、晴元の信頼を勝ち取ることに成功した彼は、単なる畠山家の有力被官から、晴元政権の実力者へと飛躍するきっかけを得ることになったのだった。
 その後、三好政長と結び、三好元長粛清に貢献したことは先に記した。この際、彼は元長と結んだ主君義堯をも葬り去ることに成功し、その上で、かつて義堯と畠山家家督の座を巡り、激しく争ってきた畠山稙長を跡目にするという荒業で、畠山家の実権を掌握したのだった。
 けれど、そこで終わらないのが、稀代の陰謀家と評される所以である。即ち、彼は天文三年(一五三四年)、遊佐河内守長教と共同で、主君としていた稙長を廃し、守護の座から追放してしまうのである。その動機は、木沢や遊佐の傀儡に甘んぜず、意欲的に政治に取り組もうとする稙長と彼らの間に、深刻な対立が生じたからといわれているが、実際のことは分からない。ただ、その結果、彼らは稙長の実弟長経を新たな守護に擁立することで、その地位を確固たるものとしたのであった。
 とまあ、一見すると至極順風満帆に見える木沢長政であるが…。しかし木沢の権力掌握には、後援者としての細川晴元や、外部の同盟者としての三好政長、内部の同盟者としての遊佐長教の存在が欠かせなかった。そして今、その遊佐長教が急速に畠山家中の信望を集め、勢力を拡大していた。その背景には、晴元の信任を背景に勢力を広げた木沢に対する嫉妬や、彼の横暴な振る舞いに対する反感があったというが、ともかく遊佐はこれら反木沢の雰囲気を上手く掴み取ることで、事実上畠山家の最高権力者の座を我が物にしていったのである。聡明で、知識に長けながら、権力欲旺盛ゆえに人と馴れ合うことが苦手な木沢長政にとって、遊佐長教という男はこれ以上なく厄介な政敵であった。

 
 一月二日。
 京は、木沢屋敷。
「このままではいかん」
 そこで、木沢長政は苦りきった顔をしてぼやいている。
「如何なさるのですか? おそらく、伊賀殿は挙兵する腹でしょう。さすれば、越後殿は苦境に立たされますが」
 と言うのは、彼の弟たる木沢左馬允であった。
「越後殿だと? …今はそれどころではないわい。お主も見たろう。河内の奴め。新年祝賀をよいことに、御所様に阿諛追従並べ立てて、信任を得んとしおった。このわしの株を奪うつもりだ。許せぬ」
 木沢長政の怒りも、彼の立場を思えば尤もなことだった。なんといっても、今の彼は、畠山家中における信望を失っている。家中の派閥勢力図で言えば、遊佐が六、木沢が三といったぐらいで、無派閥の一割を加えても、到底遊佐には勝てない。
 そんな彼が、唯一遊佐に勝っているのが、天下人細川晴元からの信頼度であった。そして、これがあるからこそ、木沢長政は遊佐に対し、絶対的な政治的優勢を確保できているのである。しかし、これすらも遊佐に奪われると、木沢長政と言う存在は、畠山氏配下の有力大名の一つに成り下がってしまうのだ。それは即ち、天下の政権(細川家)に関わることはおろか、畠山氏の政務にすら口出しできない田舎大名に零落れることを意味しているわけで、ひたすら天下を目指して歩み続けてきた木沢に許容できる話ではなかった。
「されど、よろしいのですか。越後殿は、木沢様の唯一無二ともいえる確実な同盟者でござりますぞ」
 と、松永久秀も言ったが、既に木沢長政に聞く耳はなかった。


