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【飛翔編】第023章 帰郷
 それから、あっという間に一年以上の歳月が流れ、世の中は今や天文五年(一五三六年)という時間を、至極当たり前の如く受容していた。
 その間も、三好孫次郎利長はあちこちを転戦して、一向一揆残党や、細川高国党の生き残りである細川晴国の征伐戦に尽力したりしていて、片時として心休まる日はなかった。


 そんな忙しない日々の合間を縫って、孫次郎が久方ぶりに帰郷したのは、天文五年の一月十日のことであった。
 京の管領御所に過ごした正月も、雅さと豪華さが上手く重なり合って、なかなかに楽しいものであったが、それは所詮将軍家や高級公家などを招いて行われた政治的イベントでしかなく、心の底から笑ったりすることは許されなかった。
 その点、故郷ならば、そういう気を遣う必要性もなかった。忙しない正月を終え、帰国の途についたのが、三日昼頃のことだった。四日のうちに大坂に辿り着き、五日の朝には、盟友安宅治興の用意した軍船に乗って出航したが、途中、淡路島は洲本城に赴いて、治興の接待を受けたので、阿波に上陸したのは七日も夜のことだった。
 八日朝に阿波守護細川持隆の居城たる勝瑞城に登城し、九日、勝瑞を発した。その後、ゆるりと物見遊山などを楽しみながら、居城たる芝生城に辿り着いたのは、十日午後のことであった。


 本国へ戻るまでの、ぐだぐだとした旅路も、今後の三好家を考えたとき、決して無意味ではなかった。
 というのも…。
 特に、安宅治興が居城洲本においてのことであったが、宴会もたけなわに達した頃、治興は困ったような顔をして、
「我が家には跡継ぎがおらんのです」
 と、言うのであった。
「わしもここ最近はめっきりと年老いて、昔の如く、船を自由に動かすことも難しくなり申した。…かつては倭寇と、幕府からも目をつけられていた海賊の大将が、無様といえば無様ですが、海にいようが陸にいようが、誰しも老いには勝てぬもの」
 そんな風にぼやきながら、ぐびぐびと勢いよく酒を呷る彼は、確かにその顔のあちこちに深き皴を作って、如何にも老いた海の男といった感じがした。ただ、見たところまだまだ現役でも十分やっていけそうな感じもするが、こればかりは海に暮らした者でなければ分からぬ引き際というものがあるのかもしれなかった。
「が、後を継がせたくとも、わしには息子がないのです。ま、いたにはいたのですが、皆、どいつもこいつもとっとと死んじまって…。で、ものは相談なんですがね」
 そう言いながら、治興は酒臭い身体を、ぐいぐいと孫次郎に近づけた。
「伊賀殿には弟君が御三方おられましょう。そのうちのお一人を、我が家の養子にいただけませんかね」
「…よ、養子?」
「そうです」
「…さ、されど、わが弟と申しても、年長の千満丸はまだ九歳。次の神太郎は七歳、末弟の又四郎に至っては、六歳。どれも、まだまだ幼い子供でござりまする」
「だからよいのです」
 などと言う治興は、時節にこにこ笑い、さらに孫次郎の下にずいずいと近寄ってきた。
「幼ければ幼いほど、親としての実感も沸きまする。育ての親とも申しますし…。とにかく、伊賀殿御自身、未だ十三の若さで、その聡明は天下に轟いておられる。その弟君であれば、聡明は疑いなし。我が家の更なる発展のためにも、是非、伊賀殿の弟君を養子として迎え入れ、家督を継がせたいのです」
「…は、はぁ」
 戸惑いを隠しきれぬ孫次郎ではあったが、冷静に考えてみるなら、これほどの良縁もないような気がした。
 安宅氏は、言うまでもなく瀬戸内海の、特に大坂湾をはじめとする瀬戸内東半分の制海権を握っている海賊たちの総元締めである。配下には天下でも有数の大水軍があり、淡路島を根城に、代々その名を天下に轟かせてきた野蛮な名族であった。
 そんな家に養子を出せば、三好家は労せずして淡路島と、安宅氏配下の巨大水軍を手中に収めることが出来る。いずれにしても、三好家がさらに発展するには、本国阿波と畿内を結ぶ瀬戸内海の制海権は必須であったから、安宅氏との同盟強化は何より真っ先に実現しておかねばならぬ最重要課題の一つだった。ゆえに家督継承を前提とした養子縁組を結ぶという、ある意味最強の政略縁談は、孫次郎にとってまさに渡りに船の朗報だった。


