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【滅亡編】第169章 兄弟戦争(後編)
 一宮勢が勝瑞城に迫る。
 対する三好長治は相変わらずだった。一宮が謀叛と聞いても、いつもと変わらぬ武装蜂起に過ぎないからと、別段気にする風もなく、処理一切は家臣たちに任せ切っていた。
 そして彼はと言うと、酒浸りである。女を侍らせ、きゃいきゃいとはしゃいでいる。もはや、どうにでもなれと、自暴自棄にでもなっているかのような、長治の態度であった。


 天正五年(一五七七年)も三月。冬の冷たさが、次第に春の暖かさへと変わりつつある季節。殺風景だった山々に、色とりどりの輝きが戻り始めた頃。
 しかしながら、勝瑞城の冬が、春になることはなかった。一宮謀叛と聞いて、動揺していた長治家中をさらにどん底へ突き落とす凶報が、城中に轟いたのは、三月も半ばが過ぎた頃のことだった。
「な、なんだと?」
 三好越後守は、耳を疑った。
「守護殿が、出奔?」
「はッ!」
「ば、バカな。守護殿の監視は完璧だったはずだ。ありの子一匹、逃げ出す余地はないはず……」
 越後守は動揺を隠しきれぬ顔をして、右往左往した。
「篠原殿、ではござらんか?」
 そこに、矢野国村という男が現れ、そう言った。
「篠原殿?」
 三好越後が不思議そうに首を傾げると、
「篠原自遁殿は、守護殿と密かに結びついていたと専ら噂にございました。もしかすると、自遁殿が手引きしたのやもしれませぬ」
 国村は淡々とした様子でそう答えた。
「……噂は本当だったのか! 殿の筆頭家老ともあろう御方が、守護殿に内通するとは、何たることだ」
 越後は悔しそうに臍をかんでいた。
「されど、守護殿が出奔したとなると、事は厄介ですぞ。おそらく守護殿は一宮勢に合流しておりましょう。となると、各地の守護殿一派が一宮勢に加わる可能性が高い」
「……」
「とりあえず兵を集めましょう。そして、此度は何としても殿に御出馬してもらうしかありませぬ。敵軍の総大将が守護殿である以上、こちらも三好の御大将を出さねばつり合いがとれませぬ」
 矢野国村の言葉に、三好越後守は大きく頷いた。例え拒まれても、今度ばかりは拉致してでも、長治を戦場に連れ出さねばならぬ。そんな悲壮な決意を胸に秘めながら、二人は足早に長治の御殿を目指したのだった。


 嫌じゃ、嫌じゃと駄々をこねる暗君を引っ張り出して、とりあえずかき集めた長治軍の総勢は四千。
 対する、細川真之軍は六千。ついでに、海部城、大宮城には長宗我部軍が集結を始めており、その数は五千を超える勢いであった。
「長宗我部軍が細川軍を支援するとなると厄介だ。ここは、讃岐の民部様に援軍を求めねば……」
 長治に代わって、実質的総大将の座を占めている三好越後の言葉に、矢野国村、河村左馬亮、川島惟忠ら主だった部将たちも大きく頷いた。
「だが、やはり篠原殿は来ないか?」
 越後が悔しそうに呟くと、
「はい」
 矢野国村は静かに頷いた。
 篠原自遁が細川軍と通じている、という噂は既に長治軍全体に知れ渡っていた。そして、自遁が長治軍に合流しないところを見ると、その噂が嘘であると否定できる者は誰もいなくなった。
「筆頭家老の癖に裏切るとは、何たる奴だ。大体、あれの讒言で、長房様を殺してしまったために、今、我らはこれほどの苦境に陥っているのだぞ」
 どれだけ叫んでみても、こみあげる悔しさが衰えることはない。もし篠原長房が生きていたら……。おそらく、こんな事態は来なかったに違いない。良くも悪くも篠原長房は強権的に四国三好党を統括して来た実力者であった。彼が健在ならば、淡路の安宅信康が織田に寝返ったりもしなかったろう。信康が織田に寝返ったのは、下らぬ内争に明け暮れる三好長治の実態を見て絶望したからであった。これ以上、長治陣営にくっついていると、安宅氏そのものが滅びかねない。確かに信康も三好の血筋を受け継いでいるが、しかし安宅氏の当主でもあるのだ。であるなら、安宅氏の存続を第一に考えるのが、当主たる者の務めである。
 そう考え、決意した結果、信康は織田に寝返った。
 長房さえ健在なら、信康の離反などありえなかっただろう。
 長房さえ健在なら……。
 言っても詮無きことながら、言わずにはいられぬところに、三好家がどれほど追い詰められているかが分かるというものだった。
「とりあえず、篠原殿の下に使者を送れ。篠原勢が加わってくれれば、少しは有利になる。それに、篠原殿はまだ細川軍に合流していない。こちらにつく可能性はあるのだ」
 あらゆる悔しさを飲み込んで、篠原自遁の力に頼る。これが、あの三好の姿なのだ。長慶の時代に都で強勢を誇り、天下の征夷大将軍の地位すら動かした三好の末路なのであった。情けないと言えば、これほど情けない話もない。


