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【飛翔編】第028章 ひと時の平和
 天文六年(一五三七年)四月。
 阿波の国は、桜色一色に染まりきっていた。
 三好孫次郎利長は、生まれてはじめて領主として国許に過ごしながら、一見退屈ですらある平和を、思う存分に堪能していた。
 既に孫次郎は十五歳。もう立派な青年である。
 弟の千満丸は、既に十歳となり、先日、孫次郎が烏帽子親を勤める形で元服し、名を豊前守之康と称した。この場合の豊前守は自称であり、正式に認められた官位ではなかったが、この当時はままあることであった(例として織田上総介信長)。
 また三弟の神太郎は、二ヶ月ほど前に安宅氏へ養子に出し、末弟の又四郎も、来月には、讃岐の有力豪族十河氏の当主十河景滋の養子に入る予定となっていた。
 本国に戻って以後の孫次郎は、こうした具合に、三好家の勢力拡大に明け暮れていた。時には勝瑞城に赴き、守護細川持隆を補佐して阿波の国政に参与することもあったし、あるいは有力な国人衆たちとの友好関係を強化するなどして、阿波における三好家の存在感を高めることも怠らなかった。とはいえ、元々三好氏は阿波最大の大豪族であるし、孫次郎利長自身の名声も加わって、国人たちは、あえて彼が求めずとも、挙って彼の下にやってきた。
 そうした外交面だけでなく、内政面にしても四年に及ぶ近畿での生活を経て学んだ知識を活用し、富国強兵を目指して次から次へ、目覚しい改革政治を断行していった。時には領内へ自ら足を運び、民衆の声にも耳を傾けるようにしていた。増税に苦しむ民の怒りが、あの根強い一向一揆を生み出したのだということを、彼は嫌というほどに知っている。国の源は民であり、民の気持ちこそ国の強さなのだと常に自戒し、また家臣たちに対しても、口をすっぱくして言い聞かせていた。横暴な振る舞いをする役人は、悉く罰し、それが例え細川持隆の家臣であろうと、容赦はしなかった。
 しかし、一方では遊びたい年頃でもある。だから、彼はこうして暇さえあれば、思う存分に楽しむことにしていた。
 春は桜、夏は海、秋は紅葉で、冬は雪。
 せっかく春なのだから、そこら中を桜色に飾っている風物詩を見逃す手はない。思い立ったが吉日とばかり、ひとしきりの仕事を片付けると、孫次郎は全く唐突に、
「今日花見をするぞ!」
 と、家臣たちに命じたのだった。


 で、彼は二百の兵を従えて城を発すると、桜並木の広がる町外れの小高い丘までやってきた。
 急遽花見に駆り出された家臣たちにしてみれば、これほどに迷惑な話もない。また花見の場を孫次郎一行に占拠され、見るべき場を失った民衆にしても、実に腹の立つ話だった。けれど、相手が三好孫次郎利長とあっては、文句など言えるはずもないし、日ごろ彼の厳しき仕事をつぶさに見ている家来たちは、こんな些細な我侭に対してまで、
「なりませぬ!」
 とは言えなかった。
 そんなこんなで、孫次郎は最も良い特等席を占拠し、ふんぞり返るように、我が物顔で座った。今日ぐらいは贅沢を言っても、我侭を言ってもよかろうと、彼は思い切り横暴な殿様になりきるつもりでいた。
「兄上、兄上!」
 そこに、慌しく駆け込んできたのは、七歳になったばかりの少年又四郎だった。父元長晩年の子で、彼には言うまでもなく父の記憶など全くないが、父がこの幼き末子を誰より愛していたことを、孫次郎はよく覚えていた。
「おう、又四郎! 何事だ?」
 桜の木の下に、楽しそうにふんぞり返っている孫次郎は、いそいそとやってきた末弟の無邪気な顔を見て、「ははは」とにこやかに笑った。
「兄上、遊んできてもよろしゅうございますか?」
「遊ぶ? …花見は、遊びとは違うのか?」
 孫次郎がじろりと睨むと、又四郎はムッとしたように、「違います!」と、言った。
「こんな腹の足しにもならぬ花などにそれがし興味などありませぬ。遊びというのは、鷹狩りのことです」
「鷹狩り?」
「左様です。大体、最近は養子に行くのだからと、修行ばかりで、身体が鈍っていけませぬ。少し、大いに身体を動かしたいのです」
「…なるほど」
 孫次郎は腕組みながら、何やら一人考え込むと、途端、すっくと立ち上がって、
「者ども。これより鷹狩りを行う。…ただ、この辺りは少し狭い。ゆえに、これより白地城に赴き、そこで盛大に鷹狩りを行う!」
 と、凄まじき大音声を張り上げて、居並ぶ家臣たちに命じるのだった。
「は、白地ですか? さ、されど、そこまで赴けば、今日中に帰城することは叶いませぬぞ」
 松永甚介が慌しく諫言すると、
「戻る気はない。今宵は白地城に過ごす!」
 孫次郎はけらけらと笑って、問答無用といわんばかりの顔をして、家臣たちを睨み付けた。


