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【雌伏編】第003章 悲劇の反逆者
 時は少し戻って六月二十日。
 和泉国にある顕本寺(けんぽんじ)は紅蓮の炎に包まれていた。
 それはまさに現世に蘇った地獄といっていい。燃え盛る炎の中に、数十人の男たちが悲壮感漂う壮絶な顔をして腰を下ろしていた。
「わしは、間違っていたのかな」
 血塗れの甲冑をがちゃがちゃと揺らしながら、一人の武者は思わず天を仰いだ。
「殿、事ここに至ったからには、もはややむを得ませぬ。ここは三好武士の凄まじさを管領様に見せつけてやるのです」
 そんな配下たちの言葉に、三好筑前守元長は思わずにっこりと微笑んだ。
 時折吹き抜ける風がなぜだか奇妙に冷たかった。熱いはずなのに、それすら感じなくなっている自分の体を見て元長は苦笑いした。絶対的な死を前にして恐怖しているのだろうか。初陣前夜のようにぶるぶると震えだす体が鬱陶しくて仕方がなかった。
「……祖父上もこんな気持ちだったのだろうか。人の最期とは実に空しきものよ」
 既に炎は元長たちのいる本堂まで迫っていた。バチバチと激しい轟音を立てながら、ガラガラと全てが夢の如く崩れ、泡の如く破れていく。その様をまじまじと見つめながら、元長は溜息混じりに昔のことを思い返していた。


 それは十二年ほど昔。即ち永正十七年(一五二〇年)の五月末ごろのことだった。
 この日、三好家の居城たる芝生城はいつになく騒がしかった。
「爺様が死んだと?」
 元長は慌しく駆け込んできた家臣たちの思いもよらぬ報告に、信じられぬといった顔をして呆然と立ち尽くしていた。
「はッ! 高国勢の反撃は凄まじく、大殿は等持院にて奮戦されましたが、如何せん多勢に無勢にて……。大殿は撤退の途上に捕らえられ、さる五月十一日、知恩院にて高国の命により斬首された由にござりまする」
 弱冠十九歳の青年、三好元長はがっくりと腰を落して、何度も、何度も涙ながらに畳を叩き、
「なぜだッ」
 と、誰に対するでもなく声高に怒鳴っていた。
「い、一月までは我らが圧倒的に優勢だったはず。爺様は都を制し、あとわずかで高国を滅亡に追いやることができたはずだ。なのに、何ゆえ……」
 若い元長には、日々刻々激変する都の情勢というものが全く理解できなかった。なぜ祖父が死ぬのだ? なぜ祖父は負けたのだ? いくら考えてみても答えは出ない。なぜ、なんで、どうして? 若き元長の疑問は深まる一方であった。
 何しろ半年前まで祖父三好之長は、向かうところ敵なしの勢いでその勢力を拡大していた。一年前の永正十六年(一五一九年)の十月には、大内義興(中国地方の有力守護大名)という強大な後ろ盾を失った細川高国の軍勢を完膚なきまでに打ち破っているし、そして永正十七年の一月には都までも制圧下においてその武威を天下に示していたはずだった。まさに飛ぶ鳥落とす勢いで勢力を広げていたはずの之長が、僅か四ヶ月後にかくもあっけなく滅び去ろうとは誰が予想しえたであろうか。元長が困惑するのも無理はなかった。
 元長は落ち着きなくあちこちを動き回ると、何を思ったのか、不意に庭に飛び出して、腰に下げた刀を振り払うと、側にあった大岩に思い切り斬り付けた。
 カァァァン。
 と、甲高い音を張り上げながら、岩は見事なほど真っ二つに割れてしまう。
「なぜだ?」
 祖父は死んだ。
「これからどうなるのだ?」
 父も既にない。若き元長の双肩には、三好一門の将来がずっしりとのしかかってきた。
「また、辛うじて勝瑞城に御帰還あそばされた澄元様も、今ではお城の中で病に臥せっておいでだそうです」
 そんな家臣たちの報告を受けるたび、元長の中に滾る若き闘志は、熱く、熱く燃え上がってきた。死した祖父が粉骨砕身の思いで支え続けた主君澄元も今や病の淵にあるという。ならば、今こそ自分が立ち上がって亡国の危機を救わねばなるまい。自分以外にこの国難に対処できる人間はいない。そう信ずるがゆえに生まれる強い責任感は、彼の心の奥底に眠る祖父の記憶を封印させた。


