【飛翔編】第024章 敗戦
二月も中頃になって、孫次郎利長は三千の軍勢を従えて、再び畿内へと戻っていった。
この当時、細川晴国をはじめとする高国残党勢力や、細川政権との融和的姿勢を推し進める本願寺上層部に反発する過激な一向門徒たちは、摂津は中島に拠って、徹底抗戦の構えを取っていた。
中島は石山御坊の北側近くに位置する中洲で、海上交通の便もよく、立て篭もる上ではこれ以上ない天然の要塞だった。なので、細川政権の弾圧策の前に、敗北を余儀なくされてきた一向軍や晴国軍はこの地に逃れ、再起を期さんとしていたのだった。
けれど…。
中島の地が如何に難攻不落を誇る天然の要害だろうと、そこに集まっている者は、要するに各地の戦に負け続けた敗軍の寄せ集めでしかなく、とりわけ一向門徒たちと高国残党勢力の意思統一はなかなか難しかった。その上、陸上は圧倒的な細川軍により、海上は、安宅水軍により完全封鎖され、中島の地は全く敵中に孤立していた。それでもこれまでは、南方すぐ側に位置する石山御坊の同志たちより物資の横流しを受けて、辛うじて余命を保っていたが、それもいつまでも続くはずはない。細川方の抗議を受けた本願寺証如や蓮淳ら一向宗の高僧たちは、中島の反乱軍を密かに支援していた者たちを摘発すると、即座に処罰して門徒の統制を強化した。
かくして中島は完全に孤立したわけである。細川方の完全勝利はもはや時間の問題。誰もがそう信じ、決して疑わなかった。
だが…。
窮鼠猫を噛むの例え通り、例えどれほどの優勢に立とうとも、結果というものは、判明するまでは決して分からないものであった。
三月に入って、中島包囲軍に身を投じていた孫次郎利長は、包囲軍の総大将である三好政長の命を受け、椋橋城近辺で勃発した一向一揆討伐のために出陣することになった。
「分かっておろうな、伊賀殿。此度の椋橋の一揆勢は、おそらく中島の同志たちを救うべく立ち上がったものに相違ない。奴らがいる限り、中島の阿呆どもは決して降伏せぬ。…ゆえにその方は、早急に兵を率いて椋橋へ向かい、奴らを討伐せよ。椋橋近辺の地理は、誰より伊賀殿なればよく御承知のはずゆえ」
それが、総大将としての政長より下された命であった。ならば、孫次郎としても従わざるを得ない。だから彼は、
「承知!」
とだけ大仰に答えると、まるで逃げるように政長の本陣から去り、そして自らの陣に戻るなり、早速全軍に出陣の命を下したのだった。
よほど椋橋に縁があるのだろうと、行軍中、孫次郎は思わず苦笑いした。
椋橋城に立て篭もって細川晴元とやりあったのは、もう一年半近くも前の話になる。あの戦い以来、孫次郎の名声はうなぎ登りに高まった。天下最強と称えられて久しい管領晴元とまともに張り合い、挙句比較的有利な条件の下に和睦したのだ。孫次郎を知る者は、それまでの彼に対する評価を変えざるを得なかったし、初めて知る者は、この凄まじい神童の将来的可能性というものを本気で考えざるを得なくなった。
安宅治興による養子話も、成長著しい三好家に今のうちから接近しておきたいという思惑のなせる業であった。実際、養子話は、安宅氏だけでなく、讃岐の土豪十河氏からもそれとなく持ち込まれていた。養子話だけでなく、自らの姫を孫次郎に嫁がせようと企む者も、一人や二人ではなかった。孫次郎自身が乗り気ではないことと、余りに急激な勢力拡大は、晴元の不審を買う恐れがあることなど、様々な諸事情により、それらの話は一切進んでいないが、畿内に暮らす人々、上は諸侯から、下は貧民に至るまで、孫次郎利長こそ将来大化けする有望株だと信じていたのだった。
一揆軍は総勢五千という話だった。
孫次郎利長率いる三好勢は、総勢三千。これに伊丹親興、三宅国村ら、細川方の与力を加えると、五千ほどになるから、戦力的には互角であるといえた。
三月六日。
孫次郎の本陣にて、軍評定が催された。孫次郎を筆頭に、三好康長、三好長逸、三好政成ら三好一門、篠原自遁、岩成友通、今村慶満といった三好氏配下の有力部将が軒を連ねている。そんな中に、伊丹親興、三宅国村、塩川政年ら摂津の有力土豪の姿もあった。
「まずは総攻撃あるのみ」
総大将として、孫次郎は勢いよくそう宣言した。
「されど伊賀殿。敵も我らと同数。しかも神出鬼没な一向門徒であれば、眼前の五千が総力とも限りませんぞ。もしも敵が主力を隠していた場合、目の前の敵は完全な囮ということにもなりまする」
