帰り道に、偶然見つけた公衆電話。緑色の電話が珍しくて懐かしくて、ボックスの中に入ってみると、なんだか奇妙な電話だった。
まず、数字の順番が滅茶苦茶だった。左上から順に、二、五、六、四、七、三、一、九、〇、八。#は♭になっていて、*は+になっている。電話の置いてある棚には、白いインクで"相談窓口 蟻から象へ"と書いてあった。悪戯の域を超えている。
使えないのだろうか。そう思って、自宅の番号を押してみるが、応答は無い。長い電子音が流れるだけだった。受話器を置いて、頭を捻る。蟻から象へ。小から大へ。あまりにも安直だが、試してみようか。
ダイヤルの番号を、〇から順に押していく。
かかった。
三回のコールで誰かが出る。
「はい、こちら相談窓口」
……本当に相談窓口とやらに繋がったらしい。怖くなって受話器を置いた。
*
噂で聞いた、相談窓口。子供相談何とかと、違うんだろうか。っていうか、本当にあるのか。
学活が終わり、下駄箱に詰められたくしゃくしゃのプリントを捨てながら、私は考えていた。
いじめのこと、なんて答えるかな。先生や、カウンセラーさんみたいに、困ったような声で、同じようなことを言ってくるのかな。それとも、何も言わないのかな。ぼーっと、聞いてくれるだけならいいな。
どこにあるんだっけ。
いじめが大人たちにばれてから、もう一週間になる。なんか、ばれる前よりキツくなった。まぁ、色々あって。
相談窓口。どこの誰がやってるんだろう。
*
翌日、同じところに公衆電話はあった。
生唾を飲み込む。
試しに、聞いてみてもいいかもしれない。なんでもいい、適当に聞いてみよう。さっき買った宝くじが当たってるかどうか、とか、職場で明るく過ごすにはどうしたらいいか、とか。
俺はダイヤルの番号を、順に押した。受話器を耳に当てる。
*
お母さんは今日、お父さんと同じくらい、帰りが遅くなるそうだ。家には私一人。することがない。お腹は空いていないけれど、テーブルの上にある冷凍グラタンをオーブンに入れた。
ゲームも漫画も飽きた。もう捨てたって良い。
お父さんの書斎にある本を読んでみようかと思ったけれど、本棚を見た途端にそんな気は失せた。
インターネットもなんだかつまらない。どこを見ても似たようなサイトばっかり。暇で暇でしょうがない。どっかの真っ黒なサイトに、無気力って言葉があった。私の今の気分にぴったりだ。
オーブンの中をじっと見つめる。グラタンのチーズがキツネ色になってきた頃、電話が鳴った。
無視しようかな。
でもすぐそこにある電話のコール音がうるさくて、三回鳴るか鳴らないかのところで受話器をとった。
「はい」
*
「はい、こちら相談窓口」
分泌出来る唾液は全部飲み込んでしまったのか、口の中が乾いている。
「あのっ、俺、宝くじ買ったんですけどっ、当たりますかねっ?」
つっかえながら、なんとか言ってみたものの、受話器は答えなかった。質問が悪いのか?
「じゃ、じゃあ、生徒たちがもっと仲良くなってくれるにはどうしたら良いですかねっ」
「少々お待ちください」
返事があってホッとする自分に苦笑した。
*
「もしもし? もしもーし」
……なんだ。無言電話か。
受話器を置こうとしたとき、私は思いとどまって受話器に口を近づけた。
私ばかり嫌な気分になるのは、もう沢山だ。
深呼吸をして、一応時計を見て、両親ともまだ帰って来ないのを確認する。
*
「みんなみんな大っ嫌いだ!! 私が何をしたって言うのよ! 何が気に食わないのよ! ブスとか馬鹿とか、聞き飽きたっつーの!! 好い加減にしろー!!」
少々お待ちしてすぐ、鼓膜が破れるほどの大音量で怒鳴られた。
「な、なに?」
声からして、女の子だよな。
異常な速さで脈打つ心臓辺りを押さえながら、静かになった受話器に耳を近づける。ふー、と息をついているようだ。
「あの、何があったんですか?」
「えっ?!」
こちらが飛び上がりそうになるほど甲高い「え」だった。
*
はぁ、と息をつくと、受話器から何か聞こえてきた。
「何があったんですか?」
無言電話かと思っていたのに。あっというまに顔が熱くなった。
「別に、何もないです!」
急いで切ろうとすると、「待って待って」と焦った声が聞こえてきた。このまま切ると後味悪そうで、もう一度受話器を耳に当てる。
「なんですか」
予想以上に不機嫌な声が出た。
「いや、その……君みたいな女の子が、そんなに思い詰めてるって、よっぽどの事なんじゃないかなーっと」
いかにも頼りなさそうな雰囲気。なんだろう、変態? 切った方がいいのかな。いいんだよね。