 両軍は別宮浦と呼ばれる土地に布陣した。
 天正五年(一五七七年)は三月二十日のことである。
 三好軍は少しばかり兵を増やして四千六百になっている。対する細川軍は六千のまま変わらず。しかし、阿波南部にて五千以上の兵を展開させている長宗我部勢が不気味と言えば不気味である。細川と長宗我部が同盟していることは、ほとんど周知の事実であり、もしも長宗我部軍が細川に味方してなだれ込んでくれば、三好の敗北は決定的であった。
 戦が始まる。
 お互いが、互いの全力を注いでの正面衝突である。小手先の技など一切使わぬ全力戦争。まず、弓で撃ち合った後、礫を投げ、鉄砲を放ち、そして歩兵による白兵戦に移る。
「これで勝てば、父上の仇を討てる」
 細川真之は、心の中でそう思っていた。
 彼の父、細川讃岐守持隆が殺されたのは、天文二十二年(一五五三年)のことだったから、今から二十四年も昔である。あのとき幼かった彼も、今や立派な中年男となっていた。
 時代も変われば変わるものである。二十四年前、三好氏は栄華を極めていた。都を制圧し、近畿地方の大半を掌握。三好長慶は、それこそ飛ぶ鳥落とす勢いでその力を伸ばしていた。
 それが今やどうだろう。三好家は阿讃二ヶ国すら維持しきれない次元にまで弱体化した。都は織田信長の支配下にあり、近畿地方に残る三好系勢力は、松永弾正久秀ただ一人を残すのみとなってしまった。
 そして今。かつて三好の完全な傀儡で、何一つ力を持たなかったはずの細川真之が、三好家の正統な後継者ともいえる三好長治を圧倒し、追い詰めている。
 時代は変われば変わるのである。真之は溢れだす笑いをこらえるので必死だった。
「わが父の仇たる義賢は死んだが、その息子二人は依然として健在。必ずや討ち取って見せる。長治を血祭りにあげたら、次は存保だ」
 そう呟き、真之は床机から立ち上がった。ワァワァと騒がしい戦場の方に目をやって、フゥと静かにため息を吐く。
 戦はどうやら、こちらの勝利で終わりそうな雰囲気である。何しろ三好軍は、全く統一性がないのであった。あれがかつて天下にその名を轟かした三好軍とは到底思えぬ有様に、真之は苦笑いした。


