第二章・第一話 盟約の導04
「っ!?」
「あ…」
大きく目を見開くフィスフリークに、由那は気まずそうに視線をさまよわせる。咄嗟のことで仕方無かったとはいえ、なにも事情を知らない彼に対してあまりに不躾だった。
だが、これには相応の理由がある。
「お、お客さんっ!? それに触っちゃいかん!」
由那をお嬢ちゃんと呼ぶ余裕もない店主が叫ぶ。
彼はどうやら、この杖にかけられた封印のことを知っているようだ。確かに、これを売る側としては当然のことだろう。
「大丈夫です。私にこの杖の封印は効きません」
危機迫る顔で青ざめる店主に、穏やかに微笑みかける。
「もし呪が発動しているなら、私の命はもうこの世にないはずです。そうではありませんか?」
平然と恐ろしいたとえを語る。無事であるがゆえに掛けられる言葉だとしても、これでは安心させるのではなく、より脅しているようなものだ。
当然、店主は怯む。そして由那の横のフィスフリークも、さすがに険しく眉根を寄せている。
彼には詳しい事情は分からないものの、今の雰囲気でどれだけ物騒なことが起きたのか知れたはずだ。この反応も無理もないことだ。
少し責めるような視線を隣から感じながら、由那は手にしっくりと収まる杖を見つめる。
「………」
手に取った瞬間。いや。手に取る前から、この杖にかけられた強力な呪に由那は気付いていた。
そして実際手に取った今、この封印を施した前代の使い手の強い思いも、杖を介して伝わってきている。
「しかし…、お嬢ちゃん。アンタ、巫師だろう? ほ、本当に大丈夫なのかい?」
「ええ。本当に何も。ほら、この通り平気でしょう? ね。大丈夫ですよ」
恐々と覗き見る店主に対し、由那は至極冷静だ。杖に施された呪などまるで問題にしていない。
とはいえ、店主のこの心配のしようは良く分かる。たぶん彼は、この杖を手にした瞬間に絶命した巫師を実際に見ているのだろうから。
「だが、呪いが…。手にした巫師はみな死んで…。そ、それは巫師殺しの杖だと」
震えた指先で杖を示す店主の言うとおり、この時の力を宿した杖を手にしようとした欲深い巫師たちはみな、杖にかけられた巫術によって命を落としているはずだ。
そう。この杖にはそういう封印が施されている。
本来なら、杖に触れた瞬間、巫師はみな魂が抜かれたが如く絶命するはずだが、由那はそれを回避することが出来た。それは言うまでもないが、由那の力、彼女が保有する莫大な巫の力が、呪を施した前代の使い手の力を凌駕したためだ。
しかしこれを見る限り、この封印の施し手、彼の呪を破るほどの巫の力を保有する者など、過去の歴史上でもそういない筈だ。いや。恐らくいないだろう。
それだけ強い思いが、この杖を恐れ、嫌悪し、後世には二度と同じような悲劇が起こらないようにと、真摯な思いが込められた術者の気持ちが伝わってくる。
由那が呪を通して感じたイメージは、そんな凶事のことだった。
恐らく過去に、大国をも揺るがす事件を起こすためにこの杖が使用されたのだろう。確かにそれが出来る杖だ。
「巫師殺し? それではご主人、其方はそんな危険な物を店内で扱って…!」
「! それは仕方のないことだと思います。いいえ、この方にはあまりに重すぎる負担だったはずです」
怒気を孕んだフィスフリークのまなざしに、ひっと竦める店主を庇うように首を振る。
あからさまに話を遮った由那だが、弁解しないで放っておくことの方が彼相手には厄介なことになりかねない。
「しかし、ユーナ」
「しかしも何もないです。それに、店主さんに咎はないでしょう。だから彼を責めるのはおかしいと思いますよ」
「だが、杖の危険を知りながら無造作に店内に置いておくなど、不注意にも程がある。ユーナもそうだが、呪がかかっていることを知りながら手に取るとは」
「そうですね。リークさんの言うとおり、確かに不用心な行いだったと思います。でも、結果的に無事だったことですし」
「………」
ああ言ってはこう言う。まったく埒が明かない問答に、結局フィスフリークの方が折れた。諦めたように息を付く。
「はぁ…、わかった。でも、私を庇うために自らを犠牲にするのは止めてほしいものだよ」
「………」
バレていた。
今度は由那が沈黙する番だった。
確かに、杖を取ったのは不本意なことで、本当なら何事もなく平静に流すつもりでいた。
