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  時の息吹 作者:立羽
第一章・第三話 復活の儀式09
「き、きき、きさ…貴様っ…!」
 目の前に転がしたオークルードを見つめていた由那は、不意に背後から掛けられた声に驚くでもなく振り返る。
 由那の威圧に半ば気絶し、廃人寸前で放心していたビレフが、どうやら気を持ち直したようだ。
「お、おお、オークルード様に、なな、なにを、何をしたっ!」
「………」
 場も弁えずキャンキャンと煩わしく吠える犬。
 由那の視線を解するならば、恐らくそういった心境だろう。
 そこに存在する事を後悔したくなるほどの冷たく、底冷えのする殺気。動くどころか、呼吸すらまともに出来ない恐怖。死を感じさせるほどの威圧。
 何かしようものなら、その魂の欠片すら残さず消滅させられる。そんな絶望感が満ちていた。
「!?」
 すっと、静かに由那の手がオークルードに翳される。
 当然殺すためだと思ったのだろう。恐怖に戦慄く肢体を何とか奮い立たせ、ビレフは主を庇うように由那とオークルードの間に割って入る。
 恐らく無意識の、とっさに取った行動だろう。だが、その忠誠心は恐れ入る。特に『あの』ビレフなだけに、由那もこれには驚いた。
「――はぁ…」
 きつく瞳を閉じ、大きく息を吸い込む。夜明け前の冷たい空気を胸に入れ、それをため息と共に深く深く吐く。
 そうする事で頭に上った血が冷やされ、少しは冷静な判断力が戻ってきた。もとより冷静さを欠いていたつもりは無いが、少し己を乱していたことは確かだった。
「…どいて下さい。命まで取るつもりはありません」
 先ほどより幾分か穏やかな表情で見つめる。すべてを緩めるわけにはいかないが、もう殺気は感じられない。
 しかし、それでも退こうとしないビレフに、呆れ顔を隠そうとしない由那は呟くような詠唱を紡ぐ。
「戒めの風。彼の愚者を捕らえよ」
 何とも簡単な詠唱だが、拘束力は並みのものではない。
「ぐっ…! は、離せ!」
「私は聞き分けのない愚か者は嫌いです。そのまま灰になりたくなければ大人しくしていることですね」
 さも煩わしげな視線を投げつける由那に、ビレフの『ひっ』と息を呑む声が聞こえる。だが今の由那には、それすらも鬱陶しく感じただろう。現にビレフを無視してさっさとオークルードの方へと歩み寄る。
 幾度となく中断されてしまった浄化にようやく取りかかる。
 が、どうやら少し遅かったようだ。
「無事か、ビレフ」
「オークルード様!」
「………」
 簡単なものだったとはいえ、由那の拘束をいとも簡単に破ったオークルードがそこに佇んでいる。てっきり精神をやられて廃人にでもなったと思っていたが、どうやら奴はそうさせなかったようだ。
 まったく厄介な事を、と思いつつも、由那は不敵な笑みを浮かべる。少しは気が紛れてきた。
「どうあっても禁忌の術を発動させる…という事ですか」
 軽くため息交じりの声。一瞬だけ閉ざされた漆黒の瞳が次の瞬間、ギロリと鋭利な光と共に向けられる。
 それだけで相手を射殺せそうなほど鋭い視線に、しかしオークルードは微塵も動揺を見せない。
―――少々厄介ね。憑依されていた間に力のみならず、強靭な精神力をも授けられているみたい。―――
 睨み据えたまま、現状を冷静に判断する。
 恐らくオークルードは既に人知を越えた力を手にしている。そうでなければ、ただの人間である彼が由那の殺気を受け止めきれるわけがない。それ以前に、精神崩壊をしていてもおかしくないはずなのだ。
―――でも。そうでなければ面白味がないけれど。―――
 肩をすくめる様子からは想像できないほどの勝気な思考。普通なら、境地に追いやられて慌てふためいている状況だと言うのに、この彼女はまったく動じない。動じる要因すら感じていない。
 それもそのはず。何せ最強の存在だ。
「ビレフ。暫し時間を稼げ」
「御意に」
 どうやら本格的に禁忌の術を行使するつもりらしい。
