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【落日編】第139章 義継、久秀。降伏!
 織田信長、入京す!

 世の中の激変を告げるこの知らせに、畿内中が震撼していた頃、三好義継は多聞山城内にあって、松永弾正と果てしなき激論を交えていた。
「降伏、だと?」
 義継は、眼前にて平伏す弾正久秀をぎろりと睨み付けて、何度も、「ならんッ!」と怒鳴っていた。
「されど、もはや降伏する以外に手立てはありませぬ。…怒涛の如き織田軍に抗えるはずもなく…」
 いつもの弾正らしくもない余りの弱気ぶりに、義継は腹立たしそうにハァと溜息を吐いた。
「織田に抗えぬほど我らが弱体化してしまったのは、お前たちが、無意味な内戦に明け暮れたからであろう。…今こそ、そなたと三人衆が余の下に一致団結して、織田軍を迎撃すれば、あるいは勝利することも不可能ではあるまい」
「いや、無理にござります」
 弾正はきっぱりと言い切り、そしてすっくと立ち上がった。
「織田の基礎戦力は六万。これに各地の国人たちが結集すれば、七万、八万は下らないでしょう。一方、三人衆や篠原長房らの動員可能兵力は最大二万。そして、拙者が一万程度。合わせて三万。…これでは、到底勝ち目はありませぬ」
 そう言いながら、天守閣の下に広がる壮大な城下町をジッと見つめている弾正久秀であった。
「織田は、そんなに強いのか?」
 義継は茫然自失の体で、がっくりと項垂れている。
「残念ながら…。既に、高屋城の笑岩入道様も、因幡守殿(三好政勝)も、織田方に帰属する方針を固めたようにございますし…」
「…な、お、大叔父上までもがか?」
「はい」
 それは義継にとって、六角が敗れたことや、織田信長が六万もの兵を率いて進撃してきたこと以上の衝撃であったりした。何しろ、笑岩入道は、今は亡き三好元長の実弟であり、長慶の叔父として、三好家の発展に尽力してきた大功労者なのである。
「もはや、我らに打つ手はありませぬ。…ただ、唯一無二の手として、織田信長の衰退を待つという手もなくはありませぬ」
「…信長の衰退を待つ?」
「はッ!」
 弾正の野心的な眼光は、年老いてなお、衰えてはいないようだった。むしろ、老いてますます盛んと言うべきか、あるいは逆境に追い込まれれば追い込まれるほど、彼の瞳は鋭さを増すばかりのようで、彼の不屈の闘志には、義継もただ圧倒されるばかりであった。
「信長は今や都を支配し、天下人の座に王手をかけましたが、果たして彼がいつまで政権を維持できますかな。確かに六角は滅びましたが、しかし彼の周りを御覧あれ。背後、即ち美濃の東側には甲信両国を押さえ、さらに上野西部、駿河にも勢力を伸ばしている甲斐の虎、武田信玄入道がおりますし、北側には百年の大国朝倉義景、南には、国司家の名誉を今に保っている古豪北畠具教が依然として健在でござります。また、三好日向、下野、岩成主税助らも容易く織田には降伏しますまい。となれば、畿内はまだまだ不穏地帯となります。織田が畿内の処理に梃子摺れば、西から毛利などの大国が攻め込んでくる可能性も十分考えられます」
「…」
「それに畿内には、今は亡き御屋形様ですら対処に苦慮された本願寺が依然として健在でござります。今は十一世法主顕如が統治しておりますが、顕如の下、本願寺の勢いはますます盛んとか。
 信長の頼みの綱は、三河の徳川家康、北近江の浅井長政でござりましょうが、徳川は目下、今川氏真との攻防で手一杯。浅井長政も、長年朝倉家と同盟してきた誼がありますれば、朝倉をこちら側につければ、容易くは動けますまい。若狭の武田、丹後の一色、丹波の内藤、赤井…。その他諸々、各地の豪族大名を大結集すれば、必ずや信長の政権は崩壊いたします」
 こうも延々と、こうだからああ、ああだからこうと説明を加えられると、義継も「なるほど」と頷かずにはいられなかった。実際、冷静になって考えてみれば、信長の周りは敵ばかりなわけで、これを上手く利用すれば、確かに復権の機会は、案外近くに転がっているのかもしれなかった。
「それまでの間、我らは信長に頭でも下げつつ、意地でも力を保ち続けるのです」
 と、弾正が言うと、
「そうかもしれん」
 ついに観念した義継であった。


