【雌伏編】第022章 和睦締結
決戦を覚悟している孫次郎の下には、幾たびも、性懲りもなく松永久秀がやってきた。そのたびに和議をしつこいほどに訴えてくるわけだが、十月も終わりに差し掛かった頃、松永はまたしてもやってきた。これで四度目だったから、さすがの孫次郎もすっかりうんざりとしていた。
「またか」
取り次がれても、そうぼやくしかない。いっそ断ってもよいのだが、松永久秀が木沢長政の特使としてやってきている以上、無碍にも出来ないのである。木沢は彼自身強大な大大名であるだけでなく、畠山氏の筆頭家老として、その隷下に連なる諸侯衆に絶大な政治的影響力を誇っている。
「如何いたしますか?」
と、孫四郎長逸は言う。彼は、あの胡散臭い、年齢より幾分老けて見える青年が嫌いだった。
「やはり木沢殿の特使としてきているのだろう。無碍に扱うこともできまい。…とりあえず、通せ」
そんな風に孫次郎が命じると、孫四郎は不満そうな顔をしながら、
「承知仕りました」
と、答えた。
松永は、口を開けば和議と言った。それこそ、馬鹿の一つ覚えの如く、和議だ、和議だと言い続けていた。
「和議です、三好の若! それ以外にとるべき道はない」
そうはっきりとした口調で言い切ってしまう彼は、これでなかなか優れた弁士だった。
「だが、俺は和議などする気はないぞ。…大体、父を殺され、あらゆる苦渋を舐めてなお、俺はずっと管領殿の御為に尽くしてきた。なのに、管領殿は我らの忠義に仇で報いた。俺はそれが許せない。管領殿御自ら、俺の下に来て謝罪するならば、まあ、俺もそれほど非情ではないから、今後も昔と変わらぬ忠誠を誓ってもいい。だが、そうでもない限り、わが三好家は、たとえ最期の一兵になるとしても晴元殿に刃を向け続けるだろう」
孫次郎は勝ち誇ったような顔をして、相も変らぬ絶対的な強気を見せびらかすように声高に叫んでいた。
松永はそんな孫次郎少年をぎろりと睨み付けると、「嘘でござろう」と言って、にたりと不敵な笑みをこぼした。
「ま、ともあれ、和議を結ばぬと仰せなら、それも結構。されど、その折は細川だけでなく、三好家もただではすまぬということ、よく御考えあれ。畿内が覇権を虎視眈々狙っているのは、何も三好の若のみではない」
「…」
「それがしが話は、ここまででござる。後は、いちいちくどくど説明せずとも、御聡明な三好伊賀守殿であればお分かりでござろう」
とだけ言うと、松永久秀はすっくと立ち上がり、居並ぶ諸将がどれも呆気にとられている隙を突くように、悠々と去っていった。
孫四郎長逸などは、相変わらず腹立たしそうに彼の背を睨んでいる。三好康長や岩成友通、篠原自遁といった重臣たちも、彼ほどではないが、気に入らぬといった様子で、露骨な仏頂面をその表情に表していた。
一方、孫次郎はというと、目を閉じ、腕組みしたまま、何やら一人考え込んでいた。
今更迷いはない。鬼になったのだ。
しかし、根が聡明な彼には、松永久秀の言ったことも痛いほど理解できるのである。細川家の後釜を狙うのは、何も三好のみに非ず。確かにその通りだと、孫次郎も思っていた。だから出来うる限り早急に細川を潰そうと思っていたわけだが、将軍家を呼び戻し、管領となって政権基盤を固める晴元の力は、孫次郎が想定していた以上に強大らしかった。如何に一向宗、法華宗の支援を得たからといって、細川二百年の歴史は、一朝一夕に潰せるほど小さくない。脆くもない。
結局のところ、自分は血気に逸っているだけなのではないだろうか。静御前を殺され、カッとなって、怒りの余り自分という存在を見失っているだけなのではないか。こうすることが正しいのだと思い込むことで、悲しさ、辛さ、空しさ、苛立ちから逃げているだけなのではないか。
孫次郎は静かに考え込んだ。自分の単純な怒りや、衝動で、無数の兵たちを危険に晒してよいものなのか。父祖があれほどに苦心して築き上げてきた三好家を、自分の若い怒りだけで衰亡の危機に追いやってよいものなのか。
どうしたらよいのか、彼にはわからなくなった。もう後には引けないような気もするし、しかし一方では、自分が諦めれば、まだ引き返せるような気もした。松永久秀の言うように、和議を結べばそれで済む話だった。