 白地城は、四国のど真ん中に位置する典型的な山城だった。より具体的に言えば、阿波国三好郡内にあり、代々、小笠原氏に端を発する大西氏が本拠地としてきた城であった。この大西氏も、小大名ゆえの宿命というべきか、独立した大名としての地位を確立することは出来ず、形の上は守護である細川家に、実質的には近隣の大大名である三好氏に臣従していたのだった。
 その大西氏の当主は大西出雲守元武と言い、今では三好家配下の有力な宿将の一人となっていた。本来、彼の立場は阿波守護家から、三好家に配された寄騎大名でしかなかったのだが、三好家が元長の代で飛躍的成長を遂げた後は、寄親、寄騎の関係を超越した主従関係を結ぶに至っていたのだった。
 それはともかく、孫次郎利長が二百の家臣を従えて、堂々と白地にやってきたのである。大西出雲守は、突然のことに驚きながらも、何はともかく主君の御越しである以上は、慌しく出迎えの準備を整え、自ら数騎を率い、孫次郎一行がやってくるであろう街道まで出向いたのだった。
「出雲殿、出迎え御苦労にござる!」
 そんな孫次郎の言葉に、出雲守は「はッ!」と仰々しく頭を下げた。
 三好孫次郎はというと、畿内で赫々たる武勲を挙げた若き俊英と評価の高い青年像とはかけ離れた、異様な出で立ちをして、「ははは」と笑っていた。
 煌びやかな朱色の南蛮鎧を身につけ、乱れた髪にもさして気を遣う風もなく、悠々とやってくる。呆然としている出雲守を尻目に、
「これよりこの辺りで鷹狩りを行うつもりだが、出雲殿もどうかな?」
 などと言って、にこりと微笑んでいた。


 後に鬼十河と称えられる圧倒的武勇は、未だ三好又四郎といった幼年期より、片鱗を見せていた。
 馬に跨れば、まさに人馬一体。弓を扱えば、百発百中だった。空高く舞い上がって、縦横無尽に飛び回る鳥を、流鏑馬で射落としたときなど、見物していた孫次郎は驚きを隠せなかった。
「全く、あいつには驚かされる」
 と、呆気にとられたようにぼやく孫次郎に、
「あれは、まあ、学問が嫌いな分、いつも鍛錬にのめり込んでいましたから」
 豊前守之康はそう言って、嬉しそうに笑った。
「にしても豊前。俺は実によい兄弟をもったようだ。…父を失ったときなど、もはや俺一人で三好家を守っていかねばならぬのだと、深刻に思い悩んだものだが、考えてみれば、お主もいるし、神太郎も、又四郎もいる。この四人が力を合わせれば、我が家は父祖時代など目でもないほど飛躍できるに違いない」
「…そう、ですね。されど、やはり当主である兄上の御力あってこその三好家でござりますれば、兄上が優秀ゆえに、父上死後、ここまで持ち直すことができたのです」
 そんな風に言う之康に、孫次郎は恥ずかしそうにはにかみながら、にっこりと苦笑した。
「ま、何はともかく、わが兄弟は互いにどういう立場になろうと、常に仲良く、皆が死ぬまで鉄の如き結束を守り抜いていきたいものだ」
「はい。出来れば、劉備、関羽、張飛が如く…」
「ははは。そうだな。だが、俺たちは劉玄徳たちよりずっと深く結ばれている。何しろ、彼らは義兄弟だが、俺たちは正真正銘の兄弟だ。そして、彼らは三人だが、俺たちは四人だ。この四人、力を合わせて三好家がため、天下がために働き、死ぬるときは、できれば全員同年同月同日といきたいものだ」
 そんな孫次郎の言葉に、豊前守之康は嬉しそうに高らかに笑った。
 やがて、日は落ち、西の空は血のように真っ赤に染まっていた。思う存分遊び終えた又四郎少年は、満足気な笑みを浮かべて、二人の兄の下に駆け込んできた。
「お主は凄いよ」
 と、長兄たる孫次郎が言えば、
「どうです? 俺はこれから養子に行くけど、この力で長兄を助けるんだ」
 などと、殊勝な言を吐く又四郎であった。
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