【雌伏編】第018章 孫次郎謀叛
三好孫次郎利長は窮地に追い込まれていた。
椋橋城が陥落するかしないか、その瀬戸際にあった八月末頃のことである。
城を包囲する細川軍に、突如として噂が流れ出した。誰がいつ頃流しだしたのかは定かではないが、しかし、それは孫次郎をして窮地に追いやるに十分すぎる威力を誇っていた。
「孫次郎が、謀叛だと?」
晴元は一通の文をぎゅっと握り締めると、わなわなと震えた。
「伊賀殿の陣中より城方へ文などやり取りしている姿を、何人もの兵が目撃しておりますれば、あながち誤報とばかりもいえないと思われます」
と言うのは三好政長で、彼はここぞとばかり、孫次郎を追い詰めるべく必死の讒言に励んでいた。
「だ、だが、孫次郎が余に楯突くはずがない。余と奴は、今や水魚の如く親密な間柄だ。さながら、劉備玄徳と諸葛孔明の如しじゃ」
晴元は必死に反論するが、しかしその口調に力はなかった。
元来、晴元という人は優柔不断である。その上、猜疑心が強い。孫次郎を信じる気持ちと、よもやと思う気持ちが、彼の脳裏で激しく対峙している。筑前守元長を滅ぼしたときもこうだった。そしてひとたびこうなってしまうと、必ず膨れ上がる猜疑心に負けてしまう。それも晴元という人の生まれ持った拭いがたい性格であった。
「されど、先の本願寺との和議締結以来、証如と伊賀殿は親密な関係を維持しております。また、今回の一揆の背後には、これまで矛を収めていた証如が暗躍しているとの噂もありますれば、ゆめゆめ油断なさりませぬように」
と、政長は迷い、悩む主君に、まくし立てるかの如く言い切った。こういう男には、強く言って聞かせるのが一番だということを、政長は本能的に察しているらしかった。
全ては稀代の陰謀家、三好政長の策略なのだが、晴元にそこまで見抜ける力はない。
早速、政長に言われるがまま、彼は孫次郎を引見し、その弁明に耳を傾けた。けれど、人間というものはひとたび疑ってかかると、どれほどの言い分を聞こうとも、姑息な言い訳の如く聞こえ、ついには真実を見抜く力を殺いでしまう。
晴元の場合、政長に散々、
「孫次郎謀叛」
と、刷り込まれ続けていたし、孫次郎がどれほどまともな弁明をしようとも、
「既にこれだけの証拠がある。それでも白を切るか?」
政長はそう言って無数の“証拠”なるものを提示し、彼の反論を封じ込めてしまったので、ついに晴元も孫次郎謀叛説を真実と認めてしまったのである。
この辺り、晴元という人の精神的な弱さが明確に現れたといえる。挙句、こうだと決め付けてしまうと、なかなか冷静にはなれない人なので、
「孫次郎め。余がどれほどの恩義をかけてやったかも忘れ、本願寺と結びつき、謀叛するとは、何たる奴だ!」
と、すっかり彼を謀叛人と決め付けた上で、怒り心頭に達しているといった様子だった。
やがて椋橋城は陥落したが、それでも晴元の不審は消えなかった。
孫次郎も、晴元周辺がきな臭い雰囲気に包まれていることを知っている。孫次郎自身は、ひたすら恭順の意を示して、どこまでも彼への忠誠を尽くす構えを崩さなかったが、彼の配下たちにしてみれば、そういうわけにもいかなかった。
「御所様が我らを疑われるなら、もはや御所様に忠誠を尽くす必要などあるまい。元々、御所様は、先代元長様を殺した憎むべき仇敵ではないか。いっそ、ここは先制攻撃に打って出て、我らの力の程を見せ付けてやるべきだ」
と、比較的短気な孫四郎長逸などは、そう怒鳴っていた。
「いや、逸るな。もしも御所様に兵を向けるにしても、準備は必要だろう。何しろ、ここには二千の手勢しかない。まともに細川軍と激突しても、勝ち目は万に一つもないぞ」
そう言って猛る諸将を制すのは、三好康長であった。後見役として、副将として、とにかく発言力の大きい彼の言葉に、孫四郎は悔しそうにだんまりを決め込んだ。