全ては自分次第。だからこそ迷うのである。どのみち、弱冠十二歳の少年が背負うにしては、余りに重すぎる課題ではあったが、それもこれも、全ては三好孫次郎利長という人に課せられた宿命なのだった。
孫次郎の執務室に、千満丸はおどおどしたようにやってきた。
ここ数日、孫次郎はここに閉じこもったまま、重臣とて容易くは中に入れなかった。軍議とか、評定などの一切は悉く康長に任せてしまって、彼自身はただその結果を側近から聞くだけである。あえて口出しはしないし、康長たちも、よほどのことがない限り、孫次郎不在の評定で重要なことを軽々しく決定したりはしない。
で、孫次郎は一人何をしているのかといえば、ずっと悩んでいたのだった。戦うべきか、戦わざるべきか。二者択一。単純なようで、逆にだからこそ難しい問題。いずれにしても早急に決めなければならないのだが、なかなか決められない。
悩みに悩んで、悩みぬいた挙句、ついにたまらなくなって呼び寄せたのが、千満丸だった。他の誰でもなく、彼を呼んだのは、誰より信頼できる弟だったからだが、呼ばれた千満丸はというと、彼もまた何やら悩んでいるようで、ゆえに落ち着かぬ風におどおどしていたのだった。
「おう、千満! 入れ、入れ」
小さな部屋に、一人仏頂面をしていた孫次郎は、弟の姿を見るなり、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「なぁ、俺ってどうしたらいいと思う?」
と、開口一番、彼はそう言って、千満丸の顔を見た。
「戦うべきか、戦わざるべきか。…家臣どもは皆、戦う以外に道はないと騒ぐが、俺は、松永が申したことも理解できるのだ」
「…和議、ですね」
「そうだ」
孫次郎ははっきりと頷くと、改めて千満丸を見据えた。
どうすべきなのか。一人で考えていても、複雑怪奇な、迷宮の如き袋小路からの出口は見つからない。だから千満丸の助言が欲しい。孫次郎は、まるで懇願するかのごとき瞳で、弟の顔をまじまじと見つめていた。
「それは…。それは、私が助言するまでもありませぬ」
と、千満丸が言うと、孫次郎はきょとんと、不思議そうに首を傾げた。
一方、千満丸は何やら意を決したかのように、きっと孫次郎を睨み付けると、おもむろに大きく息を吸い、そして吐いた。そして、彼は自らの懐に暖めていた一通の文を取り出すと、それを兄に手渡したのだった。
「静殿からの手紙です。…今更にして思えば、遺書のようなものだったかもしれませぬが」
そんな風に言う千満丸が言葉を証明するかのように、確かに書状には、静の方と瓜二つの字体で、たどたどしく静と記されていた。
「ご、御前の遺書?」
孫次郎はしばらくの間、きょとんとして、微動だにしなかった。何が起きているのか、それが何なのかすら分からぬ様子で、ただ呆けたように、定まらぬ虚空の先をぼんやりと見つめていた。
受け取った文は、余り長くなく、さして綺麗でもないが、見覚えある懐かしき静の文字だった。
『前略、三好伊賀守利長様。…と、堅苦しい挨拶や文が書けるほど、私は決して学はありませぬゆえ、失礼とは思いますが、私なりの文で書きたいと思います。
私は、これから死ぬでしょう。おそらく、孫次郎様がこの文を読まれる頃には、私はもうこの世の人ではないかもしれません。ですが、孫次郎様におかれましては、常の如き冷静であらせられますよう、この静、伏してお願い申し上げます。
確かに、私の命を奪うのは、細川家の方々だと思われます。孫次郎様がどういう御立場にあられ、またどう御考えになっておられるかは分かりませぬが、しかし、私は孫次郎様を信じています。
孫次郎様。私は戦が嫌いです。私から父母を、家族を、幸せを奪った戦が、大嫌いです。私如き卑賤の者が口を挟むべきことではないかもしれませんが、せめて私の死を理由に、戦を仕掛けるようなことはやめてください。私は確かに細川様に殺されるでしょうが、もしも細川様と戦になれば、凄まじい戦いになるでしょう。私のような境遇に追い込まれる者も、百や二百ではすまないでしょう。
たとえ私が細川様に殺されたとしても、今すぐ細川様と戦うようなことはやめてください。もしも私の仇を討ちたいと思し召されるなら、最も犠牲が少ないと思われるときにしてください』
そこには、健気ながらも、ひたすら戦を望まぬ静の方の本音が明確に表現されていた。孫次郎は困ったように苦笑いすると、「それもそうだな」と、静かに頷いた。
