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  時の息吹 作者:立羽
第一章・第四話 リスクードの湖畔03
「お嬢さん。そろそろ国境入りだから、通行証用意しといてくれないかや」
「はい。分かりました」
 御者台で馬を操る男性が、窓から顔を覗かせる。彼はディックより上で、レハスの町長よりは幾分か若い。
 カイルがラミノルまでは行くから、と言っていたことからも分かるように、彼は行商だ。由那たちがいる荷馬車の半分に、商品と思わしき物が馬車の振動に揺られている。
 ルティハルトのラミノルという町は、古今東西さまざまな国々から多くの商品が集う商業都市の一つだ。そこへ御しに行くのだから、彼もそこそこ腕利きの行商なのだと由那は思っている。大都市での商売は、やはりベテランにならなければ読みの甘さで大損害を及ぼす可能性があるのだ。
「あの、あとどれくらいで町に着きますか?」
 荷馬車に揺られて今日で二日目。
 レハスの町からルティハルトの国境まで町は無い。つまり、この二日野宿をしている。
 野宿と言っても、男性は御者台で寝袋を敷いて寝てくれているので、由那はそのまま荷馬車の中で寝ているのだが。
 少し申し訳ないと思いながらも、男性が気にしなくともいいと言ってくれているので、それに少々甘えさせてもらっている。
「そうさなぁ。今日は国境に入った所にある兵士の宿舎で休ませてもらって、明日の夕方にはこっから一番近いロゼラっつう村に着くだろうて」
「そう…ですか」
「今日中にどこかさ着かないこともないが、そこは王族所有の土地なんでなぁ。わしらみたいな庶民は素通りする場所だて」
 美しい湖畔を囲むように、その周囲10キロは王族の土地だ。入国監査のある関門から近隣の町までを繋ぐ道も王族所有の土地に入っているため、通行料が取られる。
 一見、税を無駄に搾取しているかのように見えるが、国が管理する事で賊に狙われやすい国境付近の街道を守る役割を担っている。
 それは行商たちや、もちろん庶民にとってもありがたいことだ。金を余分に払う価値がある。
「………」
 王族所有と聞いて、いくら早く解放されたい由那でも、わざわざそんな所へ行こうなどとは思わない。由那が庶民云々だから素通りする、なんて簡単な理由ではない。
 ただでさえ人と深く関わる事を避けたい由那が、一国を担う者たちに関わろうとなど、当然するはずがない。正体がばれたらどうなるか。想像するだけで恐ろしい。
 危険な橋は決して渡らない。叩いて叩き壊す前に、まず回避。ではなく、そんなことする前に転移してとっとと逃げる。
 君子危うきに近寄らず。それが由那流だ。
「お嬢さん。関所が見えてきたぞい」
 わざわざ教えてくれる男性に、レハスの町で発行してもらった通行証を手渡した由那は、隙間から石造りの門を眺める。
 その堂々とそびえ立つ優美な造りの関門に、思わず圧倒される。
 さすがは大国ルティハルト。国境警備は万全を期しているようだ。

 馬車が近づくにつれ、門扉に控えている者たちが見えてくる。
 そこに立つ数人の男性は、全員が全員鎧姿だ。非常時ならまだしも、あれが標準の制服ならば大変そうだ。やたら重そうで、蒸れそうであり、そして脱ぎにくそうである。三重苦のそれを、少々苦い表情で見つめる。
「運搬ご苦労。通行証を拝見する」
「お願いします。こっちが私のもんで、あとこっちが荷台乗っている娘さんの許可証です」
 重々しい口調。これも訓練されているのだろう。一分の隙すらない。
 御者の男性の言葉に、いかにも堅そうな兵士が荷台に視線を向ける。それに答えるように、頭からすっぽりとフードを被ったまま、由那は軽く会釈する。
 由那の常識では、こんな不審人物はまずフードを取って確認するだろうと思う。しかし、リヴィルでは意外と素性を隠しても怪しまれないケースが多い。
 あまりにアバウト過ぎるような気もするが、それがこの世界の常識なのだ。
「よし。いいだろう。通行を許可する」
 彼らは人物を確認しただけで、積荷はまったく確認しなかった。
