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  時の息吹 作者:立羽
第一章・第三話 復活の儀式11
「さて。そろそろ、本当に浄化しないとね」
 がくり、と力を失ってうな垂れているオークルードを静かに見下ろし、一つ息を付いた由那は、もう何度も中断させられていた彼の中に蓄積されている生命力の除去に取り掛かる。
 抵抗する気力は完全に削いだため、特に何の問題もなくスムーズに処置がなされる。
「思っていたより多く力を溜め込んでる。器としては限界に近いくらいに。本当になんて無茶な事を…」
 ぶつぶつと文句を言いつつ、眉間にしわを寄せている由那は、しかし。不意に暗い思考に囚われる。
 事態も収束へ向かったことで、今まで後回しにしていた問題がぶり返してきた。
「……っ」
 ピシッと、浄化を行っていた術に亀裂が走る音が鳴る。
 いけない。心を乱していたようだ。
 ぶんぶんと激しく頭を振り、どうにか邪念を振り払う。今は術に集中しなければならない。
 しかし、ずいぶん浄化の速度が遅い。いくら気が削がれていたとはいえ、そろそろ完了してもおかしくないはずなのだが。
 怪訝に思い、オークルードをまじまじと見る。と、その瞬間。由那はようやく異変に気が付いた。
「!? こ、これは…っ!」
 浄化を進めていた由那の手元。オークルードの左腕に刻まれた印の上部、心臓に近い部分から黒いモヤのようなものが発生し始める。
 確認するや否や、それは徐々に発生する速度を増し、一瞬の間にオークルードの体全体を包み込む。まるで、由那の術からオークルードを守るかのようにして。
「な、…こ、んな…こと…っ」
 今まで見たことが無いほどに顔を歪め、奥歯をきつくかみ締める。
 その悲壮な表情は、今にも泣きそうなほどだ。
「よ、くも、こんな…っ。人の、人間の命を、一体何だと思って…!」
 ドン、と強く床を叩く由那の拳は、小刻みに震えている。
 手の甲が白くなるほど強く握りしめている内側は、容赦なく爪が食い込んでいるのだろう。薄らと血のにおいが漂い出す。
 だが、それでも由那は拳を握る力を緩めはしない。それほどまでに怒り、そして悔いているのだ。
『由那』
 己の詰めの甘さに打ちひしがれている由那の背後より、よく知った声がかけられる。
 声の主はシャオウロウだ。
「………」
『? 由那。如何かしたか?』
 くぐもった声で問いかけるシャオウロウは、その口元に何か咥えている。それが誰なのか、横目で確認するまでもなく由那には分かった。
 咥えていた人物を丁寧に降ろし、シャオウロウはまったく反応を見せない由那の元へと近づく。
『由那。一体…』
 言いかけたシャオウロウの言葉が、ぴたりと止まる。しかし、止まったのはそれだけではない。
 由那に歩み寄っていたその肢体も、場の状況を理解したと同時にピクリとも動かなくなる。
 信じられないものを見るように目を見開くシャオウロウは、ゆっくりと由那に視線を戻す。一つ唾を飲み込み、再びやや低めの声を紡ぐ。
『由那よ。これは』
「ええ。死の刻印。鎮魂術を応用した、最も下劣な術」
 忌々しい物を見るように顔を歪ませる由那は、きつく瞳を閉じる。ぐっと奥歯をかみ締め、深く震えた息を吐く。
 その苦く辛そうな横顔を、同じく険しい表情で見つめるシャオウロウは、言葉を一言も発することなく見つめ続ける。あまりの事に、掛ける言葉が見つからない。
「……彼を、オークルードを救うことは、もはや不可能。
 ならばいっそ、苦痛を与えずに葬る去ることが、彼にしてあげられる唯一の救い…」
 オークルードにかけられた死の刻印。これが彼のかけたものならば、そして、ここまで進行してしまっては、さすがの由那でも取り払う事はできない。
 それを悔やむように、由那は一瞬だけ顔を背ける。その震える肩を必死に抑え込む。

「――…」
 長く深い一呼吸。それですべてを整える。
 そうして再びオークルードを見据えた由那は、一切の感情が消え、平時そのものの表情が張り付けられていた。
 気を取り直し、運命に立ち向かうように意を決して手を翳す。
『由那…』
 心配そうな声音に苦々しく微笑む。いくら平静を装い、心を落ち着けたように見せた所で、こみ上げる痛みはどうすることもできないものだ。