「まず、とるべき手は本願寺と同盟を結ぶ。これに尽きる。奇しくも妙な噂と同じ展開となるが、今やこれ以外に生き残る術はない」
康長はそう言って、諸将をじろりと見回した。基本的に反論はない。強大な本願寺の支援が得られれば、孤軍たる三好軍にも十分活路は見出せるのだ。その上で、三好家が橋渡しとなる形で、一向宗と法華宗を和合させることができれば、三好・一向・法華連合は、細川政権をも凌駕する強大な政治勢力として浮上することができる。
「殿、殿は如何思し召しですか?」
おおよその議論も纏まって、後は主君たる孫次郎利長の裁断一つとなったとき、康長は群臣を代表して、孫次郎に奏上した。
しかし、もとより孫次郎に細川晴元と敵対する気はない。何の因果か、あっという間に、いつしか晴元と対峙する破目となっているが、できれば平和的な解決を望んでいたのである。
「殿のお気持ちは分かりますが、しかし、今やそのような悠長なことを言っている場合ではありませぬぞ。…殿が御決意なされぬのなら、いたし方ありませぬ。…後々、お咎めは受けましょう。されば、今は殿の御決断を待たず、それがしの独断専行にて話を進めさせていただきます」
そんな孫次郎の優柔不断を咎めるように、康長はぴしゃりと言い切った。孫次郎がいくら、
「勝手は許さん!」
と怒鳴っても、容易く聞くような叔父ではなかった。
かくて、三好陣営と本願寺が本格的に結びつき始めると、晴元の疑いは、確信に変わった。
皮肉なもので、当初はありうるはずもなかった作り話が、皆が、真実だと騒ぎ続けた結果、本当に真実となってしまったのである。嘘も百回真といえば、嘘も嘘でなくなるとはよく言ったものだが、陰謀を企んだ張本人たる三好政長などは、内心にこみ上げてくる悦びを押し隠すので必死だった。
「もはや伊賀殿の謀叛は確定的となりましたゆえ、芥川山城下に残してある伊賀殿の御一族は、当然、処分せねばなりませぬ」
と、政長は言う。
「…だ、だが、そこまでする必要性はあるのか? 謀叛したのは、孫次郎一人であって…」
「違います! 例え、罪が伊賀殿お一人にあろうと、古今東西、反逆者に対する罪は、一族縁者諸共に皆殺しと相場は決まっておりまする」
「…一族縁者諸共に皆殺しにせねばならぬなら、余はその方も殺さねばならなくなるが…」
晴元の皮肉に、政長は思わず返す言葉に詰まった。自らも三好一門なわけで、孫次郎の罪が一族に波及するなら、当然政長にも追及の手が及んで当然というべきである。
「た、確かに…、一族縁者諸共に罰するというのは行き過ぎかもしれませぬ。亡き筑前守殿や伊賀守殿が果たしてきた功績を考えれば、それは非道な処置といえるやもしれませぬ。なれば、伊賀守殿及び最も近い血族姻族のみ罰するというので留めることといたしましょう」
と、兎にも角にもぴしゃりと言い切って、晴元が反論を塞ぎきると、政長は勝ち誇ったように、にんまりと微笑んだ。後は晴元の命を待ち、腹立たしい孫次郎利長の縁者を殺害した後、孫次郎本人をも討伐して、三好家宗家家督の座を手中に入れる。
全てが彼の筋書き通りに進んでいる。だから、彼は許されるなら大きな声で笑いたかった。心の底からあざ笑ってやりたかった。孫次郎如き若造に、負けるような自分ではない。亡き筑前守元長が如く、謀叛人の汚名とともに粛清し、残った全ては自分が引き継ぐ。
「御所様、ご英断を! 謀叛人を野放しにしておいては、他に示しがつきませぬ。二度とかようなことが起こらぬよう、情は捨て、徹底的に処分するが肝要かと心得ます」
「…」
「御所様!」
政長に強く迫られ、ついにこの優柔不断な天下人は、その首を小さく、しかし確かに縦に振った。
政長は素早く頭を下げ、颯爽と去った。逐一いちいち指図を出し、孫次郎を葬り去らんとしている彼を見て、晴元は、ハァと深く大きな溜息を魂とともに吐き出した。
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