【飛翔編】第026章 中島陥落
三好勢敗北を契機に、各地で頻発した一揆も、各地を統治する諸侯の努力も相まって、一ヶ月足らずの間に沈静化し、今や中島の一揆軍主力を残すのみとなった。
度重なる細川方の抗議を受けた本願寺側が、暴徒化しつつある過激な門徒たちの鎮静化に力を入れるようになったことも、このところ一向一揆勢力が弱体化している一つの大きな理由であった。即ち破門の可能性すらちらつかせつつ、半ば強引に説得した結果、一向宗を基盤とした、組織立った一揆は比較的発生しにくくなったわけである。それでも、一部の門徒たちは、重税に苦しむ民衆たちを扇動したりして、依然として挙兵したりしていたが、規模にすれば実に小さく、強大な細川政権の敵ではなかった。
というわけで、中島包囲軍は後顧に憂いなく、じっくりと眼前の敵のみに専念できるようになったのだが、この眼前の敵が実にしぶとく、強いのだった。
「兵糧攻めとする以外に手はないか」
総大将たる政長の言葉に、
「そうですな」
と、副将格の木沢長政はすかさず頷いた。
既に中島は蟻一匹這い出る隙間のないほど、完全包囲されている。陸からは、三好政長以下細川軍二万五千が、海からは安宅水軍が布陣し、中島に対する物資供給を完全に遮断している。また中島南部にある石山御坊も、彼らに対する支援を完全に打ち切ったほか、彼らが証如の降伏命令にも叛いたことで、本願寺としても彼らを捨て置くわけにはいかなくなり、結果として悉く破門に処し、討伐する側に回るようになった。
孤立無援とは、まさにこのことであったが、しかし彼らのしぶとさはなかなか異常なものがあった。
「ですが、兵糧攻めなどして、逆にこちら側の物資が不足するようなことになっては、木乃伊とりが木乃伊になるようなものですぞ」
と、高畠伊豆守が言うと、政長はにやりと不敵な笑みを漏らした。
「兵糧ならば気にするな。堺衆が用立ててくれた軍資金もあるし、石山本願寺も詫びと称して、五千石の兵糧を提供すると約束している。これがあれば、ある程度の期間は長期布陣することも可能」
「な、なるほど」
勝ち誇ったような笑みを見せる政長に、高畠は安堵したように、ほっと溜息をついた。
「敵の兵糧で、敵を倒す…、とはまた皮肉な話でござるなぁ」
木沢はそう呟き、からからと笑った。
「ま、石山の法主殿も我らとの本格的対立は避けたいに違いあるまい。五千石で、我らが怒りを買わずに済むなら、五千石など彼らにとっては安いのだろうさ」
「ま、なんにしても坊主というのは、案外金持ちなのでござるな。それほどに金と兵糧があるなら、五月蝿い信徒どもに分け与えてやればよいものを」
そんな風に呟く木沢に、誰もがクスクスと笑った。
五千石、と一言で言っても、容易く出せる代物ではない。ただでさえ昨今はいくら兵糧があっても足りぬ戦乱の世である。本願寺が如何に隆昌を誇る宗門の総本山だからといって、それだけの額を容易く提供できる彼らの財力には、はっきり言って誰もが唖然としたものだった。
細川軍による中島総攻撃は、それからしばらく続き、立て篭もる門徒たちの必死の抗戦も空しく、七月に入ると、彼らの劣勢は誰の目にも明らかとなってきた。
細川方による兵糧攻めがようやく功を奏してきた形となり、門徒たちの抵抗力も著しく弱体化した。その上、戦いを主導する細川晴国ら高国残党勢力と、篭城軍の中核を占める一向門徒たちの、戦いに対する温度差が表面化するに及んで、中島篭城軍は内も外もがたがたとなった。
「もはや降伏する以外に道はない」
と、主張する坊官たちに対し、
「馬鹿なことを言うな。今降伏すれば、皆殺しになるぞ」
と言って、徹底抗戦を主張する晴国である。
しかし形勢は明らかな不利にある。門徒たちにしてみると、こうして徹底抗戦していれば、いずれ総本山が助けてくれるに違いないと、僅かな望みに縋り付いて、今に至るまで抗戦していた。けれど、救いの手を差し伸べてくれるはずの本山は、逆に彼らを破門に処し、敵対姿勢を明確に打ち出してきた。こうなっては、本山から援軍など見込めるはずもなく、一揆勢の士気は戦線不利も相まって、急激に低下していたのである。
一人意気軒昂な晴国にしてみると、これほど腹立たしき話はない。彼の夢は、高国政権の復活であり、自身が細川家の棟梁となって天下を支配することなのである。これは、そのための第一歩であり、晴国は弱腰の坊官たちをぎろりと睨み付けると、
「わしは戦うぞ。たとえ最期の一兵になったとしても」
と、叫んでいた。
七月二十五日、夜。
細川晴国は自らに従う主要な与党を集めると、今後の方針について密議していた。
「坊官どもは、既に降伏論で一致しているらしいですぞ」
と言うのは、細川氏綱と言う青年武将で、今は亡き高国の養子だった男である。
