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【飛翔編】第027章 天文法華の乱
 中島が陥落したことで、細川政権が抱える問題の一つは、何とか解決を見たことになった。中島より脱出し、以後も晴元政権打倒を目指して戦い続けていた細川晴国も、中島陥落から一ヶ月が過ぎた八月二十九日、三好孫次郎や摂津の土豪三宅国村の手勢に追い詰められ、ついに天王寺にて自害した。生憎と、氏綱・藤賢兄弟をはじめ、主要な重臣たちは既に晴国とは行動を別にしていたので、これを捕縛することはできなかったが、高国残党勢力の首魁たる細川晴国が死んだのは、晴元にとってこれ以上ない朗報だった。
 

 しかし…。
 中島が陥落し、晴国が滅びたからと、晴元政権の抱える問題が全て解決したというわけではなかった。
 問題というものはいくらでもあるのだ。そして、そのうちの一つが、ここ最近急激に深刻化して晴元政権を苦しめつつあった。
 というのは、天文五年(一五三六年)は三月まで遡ることになるが、京都の一条烏丸において、比叡山延暦寺の僧侶と法華宗信徒が法論を行い、叡山の僧侶が敗れたのである。……なんて言ってしまえば、実に他愛無い問題に思えるが、この実に些細な問題をきっかけとして、叡山と法華の対立が深刻化するようになったのであった。
 平安期に最澄が創建して以来、長らく天下にその名を轟かせてきた叡山にとって、天文元年(一五三二年)の法乱の後、洛中の実権を握るようになった法華宗は邪魔者以外の何者でもなかった。それでも、細川政権との親密な関係を背景に強勢を誇る法華の勢いを前にしては、ひたすら耐え忍んで今までの日々を過ごさざるを得なかったわけだが、度重なる法華宗の横暴な振る舞いを目の当たりにするにつれ、彼らの我慢も限界を超えていったのである。
 だから三月二十三日。
 法論敗北を契機とし、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、兎にも角にも今まで堪えてきた怒りを一挙に爆発させた比叡山延暦寺の僧侶たちは、まず法華宗の急激な勢力拡大を不安視するようになった細川晴元を強引に説得し、さらに六角定頼、木沢長政までも巻き込んで、総勢六万とも言われる大軍で都に突入した。そして二十七日には、法華二十一ヶ寺と呼ばれる法華宗系寺院を次々焼き討ちすると、これまで洛中に絶大な権勢を誇ってきた法華の信徒を、悉く都から追い払ったのである。


 かくて法華宗は衰え、叡山が都の支配権を得た。
 といっても、それは形ばかりで、追い落とされた法華宗門徒たちの怒り、恨みは凄まじく、彼らは隙あらば都に攻め上らんと、虎視眈々準備を進めていたのである。
 既に天文五年も八月になり、長年晴元政権に抗い続けた細川晴国も滅びた。一向宗騒動にもけりをつけ、いよいよ政権基盤の強化に尽力できると思った矢先の事態に、晴元は芥川山城内で、すっかり頭を悩ませていた。
「いっそ、この際ですから、法華宗と叡山を争わせ、御所様が漁夫の利を占めるというのも一興ですぞ」
 と、木沢長政は言った。
「漁夫の利、のぅ」
 それも手の一つではあると思う。だが、四年前や半年前の二度に及ぶ法乱のときの如く、三度、洛中を火の海とすれば、都を守る細川政権の威信は失墜しかねない。せっかく将軍家を迎え、正式に管領となり、彼の夢見る管領政治が具現化しつつある今、無用な騒乱は彼の好むところではなかった。
 だが、今更叡山と法華の対立を、言葉で収拾に導くのは不可能に近い。互いに、その面子と意地がかかっているから、武力以外の解決方法はないのかもしれなかった。
 漁夫の利を狙う、というのも、事ここに至った以上、細川政権が取りうる唯一無二の現実的路線であるような気もした。だが、それは法華、叡山両雄の激突を前提とした策であり、調停役としての細川家がよほど上手く立ち回らぬ限り、畿内全土を巻き込む恐るべき宗教戦争の引き金を引くことにもなりかねないのである。無論、そんなことになれば、細川政権の威信など、かつての足利将軍の如く、木っ端微塵に吹っ飛ぶであろう。
 晴元は悩み、迷った。
 如何にすべきなのか。分かっているような、分からぬような、複雑な気持ちだった。
「とりあえず考えさせろ」
 と、彼が言うと、
「御意のままに」
 木沢長政は恭しく平伏し、そして足早に去っていった。


