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【滅亡編】第186章 讃岐攻防戦① ~仙石秀久~
 時は過ぎ、讃岐国を巡る情勢は比較的小康状態といった感じであった。
 が、少し前までは、讃岐国は凄まじき戦乱状態に陥っていたことを忘れてはなるまい。
 讃岐国を支配する十河氏に対し、抵抗を続けていた香川氏をはじめとする諸豪族は、長宗我部元親率いる土佐軍が阿波に侵攻した機を見計らって、十河氏の本拠たる十河城や虎丸城に押し寄せていた。十河存保が主力軍を率いて阿波国に出張っていたため、留守を守る十河軍の数はそれほど多くはなかったのだが、そこは十河一存以来の勇名を誇る強者たち。十河城や虎丸城に立てこもる十河軍の粘りは凄まじく、香川之景らが率いる軍勢はついにそれらの諸城を攻め落とすことができなかったのである。
 状況が変わったのは、中富川で十河存保軍が土佐軍に大敗を喫して以後のことになる。
 存保率いる敗走軍が舞い戻ってきたこともあり、ただでさえ劣勢だった香川軍は更なる不利な状況に追い込まれたのであるが、阿波国の支配を固めた土佐軍が讃岐国に手を伸ばしてくると再び状況は一変した。総勢四万近い兵力に膨れ上がった土佐方に対し、絶望的な戦いを強いられることになった十河存保は、ついに、同盟関係にある羽柴筑前守秀吉に救援を要請せざるを得なくなったのだった。
 これに対し、秀吉も誠意を見せた。
 即ち、自らの配下で淡路国を委ねてある仙石秀久を援軍として差し向ける方針を打ち出し、秀久に対し、準備が整い次第、ただちに出陣するよう命令を下したのである。
 かくて戦況は膠着状態に陥った。
 そうこうしていると、阿波国で三好・十河勢力の残党による蜂起が相次ぐようになり、讃岐に全力を注げなくなった土佐軍が撤退を開始すると、自然と休戦状態となり、讃岐国は十河氏と香川氏がにらみ合いを続けつつも、戦自体は起きない小康状態に入ることになったというわけであった。


 月日は流れ、天正十一年(一五八三年)を迎える。
 武田氏の滅亡、織田信長の横死、明智光秀の滅亡と羽柴秀吉の台頭という、凄まじき変化が怒涛のように続いた激動の年であった天正十年も、終わりは至極あっけないもので、存保の心は思いのほか晴れ渡っていた。
 しかし、今年こそが三好・十河家の正念場である。
 滅びるか、生き残るか。
 中富川に敗れた今、三好・十河氏が四国の覇者になるという夢は事実上潰えた。だが、ここで踏ん張り、無事に生き延びることができたならば、少なくとも讃岐一国、あるいは讃岐・阿波両国の太守に返り咲くことはできるかもしれないのだ。後一年もすれば、羽柴秀吉は柴田勝家との戦いに決着をつけ、覇権を掌握するだろう。秀吉が四国方面に全力を注げる状態になりさえすれば、長宗我部元親など全く敵ではないのだから。
 とりあえず、昨年の危機は無事に乗り切った。
 今年も乗り切らねばなるまい。
 そのためには、秀吉より四国方面のことを託されている仙石秀久との連携を今以上に強化する必要性がある。そう思い、存保は頻繁に使者や手紙を通じて連絡をとりあっていたが、新年ということもあり、彼は自ら淡路国は洲本城にいる秀久のもとに挨拶に赴いていた。
「民部殿。土佐の動きが再びきな臭くなっていることを御存じか?」
 開口一番、秀久はそんな風に切り出した。
「承知しております。おそらくは再び大軍を催して讃岐攻めに乗り出す考えなのでしょう。筑前様が畿内の覇権を掌握するより前に四国制覇を成し遂げたいというのが土佐の考えでしょうから」
 存保はそう答えて、フゥと静かに溜息を吐く。
「その筑前様だが、筑前様もいよいよ正念場を迎えておられる。御存じとは思うが、北陸の動きが土佐以上にきな臭いものとなっておるゆえ」
「はい。柴田修理めが、いよいよ南下を始めたとか」
「ああ。筑前様が桑名や岐阜を攻め、着々と畿内の覇権を掌握しつつあることに焦りを抱いたらしい。雪に閉ざされ、身動きがとれぬはずだというに、強引に兵を動かしているという。近いうちに北国軍は湖北の地に姿を現すだろう」
「……いよいよ、でございますな」
 柴田勝家率いる北国軍が姿を現わせば、当然、羽柴秀吉軍と決戦になる。
 織田政権の実権を巡って、この半年以上対立を繰り返してきた二大巨頭の正面決戦がいよいよ本格化するのだ。
「というわけで筑前様は、当分、主力軍を四国方面に割くことができぬ状態だ。土佐が本格的に兵を動かした場合、対応するのは民部殿の軍と、それがしの淡路軍だけということになる」
「……」
 ごくりと息をのむ存保に、秀久はにやりと不敵な笑みを見せる。
「だが、案じることはない。このわしがいる限り、負けることはあり得ぬ。民部殿も案じるがよい。わが力で土佐をねじ伏せ、筑前様より四国を戴くのだ」
「……」
 からからと楽しそうに高笑いする秀久をまじまじと見つめつつ、存保は一抹の不安に似た気持ちを抱かずにはいられなかった。
 仙石秀久は確かに有能な人物だと思う。秀吉の側近から淡路一国の太守に上り詰めた男なのだ。無能であるはずがない。だが、無駄に自信過剰で、己の能力を必要以上に高く評価しすぎているようなきらいがあるのだった。少なくとも、先の戦いで土佐軍を撤退に追い込んだことで、秀久は少し、のぼせているようだった。
 だが、いずれにしても今の存保は、この仙石秀久に頼るしか生きる道が残されてはいないのだった。とりあえず持てる全力で土佐軍を迎え撃ち、仙石軍と連携しつつ長期戦に持ち込み、秀吉が無事柴田勝家を撃破して覇権を掌握するのを待つのだ。
 絶望的な戦いになるだろう。
 かなり長い間、籠城を決め込まねば成らぬ羽目にもなるだろうが、耐えなければ道はない。
 フゥと何度目になるかしれぬ溜息を吐き、存保は洲本城からの帰路についた。