 正直、不甲斐なさと後悔に、由那の心は押しつぶされそうになっている。それでも、血がにじんだ手のひらをじっと見つめ直し、漏れ出た沈痛な表情を見事に消し去る。
 ようやく覚悟が決まった。
「解放せよ。我はすべての苦痛を薙ぎ祓う者。
 委ねよ。我は其の罪を受諾する者なり」
 せめて救いの死を。魔手からの解放を。
 今、由那がこの哀れな魂にしてやれることはそれしかない。
 同時に、オークルードが溜め込んだ生命力を吸い取る。これこそ最も彼の魂を蝕んでいるものに他ならない。たとえ手遅れだとしても、少しでも安らかな死を与えてやるべきだ。
 これが人の命を弄んだ者の末路。それを思うと、この結果は因果応報なものなのかもしれない。
 しかし、それでも。何か救ってやれる余地があったのでは無いか、と、どうしてもやりきれない後悔が残る。
「悔い改め、再びの目覚めがあらん事を…」
 謝ることは決してしない。それだけでは済まないものがあるのだから。


「…………」
『由那よ…』
「――…うん。行こうか。これですべて終わったし、こんな所にはもう、長居は無用だからね」
 沈んだ表情に浮かべる痛々しい笑顔。今はどんな言葉を飾っても、彼女には届かない。
 シャオウロウもそれを承知しているからこそ何も言わない。
 だが、傷ついたままではいられない事もまた、由那は十分に心得ている。
「残るは後処理だけね」
 ふう、と息を一つ吐き、頬を二、三度叩いて気合を入れなおす。
「禁忌の術はあらかた解析済みだし、こんな館は存在しない方が人々のため。私たちがここから抜け次第、破壊しちゃおうか」
 にんまりといつも以上に厄介な表情を浮かべる由那。無理をしているのが見え見えだが、シャオウロウは一つ息を付くだけで頷く。
『……由那がそれで良いならば、我に異存は無い』
「そう…。わかった」
 反論が無いことに少々拍子抜けしつつ、由那は自然に笑った。
「でも、とりあえずはそこの二人を運び出さないとね」
 ちらりと入り口付近に寝かされているフラーラを見ながら、シャオウロウを促す。由那の術で運ぶのが手っ取り早くていいが、ここはシャオウロウに頼ってもいいだろう。
 由那にはこれからこの館を、周辺の森に被害なく、かつ音も跡形も無く消し去る大仕事が残されているのだから。
「――……。さて、と。もうひと踏ん張りしないとね」
 軽く伸びをし、愁いた視線を一瞬だけ室内に残した由那は、振り返ること無く部屋を後にした。




『由那。この者の処遇は一体如何する?』
「フラーラさんと……これは、紅蓮の炎。やっぱり彼女に憑依していたのね」
『うむ。して如何する』
 館を抜け、由那が豪快にも巧みな操作で爆破、もとい消滅させた後。背に乗せていたビレフとフラーラを地面に転がしたシャオウロウは、彼らの処遇について問いかける。
 ビレフの方は既に記憶操作済みなので、後は町のためになる巫師に教育して町へと連れ帰ればいい。町の者たちには魔物を見たショックから記憶を失ったようだと説明しておけば、特に怪しまれる事もないだろう。
 それより、問題はフラーラの方だ。
 ジンに憑依されたのは恐らく彼女が森で発見された日の前夜だろうが、あれから日が多く経っている。今無理やり引き剥がせば、精神的にも肉体的にも疲労が蓄積しているフラーラは相当なダメージを追ってしまう。
 しかし、だからと言って、引き剥がさずに町へ戻すわけにもいかない。
 一番手っ取り早いのは、由那が治療術を使って彼女の疲労を癒してやることなのだが。
「治療術を使えば一番効率がいいけど…、こうも疲弊しきっているフラーラさんに更に負担をかけることはあまりしたくないのよね。でも、こればっかりは仕方ない」
 失踪者たちに術を施した時は、魔物の生命力が負担軽減に使われたが、今回は緩和剤となるものがない。オークルードに蓄積された生命力はあまりにも危険なため、すべて無に帰すしか方法が無かった。
 仔羊の時は緩和剤がなくても術を行使したが、人と獣では訳が違う。由那が乗り気しないのは最もだ。
『この者が術に耐え切れるかが命運を決める事となろうな』
「うん。危険な賭けだけど、それしか方法はなさそうね。でも、その辺は私の方でフォローを入れるから。多少体力の回復は必要になるだろうけど、命の危険は無いように加減するから大丈夫だとは思う」