 戦いは細川軍の圧勝に終わり、三好長治軍は文字通り潰走した。長宗我部軍動く! という流言を細川方がまき散らしたことが功を奏したのである。結果として、三好軍を構成する諸豪族が次々と離反し、最終的に総崩れとなってしまったのだった。
 細川軍はその勢いのままに勝瑞城へ進撃し、これを包囲した。また、戦況が細川の圧倒的優勢に傾いたと見るや、すかさず長宗我部軍も動きだし、細川軍に合流すると、総勢一万五千近くにまで膨れ上がった連合軍は、三月末頃、長らく三好家の覇城となってきた勝瑞城を攻略したのであった。
 一方、三好長治はというと……。
 彼は、父祖が長年に渡り築き上げてきた全てが音を立てて崩れていく様を目の当たりにして、ただ呆然と立ち尽くしていた。重臣たちが撤退するよう進言しても、「ははは」と、壊れた人形のように高笑いするだけであった。
「民部様の下に亡命し、再起を期しましょう」
 と、三好越後は言ったが、長治の耳には届かなかった。
「夢崩れる」
 そう言って、力なく床机に腰を下ろした長治は、筆と紙を持ってくるよう命じて、静かにため息を吐いた。
「何をなさいますか?」
 驚いた越後が尋ねると、
「辞世の句だ」
 長治は淡々と答えた。
「じ、辞世ですと。バカな。まだ諦めるには早すぎますぞ。民部様の御力さえあれば、いつでも復権できるのです。三好家の嫡流たる殿さえ健在であれば、いつでも三好家は復活できるのです」
 越後は必死になって叫んでいる。しかし長治は気にしない。
 やがて側近が筆と紙を持ってくると、彼はそれを手にとって、何やらすらすらと和歌を記していった。この辺りは、さすがに名族三好の御曹司である。一流の文化人とも称えられた三好長慶の甥だけのことはあった。


 三好野の 梢の雪と散る花を 長き春とは 人のいふらむ


「どうだい?」
 長治はにこりと笑って、それを三好越後に見せた。
「殿。本気で死ぬおつもりか?」
 越後が諦めきった顔をして尋ねると、
「それが三好の大将たる者の務めであろう。それに、お前は俺が生きていれば、三好の家は復活できると言ったが、こんなボンクラが生き延びたら逆に足手まといだ。俺はここで三好の血筋を受け継ぐ者として見事に散って見せる。後のことは、民部に任せよ。奴ならば、見事に三好家を復活させてくれるだろう。民部は今でこそ十河家を継いでいるが、紛れもなくわが弟。三好義賢公の息子であり、長慶公の甥でもあり、そして元長公の血筋を受け継ぐれっきとした三好の御曹司だ。だから、お前たちも、今後は民部に仕え、三好のために力を尽くせ」
 長治は、彼らしくもなく殊勝な言を吐いた。
「ふふふ。政治とは難しきものよ。次生まれてくるときは、できれば大名家の跡取り息子なんて厄介な立場ではなく、普通の民草の子として生まれたいものだ」
 理想を求め、それゆえに堅い現実の前に幻滅した男は、最期の最期に本音を吐いて、にっこりとほほ笑んだ。
 そんな様を見て、三好越後は何も言わなかった。ただ一言、
「私は死にませぬ」
 とだけ言って、側にいる手勢を従えて彼の下から去っていった。長治はその後ろ姿を眺めながら、フゥと静かにため息を吐いた。


 やがて細川勢が彼の下に迫ってきた。
 長治の本陣には、長治本人と、彼を守らんと集まった決死の兵が数十人ほどいるだけだった。
「そこにいるは、三好阿波守長治だな」
 細川勢の将校が、嬉しそうな顔をして尋ねた。
 すると、三好長治はゆっくりと床机から立ち上がって、細川勢の前に姿を現した。
「そうだ。我こそは三好筑前守元長が孫にして、三好修理大夫長慶が甥、三好豊前守義賢が嫡子でもある三好阿波守長治である。此の首欲しくば、奪い取ってみよ。一国に値する、三好が御曹司の首であるぞ」
 長治はにやりと不敵な笑みを漏らして、愛刀を引き抜いた。長治の手勢もそれに合わせて刀を抜く。
 両軍はしばらく睨みあう。
 動いたのは長治だった。
「我こそは三好阿波守長治なりぃぃッ! 我と思わん者は、尋常に勝負しろッ!」
 そんな風に怒鳴りながら、圧倒的多勢の細川勢に突撃する様は、もはや壮絶と言うより他に仕方がなかった。
更新が遅れまして申し訳ありません。

次回から、十河存保による反撃が始まります。苦境の三好を支え続けた存保の生き様と、長宗我部元親や織田信長ら彼を取り巻く英雄たちの駆け引きを上手く書けていけたらよいなと思っています。

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