しかし伊丹大和守親興はそう言って、彼の血気を宥めた。
伊丹大和が意見は、正論といえば正論だった。けれど、孫次郎は不満である。このところ、何もかも上手くいって、どこか有頂天になっている彼は、伊丹親興如き土豪に反論されたのが何より悔しかったらしく、
「ならば、伊丹殿はどうすべきとお考えか? 手を拱いて、敵を見守れとでも申されるのか?」
と、彼らしくもなく好戦的な口調と、ジトッと睨み付けるような視線で、伊丹大和に尋ねるのだった。
「いや、様子を見たほうがいいと申しているまで。一向門徒どもの底力は、伊賀殿とてご存知のはず。無闇やたらな攻撃は、いたずらに自らの敗北を招いているようなもの」
伊丹は常に沈着冷静である。若くして歴戦を重ねてきた彼は、孫次郎の気持ちなど、手に取るように分かるのだった。
「…それもそうだが、しかし眼前の敵軍にも次々一向門徒たちが合流しているという。このまま捨て置けば、もはや我らには手に負えぬ大軍となりかねない」
孫次郎はいつになく焦っている。いや、逸っていると言った方が、この場合よいのかもしれなかった。少なくも、手柄を急いている。何と言っても、彼はまだ十四になったばかりの少年に過ぎないのである。如何に神童と言ってみても、この現実が変わることはない。
政長を出し抜きたい。今の彼は、そればかり考えていた。早急に一向軍を踏み潰し、あの小面憎い三好政長の鼻っ柱をへし折ってやりたい。そのためには、何が何でも総攻撃を仕掛け、鮮やかな勝利をもぎ取る以外に道はない。そう思い込んでいたのである。
「伊丹殿が仰せ、尤もなれど、これより総攻撃を開始する。これは、総大将としての命であるから、異議は許さぬ」
そうはっきりとした口調で言い切ると、孫次郎は清々しき笑顔で諸将を見回した。彼の家臣たちはともかく、伊丹親興、三宅国村ら与力の諸将は困ったように溜息など吐きながら、不満そうな面持ちで本陣より去っていった。
一向軍など、軽く潰せるに違いないと、孫次郎は思い込んでいた。
これまで幾たびも戦いを経て、ほとんど連戦連勝だった。負けたことがないわけではないが、致命的な敗北は一度もない。ひたすら勝利を重ね、今の地位を築き上げてきた孫次郎にとって、今回も同様に勝利を掴めるに違いないと、根拠のない自信に満ち溢れていたのだった。
しかし…。
現実は、それほどに甘くない。いつも勝っているからと言って、今日勝てる保証はどこにもない。連戦連勝しながら、最期の一戦に敗れて滅び去った項羽の如き例もあれば、勝利などというものは、常に移ろいやすい幻のようなものだった。
孫次郎は聡明であるし、我慢強く、まさに英雄的気質を備えた天才少年であったが、しかし、まだまだ現実の何たるかも知らぬ少年に過ぎなかった。周りが彼を持ち上げ、称えるだけ、彼は浮かれた。将来が嘱望されればされるほど、彼はその期待に応えるべく必死になった。そして、周りが見えなくなった。
よもや敗北するとは、孫次郎は夢にも思わなかったが、それが現実のものとなったとき、彼は生まれて初めて、絶望を感じた。放心状態のまま、動くことすらかなわなかった。側近であり、馬廻衆に属している松永甚介(松永久秀の実弟)が慌しく駆け込んできて、
「お逃げくださりませ」
と、必死に進言しても、彼は心ここにあらずといったように、ただ青々と広がる空をぼんやりと眺めながら、「ははは」と乾ききった苦笑いを、壊れた人形の如く吐き続けていた。
伊丹親興が指摘したように、三好軍の眼前に布陣し、孫次郎と対峙していた軍勢は、一向軍の一部ではあっても、総力ではなかった。
伏兵を隠し持っていたのである。民衆の中に潜み、機を見計らっていた。そして、三好軍と囮たる一向軍が決戦を始めたその瞬間、彼らは猛然と牙を剥き、怒涛の如く三好軍の背後を叩いたのだった。
前方の囮に全力を注いでいた三好方にとって、背後からの思わぬ敵に対処する術などあろうはずもなかった。前方、後方、双方から怒涛の如く押し寄せる敵軍の圧倒的攻勢を前にして、三月七日は午後、ついに孫次郎利長が戦線を離脱し、かくて三好軍は総崩れとなった。
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