だが、杖に手を伸ばしたフィスフリークを前に、由那は咄嗟に奪い取っていた。彼を、フィスフリークを杖の犠牲にしないために。
「私が巫の力を持っていることは、まだ話してはいない筈なのだけれどね」
「………」
ふっと表情を和らげて微笑まれても何も言えない。むしろ、その笑みが自分を探っているようで居心地が悪かった。
「そう…ですね。巫師というにはあまり力が安定していないようですけど、巫術は使えるだろうとは。実際にリスクードでは使用されていましたし」
「咄嗟に使ったあれか。あの時はバタバタとしていたから気づかれていないと思っていたんだけどね」
向けられる視線が痛く、ついと逸らしてしまう。彼が何を考えているのかまったく分からない。
「そうか。それでとっさに庇ったということか。これが呪宝であることを知り、私がこのルティハルトの国宝、宝杖・アイオーンで傷つくことがないようにとしたわけだね」
「!? 知って――! っ、…知っていたんですか」
「それは分かるよ。これほどに特徴のある杖、私が分からないはずがない。と言っても、確証を得たのはユーナが手に取ってからだけれどね」
じっと杖を見つめるフィスフリーク。一瞬、後ろめたそうな後悔にも似た色を瞳に宿し、しかしそれらを瞬時に消した由那は、彼の視線を追うように手元を見つめる。
ルティハルトの国宝、永劫の杖・アイオーン。
まだ日も明るいというのに、月の光を浴びたように淡く鋭い光を放つ杖先。夜を映した薄闇の青き宝玉が、由那の漆黒を引きよせんばかりに畝る。
「混迷の時代を導き、我がルティハルトを建国した初代国王がその手に携え、守った導。
彼の王の死後、人知れず姿を消し、以後様々な者の手を渡って呪宝と呼ばれるようになったと聞いて久しいが、こうして現物を拝めることができて光栄に思うよ」
英雄王を象徴する我が国の宝だからね。と、そう付け加えた彼を見、由那は、
「そう…ですか」
としか答えることが出来なかった。
声が震えていなかったかとか、表情がどうだったかなど、この時の彼女は気にする余裕などなかった。
「で、ユーナ」
杖を見つめていたフィスフリークの視線が、再び向けられる。
色々と物思いにふけっていたせいもある。しかし、不覚にも由那は気付かずにいた。
「! は、はい」
慌てて目線をあげた由那に、次の瞬間。フィスフリークから思いもよらない言葉が投げかけられる。
口角を上げ、至極厄介な微笑みを浮かべる。
「その杖、どうする? 買うかい?」
「は、……はい?」
問われた言葉が浸透するまで暫くかかった。そのため、思わず返事をしようとした由那は、暫く固まったままだった。
とはいえ、浸透した後も同じく固まっている。
「どうやらこの杖は私には持てないようだし、其方が買うにしろ、王宮に買い戻すにしろ、ユーナの手を借りなければならないからね。いずれにしても早い方がいい。あとで部下に取りに来させるような二度手間は踏みたくないからね」
で、どうする?
再び問いかける視線に、息をのみ、あちこちと忙しなく視線をさまよわせる。
急激に答えを求められても、今の由那には言い切る言葉など持ち合わせていない。無意識に、手中の杖を握りしめる。
「さて…どうしたものか」
くすりと笑い声が漏れる。だが、由那には彼を直視する勇気がなく、また余裕もなかった。
口を開いては閉じ、開いては閉じ。そんなことをする間に、さまざまな言葉を無言のうちに捨てていった。
一体自分がどうしたいのか。どうすればいいのか。どうすべきなのか。
想いと迷い、そして己の責任。矛盾ばかりの入り混じった感情がない交ぜに、絡んでは解け、解けては絡み。その繰り返し。
「………っ」
複雑で煮え切らない思いに、ついにきつく瞳を閉じた時だった。
「ご主人、この杖はいくらで売っていただけるだろうか」
「!? フィスフリークさん!」
「なっ! フィスフリーク様!?」
驚きに声を上げた由那の叫び声に、それ以上に驚きを隠せないといった店主の驚愕の叫び声が店内に、いや。三軒先にまで轟く大絶叫が響き渡った。
「…ユーナ。ここで私の名を不用意に呼んではまずいよ」
苦笑を禁じ得ないフィスフリークは、少し苦味のある表情を浮かべている。
それはそうだ。この都市の、この国の者で彼の名を知らない者はいようはずがないのだから。
「あ。ご、ごめんなさい」
口に手を当てて謝った所で、言ってしまった言葉は元には戻らない。