 オークルードの命に、信じられないほど忠実な了承を示したビレフに若干驚いた由那は、彼にこの場を任せて立ち去ったオークルードの行動を阻む機会を逃す。
 しかしそれもまた、彼女にとってはさしたる問題ではない。
「さて。少しは楽しませていただけるんですかね」
 素早く奥へと逃げ込んだオークルードを横目で追い、それからビレフに視線を戻す。酷薄な笑みを浮かべた、聖女の皮を被った悪魔がそこに佇む。
 どの道、彼らの記憶は後で抹消するつもりだ。今さら由那の素性がばれようがばれまいが、実にどうでもいいことである。
 すっと目を細めて薄く笑う。これで彼の運命も知れた。
「簡単に伸されないでくださいね。せめて3秒くらいは持っていただかないと…ね?」
 つまらないでしょう? と、さも愉快げに微笑む彼女こそ鬼神。もとい最恐の神。
 人の感情という物を知ったからこそ、こういう時の微笑みは十分な効力がある事を由那は理解している。幾分どころか、完膚なきまでに相手の力を削ぐ事が可能だという事も。
 主人に任されていながら逃げ腰になっているビレフを、何の感情も持たない冷ややかな瞳で見据える。由那の方がいうまでもなく背が低いのだが、完全に圧倒し、彼を見下していた。
 もはや蛇に睨まれた蛙。士気は完全に落ちているだろう。抗う気力など湧いて来はしまい。
 ガタガタと四肢が震えだしているその様に、由那はふっと纏う空気を和らげる。これならさしたる抵抗もなさそうだ。
「抗うは人の性。導くは神の御心。邪心を抱き咎人を、我は導く導。
 導は時。時は我なり。
 我は全を従えし者。時のすべてに問い、我は其の魂を救う者。
 我は其に許しを与える。世界は其に眠りを与える。
 許しは其に。眠りは魂に。永劫の時の元に、我は闇を打ち払わんとする者なり」
 長い、長い詠唱。その一言に思いを込め、丁寧に贈る。
 巫術の詠唱には決まった文句があるわけではない。言葉は力。言葉こそが唯一感情を贈ることのできるもの。由那はそう思っている。
 今はある程度法則に則った詠唱法があるとシャオウロウやティエーネなどから聞いているが、由那の言葉はすべてがオリジナル。その場の感情が詠唱の言葉となる。
 それ故に不本意な転移をしたときのような粗も然り、今のように丁寧な、寸分のたがいもない言葉も然りだ。
「命までは取りません。私は寛容ですから。
 しかし、あなたの罪は決して消えることのないもの。寛大な処置を受けるにはそれ相応の罰は覚悟の上でしょう」
 体の力を失い、がくりと倒れこむビレフに向けた言葉。何とも厳しいものだが、どうせ本人には聞こえていまい。
 由那が行ったものは、魔物の時とはまた違うもの。時の巫術の中でも高度な部類に入る術だ。
 もとより時属性はどれを取っても高度、もしくは禁忌一歩手前のものばかりだが、この忘却術もそれに含まれる。今では時属性そのものが国家級最重要機密として扱われる術なのだが、幸か不幸か由那はそれを知らない。
 とにかく、忘却術とは時属性の移動術、正確には時空移動術と言い、時間そのものを移動させる術の部類に入る。行使する者の意志で過去や未来、様々な時代への行き来が可能な術の分類に位置する。それを精神操作に応用することで、記憶を操作する忘却術となるのだ。
 由那は普段、この術の行使を自ら固く禁じているが、彼女は使い時を間違えることは決してない。
「あなたへの罰はすべての忘却。恐らく次に目覚める時、あなたは己の事も忘れているでしょうね」
 すっと表情を消し、不意に瞳を閉じた由那は深く息を吐く。
 だがそれは、ほんの束の間のことだった。
「さて、と。残るもう一人の愚か者を捕らえにいきますか」
 床に倒れているビレフを一瞥し、由那はオークルードが消えた場所を睨み据える。その先にいる彼も、このビレフ同様、無事生かしておくつもりなど毛頭無いのだ。
 静かにその口元に浮かべた笑みは、残酷なほど美しく、そしてこの上なく清らかだった。