 この日、元長は主だった重臣たちを芝生城の大広間に集結させた。家臣たちは皆、之長の無念を晴らすべく、今こそ澄元を奉戴して上洛すべきと口を揃えて主張していたが、彼はそれほどに短絡的ではなかった。怒りに流され、大事を見誤ったりはしない。怒りを堪え、悲しみを乗り越え、その上にこそ最善の道があると信じて、いきり立つ群臣をぎろりと睨み付けた。
「これから後はわしが三好家の当主である。即ち、わが意に叛く事は断じて許さぬ」
 そう前置きしてから、
「兵を集めよッ! これより我らは勝瑞城に赴く! 高国勢が押し寄せてくるかもしれん。何としても我らの手で防がねばならぬ。我らが未来は我らの力で勝ち取るのだ。天下に三好元長ありということを示すのだッ!」
 それは元長が当主として初めて下した決断であり、命令だった。祖父之長を彷彿とさせる毅然とした態度、堂々たる迫力に群臣は唖然としたように立ち尽くし、ただまじまじと若くも偉大な主君の顔を見つめていた。
 いつもの元長とは一味も二味も違った。名将と称えられた之長に勝るとも劣らぬ英雄が目の前にいた。だからこそ家臣たちは「ははぁッ!」と恭しく一斉に平伏すと、彼の方針に異議など唱えなかった。


 六月十日になって肝心の細川澄元が勝瑞城内にて没した。享年三十二歳という。
 三好之長以来近畿地方への勢力拡大を国是としてきた三好家にとって、細川澄元という男はなくてはならぬ大切貴重な錦の御旗であった。何と言っても、応仁の乱以来近畿地方で延々と繰り返されてきた内戦は、言うなれば管領細川氏内部の権力闘争に過ぎないのであり、要するに戦国時代初期の天下人であった細川政元の跡目を巡る争いの域を出るものではなかった。ゆえに、政元の養子として、彼の有力な後継候補と自他共に認められていた澄元の薨去がもたらす政治的影響は計り知れないほどに大きかったのである。即ち、澄元がいなければ、澄元方は細川高国(政元の養子)と渡り合う上で必須となる大義名分を失うことになりかねなかったのだった。
 その細川澄元が死んだ。
 即ち澄元派は、細川澄元という看板と三好之長という大黒柱を同時に失った形となり、その勢力的衰退は誰の目にも明らかとなった。このままではいずれ押し寄せてくるであろう高国軍に太刀打ちできるはずもない。本来であればここは早急に新たな後継者を立てて態勢の立て直しを図り、家中一致団結して迫りくる脅威に備えなければならないはずなのだが、然るに澄元の被官たちはどれも主君と重臣筆頭の死に右往左往して新たな主君を選び出す努力を怠り、挙句の果てには自らが之長に代わる澄元方筆頭重臣の座を占めてやろうと、無意味かつ無謀な野心を抱く者やら高国に寝返ったほうがよいのではないかと不届きな算段を胸に抱く者もいて、勝瑞城は混乱と迷走を極めていたのだった。