まったく飾らず、大人しく素直に謝る由那など、レア中の激レアだ。たとえ『やっちまった…』的な顔をしていたとしても、それすらも珍しい。
恐らく、由那の陰に潜む眷属二人も、この様子を見て驚いているに違いない。とくにシャオウロウがそうだろうし、由那を知る友人たちがこの様を見ても、驚愕に震え、もしかしたら目の前で起きた事実が信じられずに拒絶反応を起こすかもしれない。
由那に対して失礼極まりない例えだが、十割方起こり得る想定だ。それだけ驚くべき珍事が起きた。
「………。ご主人、今回のことはお忍びでのものだとご理解いただけるか。民に命を下すことは私としても心苦しいゆえに強制はせぬが、箝口令をしくに等しい出来事ゆえ、口外せぬよう協力願いたい」
由那が出会った頃のものよりも、更に堅苦しい口調を紡ぐフィスフリークの言葉を受ける店主。その真摯な視線を浴び、ごくりと喉を鳴らす。
先ほどの由那の脅しよりも脅迫に聞こえるそれに、しかし店主は態度を一変させた。
「こ、これは国王陛下。このような粗野な店においで下さるなど、何たる光栄でございましょうか。い、いえ、それよりも、礼を欠いていた事をお詫び申し上げ…」
「よい。これもお忍びだ。そのような態度を望んでいるわけではない」
平伏する勢いで頭を下げる店主の言葉を遮ったフィスフリークは、見事に国王の仮面をかぶっている。
「も、申し訳ございません。もちろん陛下のご身分や、まして陛下をこの町でお見かけしたなど、たとえ口が裂けても口外いたしません。こちらのお嬢様のことも、私は露とも知らず。…ということで、宜しゅうございましょうか?」
国王のオーラが漂う彼の威圧感に促されてか、慎重に言葉を選ぶ店主は、確認するようにおずおずと仰ぎ見る。
原因が自分だとしても、このやり取りはなかなかに面白い。由那は責任をそっちのけで、二人のやり取りを期待しながら眺めている。
「そうだな。それで構わない。それに私は、今はこの店のただの客だ。そう畏まることはない」
「そ、そうでございました。…ではなく、そうですね。それでは改めて、旦那と呼ばせて頂きます」
どうやら丸く収まってしまったようだ。
彼に言われたとはいえ、一国の王を変わらず旦那と呼ぶ主人の馬並みの心臓に感嘆しつつ、意外に呆気なく決着したことを少し残念そうに見ていたら、責めるような眼差しをフィスフリークに向けられてしまった。
「それでユーナ。その杖、買うだろう? というわけで、ご主人。これを譲り受けたい」
身分をばらした報いだと言わんばかりに、半ば強引に交渉を進めていく。
それは遠慮願いたいと思いながらも、自身の失態の重さを理解しているため、由那も下手に反論が出来ない。
「はっ。旦那でしたら無償でお譲りします」
「…贔屓は遠慮願いたいが」
「い、いえ。まさか、贔屓ではなく」
笑っているのに、その冷ややかな微笑みが恐ろしい。嘘偽りを飾ろうものなら、今の彼はどんな手段を使ってでも屈服させようとするに違いない。
慌てて勢いよくかぶりを振る店主が少し憐れに思うが、保身に徹する由那は助け船も出さない。
「その杖はもともと、趣味で巫具を集めていた男の遺族から引き取ってくれと金をつまれて、仕方なく店内に置いていたものなんですよ。私も最初は巫師殺しの杖なんて迷信だと思っていて、金ももらえるとあって引き取ったのは良いが、本当にその杖を手にした巫師がバッタバタと息を引き取っていって。気味が悪くて、早くよそへ売り払いたいと思っていた次第でね。だから私としても、それを貰ってくれるっつう話は願ってもない事で。正直言って、陛下…じゃない。旦那の申し出はありがたいものなんですわ」
まさか国宝だとは思いもしませんでしたがね。と、あっけらかんと言ってのける店主。
その開き直ったオープンな態度に、由那は引きつった表情をし、フィスフリークはなるほど、と口元に手を押し当てている。
「では、遠慮なくこの杖をもらい受けるとしよう。それで構わないかな、ユーナ」
「…え」
話が戻り、確認するように見つめられる。
半ば八つ当たりにも見えるが、次に紡がれた微かに優しさの込められた一言が、結局、由那の決断の決定打となった。
「そんな顔をしているなら、手に入れておいたほうがいいんじゃないかな。私には、そう思えるよ」
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