 天正十一年、四月。
 先に動いたのは土佐軍でも香川軍でもなく、仙石秀久だった。
 十河存保が考える持久策では、引き分けに持ち込むことはできても勝つことはできないと主張する秀久の強硬論が通り、秀久率いる淡路勢は小豆島を支配する小西行長と連携して讃岐や阿波の土佐方の要衝に攻撃を仕掛けたのである。
 だが、土佐方の抵抗は激しく、仙石勢や小西勢は攻めあぐね、そうこうしていると土佐より長宗我部元親率いる大軍が来襲し、状況は一変。仙石・小西勢は讃岐国方面へ撤退せざるをえぬ破目に陥った。
 無論、それで戦いを終わらせてくれるほど、元親も甘くはない。
 大軍を集結させ、仙石・小西勢を追っ払った余勢を駆って土佐軍は讃岐国に乱入し、十河存保の本拠地たる虎丸城を取り囲んだのである。


 眼前の大軍を見て、存保は苦り切った顔をしてため息ばかり吐いている。
 遅かれ早かれ土佐軍の来襲は現実化していたであろうが、仙石秀久が余計な行動を起こしてくれたおかげで、ついに土佐軍が怒涛の勢いで押し寄せてきてしまった。もう少し時間を稼ぐことができたかもしれないのに、全く持って余計なことをしてくれたものである。
 しかし、今更怒っても仕方のないことであった。
 存保は最後に溜息を吐くと、城内に戻り、居並ぶ重臣に向かって出陣を下知した。
「土佐勢にいつまでも遅れをとっていては三好武士の名折れだ。中富川の無念をここで幾ばくか晴らすのも悪くないだろう」
 そんな存保の言に応じて、依然として血気盛んな十河家の武将たちは次々と兵を率いて城の外へと飛び出していった。
 こうして十河軍と土佐軍は正面衝突し、激戦に陥った。
 だが、存保以下、文字通り死兵と化して戦う十河軍の気迫の前に土佐軍怯んでしまい、やたら多くの犠牲を出した揚句、ついに十河軍を撃破できずに彼らを無事に城へと戻してしまうことになった。元親はこの無様な結果に怒り狂ったが、以後数日、異常に高まった十河軍の士気を前に、土佐軍は圧倒的な大軍を持ちながら打つ手を失ってしまったのである。
 そして。
「な、なに?」
 存保は、もたらされた報告に暗澹たる思いを抱かずにはいられなかった。
「はい。引田の地で香川之景率いる軍勢と決戦した仙石殿ですが、あえなく敗北し、仙石殿は淡路へ兵を引いたとのことにございます」
「……ま、負けて、引いた?」
 絶望的な籠城戦を強いられる十河軍にとって唯一の希望は、仙石秀久率いる淡路勢が援軍として来援してくれることだった。
 しかし、その仙石勢は香川勢に敗れた挙句、勝手に兵を引き上げ、淡路国に戻ってしまったという。仙石秀久が勝手な判断で始めた戦にもかかわらず、その責任もとらずに逃げたことに存保は怒るというより呆れ、がっくりと項垂れるしかなかった。
「……これでは勝ち目などないな」
 存保は何度目になるかしれない溜息を吐いた後、
「やむを得ぬ。こうなっては我らも引くしかあるまい」
 そう言って、彼は虎丸城にこもる全軍を率い、土佐軍の油断を突いてその囲みを突破すると、もう一つの本拠である十河城の方へと退却していったのだった。
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