 そうした中、高国勢の進軍に備えて淡路に駐留していた三好元長は、盟友の安宅治興に淡路の守備を任せると、総勢二千に達する手勢を従えて勝瑞城に登城した。その上で浮き足立つ諸将を半ば強引に制圧し、澄元及び之長亡き後の澄元方の実権を完全に掌握してしまったのである。
 そのときの元長は、さながら修羅の如きおぞましき形相をしていた。彼はずかずかと評議の席に乗り込むと、下らぬ小田原評定を延々と繰り返すだけの無能な諸将を睨みつけて、
「跡目には六郎様を置いて他にはあるまい」
 と、声高に主張し、多少の反発はその武力で押さえ込みつつ、澄元の嫡男である六郎晴元を速やかに家督の座に擁立するよう迫ったのである。
 群臣に否とはいえなかった。何しろ勝瑞城は既に元長軍二千により制圧されている。それに澄元には六郎晴元以外の後継者はおらず、異議を唱える要素などどこにもなかったからである。逆にいえば、晴元以外に後継者がいないにもかかわらず、その晴元を後継者に擁立できないほど澄元家臣団は混乱していたというわけだった。
 兎にも角にも、こうして澄元家中を実力で纏め上げた元長は、天下に対しても、
「六郎晴元様こそが今は亡き政元公、澄元公が後を継いで、大細川の総帥となるに相応しいお方である」
 と、大っぴらに宣言して、澄元及び之長亡き後の晴元方の存在感を示すと共に、高国と対抗する上での正統性、大義名分を保ったのであった。


 紅蓮の中に思うのは、思いのほか後悔していないことくらいだった。
 確かに、粉骨砕身、ひたすらに仕えてきた晴元に見限られたとき、元長は言いようの無い怒り、悔しさ、空しさを感じた。けれど不思議なことに、晴元を憎んだり、殺したいといった浅ましき感情は余り感じなかった。
 今もそうである。悔しさというよりこういう定めだったのだという諦めの気持ちのほうが強かった。晴元を支え、澄元家の天下を取り戻し、なおかつ細川高国を滅ぼすことで祖父之長の無念も晴らした。既に成すべきことは成したのだ。だからかもしれなかったが、不思議と後悔はしなかった。
 ただ今更に心残りなのは、国許に残してきた息子たちのことだった。年長の嫡子千熊丸はまだ十歳。三好家棟梁たる自分が叛軍の総帥として処分されれば、当然三好家も叛乱に加担した与党の筆頭として真っ先に処罰されるだろう。十歳の千熊に、この窮地を乗り切れるだろうか。十歳ゆえに命ぐらいは助けられるかもしれないが、そのとき肝心の三好家が存在しているとは思えなかった。
 千熊には余計な苦労をかけることになるかもしれない。そう思うと父親としていてもたってもいられなくなる。申し訳ないと頭を下げて謝りたい気持ちになった。


 いよいよ炎は元長の周りを取り巻き、その命が果てるのを今か今かと待ちわびているようだった。既に彼の家臣数十人は揃って腹を切り、その場に転がっていた。もがき苦しみながら死に行くさまを見ると、自然、手に握る短刀ががたがたと震えた。
「俺は、三好の大将なのだ」
 心の中に強く言い聞かす。震える気持ちを押さえ込み、ぎゅっと刀を握り締める。
 既に敵勢は寺の周りを包囲しているだろう。逃げる気などないが、逃げたとしても逃げられはしないだろう。事ここに及んで三好の名を辱めるわけにはいかない。それが、三好家総帥としての自分の最期の使命なのだ。
 逃げまい。潔く堂々と立派に死んで見せよう。さすれば三好の名は高まり、結果として息子千熊の利となることがあるかもしれない。これ以上千熊に重荷を背負わせたくはなかった。せめて今できる最善を尽くして、後のことは全て千熊に託そうと思った。
「千熊よ。すまんな。俺は実に子不幸な親だ」
 そう呟いて苦笑い。くっくくく。はっはっは。成長した凛々しき息子の顔を見ることができないのは結構辛い気がした。
 

 元長が腹を切ったのはその直後のことだった。
 やがて、息のない骸に猛然と炎が襲い掛かると、それらはやがて全てを飲み込み、そして、彼らの夢ごと全てを焼き尽くしていった。
 三好筑前守元長は死んだ。
 これにより三好之長、元長の僅か二代で、阿波の土豪から細川氏屈指の重臣へと飛躍を遂げた三好氏は確実に運命の岐路に立たされることになった。そしてそれは、僅か十歳の少年を否応なく天下の表舞台へ引きずり出す、運命的なきっかけとなったのであった。
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