【雌伏編】第016章 出会い
九月も過ぎ、十月を越え、気づくと十一月になっていた。
夏が終わり、世界はゆっくりと、しかし確実に、秋から冬へとその姿を変えていった。けれど、そうした季節の移り変わりを味わう余裕一つない少年は、この日も、忙しなく敵勢を叩き潰し、疲労困憊といった様子で、芥川山城に帰還していた。
三好千熊丸から、三好孫次郎利長となって以後の彼は、ただの人質から、堂々たる細川家の部将になった。しかし立場や身分が変わった分だけ、いや、それ以上の仕事が、彼の小さな身体の上にずっしりとのしかかってきた。
倒れないのが不思議なくらいだと、孫次郎は呆れたように、案外頑丈な自分の身体を眺めていた。
十一月も終わりを告げんとしていたある日。
例によって、孫次郎利長は、手勢を従えて一向一揆討伐の戦いに臨み、かついつもの如く、あっさりと勝利を掴み取っていた。
手応えがなさ過ぎる。
孫次郎は退屈そうに大きな欠伸を一つつくと、ひっ捕らえられてきた首謀者を本陣に引見した。これもまたいつものことで、殺すか殺さぬかは、全て彼の胸一つだった。
「既に証如殿は一揆すべきではないと、幾たびもお命じになられている。それなのに、何ゆえその方らは、何度も一揆するのだ?」
彼は、常にそう尋ねることにしていた。その返答次第で、処分の程度を決めるのである。即ち、孫次郎の眼鏡に適えば無罪、とは言わぬまでも大幅に減免されるが、適わねば例外なく死罪だった。
彼自身、ここ半年近い連戦で、いつしか死に対する考え方ががらりと変わってきたようで、昔の如く、いちいち生き死にのことで迷ったり、逡巡したりはしなくなった。殺すべきは殺し、生かすべきは生かし…、といった具合に、無闇な人殺しはしないが、だからといって人殺しそのものを躊躇うことはなくなった。
「なぜ一揆するか、だと? ふざけたことを抜かすな。今の世に溢れる害毒を悉く洗い流さねば、我らが夢見る浄土の国など、生まれようはずもない。…見ろ。そして聞け。我ら農民がどれほど厳しい生活を強いられているか。常に法外に高い年貢を取られ、払えねば殺される。不作だろうと凶作だろうと、年貢の額は変わらんばかりか、逆に戦費がかかるからだの、いろいろ理由をつけては増える一方だ。わが村の者で、何人が餓死したか知っているか? どれだけの子供を山に置き去りにして、殺してきたか知っているか? そのたびに、そうせざるを得ぬ親たちが、どれほど悲しい思いを強いられてきたか、お主に分かるか!」
首領格の坊主は、それまで堪えてきたあらゆる怒りや憎しみを、一挙に吐き出すかのごとく孫次郎にぶつけていた。
一向一揆がなぜ起こるのか。その理由を、彼らははっきりとした口調で、こう言った。
「我らとて、できれば一揆など起こしたくない。だが、貧しさの余り、日々生きることすら叶わぬ貧民には、こうするより他に仕方がないのだ!」
孫次郎は首領格の僧侶ともども、ひっ捕らえた全ての者たちを釈放するように命じると、後は誰一人寄せ付けず、一人本陣の奥深くに篭って静かに考え込んでいた。
貧しいから、一揆は起きる。確かに論理である。けれど、孫次郎には、その肝心の貧しさがどれほどのものかが分からなかった。如何に父を殺され、人質として苦難の日々を過ごしてきたとはいえ、大名家の世子に生まれた彼は、本格的な困窮というものを経験したことはない。食べようと思えばいつでも食べられたし、人質時代も贅沢さえ言わなければ、食事に不自由することはなかった。
「……民が満足に食べていけるようになれば、一揆などという物騒な問題は起きなくなるわけだ」
孫次郎がその答えにたどり着くまでに、それほどの時間はかからなかった。ただ、そのためにどうすればよいのか。それは僅か十一歳の子供に過ぎない彼には、どうにもわからぬ問題だった。
またも一揆が起きたというので、早速孫次郎は兵を率い、急行した。
駆けつけてみると、一揆というよりは、ただ奉行所の周りを数百人の村人が取り巻いて、なにやら騒動が起きているだけのようであった。一向宗ともさして繋がりがあるようには思えず…、という報告を受けた孫次郎は、すっかり拍子抜けといった様子で大きな溜息を吐いた。
「問題の発端は、傲慢な役人たちの横暴な振る舞いにあったようです」
と、斥候に出していた家来は言った。