 義継としても苦渋に苦渋を重ねた決断ではあった。
 何しろ、これまでずっと天下最強の大名家の名を欲しい侭にしてきた三好宗家の当主が、数年前まで尾張の弱小大名に過ぎなかった男に平伏すのだ。臣下の礼をとるのである。悔しくないはずがない。長慶や義興、あるいは数多の如き一門家臣たちから預けられた三好家を、こんな末路に導いてしまった己が責任を痛感しつつ、彼はフゥと小さな溜息を吐いた。
 今更考えていても、悩んでいても、迷っていても仕方がないではないか。こうなった以上、仕方ない。弾正久秀が言うように、次の手を打つほうが、よほど建設的である。
「信長の滅びを待つ、か…」
 それも、弾正の話によれば、さして遠くない未来のようであった。義継は側室のお藤の方に酒を持たせると、そよそよと吹きぬける、秋の夜風に浸りつつ、その場にごろりと寝転がった。


 永禄十一年(一五六八年)九月二十八日。
 三好義継及び松永久秀の両名は、僅かな供廻りのみを従えて入京し、そして、今や京洛の覇王となった織田信長に謁見した。
 時代は変わる。諸行無常。
 盛者必衰。
 このときほど、人々はそれらの言葉を意識したことはなかったろう。ここ二十年、ずっと都の支配者として君臨し、栄華を極めてきた三好政権の総帥が、織田信長という男に頭を下げに来たのである。


 信長は本能寺にいる。
 彼の態度は、今も昔も、大そう偉そうであった。如何に家臣たちとはいえ、重臣と評されているような人たちを前にしても、彼は構わずごろりと寝転がっていた。会議が始まっても、彼はけろりとした顔で、上座の上で居眠りを決め込んでいたりする。
 義継、弾正がやってきたときも、彼の態度は、そんなものだった。
「殿、三好左京大夫、松永弾正が参りました」
 と、丹羽五郎左衛門長秀が報告しても、彼は「そうか」と言ったきりで、さして驚く風でもなかった。
 とにかく、長秀が目で合図すると、二人はゆっくりと入室し、そして、いつものように上座でくつろぐ信長の前に深々と頭を下げたのだった。
「その方が、修理大夫が養子、左京大夫か」
 信長はおもむろにすっくと立ち上がり、ゆっくりと義継の下に歩み寄ると、
「ふーん」
 と、まるで品定めでもするかのように、まじまじとその顔を見つめていた。
「かつて余が上洛した折、修理大夫は紛れもなく天下人として、この町に君臨していたが…。それから十年。今や、余が、かつての修理大夫の位置に座って、彼の倅を平伏させている」
 くっくくくとかみ殺したような笑みを漏らしながら、信長は素早く上座に戻っていった。
「まあよい。ところで、そこな老人! 松永弾正と申したな。悪行の限りを尽くして、天下にその名を轟かせし御老人」
 笑っている。いや、怒っている?
 どちらなのか、いまいちはっきりしない信長の顔色を逐一覗っている家臣たちは、いつ何時彼が怒り出すのか、はらはらとした表情で、眼前の光景を見守っていた。
「…左様。拙者は、この世にあって出来うるあらゆる悪事を一代にてなした男。もし織田様が、かような拙者の力を欲されるなら、粉骨砕身の思いで、忠勤を励みましょう」
 開き直ったかのような弾正の態度は、かつて畿内狭しと暴れまわり、その名を轟かせた松永弾正少弼久秀とは思えぬものがあった。けれど、こういう奇妙な受け答えを何より好む信長は、「はっはっは」と高笑いすると、
「面白い。ならば、悪行三昧を繰り返して手に入れたであろう珍品か何か、あるなら余に差し出せ。さすれば、余が閻魔大王に代わって、そなたの罪業を許しおいてやるぞ」
 などと言っていた。
 弾正はにやりと笑い、そして、信長の顔をじろりと見つめた。そして、
「無論、御用意しております」
 と言いつつ、側に置いてあった小さな包みを開いて、その中身たる茶器を信長の眼前に差し出したのだった。
「これは天下に名だたる名器『付藻茄子(つくもなす)』にございます」
 弾正の顔は自信に満ちている。よほどの名器なのだろう。茶好きでは、誰にも負けぬと自負しているらしい信長の顔色も、茶器の名を聞いた瞬間、綻んだ。
「これが音に聞く『付藻茄子』か。我朝無双と称えられし唐物の茶入れよな」
「左様にございます」
 改めて、深々と頭を下げながら、弾正はにやりと笑う。こんなこともあろうかと、財力に物を言わせて買い集めていた名器の一つ。信長如きに献上するのは惜しいが、これで命と領地が保たれるなら、安いものだった。
「くっくくく。よかろう。そなたの悪行を償って余りある、見事な献上品じゃ。気に入った」
 そう言って、信長は側に控えていた丹羽五郎左に目配せした。以後は彼に任すという、信長なりの合図である。長らく信長に仕えて、その性向は熟知している丹羽五郎左は、軽く頷いて、すっくと立ち上がった。
「三好左京大夫並びに松永弾正少弼。両名に対し、足利義昭公並びに織田上総介様からの下知を伝える。畏まって聞け!」
 五郎左は、戦でこそ柴田勝家や木下秀吉らに遅れをとることが多いが、こういう実務的作業をさせれば、織田家随一の実力者であった。
 とにかく、五郎左が信長に代わって大声を張り上げると、三好義継、松永久秀両名は「ははーッ!」と叫んで、大仰に平伏した。
「左京大夫に対しては、北河内守護職に任命する。以後は若江城を居城とし、領国の安定を図るべし! 弾正少弼に対しては、多聞山城並びに大和支配を引き続き安堵する。もしも弾正の支配に背く者あらば、弾正の判断により、適切に処理し、可及的速やかに大和の安定を図れ!」
 と言うのが、丹羽五郎左を通じて伝えられた信長の命令である。ならば、義継、久秀両名、頷き、応じるほかはない。


