第二章・第一話 盟約の導01
「いたた…」
「ん? ああ。馬は乗りなれないとどうしても衝撃を吸収しきれないからね。私も習い始めた幼少の頃はよくその痛みと格闘したよ」
馬から降りた途端にもれる第一声に、しみじみと昔を思い返しているフィスフリークを見、由那は力ない笑みを返す。
出立前の数日間に指導をかって出てくれた鬼コーチ、もといエフィナのスパルタ教育で幾分かはマシになったとはいえ、やはり慣れないものは慣れない。
連日の痛みも重なって余計辛くなった腰をさすっている様子を心配そうに眺められれば、さすがの由那も返す言葉がない。
「リークさんやウィラくんは乗りなれているんですね。王族の方はてっきり馬車に乗るものだと思ってましたけど」
「地方への視察なんかで色々とね。馬車じゃ通れない場所もあるし、なにより馬の方が速さも利便性もある。ルティハルトでは馬術は貴族のたしなみの一つでもあるし。よほど優れた巫師か箱入りの令嬢でなければ乗馬の経験がないという者はいないだろう。
それに、そう頻繁にあるわけではなかったが、単騎で行動する場合も少なからずあったからね。私もウィラも身につける必要があったんだ」
「そうなんですか。身分ある方というのも、その、色々と大変そうですね」
「まあ、そうだね。でも一番はやはり、戦での遠征で役立つ技術だろう」
「…………」
そう言って顔を背けるフィスフリークが一瞬、愁いを帯びた悲しげな表情をしていた事に気付いた。
纏う雰囲気こそ変わらず穏やかだったが、口角を無理に上げた頬が僅かに引きつっているように見える。すでに俯いてしまっていて確認することは出来ないが、澄んだアズライトの瞳が悲しげに揺れていたのは気のせいだろうか。
なんとなく、そう感じた。
「フィスフリーク様。もうじきに日も暮れますし、天候もあまり良いとは言えません。今日は無理せず、この辺りで陣を張るべきではないでしょうか」
「もうひと山越えたいところだったが、そうだな。ウィラ、隊に通達を」
「は。了解しました、兄上」
なんとなく気まずい雰囲気が流れていた場の空気は、エフィナの報告によってすっかりと払拭された。彼の指示に従ったウィラルーアの指揮で、気づけば見事な陣が築かれている。
リスクード城を発って今日で5日。
そのうち、ちゃんとした宿に泊まったのは初日のロゼラの村のみ。現代人の由那も、さすがに野宿に慣れつつある。
しかし、今気になるのはそんなことではなく、何やら早く帰還するよう急かされていた風に見えたフィスフリークたち一行は、意外と穏やかな速度で西進している。最初の頃は、馬に乗りなれない由那を気遣っているのかと思っていたが、これはどうみても違う。
「リークさん。ちょっといいですか」
フィスフリークたち兄弟の護衛として付いてきている小隊をまとめる壮年の男性に二、三指示を出し、今後のことを話しているらしい会話が途切れた所を狙って話しかける。この10名ほどの隊の総責任者はフィスフリークでも、実際に隊をまとめるのは先ほど彼が話をしていた隊長格の男である。直接話したことはないが、リスクード城でギガルデンと相対した時や、彼の護衛などでちらほらと顔を合わせている。
「うん? ああ、構わないよ」
小隊長を目で見送り、小首をかしげて振り返るフィスフリーク。先ほどの表情は、もうすっかりと消えている。
ちなみに、由那が彼のことをリークと愛称で呼ぶことになったのは、言うまでもなくフィスフリークの勢いに負かされたからだ。むろん、ウィラルーアの方も同じく。
ウィラルーア本人は、由那に愛称で呼ばれることも、くん付けで呼ばれることも不満のようだが、尊敬する兄に押し切られては文句も言えない。
由那も由那で、すでに諦めている感がある。
それを分かっているのか、分かっていないのか。確実に確信犯であろうフィスフリークに、前回から主導権を握られっぱなしの由那は幾度となく出かかったため息を飲み込みながら続ける。
「急ぐ旅のように見受けられたのですけど、毎日とても穏やかに進んでいますよね。私も少しは馬に慣れてきたので、あまり気を使って頂かなくても大丈夫です。もう走らせることも出来ますし、これ以上迷惑をかけるわけには……」
「迷惑? まさか。迷惑をかけられているなんて思ったことはないよ。第一、ユーナを誘ったのは私自身なのだから。たしかに臣から少々急ぐよう催促はされているけど、切羽詰まっているわけじゃないからユーナが気に止むことじゃない。もしかして、気になっていていたのはそれ?」
