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  時の息吹 作者:立羽
第一章・第一話 再びの大地06
「あっはっはっは!」
 必死の思いで告げた一言。だと言うのに、気まずい沈黙を破った女店主の言葉は何故か高らかな大笑いだった。
「あ、あの」
 突然笑い出した女店主の反応に、由那はただただ困惑するばかりだ。
 しかしそんな様子すら女店主の笑いを誘発させているらしく、ますます笑われてしまった。
「あー。笑った笑った」
「……」
 まだ肩を震わせる女店主は黙ってしまった由那に対し、安心させるような微笑みを浮かべて言った。
「大丈夫さ。どこぞの良家のお嬢様か知らないけど、庶民のあたしらにしたら物々交換なんて日常茶飯事さね。安心してくれていいよ」
 それにしてもあんたみたいな品の良さそうなお嬢様が何で一人旅なんてしてんのかあたしには不思議だよ。と、女店主は呆れたように嘆息する。
 詳しく聞かれても弁解することが出来ないために由那は勘違いした女店主の話に乗っておくことにはするが、それにしても自分はそんな上品に見えるのだろうか?
「そうさね。うーん、流石はお嬢様が身につける服だけあるね。上質だ」
 由那の内心などいざ知らず、女店主は既に査定に入っている。その目は先ほどの大笑いが嘘のように真剣で、由那は呆気に取られたように彼女を見つめる。
 服には凝っているあの母が選んだ洋服なだけあるので確かに上質なものであることは確かだが、買い取るには問題があるようにも思う。それはニーズと用途だ。
 この服、この世界の人で着る者はいるんだろうか。絶対にセンスが一致しないように思えてならない。
「うーん。駄目だね」
「え!?」
 真剣に悩んでいた女店主が渋い顔をして顎に手を当てる。それに弾かれたように由那は彼女を見張る。
 駄目。それは査定すらもままならないということなのだろうか。やはり、こんな悪趣味な服は受け付けられないと言う事なのだろうか。
 内心かなりの冷や汗をかきつつ由那は女店主の査定結果を聞く。
「こんな上質な服、私の店で交換できそうな物がないさね。こっちが支払い切れやしない」
「………」
 それはつまり。
「え…ええっ!? あ、あの、そんな。困ります!」
 この服と交換できない。
 それは悪趣味でも用途がないわけでもなく、意外な結果に由那は内心かなりの衝撃を受けながらも必死で交渉する。
「換金ではなく、本当に一着と交換で結構ですから。そんな上質なものでもないですし…」
「そうは言われてもね。たいした物なんだよ、あんたのその服。そりゃこっちとしては交換なんてありがたい事だけど、ただの服と交換なんてつり合わなすぎるんさ。そんな立派だと」
「立派でも何でも、交換する私のほうがそれでいいので別に…」
「いいや、無理さね。コートとブーツをつけたとしてもあたしは納得できないよ」
 頑として首を振らない女店主に由那は困り果ててしまう。この服でこのあり様だ。恐らく今履いている靴に妥協しても了承は得られないだろう。
 悩んだ挙句、由那は彼女にしては珍しく気に入って買ったコーム、今着ている服に合わせるために髪を纏めている華奢でシンプルな蝶をあしらったデザインのヘアコームを差し出した。
「じゃあこれでどうでしょうか? 服よりは価値が下がるとは思いますけど」
 一応『価値が下がる』と付け足す。確かに、今由那が身についている物の中で一番安価なものがこの髪留めだった。他は桁すら違うので値段に出して表すのも恐ろしい。
「うーん。髪留め…か」
「駄目でしょうか?」
 険しい表情で悩む女店主にこれ以上の妥協が出来ない由那は必死に見つめる。
「これでもね、やはりもらい過ぎなんさね」
 服にコート、そして靴を付属して交換しても支払いきれない。と女店主は語る。
 そこまでこだわらなくても、とさすがに思ったが、彼女の店に対するポリシーは由那が口を挟むべきところではない。各々譲れない一線と言うものは必ずあるのだから。
「あ。じゃあ鞄もつけてくれませんか? 服や荷物をしまっておきたいですし」
 誕生日デートをしたままの状態でこの世界にやってきた由那は、服装はもちろん友人からもらった誕生日プレゼントやら自分で購入したものなどの荷物もそのまま持って来てしまった。緊急時にならない限り、まごころのこもった彼女らからのプレゼントは死守しておきたい。
 確かこの世界で大きい鞄はそれなりに値の張るものだったはずだ。特に皮製のものは原料が限られているために特にそうだ。
「ああ、そうさね。それでいいよ」
 由那があまりに必死な様子だったのか、まだ少し納得がいっていない女店主はため息混じりに頷く。とりあえず交渉成立だ。