 以後、信長は矢継ぎ早に畿内の仕置を発表していった。
 北河内半国守護に三好義継を任命する一方、南河内半国守護の座には紀伊に亡命していた畠山高政を復帰させ、彼は高屋城に入った。三好長慶により河内守護の座を追われて以来、実に十年ぶりに、高政は河内国(南半分だけだが)と高屋城を回復することができたわけである。ちなみに、従来の高屋城主であった三好笑岩・康俊父子は、些細なすれ違いにより信長の怒りを買ってしまったため、とるものもとりあえず、城を捨て、阿波に遁走してしまっていた。
 また、摂津国は和田惟政(高槻城主)、池田親正(池田城主)、伊丹親興(伊丹城主)の三名が守護に任じられ(これを摂津三守護という)、実質的には筆頭守護格の和田惟政の下で統治が進められることになった。
 そして山城国であるが、これは同年十月十八日をもって、正式に室町幕府第十五代将軍となった足利義昭の直轄領となり、細川藤孝、三淵藤英、仁木義政ら重臣たちを要所に配置するなどして、急速に統治体制を固めていった。ただし、京都には、信長の代官として、明智光秀や木下秀吉らが入っており、京の都及び山城国が完全に義昭の支配下に入ったわけではないことを、ここに注記しておく。
 その後、丹波の内藤忠俊が足利義昭に降伏。一方、黒井城主の赤井直正らは徹底抗戦の構えを崩さなかったが、最終的に、織田氏の勢力が飛躍的に拡大する中で、永禄十三年(一五七〇年)になって、ついに降伏している(その後、再び離反)。

 
 畿内の処理が大まかに片付いた後、織田信長は足利義昭の将軍就任祝いもそこそこにして、美濃に帰国し、岐阜に戻った。幕政に深入りしすぎた結果、手足を縛られた三好長慶の轍を踏むまいとする信長の意気込みの現れであり、これ以後、彼は武田信玄ら近隣の強国の脅威に備えつつも、伊勢方面への進出を強化するなど、引き続き積極的な勢力拡大策を追求していくことになるのだった。
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