「よくありがちな話ではありますが、役人たちの一部が商家に押し入って略奪行為に走ったり、あるいは器量のいい町娘などを見つけるたびに強引に拉致したりしていたようです。何かにつけて御所様御直参であることを誇り、威張って、逆らう者は容赦なく殺していたそうです」
そんな斥候の報告に、孫次郎はその整った顔立ちを醜く歪めた。こみ上げてくるどうしようもない怒りに、身体がぶるぶると震える。自分の力でなく、晴元の威を借りて威張っているという点も、彼の怒りを買うに十分だった。
「…とりあえず村に行こう。とりあえず何かできることがあるやもしれん。揉めているなら、俺が何とかしてやる!」
兎にも角にも、気を取り直し、孫次郎は全軍に対して引き続き進軍命令を下した。
で、孫次郎率いる五百騎の三好軍が村に到着した頃には、既に空は灼熱にも似た夕焼けに包まれていた。西の彼方に沈みゆく太陽をぼんやりと眺めていると、その瞬間、甲高い、悲鳴の如き絶叫が辺り一帯を切り裂くように響き渡った。
「な、何事だ?」
と、孫次郎が尋ねると、家臣たちもそれぞれきょとんとした様子で、不思議そうに首を傾げていた。
「申し上げます!」
そこに、慌しく駆け込んできた使番は、素早く孫次郎の面前に頭を下げると、
「農民たちの強訴に業を煮やした奉行所の連中が、片っ端から農民たちを拘束し、それに反発した農民たちとの間で小競り合い状態となっているようです」
と、言った。
その後に相次いだ続報は、どれも第一報と同じ事を告げていた。孫次郎は困ったように頭を掻きながらも、とりあえず何とかせねばなるまいと、とるものもとりあえず馬に跨ると、騒動の中心地へと駆けていった。
騒動は村一帯に広がって、どうしようもない大戦争へと発展していった。
完全たる暴徒と化した村人たちは、鍬だの鋤だの持ち出しては、奉行所の手勢と激突した。数においては圧倒的に勝る村人たちであるから、一人の官兵を数人で袋叩きにしたりした。
そんな具合に、次第に官軍を圧倒して、優勢となっていった村人たちは、やがて奉行所そのものを包囲して、
「代官を出せ!」
とか、
「皆殺しだ!」
といった物騒な大音声を張り上げながら、その燃え上がるような戦意をさらに熱く滾らせていた。
そんなところに、孫次郎利長率いる三好軍が殺到したのである。総勢五百騎に達し、かつ歴戦を潜り抜けた精鋭揃いの彼らにとって、村人など大した敵ではなかった。
「敵だ、敵襲だ!」
と、村人たちが騒ぎ始めた頃には、もう遅かった。三好軍は、まさにあっという間に彼らを蹴散らして、陸の孤島と化していた奉行所を救い出してしまったのである。
「他愛無いな」
孫次郎はそんな様を眺めながら、いつもと変わらぬ溜息を吐いた。とりあえず全軍に対して無闇な殺生を禁じつつ、意気揚々、勝ち誇ったような笑みとともに奉行所に乗り込んだのだった。
その翌日。
孫次郎は騒動の責任をとらせる形で、役人と村人双方の代表に謹慎を命じると、騒動の原因となった横暴な役人たちを片っ端からひっ捕らえ、その全てに例外なく死を与えた。こうして兎にも角にも一連の騒動に決着をつけた彼は、巡察と称して家臣たちを伴い、村に出向くと、そこで哀れな孤児と成り果てた少女と出会ったのであった。
「そなたはどうしてそこに蹲っている?」
と、孫次郎は問う。そこには、全身を土色に染めて、見る影もなくやつれ果て、かつ流す涙もなく、ただ声だけで嗚咽している哀れな少女がいた。
少女は声もなく、ただ孫次郎を見上げていた。無理もない。完全武装した数十人の精兵を従え、いくら十一歳の少年といえど、立派な甲冑に身を包んでいる彼を見て、驚かぬはずもない。
「親は? 家族は?」
そんな彼女の気も知らず、ただ純粋に尋ねる孫次郎に、少女はただ怯え、震えていた。後ずさりして、なにやら本能的に命の危険すら感じているらしい。そんな怯えきった彼女の顔を見て、孫次郎は心外そうにハァと大きな溜息をついた。
「とにかく、こんなところでは風邪を引くぞ。……とりあえず、陣屋に運べ」
と、彼は側に控える配下に命じた。「ですが……」と、当然のように戸惑い、躊躇う家臣たちは、助けを求めるように、再び幼君の顔を見た。
「ここで出会ったのも、何かの縁だ。とりあえず、運べ。これは命令だぞ。主命だ!」
若き主君は、家臣たちの躊躇などお構いなしといった様子であった。いつになく厳しい口調で命じると、家臣たちも渋々少女を抱き上げ、陣屋のほうへと走っていった。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。