「それにしても、本当に良いのかい? こんな高価そうなものなのに、もっと有効に使わなくて」
「いえ、大丈夫です。それにお礼を言うのは私のほうですよ、ハンナさん。交換していただいたのに、更に換金してもらっちゃったんですから」
 申し訳なさそうな表情の女店主、ハンナに由那は苦笑して首を振る。
 千円したかどうかの本当に安い髪留めの交換に、服、上着、さらにコート。そしてブーツに皮製の鞄までつけてもらい、その上に換金までもらったのだ。これでは割に合わないのはハンナの方だと申し訳なく思うのは由那の方だ。
 コームの細工が繊細だからとかなり高額な金額を換金されてしまっているというのに、ハンナもこれ以上は譲らないという様子で返しても受け取ってさえもらえない。
 由那がハンナから受け取った金額。それは銅貨15枚と銀貨1枚。銅貨の単位はユノとユン。言うまでもなくハンナが手渡した方は高価な貨幣のユンで、1ユンは少し豪華な家族4人分の一日分の食事。つまり3食の食事代に相当する。そして銀貨はユジェ。これ1枚で、庶民の家族4人が半年ほど暮らすのに十分な生活費に相当するとても高価な貨幣だ。
 さすがに銀貨をもらうわけには行かないと突っぱねた由那だが、しかしハンナは返されることを良しとせず『何かに役立てなさいな。一人旅は何かと大変だろう?』と優しい一言を掛けてくれた。
「本当にありがとうございます」
 今日はうちに泊まっていくかい? とまで言ってくれたハンナの申し出をさすがに断りつつ、由那は笑顔で言って別れる。
 気をつけて。
 そう言って送り出してくれたハンナの優しさと思いを、由那は本当に嬉しく思いながら手を振った。
 人の優しさもいいものだとそう感じさせる穏やかなひと時に、由那は人間の愛おしさを再確認したのだった。




「これは…」
 ぴりっとした気配。大気の震えとまでは行かない。しかし肌に違和感を与えるそれに、由那はそれまで歩みを進めていた足を止める。
 感じた気配をもっと細かく感じ取ろうと試みる。そのときだった。
「お、おい!」
「!」
 ハンナと別れ、町から出て20分ほどたった街道。その脇道から血相を変えた青年が青い顔をして飛び出してきた。
 よほど慌てているのだろう。その栗色の髪に葉っぱが付いているのにも気づいていないようだ。その同色の瞳は世にも恐ろしいものを見たように歪みを映す。
 そう言えばハンナもこの青年と似た容姿をしていた。血縁者なのだろうかとも思ったが、受ける印象がまったくと言って良いほどに正反対だ。
「た、大変だ。早く逃げるんだ!」
 一人慌しく急かす青年。何があったかは分からなくもないが、話の趣旨も語らず逃げろの一点張りはさすがにどうかと思う。
 あまりの混乱のしように、彼を落ち着かせつつ由那は冷静に何があったか尋ねる。
「ま、ま、魔物だ! 魔物が現れた!」
 大の大人がここまで取り乱す事。それは人々に恐れられる凶悪で貪欲な獣。惨殺を好む魔物と呼ばれる存在との遭遇しか考えられない。
 やはりか。と、由那は自分の感が当たった事に内心盛大なため息を付く。
 しかしそれと同時に怪訝な表情になる。青年の言うような魔物。彼らが出現しているのならば、空気の淀みやそれなりの気配というものが感じ取れても不思議ではないのだ。
 だがそういった淀みは感じられない。
 感じたのはもっと別の気配。だがその違和感も正体はつかめてはいないわけで、だからこそ不可解なのだ。
「ちょっと落ち着いて…」
 由那の腕を掴んで町の方へ逃げようとする青年の手を振りほどきながら冷ややかな言葉を紡ぐ。取り乱すのは彼の勝手だが、自分までその混乱に巻き込まれてはたまったものではない。
「あなたの言う魔物って、本当に魔物なんですか?」
 かなり優しく、そして冷静な対応をしたつもりだ。
 普段ならばそのまま張り倒したくなるほどには鬱陶しく感じていたのだから。しかし――。
「な、何言ってるんだ! あれは魔物だ。絶対に魔物だ。魔物の他にありえない!」
 魔物魔物と連呼され、さすがの由那もその寛大な微笑みが剥がれそうになる。
「…では聞きますけど、ちゃんと確かめましたか? 私が感知する限りはこのあたりに魔物らしい空気の淀みはないですよ」
「ひっ」
 穏やかな口調だが冷ややかな視線で一瞥する。口元は薄く微笑みを浮かべているので更に恐ろしくも見えただろう。思わず悲鳴を上げかけた青年にも頷ける。
 だがこんな事で崩れるほど由那の鉄壁マスクは柔ではない。穏やかな微笑みを浮かべ直し、優しい口調で言い聞かせる。
「私は力はあまりありませんが、巫師として旅をしてるんです。常人よりは気配を読む力には長けていますし、もし魔物がいたのならそれなりの対処も出来ます。
 でもまあ、とりあえずあなたは町に行って魔物が現れたことを知らせに言って来た方が良さそうかも。もし本当に魔物が現れたのなら町に被害が及びかねませんし」
 そう告げると青年の答えも聞かず、由那は青年が飛び出してきた脇道へと迷いなく歩み始める。
「ど、何処へ…」
「早く町に知らせに行ったほうがいいと思いますよ? 私なら大丈夫ですから」
 そのまま脇道へと姿を消す由那の上着を思わず掴んだ青年に、穏やかながら威圧感のある微笑みを浮かべた。
「い、いや…。それでも女性を一人行かせるわけには…」
「私は巫師です。問題ありませんよ」
 掴まれていた裾を強引に振りほどいた由那は『早く町に知らせに行ってください』と再度促す。これ以上は付き合っていられないと思っていても穏やかに、しかし普段と比べるとずいぶんそっけなくすたすたと歩いていってしまった。


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