「あ、いえ。もう一つお聞きしたくて。その、王都フィアノールまではあとどれくらいかかるのですか?」
カイルからもらった地図を見る限り、西進してばかりではなく、そろそろ北上しなければ王都へはたどり着けないはずだ。それを指摘するように、それとなくフィスフリークを探る。
先ほど感傷を浮かべていた表情が幻だったかのように、一分の隙も見せない横顔。それでも、醸し出す雰囲気を注意深く探ることで感じ取れるものは少なからずある。
青の双眸が、その整った顔の裏側に一体どんな思惑が隠れているのか。その華麗なる化かしを真っ向から受けて立つ。
「そうだね。馬を飛ばせば、一週間とかからない場所だ」
「………」
由那の質問に則った回答。それ以上でも以下でもなく、必要最低限を過不足なく答える。
つまり、一問一答。聞いた部分しか答えない。
徹底した警戒ぶりに、呆れ顔を隠そうとしない由那は髪をかき上げながら続ける。
「――……、どこか別のところへ向かっているように見受けられるのですけど、このまま西進してばかりでは王都へはたどり着かないと思いますが。何か特別なご予定がおありなのかと思って聞いているのですけど、違っていますか?」
この手の人間には、きちんとした言葉で問いかけなければ答が返ってこない。こちらが本音を隠して曖昧な質問をすれば、相手もまたこちらを欺こうと、まったく見当はずれの回答しか返ってこないのは経験上分かりきっている。だからこそ由那は、彼女にしては珍しく単刀直入に質問を問いかけたつもりだ。
これ以上無駄を言わせるようなら実力行使も厭わない。そう言わんばかりの嫌みを含ませた問い。これで回避できるものならばしてみろ、と挑戦的な瞳を投げかける。
じっと見つめられたフィスフリークの口角が上がる。その漆黒に答えるように、中心の色が一層深いアズライトの瞳が細められた。
「ん、まあ、そうだね。これから向かう先は王都ではないのは確かだ。寄り道程度だけど、一応予定ではラミノルへ向かうつもりだよ」
「ラミノル、ですか…?」
「!? なっ! っ、フィスフリーク様!!」
「あ、兄上!?」
由那よりも彼の側近と弟の方がリアクションが大きい。その心底驚いた様子に、これが彼の独断であることは一目瞭然だった。
「ラミノルといえば、古今東西さまざまな国から多種多様な品物が集まる商業都市、でしたっけ」
確か、レハスからルティハルト国境付近の砦まで乗せてくれた行商の男性が向かうと言っていた町の名前だ。ルティハルト東部の町の情報は、あの時に彼から詳しく教えてもらっていた。
リスクードに滞在していた期間があるとはいえ、荷馬車の移動速度からすれば、日数的にもしかしたら彼と町で会う可能性があるかもしれない。
特にこれといって不都合があるわけではないとはいえ、王族ご一行と旅をする現状は見られたくないものだ。
「っ、陛下! 一体何を考えていらっしゃるのですか!!」
わなわなと震えるエフィナ。冷静沈着な彼女は、普段このように怒りをあらわにする性格ではない。
これまで見てきた雰囲気から、彼女は由那と同じく、平静な面持ちで淡々と怒るタイプに見受けられたのだが。
しかし、そのスタンスすらものの見事に吹き飛ぶほどの怒り様。彼女がどれほどの苦労をしているかが知れる。
それはフィスフリークの掴みどころのない物腰で良く分かることだが、それよりも。今の由那には、何をおいても確認しなければならないことがあった。
陛下。
エフィナは今、確かにそう呼んでいた。
誰を、などと問うまでもない。
「へい…か……?」
ぼんやりと呟く。その瞳は信じられないものを見るようにフィスフリークを凝視する。
「ああ、そうだが。…ん? あれ、言っていなかったかな」
おや? と、穏やかに首を傾げる素振りを見せるフィスフリークに、由那はこくこくと勢いよく頷く。
そんなこと、まったく、全然、一言も、聞いてすらいない。由那は目だけで猛抗議する。あまりの驚きに言葉が出てこないのだ。
まずい。非常にまずいことこの上ない。
「リークさん…が、…ルティハルトの、国王…陛下……?」
さっと顔が青ざめる。
頬に伝う冷たい汗を感じながら、表面上は純粋に驚いた様子を辛うじて保つ。それだけの余裕があった自分をある意味感嘆しながら、冷静に事を整理しようと試みる。
浸透するまでもなく、それが厄介な事柄であることには変わりないが。