 そのため、息を潜めて動かなかったシャオウロウは大きな毛皮とでも判断されたのだろう。彼は不服そうだったが、問題が起こるよりは良い。
「まだ日は高いが、今日中に近隣の村へ着くのは無理だろう。宿舎は利用されるか?」
「そう思っていた次第です」
「そうか。ならば部屋に案内する。馬小屋はあちらだ。荷馬車を止めるといい」
 荷馬車から降りられたのは当然由那だけで、シャオウロウはそのまま馬車に乗ったままだ。彼には悪いが、今日一日はそこで大人しくしてもらうしかない。
 シャオウロウはどうしても目立ってしまう。由那の容姿も似たようなものだが、人外である彼は由那以上に強烈な印象を相手に与えてしまう。
 最初に馬車に乗せてもらう時も、当然、御者の男性に驚かれてしまった。
 御者の男性の場合は不可抗力だったとしても、もうこれ以上彼を人目に晒すわけにはいかない。
―――シャオ。ごめん。―――
 遠ざかる荷馬車を見つめながら、由那は心の中でシャオウロウに謝る。明日の朝はきっと機嫌が最悪に悪いだろう。
「先に案内する。付いて来られよ」
 由那の心中などまったく知らぬ兵士は、てきぱきと無駄のない先導をする。
 その無駄のない仕草にただ頷くと、由那は無言で着いていった。




 兵士に案内された部屋は、ベットに机、そして収納があるだけの実に簡素な造りの部屋だった。
 広さは6畳ほどで、ここに飾り気を施せばハンナの家で借りていた一室とほぼ同質の部屋となる。
 約2ヶ月に亘って借りていた一室とそう変わらない広さの部屋とあって、不思議と落ち着いた由那は、ベッドに腰をかけようとした瞬間、不意に感じ取った気配にはっとする。
「!? これ…は…。この気配は…!」
 肌にピリッと纏わりつく殺気。その違和感に反射的に身を固くする。
『由那!』
「シャ、シャオ?!」
 いきなり部屋の窓が開く。ここは建物の三階だ。驚くのも無理はない。
 御者の男性は由那とは別の部屋だ。そして、先ほど案内してくれた兵士も立ち去った。ここには由那しかいないので、恐らくシャオウロウの姿は誰にも見られてはいないはずだ。
 まだ日の高い明るい時間帯。
 人目を忍んでここまで来ることなど、彼には造作もない。
『由那。気づいておるか? 彼奴の気配だ』
 心底嫌そうな表情。その表情に思わず笑いそうになる。
 確かに彼らは仲が悪かったから、相当嫌なのだろう。すごい毛嫌いのしようだ。
「うん。気づいてる。どうやらこの近くにいるみたいね」
 感じた方向から、リスクードの湖畔近くにあるという王族所有の城辺りだろうか。とにかく近くにいる事は間違いない。
 不機嫌そうなシャオウロウには申し訳ないが、これは行かねばなるまい。
「すごい殺気ね。ビリビリと体に伝わってくる」
『まったくだ。何をそれほどにいきり立っておるのか…』
 彼奴は考える頭が付いておらぬから、我が考えるだけ無駄か。と、シャオウロウは憮然とした表情で嫌味を込める。
 行く前からこれでは先が思いやられる。
 そうは思いながらも、この殺気はみすみす放ってはおけまい。
 常人には影響がない程度には抑えてはいるようだが、このまま気を放出し続ければいずれ人々にも被害が及ぶ。それは避けねばならない。
「一応、御者のおじさんと兵士の人たちに一言断ってから行かないと」
 彼らになんて言い訳をしようかと頭で巡らせながら深くため息を付き、由那は荷をまとめ始める。
 荷馬車に置いてあった、レハスから持ってきた荷物は、既にシャオウロウが背負ってきている。
「せめて湯浴みくらいはしたかったわ」
 この二日間、野宿だったために体を軽く拭くことしか出来なかった。と、御者の男性はそう思っているだろう。
 実際、普通の女性ならそれくらいの手段しか取れない。しかし由那は、男性が眠りに付いた頃合を見計らい、巫術で水を呼んで体を清めていた。
 それでも、気兼ねなく入浴できる機会を逃してしまうのは惜しい。ここに留まるか否かを悩むくらいには魅力的な誘惑だ。
『由那よ。行かぬのか?』
 不純な動機で揺れている主を、心底不本意だと言わんばかりの表情をしているシャオウロウが促す。
 彼の方こそ行きたくなど無い筈だ。それでも行くべきだとこうして急かす。