「焦って、耄碌したな」
 そんな彼の様を見つめながら、松永久秀は心の中にそう呟いていた。
「三好越後がどうなろうと、俺の知ったことではない。だが、越後を助け、伊賀殿の行動を押さえ込まねば、木沢長政の運命などそこで終わりだ。越後がこの危機を乗り越え、強大な勢威を手に入れれば、遊佐長教など大した敵ではないというのに…。だが、もしも伊賀殿が越後を倒し、その勢力を飛躍的に伸ばせば、そのとき奴が如何に畠山家の実権を握っていても、何の意味もなさぬ。畠山家の力など、たかがしれている。そんな力を如何に結集したとて、伊賀殿には勝てまい。…もし、伊賀殿とも越後と同様に同盟を結べると思っているなら、それは大間違いだ。伊賀殿にとって、木沢長政も三好政長も、基本的には同じ父の仇に過ぎないのだ。…だが、あれは既に目先のことに囚われすぎて、大局を見失っている」
 さてさてどうすべきなのか、松永久秀は一人じっと考え込んでいた。このままいけば、もはや木沢に命運はない。いや、自ら絶とうとしているように見えた。木沢長政が政治的に生き残るには、もはや三好政長を全面的に支持し、彼を助けて三好利長を葬り去るより他に手はないのである。だが、それが分からず、遊佐長教という小さな敵に拘り続けているなら、どのみち木沢長政も長くはない。
「潮時、かな」
 もとより、久秀には、木沢と心中する気などない。彼の下なら出世できる。そう思ったからこそ、これまで彼のために力を尽くしてきたに過ぎないのである。
「ま、ひとまず木沢のやりようを眺めておくのも一興。これで奴が翻意するなら、まだ芽はあるが…」
 などと呟きながら、改めて久秀は木沢長政という一代の梟雄の顔を見つめた。けれど、そこにあるのは、その鬼謀を天下に恐れられた男とは到底思えぬ、ただ焦り、悩み、迷い、苦しんでいる、ありふれた平凡な男の顔に過ぎなかった。


 阿波芝生城。
 その動向を天下に注目されている、弱冠十七歳の青年君主三好伊賀守利長は、晴元からの上洛命令書を眺めながら、ニタニタと不敵な笑みを漏らしていた。
「我らが先日御所様に送った書状に対する返事は、一切ない」
 孫次郎の殺気立った言葉に、居並ぶ宿将はどれもごくりと息を呑んだ。既に、彼らは孫次郎利長の本意を知っている。だからこそ、彼の一挙手一投足、その言動一言一句に至るまで、家臣たちは全神経を注ぎ、注目していた。
「御所様に、亡き父元長の旧領を返還する気はないらしい。…まあ、既に三好越後守や木沢左京亮らが勝手に横領した後ゆえ、今更返せるはずもないのだろうが…。だが、いずれにしても、これまで三好家が御所様に尽くしてきた功績を思えば、恩賞の形として返還に応じてもよいであろうに。だが、御所様にその気はない。即ち、御所様は我らを愚弄している。我らの忠誠を認めてはおられぬのだ」
 普段の彼らしくない、異様に挑発的で、高圧的な、怒りに満ちた物言いに、重臣たちは驚きを隠せぬような顔をして、彼をじっと見つめていた。
「それに、御所様本人もすっかり酒と女子に夢中で、天下人として果たさねばならぬ職務を忘れている。…我らは、今一度立ち上がり、御所様に目を覚ましてもらわねばならん。領地も返してもらい、御所様には正気に戻っていただく。そのためには、多少の荒療治も必要であろう」
「…」
 誰もが、ごくりと息を呑む。いよいよ本題だ。ついに肝心の、核たる部分に、孫次郎自ら手を伸ばしたのだ。皆が待ち望んだ瞬間。ずっと待ちわびてきた決断を、孫次郎が下そうとしている。
「我らはこれより挙兵し、上洛するッ!」
 それは大地を揺るがし、空気を引き裂く、けたたましい大音声であった。従五位下伊賀守三好孫次郎利長の示した、絶対的な決意であり、覚悟であった。
 そして、それは、彼の目指す夢への記念すべき第一歩でもあった。
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