 なるべくフラーラに負担が掛からないように。原因であるジンの方にその矛先をぶつけるように。細心の注意を払って事を進める。
 本当なら、シャオの攻撃のショックで気を失っているジンを起こし、自らフラーラから出て行ってもらう方が自然で最も良いが、主人を見殺しにした由那たちの言などそう素直に聞き入れるとは思えない。変質した生命力に食いつくされた彼の肉体は、術の影響もあって骨も残らなかったのだから。
 それに、紅蓮の炎も主の命とはいえ、人々を脅かす事件に加担した存在だ。この負担を憑依した張本人にぶつけるのは当然だろう。
「多少負荷を与えた方が捕らえる時に抵抗が無くて済むし、私も楽だからね」
 結局はそういうこと。
 由那は、自分に面倒がかからない最善の方法さえ取れれば良い。極論的に、今回の一件は由那には一切関係がないのだから。
 軽やかに口笛が聞こえそうな由那を見、損得を勘定する者よりもさらに厄介だと、シャオウロウは半ば呆れながら思う。
「淀みなく流るる時と共に。痛みを癒し、安寧なる安らぎを与えよ。
 穢れなき少女に憑き禍物まがものを祓い、すべての痛みを拭い去れ」
 フラーラの胸に翳した手を、詠唱と共にむんずと掴む。その手の中には、何やら透明でいて、うっすらと赤みを帯びた煙のような不思議な物体を捕らえている。
 無理やり引っ張る事はせず、自然に出てくるのを待つ。そうしなければフラーラに負担がかかってしまう。
 意識は無いため、さしたる抵抗もなく出てくるはずのそれは、案外しぶとくフラーラに留まろうとする。穏やかな方だとはいえ、無理やり引っ張り出している事には変わりないからだろうか。
「…結構しぶとい。しばらくこのままなら、私も手を考えなければならないかな」
 微笑んでいるのに、全く笑っているように見えない瞳。睨み据えるような厳しい面持ちを持って相手を射抜く。
 その途端、由那の発する威に圧倒されたのか、抵抗の力を失ったそれはするりと抜ける。少し拍子抜けだ。
『由那。如何様に処分するのだ?』
 マジュヌーンを永久に失ったジン。それだけで哀れな存在だということは良く分かる。しかし、だからと言ってこのジンの行いが罪にならないということはない。
 紅蓮の炎は人々に無用の嘆きを与えた。たとえそれが主の命であり、自ら望んだことではないとしても、行ったのだから同じ罪となる。
 このジンの罪が消えることは決して無い。だから戻す。それが一番手っ取り早い。
「記憶を消す。ビレフと同じようにね。それが彼らへの報い。禁忌の術を手助けした彼らの罪の代償」
 ただ記憶を失うだけというのは、彼らが行った所業にしてみれば温情のある軽い処置にも見える。だが、それはすべてを失う事と同義。決して軽くはない制裁だろう。
「もうすっかり夜が明けちゃったね。そろそろ帰らないと、ハンナさんたちに心配掛けちゃうね」
 館の爆破と共に、辺りを歪めていた空間もすっかりと元に戻ったようだ。月の光一つ差すことのなかった木々の間から、朝日が温かく差し込む。
 ふわぁ、と欠伸をする由那は、少し疲労の色を浮かばせる。早朝の運動にしては、少々ハード過ぎるものだったのかもしれない。
 それでもきっちり炎のジンの記憶を消し、適当なところへ無作為転移した後、フラーラの容態をしっかりと看ている。
「後はフラーラさんを家にそっと送って、ビレフを発見した事をディックさんに報告すれば、全て終わり」
 一応、フラーラからもジンに憑依されたと思わしき、『嫌な音を聞いた』と言っていた辺りの記憶等を消させてもらった。
 覚えていたら困ると言うよりは、フラーラ自身忘れた方がいい記憶だ。彼女の記憶を弄るのは少々心が痛んだが、これは仕方の無いことだ。
 一通りやるべき事を済ませ、再びシャオウロウの背に二人を乗せた由那は、ようやく歩き始める。
 向かう先は森の中だというのに、やけにその先が明るく映る。それは上り始めた陽光のせいだけではないだろう。
 温かな日差しにふっと微笑む由那は、静かに森の中を歩いていく。帰って十分な睡眠をとりたいが、たぶんそれは叶わないだろうと思いながら。


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