「…あの弱腰坊主どもは、ことここに至って、降伏すれば自分たちだけは助かるとでも思っているのか?」
晴国は腹立たしそうに、ぐぬぬと唸った。
情勢の不利は、晴国とて承知している。既に海も陸も細川軍により封鎖され、こちらは深刻な物資不足に悩まされていた。兵の戦意も低下し、とてもではないが、これ以上の抗戦は不可能だった。
「されど、坊主たちが降伏で一致したとなると、主戦論を唱えている我らを滅ぼさんとしてくるやもしれませぬ」
と、氏綱の実弟である細川藤賢は不安げな面持ちをして呟いた。
「…そうかもしれぬ。いや、もしわしが奴らの立場なら、そうするだろう。…となれば、座してやられるのを待っているわけにもいくまいな」
晴国は、兄譲りの陰気な笑みを浮かべると、側に控える氏綱、藤賢兄弟をはじめとする重臣たちに、静かに目配せした。
重臣たちも、事ここに至っては、そうするより他に仕方がないと思った。坊主たちが行動に移す前に、こちらが動く。さもなくばやられる以上、もはや迷っている暇はなかった。
そして、細川晴国は動いた。
天満神社。
ここに、一向門徒を指揮する本願寺坊官たちの本陣がある。晴国自ら率いる軍勢一千は、闇夜を進み、そして神社一帯を静かに取り囲んだ。
「よいな。坊主と見れば皆殺しにしろ。やられる前にやるのだ」
晴国の下知を受け、一千の軍はゆっくりと動き始めた。
氏綱を大将とする第一陣二百が、まず神社内に突入する。坊主たちのいる部屋は遠い。とにかく、彼の役目は逃げ道を封鎖することにあるから、あえて攻撃を仕掛けたりはしなかった。
氏綱勢の布陣が終わると、続いて藤賢率いる二百が怒涛の勢いで突入する。彼らは襲撃部隊であるから、殺気を隠したり、気配を殺したり…、といった面倒なことはしなかった。怒涛の如く社に侵入すると、手当たり次第、片っ端から殺して回った。
総大将である晴国は、藤賢勢による粛清が始まったと見るや否や、重臣たちに包囲軍五百の指揮を委ね、自ら百の手勢を従えて神社内へと入った。氏綱勢の包囲を潜り抜け、辛うじて逃げ延びてきた坊主を見つけると、
「軟弱者に用はない。死ね!」
とだけ言って、無情にも、一刀の下に斬り殺した。
その後も、残虐な地獄は延々と続いて、夜も明けかけた頃には、坊官たちは皆死んでしまった。晴国は神聖な神社にあるまじき血塗れの惨状を眺めながら、
「臆病者の末路よ! ははは」
と、楽しそうに大声で笑っていた。
二十六日、晴国は、天満神社が晴元方により襲撃され、坊官たちは悉く皆殺しにされてしまったのだと、門徒たちに発表した。その上で、以後は自らが総大将になって戦いを指揮していくと主張したのだが、無論のことではあるが、そんな子供じみた説明を信じる者など一人もいなかった。
当然、門徒たちの怒り、憎しみは、明らかな下手人たる晴国と、その郎党に向けられた。それでも、指揮官たる坊主たちを失ったことで、纏まりを欠いた門徒たちは、晴国配下の手勢二千の暴力的な支配に抵抗する術を持たなかった。だから渋々晴国に従っていたのだが、そんなものが長続きするはずもなく、二十七日の正午頃、暴徒化した門徒たちの一部が、晴国配下の足軽数十人を袋叩きにして殺害する事件が起きるや否や、両者の対立は一挙に表面化した。
そして二十八日夜。
もはや細川晴国に、この事態を収拾させられるだけの力はなかった。
「逃げるしか、ありませぬな」
氏綱の言葉に、晴国は無念そうに頷いた。
細川晴国は、門徒たちだけでなく、大勢の配下すら見捨てて、氏綱・藤賢兄弟以下僅かな重臣のみ従えて、中島を脱出した。
無論、完全包囲下にある中島からの脱出は、決して容易ではない。だが、警備の甘い石山御坊側からなら、さして難しい話ではなかった。坊主の如き格好をしてさえいれば、本願寺の派した兵士はどれも見逃してくれたのである。
しかし、総大将細川晴国を欠いた中島は、もはや最悪の地獄と化した。裏切られた家臣たちは、怒り狂う門徒たちの攻撃をまともに受けて全滅し、さらに門徒たちにしても、怒涛の如く押し寄せてくる細川軍の猛攻に耐え切る力は残されていなかった。
七月二十九日。
中島攻めの先鋒を受け持った三好勢が、中島に一番乗りしたとき、既に門徒たちは戦闘意欲一つなく、武器と食糧、僅かな金を捧げて降伏した。当初、自棄になった門徒たちとの激戦も覚悟していた孫次郎は、まさに拍子抜けといったように、安堵の溜息を漏らした。
二十九日、午後。
三好政長も中島に入城した。本来であれば、篭城軍を指揮した有力な坊主たちを、戦後処理の名の下に斬り捨ててやるべきであったが、生憎、彼らは晴国により粛清されていたので、とにかく残された中堅幹部に対して、謹慎処分を命じると、後の処置は石山本願寺に委ねて撤退することにした。
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