「お前、兄上の御名を聞いた時に気がつかなかったのか?」
呆れたようにウィラルーアの野次が飛ぶ。
だが、彼の横やりは実は当然ことで、ルティハルト国内外を問わずフィスフリークの名は有名なのだ。
大陸最古の巫術国家と名高いルティハルト国。その大陸の頂点とも言うべき大国の王位に、わずか9歳という幼さで就き、国をまとめ上げてきた鬼才。15年前に勃発した大陸全土にまで及んだ大戦の傷跡もまだ癒えきらない時期に即位し、しかしその爪跡を僅か一年足らずで復興に漕ぎ付けた英名は、未だ生きた伝説として語られているほどの人物。その英君たる人気は、ルティハルト国内はもとより、国外の民からの支持も厚い。
むろん、臣下からの忠義も厚く、エフィナやウィラルーアなど彼を慕う者たちも多い。その一方で、逆に若輩者が権力を有することに不満な古参共もいることにはいるが。
しかし、そんな古参連中に堂々と臆することなく渡り合う彼の姿勢が更にその人気を高めていることもあり、また迅速で的確な治世は、ルティハルトの更なる国力拡大に繋がっていると言っても過言ではない。
「どうだ。兄上は素晴らしいお方なんだぞ」
「………………………」
「ウィラ、あまりユーナをからかうんじゃない。ああ、ユーナ。私の肩書など気にしなくてもいい。私は身分や立場に縛られるのは、あまり好きではないんだ」
兄の自慢話を熱く得々と語る弟を苦笑しながら流すフィスフリーク。由那の沈黙を恐縮ととらえたらしいが、そんな普通の感情を持てる余裕など今の彼女にはなかった。
気まずい沈黙が辺りを埋め尽くす。
もっとも、由那は別の意味で、ウィラルーアに関しては気まずいとすら思っていなかったが。
「……ふぅ」
黙ったまま固まってしまった由那をちらりと見、気持ちを切り替えるように一つ息をつくとフィスフリークは彼の臣下に向き直った。由那の態度には納得していない様だが、彼はもう一つ、別の件にこだわっていたようだ。
「それより、エフィナ。私はその呼ばれ方はされたくないんだが」
茶化すように笑う。
そう言うほど気にしてはいないように見えて、ちらりと見せる一瞬の視線がすっと冷めている。
怖っ、と目に見えて引いたのは、半ば別世界へ行きかけていた由那と彼の弟だけ。その視線を直に受けているはずのエフィナは、まったくピクリとも動かない。いや。むしろ彼女の方が無表情なほどだ。
先ほどの怒り様が嘘のように、平静な面持ちで臨むエフィナ。それを見、彼女と同じスタンスを持つ由那だからこそ分かった。
これは、先ほどフィスフリークを怒鳴りつけた時よりも怒り腸煮えたぎっているということが。
「ならばフィスフリーク様。もっとご自身の立場を考えて行動なさいませ」
淡々と告げる部下の眼差しを受けても依然飄々とした様子のフィスフリークは、軽く口角を上げる。
「そうだな。いつかは配慮に入れるとしよう。しかし、それとこれとは話が別だ。さすがにラミノルを素通りはできないだろう。前々から視察はすべきだと案は持ち上がっていた事だし、少し遠回りだとしても、王宮からよりは近い寄り道だと私は思うが」
「ですが、なにも陛下ご自身が視察なさらなくともよいことでしょう」
屁理屈をこねて何としても強行しようと試みるフィスフリークに、だがエフィナとて譲らない。
ここで手綱を握らねば、どこまでも振り回されることを心得ている。それを懸念している目だ。
バチバチと睨み合い、静かにもすさまじい勢いの火花を散らす。
まさに膠着状態。
一体いつまでこの攻防が続くのか。ほんの少し前まで感じていた驚きすら吹き飛んでしまった由那は、現在の状況を冷静に考えつつ、表情は呆けた顔を張り付けながら見つめる。
ふぅ。と、なんとも間の抜けた息が漏れた。
「この件に関しては、私は慎重に指針を取るべきだと思っている。その重要性は其方も分かっているだろう、エフィナ」
思いのほか緩い声音。だが、それに反して厳しい表情を返す。
エフィナ、と再度呼ぶその深い青の瞳。見つめられた本人は、諦めたように肩を落とした。
結局、彼女が折れたのだ。
「という事で、満場一致だね」
「………」
ふっと笑う勝ち誇った微笑みに、諦めて瞳を伏せるエフィナ、唖然としたウィラルーア、そして頬を引きつらせまいと神経を注ぐ由那は、誰も反論することなく沈黙を返した。
+注意+
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