「もっと早く、兄上に出すべきでしたが、つい出しそびれてしまい…。まことに、申し訳なく存じます」
と言って、辛そうに頭を下げる千満丸に、孫次郎はクスクスと苦笑いした。おもむろに上座を立ち上がり、彼の下に歩み寄ると、
「先だろうと後だろうと、出してくれたのだから、俺に文句はない。ま、後過ぎたらさすがに怒ったろうが、今ならまだ許容範囲内だ」
からからと笑い、そしてまだ幼い弟の頭をぐりぐりと撫でた。
ひとたび決断すると、行動力は圧倒的な孫次郎であった。
まず彼は臨時の評定を催すと、半ば一方的に和睦案受け入れを宣言し、康長に一向宗への対処を一任すると、彼は一人また自室に篭り、そこで城下に待機していた松永久秀を呼び寄せたのだった。
「和睦、俺は受け入れる。だが、あえて聞くが、俺一人が和睦すると言っていても和睦は成立せぬ。晴元様はこのこと承知しておられるのか?」
と、孫次郎が問うと、松永久秀はにやりと笑い、そして大きく頷いた。
「ならばよい。…とにかく、三好家としては和議締結もやぶさかではない。もし必要とあらば、俺自ら晴元様の下に伺候し、直接交渉してもいい」
「…ほぉ。されど、三好の御大将自ら管領様の下に伺候なされば、御大将を憎む管領御配下の過激な分子が、御大将の御命を狙うやもしれませんぞ」
松永久秀は、まるで孫次郎利長と言う人を品定めするかのように、じろじろと、その一挙手一投足を見守っていた。
「命、か…。確かに俺だって、命は惜しい。だが、だからといってびくびくと臆していては、大将は勤まらんよ。日ごろ家臣たちに命を張らせているのだ。こういうときぐらい、大将が命を張る。俺が、この命を賭けるだけで、何万って人の命が助かるかもしれない。無益な戦もおきずにすむ。なら、俺はこの命、賭けてやる。全ての人のために、俺はこのちっぽけな命を賭けてやるのさ」
そう公然と言い放つ孫次郎は、いつになく晴れ晴れとして、それまでの鬱屈とした表情が嘘のような笑みを浮かべていた。
そんな彼の様に、松永久秀は「なるほど」と、小さく呟き、そして大きな溜息を吐いた。
「それに、その方とても和議のために命を張ったのだろう。実際、俺が何も言わねば、家中の過激な者たちは、その方を殺したろう。だが、民のため、木沢殿のため、そして、その方自身が野心のために、せっかく張った大博打だ。負けにするのは、実に惜しい」
「…」
「というわけだ。今度は俺の博打が当たるかどうか。こればかりは誰にも分からんが、あたって欲しいものだな」
などと言いながら、けらけら笑う孫次郎を、松永は呆気にとられたように、しばらくの間、ただ呆然と見つめていた。
そして十一月二日。
木沢長政の居城の一つたる飯盛山城にて、細川六郎晴元と、三好孫次郎利長が久方ぶりに対面し、一連の抗争に終止符を打つべく、和平交渉締結に向けた首脳会談を行った。
晴元の隣には、六角定頼の代理である進藤貞治や、畠山家重臣の遊佐河内守長教が控えている。一方、孫次郎の隣には、本願寺証如の代理としてやってきた蓮淳と、法華宗の高僧がちょこんと腰を下ろしていた。
その結果として、細川晴元、三好利長双方の間に詳細な和解協定が定められ、両者はそれを受け入れ、正式締結した。詳細な協定の内容は省くとして、大まかに上げるなら、以下の五ヶ条からなっていた。
その一、三好伊賀守は引き続き細川右京大夫に臣属すべきこと。
その二、右京大夫は、先の伊賀守謀叛が誤りであったことを認め、謝罪すべきこと。
その三、右京大夫は、三好家の領地を引き続き安堵すべきこと。
その四、右京大夫は、三好宗家の家督が伊賀守であることを認めること。
その五、この後、双方、同事件に関する処罰は一切行わないこと。
無論、これだけではないが、主要なところを挙げると、こうなる。要するに三好家が細川家に臣従する代わり、細川家は領地を安堵し、また三好家の謀叛は誤りであったことを認めるというもので、どちらかといえば三好方優位な和議であった。
また、三好宗家の家督が三好伊賀守であると認められたことで、三好政長が密かに抱いた野望は、ここに形の上は費えたわけで、そういう点においても、孫次郎にとっては好都合な和解案であった。
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