 堂々と芝生城に入った孫次郎は、そこですっかり成長した弟たちと再会した。
 父が死に、人質として都に上った頃、千満丸はともかく、神太郎や又四郎などは、まだまだ小さな赤子に過ぎなかった。それがどうだろう。今や、千満丸もなかなかに大人びているが、それに負けず劣らず、神太郎も又四郎も、立派な少年となっていた。本来なら、悪さをしたり、無邪気に遊び呆けていてもよいような年頃であったが、父母はなく、自分たちの力で家と国を守らねばならぬという大きな責任感を背負わされてきた彼らは、そういった遊びもほどほどに押さえ、ひたすら勉学や武術に励んで、いざと言うときに備えているのだという。
「あいつらは、あいつらなりに、いつしか兄上の御為に働くべく、修行に励んでいるんです」
 と、千満丸は嬉しそうに言った。孫次郎は「そうか」と軽く頷きつつ、改めて、健気に日々修行に勤しんでいる弟たちの様をまじまじと眺めてみた。彼らは彼らなりに、父死後の日々を必死に生きてきたのだと思うと、自分が味わってきた地獄の如き日々も重なって、思わず涙が溢れてきた。


 久しぶりの大奥も、ただ懐かしいの一言に尽きた。
 相変わらず、お福は老女として、城の女子衆の頂点に立っていた。留守居役である千満丸も、孫次郎同様に彼女を母と慕い、懐いていたから、やろうと思えば母代わりとして三好家の表向きの政務に口出しすることも不可能ではなかった。けれど、賢明にして淑やかな彼女は、大奥の総取締役たる任に勤しみ、女子としての分を弁えて、助言するぐらいのことはあっても、自らそういったことに口を挟むことはしなかった。
 何はともかく、彼女は孫次郎兄弟の母代わりとして、城内の誰からも深く敬愛されていた。
「福、久しぶりだ」
 孫次郎は嬉しそうに微笑みながら、彼女の下に駆け寄った。実に三年半ぶりの再会で、すっかり成長した彼を見た福などは、その場に卒倒し、大仰な仕草で嗚咽していた。
「福よ、大袈裟だぞ。全く、面を上げよ。それでは話も出来んぞ」
 と、けらけら笑いながら、孫次郎は彼女の側に歩み寄る。
 福はすっと立ち上がると、すかさずいつもと変わらぬ笑顔を浮かべて、
「お変わりはありませぬか?」
 と、言った。
「はは、変わったといえば、随分変わっただろう。何しろ三年半、だったか? それぐらいの間、国許を留守にしたのだからな」
「そうですね。…ですが、御元気そうで、何よりにございます」
 そう言って、再度頭を下げるお福に、孫次郎もにっこりと微笑んだ。
 

「養子の話がきているのだ」
 そんな風に孫次郎が唐突に言うと、福は驚きを隠せぬように、
「誠ですか?」
 と、素っ頓狂な声色で問うのであった。
「本当だ。淡路の領主で、瀬戸内海を牛耳る安宅水軍の首領」
「…よもや、安宅治興様、でございますか?」
「御明察」
 孫次郎はにたりと笑い、福はまたしても大いに驚いている風であった。
「安宅様であれば、良縁かと思いますが…。何と言っても、安宅様はかなり大きな水軍を従えておられるとか。海を握れば、殿の更なる飛躍は確約されたも同然でしょう」
「…ま、そうなんだが、果たして誰をやるべきか。…千満丸は、この後も俺の留守を守ってもらわねばならぬから、あいつを養子に出すわけにはいかん。となると、神太郎か、又四郎のどちらかってことになるが…」
 などと呟きながら、孫次郎はふうむと困ったように唸った。
「…私は、神太郎様などが適任かと思われます」
「神太郎が?」
「はい。何と言っても、神太郎様は新しいものがお好きで、特に南蛮渡来の物など、よく好まれておられるようです。また船などにも興味がお有りのようですので、又四郎様よりは神太郎様が適任と思われます」
「…新しいもの好きの、船好きか」
 それならば、確かに適任かもしれないと、孫次郎は思った。とはいえ、神太郎は少しばかり体力的にひ弱なところがあったから、そこだけが少なからず気にはなったが、それを除けば、彼以上に適している者もいないような気がした。
「ま、とにかく神太郎には俺から伝えるとしよう。あいつが安宅の頭領となれば、わが三好は一躍四国の大勢力となるわけだな。…まずは徐々に力を蓄え、機を見計らった後に、俺は兵を挙げる。いつまでも晴元殿に臣従しているほど甘っちょろい男ではないことを、満天下に見せ付けてやるのだ」
 などと高らかに叫びながら、孫次郎利長は「ははは」と楽しそうに笑った。そんな彼の様を眺めつつ、お福もまた嬉しそうににっこりと微笑んだ。
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