「なにやら難航しているみたいですね。彼の力を得られなくなって気配の淀みが良くわかりますよ」
 壁に仕掛けられた術を難なく破り、由那が踏み込んだ部屋は、どうやら事のすべての中心。禁忌の術を行使するべく作られた場所。
 床に描かれた印や、壁や天井にまで飛び散った血痕。そして漂う尋常ではない空気の淀みと禍々しい邪気。これらを感じて白と言い切れる者がいるならば、いっそお目に掛かりたい。
「………」
 カツカツと音を立てて近づく足音。それに顔を歪めて迎え撃つオークルードは、無意識に術式を庇うようにして佇む。
 何とも呆れたものだ。ここまで来てなお、往生際が悪く足掻こうとするとは。
「…渡さん。貴様になど渡しはしない!」
 抱えるものは何もないが、大事な物を携えているかのように腕を庇うオークルードの左腕をふと凝視する。
 なるほど。そういうことか。
「その腕。どうやらとても重要な物のように見える」
「!!」
 冷淡な笑みを浮かべた由那に、オークルードの肩が震える。あまりにも素直すぎる反応が些か拍子抜けだが、これ以上長引かせても後々面倒だ。
 だがそれとは裏腹に、勝手にさせてみたいと思う自身の誘惑にも困ったものだ。どちらを取るか悩みあぐねている所にも。
 悩んだ挙句、結局後者を選び取った由那は、後でシャオウロウに散々文句を募られることだろう。もちろん言うまでもなく、ちゃんと上手く回避する自信はある。
 とはいえ、この選択をした事にはそれなりの理由もある。
 まず術の進行度。こうして見る限り、ビレフと遊んでいた間にかなり進んでしまっているようだ。それは由那の落ち度だが、まあ、止められる範疇なので良いだろう。
 次に術を行使する者、オークルードの侵食度。これはかなり緊急を要している。人知を越える力を得た彼は、力に驕り、徐々に崩壊しつつある。一歩間違えれば命の危機を伴うものとなる事は間違いない。
 自業自得で助ける義理もないが、手遅れになっていなければ助けるつもりだ。見る限り、これはもう絶望的だが。
「これが人々を弄んだ者が辿る末路なら、それを甘んじて受けることがあなたの償い。その道を示す手助けならば、我が力を貸してあげましょう」
 このまま自滅させる選択をした由那にも、僅かばかりだが掛けてやる慈悲の心は残っている。そんな救いの手をしかし、オークルードはものの見事に踏みにじった。
「!」
 突然の突風と共に、邪気に満ちた黒く重々しい竜巻が起こる。これは、どうやら第二段階へと突入してしまったらしい。
 さすがの由那も、これには微笑んでばかりはいられなかった。今までならば周辺に影響のない程度の被害で済むものだったが、こうなっては町にも影響が出かねないのだ。
 これは抑える必要がある。と若干の焦りからか、流れた汗が床に落ちた時、同時に彼女の嘆息もその場に落ちた。
「………」
 徐にその場にあった無骨な椅子に腰掛ける。その様子はとてもじゃないが、不本意な事態に焦っている者の行動だとは思えない。だが、それもそのはず。由那は微塵も焦ってなどいない。
 今の彼女は、事の成り行きを見るただの傍観者にすぎない。手を出す事も引く事もする様子がなくて当然だろう。
「本当に。なんて愚かな男」
 荒れ狂う室内に平静と座り、乱れる髪を気にせず由那は、その哀れな様を侮辱するように低い声で呟く。
 その皮肉った視線が指し示す先は、当然彼だ。
 暴風と尋常ではない邪気にまみれ、黒と紫の入り混じった光を放つ印。その光と呼応するように光り出した左腕をかざし、中央に立つオークルド。それを静かに見つめる由那は、特にこれといった手出しもせず、完璧な傍観を決め込んでいる。
 狂気と欲望に支配された、醜悪な欲望の渦がオークルードを包む。恐らくこれが最終段階だろう。
「ははは。はは…、はーはっはっはっは!!」
 狂い笑うその様。それをただ静観する由那は、そのまま術式が完成する時をただ静かに眺めていた。


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