【落日編】第159章 若江城の戦い(前編)
十一月五日。
度重なる三家老(若江三人衆)の要求に応じる形で、三好義継は足利義昭を若江城から堺に移すことにした。義継としても、反信長を唱え続ける義昭をいつまでも若江城に置いておけば、信長に攻撃の大義名分を与えるだけだと考えたらしく、義昭も納得の上で、堺へ移ることになったのだった。
そんな風に織田信長への宥和的な方針を打ち出している義継であったが、一方では若江城を大幅に増築してみたり、鉄砲を買い集め、あるいは弓矢を大量生産するなどして、軍備の増強に勤しんでいた。無論、浪人をかき集めて兵力を増やしたり、長慶時代に蓄えられ、密かに若江城に移しておいた多量の銭や金銀を使って兵糧米を買い集めたりすることも怠ってはいない。とにかく、いつ戦が発生してもよいように、義継は急速に準備を進めていたのだった。
「織田方も準備を進めているようです。おそらく、年内には戦になりましょう」
と、三好清海入道(出家した三好政康の名)が言うと、
「そうか」
義継は観念したような顔をして、小さく頷いた。
「で、下野…、いや清海入道。兵は如何ほど集まった?」
「現時点で八千余。全国より浪人衆が殺到しておりますので、年末には一万ほどにはなりましょう」
軍師格として義継の側に侍り、義継政権の軍制改革を一手に担っている清海入道がそう答えると、「八千、か…」と、義継は頼りない顔をして、ハァとため息を吐いた。
「鉄砲は七百丁ほど。弓矢のほうに不足はありませぬが、兵糧に少々問題がありまする」
「…兵糧? 足りんのか?」
「はッ! 少々。今年は領内の農家、どこも不作だったらしく、買い集めるにしても農民たちの保有量にも限度がありまして…。城下の商人たちからも買い集めておりますが、如何せん値が跳ね上がっております。堺衆にも要請したのですが、信長の目が光っており、難しいのです」
清海が申し訳なさそうに頭を掻くと、
「仕方ない。農民どもにも生活があろう。無理にかき集めるわけにもいかんからな。…だが、顕如上人には前々から兵糧支援を申しこんでおいたはず。上人からは連絡はないのか?」
義継はそう言って清海の顔をじっと見つめた。
「それが…。本願寺も連年の戦で財政状況は決して芳しくないらしく…。彼らも専ら、毛利からの支援に頼り切っている有様とか。その毛利も尼子、大友らと争っておりますので、本願寺向けの支援でやっと。本願寺もそのわずかな兵糧を我らに回す余裕などなく、結局上人からは音沙汰なしでございます」
状況はどうにも芳しくないらしい。義継でなくとも頭が痛かろう。金ならばいくらでもあったが、品物と交換できなければ、ただのがらくたも同然だ。
「で、織田の動きはどうなっている?」
と、義継が尋ねると、
「どうやら佐久間信盛の指揮下に四、五万の軍が編成されているとのこと。まあ、詳細は分かりませぬが、佐久間が総大将となることは間違いないようで…」
淡々とそう答える清海入道であった。
摂津中島。
三好三人衆が壊滅して以来、このあたり一帯は織田軍の制圧下にあったが、その織田軍を束ねて、占領政治を一手に担っていたのは、織田家筆頭宿老の佐久間信盛であった。
佐久間信盛といえば、織田の筆頭宿老というだけでなく、殿軍を得意としたことから、『退き佐久間』と呼ばれて恐れられている男だった。まあ、柴田勝家のように際立って戦に秀でているわけでも、羽柴秀吉や明智光秀らのように政治の才覚に非常に長けているというわけでもないが、しかし何事も無難にこなせる万能的な能力は、草創期の織田政権にとっては貴重だった。
しかしそれ以上に、信長にとって、信盛は最も信用のおける重臣であった。何しろ、彼の父、即ち織田家先代当主信秀の死後に発生した家督争いでは、林秀貞や柴田勝家ら主要な重臣たちが挙って弟の信勝(信行とも)に付いたのに対し、信盛だけはあくまで彼に付く姿勢を鮮明にしていたからだ。結局、織田家有力家臣である信盛らの力もあって、信長は信勝に勝利し、織田家家督の座を確固たるものとしたわけであるが、この家督争いは、その後の信長の政治方針や家臣団への接し方等々、様々な点に大きな影響を与えたと言われている。即ち、この事件で信勝方に味方しながらも、情勢の不利を見て信長に寝返った重臣たちは、ほぼ例外なく、最期の最期まで信長から疑われていた。例えば信勝一派の筆頭格であった林秀貞などは後に織田家から追放されているし(このことから二十数年たった後も、信長はこの事件のことを根に持ち続けていたことが分かる)、信勝一派に属した中では最も重用された柴田勝家に対しても、越前に入国する際、自分のいる安土の方角に足を向けて寝るな! 等々、いろいろしつこいほどに指図している。自らの筆頭家老にして、北国軍団総司令にまで抜擢した勝家に対してさえも、根本のところでは信用しきれていなかった証と言えよう。
ともかく、林や柴田らとは違って、決して裏切ることのなかった佐久間信盛は、信長から凄まじいまでの信任を受けていた。彼の最盛期には、他を寄せ付けぬ圧倒的な筆頭家老の座を占めていたし、近畿地方における織田軍団を悉く指揮下に置き、信長最大の敵といえた本願寺討伐を担当していたほどである(彼の失脚後、その大軍団は明智光秀の下に再編され、光秀が強大な力を得るきっかけとなった。ただし一部は織田信忠の軍団や織田信孝や丹羽長秀らの四国方面軍、さらには羽柴秀吉の中国方面軍に編入されている)。
ともかく、その信盛は今、中島にあって兵力の編成を進めていた。全ては、このところ反織田姿勢を鮮明に打ち出して軍備増強に勤しんでいる三好義継を討伐するためである。
左京大夫義継を滅ぼし、河内を掌握せよ!