 芥川山城は、言うまでもなく芥川山に聳え立つ典型的な山城である。その山麓部分には、城郭の主要部分が軒を連ね、麓を取り囲むように、重臣たちの屋敷が立ち並んでいた。
 その一つ、三好政長の屋敷は壮大壮麗を極め、堂々と聳え立っている。その威容は、細川政権の大番頭と称えられる彼の権勢を、これ以上なく明快に象徴していた。
 そんな政長の屋敷に、城を離れたばかりの木沢長政の姿があった。今をときめく実力者二人が、小さな茶室に膝を交えている姿は、なかなかに不思議なものであったが、二人はさして気にせず、政長が作法通りの堅苦しい仕草で点てた茶を、木沢は無作法に飲み干した。
「ところで、法華の門徒どもは、各地で同志を糾合し、都の奪回を狙っているという。都には山門の僧兵たちがいるだろう。越前殿は法華と叡山。いずれが勝つと思われるか?」
 ゆっくりと茶碗を足元に置くと、木沢は唐突にそう切り出した。
「どちらが勝つか、など、それがしには到底分かりかねますな」
 政長はニヤニヤと笑って、なかなか本音を吐かなかった。
「なるほど。…確かに、わしもどちらが勝つかははっきり言って分からぬ。だが、双方勢力的には互角。お互いが勝手に争い、どちらも衰えれば、漁夫の利は自ずと我らが下に転がり込む」
「でしょうな」
「だが、そう考えていくとき、邪魔となるのは三好伊賀守」
 そんな木沢の言葉に、政長の眉がぴくりと動いた。
「三好宗家は法華宗の大檀那。先の法華粛清の折は、伊賀殿は椋橋で一揆勢に敗れ、三好家などとるにたらぬ存在だったゆえ、さして問題はなかったが、今は違う。伊賀殿の勢威は日に日に高まっている。もしも再び法華が窮地に追い込まれれば、伊賀殿は必ずや支援の手を差し伸べるだろう。そんなことになっては、せっかく実力伯仲している両宗門の力関係が崩れてしまう」
「…」
「伊賀殿の支援下に、法華が勝利したとなると、法華と伊賀殿の勢威はますます強くなりましょうな。…それこそ、故筑前守殿の如く、御所様の筆頭重臣の座を占めるのも、時間の問題」
 木沢は、時折政長のほうを見、彼の平静が見る見る乱れていく様を思う存分に堪能していた。いくら冷静を装うとも、政長にとって、孫次郎利長は最大の天敵、仇敵なのである。孫次郎の勢威が今以上に強まり、それが筑前守元長の如きものとなるなどと言われて、いつまでも冷静でいられるはずがなかった。
「ま、これは私の考えだが、いっそ伊賀殿には国許へお帰り願おう。筑前守殿が横死して以来、都合四年間に渡り、伊賀殿は国を空けている。帰国したいという思いは殊の外強いはず。ならば、伊賀殿の思い、我らの手で叶えてやろう。と、私は思うが、越前殿は如何思し召される?」
「…国に戻す、ねぇ」
「左様。さすれば、伊賀殿は直接法華宗に手は出せますまい」
 木沢長政の示した策に、政長もすっかり乗り気になった。
 無論、孫次郎を国に戻すことにより、彼の潜在的な力がさらに強大化する恐れはあるが、しかし法華宗と結びついて、叡山を撃破するようなことになれば、彼の声望は一挙に高まり、それはかつての元長をも凌駕するかもしれない。そんなことに比べれば、少々の勢力拡大は許容範囲内だった。
「とりあえず、それでいこう」
 と、政長が言うと、
「さすがは越前殿。物分りがいい」
 木沢は相も変らぬ不敵な笑みを浮かべつつ、ニタニタと笑った。


 孫次郎は細川晴国討伐を終え、その論功の形で芥川山城に伺候すると、そこで晴元より直々に、本領への帰国を赦されたのだった。
 ただ、彼もそれを素直に喜ぶほど、単純ではなかった。その裏にある企みに気づかぬほど、鈍感でもなかった。
「俺を遠ざけ、法華を潰す気だな」
 と、その瞬間に気づいたものの、だからといって何ができるというわけでもない。他ならぬ晴元の命であれば、受け入れるより他に仕方がないのである。それに、国に戻りたいという感情は、ここずっと高まる一方であったから、個人的には小躍りして喜びたいところでもあった。
「ならば、文など書いて、法華の僧侶たちに軽挙妄動は慎むよう諭されては如何です?」
「文?」
 三好康長の言葉に、孫次郎は「ふうむ」と唸った。そして、それも一つの手だろうと思い直し、早速自身直筆の書状を馴染みの僧侶たちに送ることにしたのだった。


 九月に入り、法華と叡山の都を巡る対立はいよいよ激しさを増したが、予想された法華宗の挙兵そのものは、なかなか起きなかった。
 その間、三好孫次郎利長は手勢三千を従え、安宅水軍とともに畿内を去ると、密やかに国許へと戻っていった。
 その後、法華と叡山はひたすら激しき睨み合いを続けた後、孫次郎の手紙外交の効果や、都での戦乱を望まぬ将軍家の説得工作もあって、兎にも角にも、法華宗は振り上げた拳を下ろすことを認めたのだった。
 即ち。
 十一月十四日。
 細川政権、叡山、法華の三者代表による首脳会談が洛中にて催され、そこで法華宗は、半年前の法乱により焼失した寺院の再建を認めてもらい、また、その再建費の一部は細川政権や叡山が肩代わりすることを主な条件として和解案を受け入れたのである。
 この和解交渉の結果、洛中は平穏を取り戻し、その仲介役を担った将軍家や幕府の威信も、わずかとは言え、確実に回復することになった。無論、細川政権にとっても、最大にして最悪の難問を克服したことで、その政権基盤は大幅に増強され、ようやく政権としては安定期を迎えることになったのだった。
 そして……。
 法華宗を和解へと導くにあたり、三好孫次郎の果たした功績が知れ渡るにつれ、彼の声望は飛躍的に高まるようになった。即ち、彼を国許へ追いやることで、騒乱の蚊帳の外に置き、その勢力拡大を防ごうとした三好政長や木沢長政の企みは、完全に失敗に終わったのだった。
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