「あの、別に、そんなんじゃないんで、切りますよ」
「ああ、えっと、はい」
素直にはいと言われても……。私は本格的に困った。学校はこういうときの対処法を教えるべきだ。いつだか配られたプリントに対処法みたいなものがあったけど、忘れた。回答例無いかな。
「……おじさんは、なんか困ってるんですか」
「え?」
「なんか悩んでるんじゃないの?」
遠くの方で「えーっと」とか「えぇー」とか言っていたが、しばらくすると探るような声で
「どうしてそう思うの?」ときた。
「なんか、弱そうな声してるから」
からかうつもりで言ったが、おじさんは「参ったなー」と、たぶん、笑った。
*
まさか相談口のお姉さんがこんなに幼い人とは。やっぱり悪戯なんだろうか。いや、でも声だけで判断するのは……アニメ声の三十路なのかも知れないし。ノリがなんとなくテレクラのようだ。だが、もしそうなら挑戦しすぎな新手で、客なんて居ないだろう。しょっぱなから怒鳴られちゃ、普通切るもんな。あれ。なんで俺は切らないんだろう。しかもなんで引き止めてるんだろう。
「あのぅ、聞いてもらえますぅ?」
しかも相談しようとしてるし。疲れてるな、俺。夢だと思って、話してみるかな。
「はぁ」
聞く気があるのかよく分からない、気の無い返事だ。
「俺、一応教師やってるんですけど、最近担当のクラスの雰囲気が悪くって」
「はぁ」
「いじめとかもあるみたいで、なんか面倒なことになってるんですよ」
「へぇ」
「なんていうか、どうして子供って仲良く出来ないんですかね。あ、いや、子供に限らず、大人でも職場で孤立する人っていますけどぉ」
「……そうなんだ」
本当に驚いているようだ。大人じゃないんだろうか。それとも、無職とか?
「いじめの方はついこの間発覚してばっかりなんで、解決の糸口さえつかめなくて。被害者の子は何も話してくれないし、マニュアル通りな台詞言っても、心を動かされるなんて、今の子供はいないですよね」
「フッ……そーですね」
……笑った? 可笑しかったかな。けど、今のは馬鹿にしたような笑い方だったな。
「どうしたらいいと思います?」
「どうしたらいいんでしょうねぇ」
*
ひたすら情け無い声のおじさんだった。大丈夫なのか、この人。
「まぁ、色々大変なんですよ」
話し疲れたのか、適当に締められた。どうせなら、私も言ってみようかな。
「私もね、学校、つまんなくって」
「やっぱり学生だったんだ」
やっぱり変態ですか、と言いそうになるのを堪える。
「いじめられっ子は、何も待ってないし、何かを待ってたりもするんです」
何言ってるのか分かんないぞ、私。受話器の向こうでおじさんも困ってるじゃない。返事が無いよ。
「なんて言うか、どうしてほしいのか催促されると、面倒って言うか。言ってもどうせ無駄じゃないのって思うんです」
「ほう」
「あれ、えーと、なんだっけ。そうだ。無言実行ってやつだ。それがいいよ」
「たとえば?」
「……うーん、そう言われると困るなぁ」
「こういうのも、こっちが適当に読み取った方がいいのかな」
なんとなく不安そうに言うおじさんが可笑しくて、笑ってしまった。
「そうそう。良い例題だったね」
「でも、どのいじめられっ子も皆そうなのかな」
む。試されてるような気分。ここはむきにならずに……
「そんなことはないよ。少なくとも、私はってこと」
「そっか」
「同い年の子が一人話しかけてくれるだけで復活する子も居れば、それだけだと逆に、影で馬鹿にしてるんじゃないかって疑う子も居る。それと同じ感じ」
「そっかそっか」
「とりあえず、子供だって大人と同じくらい、色々大変なんですよ」
わざとおじさんの口調を真似する。が、どうも彼には嫌味が通じないらしい。「そっか」と返ってきた。
「じゃ、切りますんで」
「うん、ありがとうございました」
「……こちらこそ?」
*
受話器を置いて、ボックスを出る。結局適当に相槌を打ってもらっただけだったけど、少し楽になった気がする。
振り返ると、ダイヤルの数字の位置が、変わっていた。左から順に、一、二、三、四、五……。#は#で、*は*。
本当に夢だったのかな。と首を傾げる。
*
気付くとグラタンが焦げていた。
「うわ、うっそぉ?!」
慌てて取り出すと、キツネ色が真っ黒になっているのが、蛍光灯の下ではっきりと分かった。
「あーあ」
焦げたチーズをスプーンで削りながら、電話のおじさんの会社経営が上手くいくといいな、とか、案外語ってみたら馬鹿馬鹿しかったなとか、考えていた。
明日から、また頑張ろう。 |