それが信長より下された命令である。信盛は粉骨砕身の覚悟で、信長の命に応えるつもりでいた。
「兵は集まったか?」
と、信盛が尋ねると、
「四万五千ほどが集まりました」
そう答えるのは、彼の嫡男たる佐久間信栄であった。
「四万五千か…。で、若江にはどれほどの兵がいる?」
十月の頭。先ほどからヒュゥヒュゥと木枯らしが吹きぬけているが、信盛はさして気にする風もなく、淡々と信栄に尋ねていた。
「八千を若干上回る程度かと」
と、信栄。
「八千? 案外多いな」
「左京大夫は諸国の浪人衆を悉くかき集めておりますから。この勢いでいけば、年内には一万を超えましょう」
「…一万か。一万の大台を超えると厄介だな」
「はい。堺にいる貧乏公方がまたいらぬ考えを抱きかねませぬ」
「一向一揆など起こされてはたまらんからな」
信盛はそう言ってニタニタと笑った。
「よかろう。これより直ちに若江へ進軍する。全軍に下知せよ。左京大夫には一瞬たりとも時間は与えぬ。織田得意の電撃戦で踏みつぶしてくれる」
もとより彼の頭に敗北の文字はない。四万五千の大軍でもって若江へ押し寄せ、三好の歴史ごと義継を滅ぼしてくれる。なんて呟いているほど、彼は余裕綽々なのだった。
織田軍動く!
その急報は瞬く間に畿内全土を駆け巡った。
それは当然、若江城の三好義継の下にも届けられ、若江城及び城下は徹底した戒厳下に置かれることになった。
若江城に入った義継軍は総勢六千。一時八千を数えた義継軍だが、圧倒的な織田軍に恐れをなしたのか、浪人衆を中心に脱走兵が続出。結果として二千人ほど足りない六千人しか集まらなかったのだった。
「六千、か…」
義継は困ったようにため息を吐き、
「構いますまい。この程度で逃げだす兵など、はなから願い下げ」
清海入道はぽんと胸を張った。
「で、援軍はきそうか?」
「援軍ですか? 弾正は望み薄ですな。既に奴は信長に内通しておりますからな。絶対に援軍は出しますまい」
清海が断言するように言うと、義継は「そうか」とため息交じりにぼやいた。
「本願寺にも使者は送りましたが、織田の防衛網を突破して、若江にやってくるには、それなりの時間がかかりましょう。まあ、一向門徒は全国津々浦々あちこちにおりますゆえ、領内の門徒衆が動いてくれれば、早急に援軍が到着する可能性はありますが」
「…一向門徒が動けば、勝算もあろうが」
なんて呟きながら、義継は、父十河一存や養父三好長慶らから散々聞かされてきた、祖父元長の最期を思い出していた。
堺公方(十四代将軍足利義栄の実父足利義維のこと)の扱いを巡る主君細川晴元との対立、細川政権の主導権を巡る晴元側近の三好政長、木沢長政との対立、三好宗家家督の座を巡る三好政長との対立、さらには畠山家内部の主導権を巡る畠山家当主畠山義堯と同家筆頭家老木沢長政の対立などなど、様々な対立が複雑に絡み合った末に、畠山義堯の要請を受けて木沢長政の居城飯盛山城を包囲した三好元長は、圧倒的大軍をもって木沢長政を窮地に追い詰めるが、木沢方に味方した一向一揆軍に後背を叩かれて敗北、自害に追い込まれたという。
一向軍が味方となってくれれば、自分もまた、窮地を脱して勝者の座を掴んだ木沢長政のようになれるかもしれない……、と、義継が期待したのも無理はなかった。
しかし、
「あまり期待しないことですな」
清海入道は淡々と言って、にっこりとほほ笑んだ。もとより討ち死にを覚悟している男は、余り援軍には興味がないらしかった。
天正元年(一五七三年)十一月十五日。
この日、佐久間信盛率いる織田軍四万五千が、若江城を包囲した。対する三好義継軍は総勢六千である。兵力差は歴然としており、どちらに軍配が上がるか、なんてことは火を見るよりも明らかであった。
「結局、こうなってしまったか」
苦り切った顔をしてため息交じりにぼやいているのは、池田丹後守教正であった。三好義継の筆頭家老でもある彼は、
「これだけの戦力差があっては、もはや勝ち目はあるまい」
と、呟く。
「それもこれも、清海とかいう、どこの馬の骨ともしれぬ坊主を重用して、軍備など増強するから、織田殿の御不興を買ったのだ」
同じく家老の多羅尾右近が続ける。
「左様。それにしても、清海とかいう坊主はいったい何者なのだ? 殿の信任を得て、城内で我が物顔にふんぞり返っているが…」
野間長前がそう言うと、池田丹後、多羅尾右近両名も大きく頷いた。
通称若江三人衆。
このところ、義継政権下で発言力を失っていた親織田派の領袖である。そして、河内国内に領地を有する有力な国人領主でもあった。主君義継の暴走が招いた悲劇に連座して、自分たちまでも滅亡する気は更々ない。
「こうなった以上…」
野間長前が言うと、
「やむをえませんな」
多羅尾右近が頷く。筆頭家老の池田丹後も否定しない。
三人はそれぞれ深刻そうな顔をして、ハァとため息を吐いた。
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