「…仕方ない。行こうか」
 このチャンスを逃すのは本当に惜しいが、シャオウロウの決意に比べたら取るに足らぬこと。
 それに御者の男性と別れれば、転移だろうが何だろうが惜しみなく使えるのだから。そう考えると、今ここを出て行く事はそう悪い事じゃない。
「でも。なんて説明しようか。あー面倒くさい」
 そのまま正直にリスクードの湖畔に行くと言えば、当然不審がられる。かと言って近くに町もない。これでは理由の立てようが無い。
 散々どうするか悩んだ挙句、由那は兵士たちにシャオウロウを見せる方法を取る結論を出した。
 どうせ、王族の私有地へ向かわねばならない。ならば彼の姿を見られようが見られまいが、それは今となってはもう微々たる問題へと押しやられている。
 今はとにかく、城近くまで速やかに行く事を計算に入れ、なるべく城の使用人たちに見られないよう行動する事を考えるべきだ。
 現段階で想定されるものの中で一番最悪なのは、王族たちと出会ってしまうこと。それはなんとしても避けねばならない。
 はっきり言って、それ以外ならば何をしようが後でどうとでも操作できることだ。もはやそう開き直るしかない。
 由那はレハスの町の時と同様、巫師として通すつもりだ。シャオウロウのような優美な飼獣を連れている様を見れば、国の要人と知り合いの巫師だと思い込ませておける。それを口実にリクスードへと向かえば良い。
「さあ。行きましょう、シャオ」
 深々とフードを被り、由那はドアを開け放つ。まずは御者の男性にこれまでのお礼を告げに行く。
 カイルの余計なお節介のせいでこうなったとは言え、ろくに顔も見せない由那を、何の事情も聞かず快く運んでくれた男性だ。この二日、彼に世話になった礼はしっかりと述べてから別れるのが礼儀だろう。
 キィ、と年季の入ったドアの閉まる音と共に、由那はすぐ隣の部屋をノックした。




「お嬢さんは巫師だったんか。いやいや、驚いた」
「飼獣をつれているところを見ると、ただの巫師では無いと見受けるが。やはりリスクード城へ行くのが目的か?」
「はい。やはり近くまで来たのですから、せめて挨拶だけでも伺っておこうと思いまして」
 御者の男性の部屋を訪れた時、近隣の町の情勢でも話していたのか、先ほど由那を部屋まで案内してくれた兵士もその場にいた。
 これで二度の手間も省ける。
「あの、すみませんでした。こそこそと隠すような真似をしてしまって」
「いや。謝罪には及ばない。徳の高い方々のお知り合いともなれば、色々と事情もあるだろう」
 相変わらず無駄の無い喋り方の兵士は、それほど気にした様子は見せない。彼ならば口も堅そうなので、誰かに言いふらすような事はしないだろう。
 こうして事情を話す決意はしたものの、やはりなるべく目立つような真似はしたくない。
 その上で、事情を聞いた者が口が固いかそうでないかはとても重要な事だ。口の軽い者では、噂し甲斐のある由那の話など、すぐさま広げてしまうだろう。だからこそ、今ここにいた人物が彼で本当に良かった。
 彼も、恐らく御者の男性も、不必要に由那の話を言いふらすような人ではない。それが由那にとって唯一の救いだった。
「そういうわけで申し訳ありませんが、私はすぐにここを発たないといけません」
「では、こちらで手配をしておく。これから約一刻ほど裏門の警備を手薄になるよう手配しておこう」
「…お心遣い感謝します」
 シャオウロウの事を配慮してくれたその行動に、由那は深々と礼を告げる。
 無骨でまったく無駄のない事務的な人だが、実は思いやりのある優しい人なのだと、そう由那はひっそり胸に留めた。
「短い間だったが、お嬢さんみたいな別嬪さんと旅が出来て楽しかったよ」
「いいえ。こちらこそお世話になりました。旅の無事と、商売の成功を祈っています」
「わしもお嬢さんの旅の無事を祈っとるよ」
 軽く握手を交わし、準備をしてくると言う兵士の合図を待つ。
 そしてその後、由那たちは音もなく、掻き消えるように宿舎を後にした。


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