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神影の彷徨 作者:ゆちゃあ
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第六話 少女達 / 2



 私、小縫若菜(こぬいわかな)は何時でもあの人を見ていた。でもきっとあの人は私の視線に気づいていない。いや違う、気付いていながらも他の視線と一緒に束ねられてどこかにほっぽかれているんだろう。一色朱水は誰にでも視線を送られる程の美人だからだ。

 気だるい午後の授業をノートの右上の余白にシャーペンで意味を成さない模様を延々と描いて過ごす。私の中で価値を失った授業はそれでいても学期末には私に試練を与える。窓の下に設置されているエアコンの空気口の暗闇に目を惹かれても耳だけはとりあえず黒板の近くから発せられる音を拾い続けていた。

 鐘が鳴る。

 退屈な授業が終わったとしても退屈じゃない時間が始まるとは限らない。それが人生なのだと最近気づいた。部活をやめてから私は日に日に学生生活に魅力を感じられなくなっていった。
もっとも、部活が生甲斐であった訳ではない。本当はその部活に去年度までは存在していた人物を視界に入れる事が私の生甲斐であったのだ。その人は二年生になった途端部活をやめていってしまった。この学校では一年生は必ず部活動に参加しなくてはならないため、彼女、一色朱水はきっかり一年間だけ書道部に入部し、達筆な小筆作品を幾枚も作っては私達の憧れの視線を浴びていた。小粋に英字横書き作品を書くなど茶目っ気もあり、私達は一色さんが部室にいる間はちらちらと、たまには堂々と彼女の挙動を盗み見ては心に花を咲かせていた。しかし突然の退部の報告に私達は心の花を枯れさせるどころかその根を引き抜く事になる。その後彼女は一度たりとも部室に足を運んだ事がない。

 彼女を失った部室にはただ暗い空気が淀めいていた。

 彼女の筆を動かしている間の厳かさを持った表情も、皆でお茶をしている間の上品な微笑みも、春の優しい顔も夏の少し疲れた様な顔も秋のうとうとと眠そうな顔も冬の唇の赤さが際立った顔も……全てを、私達は、失った。

 その空気に耐えかねて新学年早々に部活をやめる部員がちらほらと現れ、その流れに私も乗った。確かに部員の大部分は彼女と同じ時を過ごしたいと思って部活に入ってきた人達であったし、そのほとんどが今は部員名簿に名前が載っていない。しかし私の様に彼女よりも先に入部しており、本気で書を愉しんでいた部員ですら、彼女の消失による心の穴を埋められる事が出来ずに部室から離れていったのだった。書道部ができて以来、最も部員数を確保した去年度はテニス部を超えるマンモス部活となり、放課後に残っている生徒の四分の一が書道部であるとさえ言われていた。しかし今では部員数は両手で数えられる程らしい。
 それ程に彼女の影響は大きかった。

 鞄に荷物を仕舞い、両隣に座っている友達にさよならをして教室を出る。そして既に教室の前にいた同じく書道部をやめた親友達と合流する。彼女達も一色さんよりも先に入部していたが私と同じく耐えきれずに逃げ出した口だった。
 すると突然廊下にいた皆の視線が一か所に集まった。その注目の的は言うまでも無く彼女だった。皆は口ではそれぞれの会話を楽しんでいたが、目と頭では一色さんを追っている。彼女は歩く百合の花、つまりあの有名な、立てば芍薬から始まる文句その物だった。

 いつも彼女は独りだった。

 教室でも部室でも特別教室でも、彼女の横には必ず誰かがいた。だがそれは友達と呼べる間柄では無く、彼女の横にいるのは取り巻きとされていた。冷たい訳じゃない、無口な訳じゃない、笑わない訳じゃない、それなのに彼女には誰にも近づかせない何かがあった。

 今も独り、廊下を歩く。

 声をかける廊下の生徒達、それに応え笑顔と挨拶を振りまく一色朱水。それはいつもの光景であった。そして彼女は書道部の部室がある階上へと向かわずに昇降口へと下りていく。私はちらりと窓の向こうの校門を見る。そこには毎日停まっている、知識が浅い私でも高級と分かる黒塗りの車がやはり存在していた。一色さんの家の車らしく、毎日彼女はその車へ乗り込んで消えていく。
 廊下の生徒は再びそれぞれの話に集中し始め、口と足がばらばらに動き始める。私達も放課後に何処へ遊びに行くかという話を始め、駅前のクレープ屋に行こうという結論に至る。
まだ生徒の多い廊下をどのクレープを食べるかという議論をして歩いていると大きな物音が立った。再び皆の視線が一か所に集まる。見知らぬ女生徒が自分で落とした沢山の本を慌てて拾っていた。一番近くにいた私が手を貸そうと足を踏み出すが、その時には女生徒は恥ずかしさ故の迅速さで本を集め終えてしまった。顔を胸にある本の山へと向け誰にも視線を送ることなく彼女は立ち去る。親友達は彼女が誰だか分かるかと口々に質問し合うが誰もその名を答えられなかった。私も知らないと答える。この廊下にいたのだから同じ二年生であろうが誰も彼女を知らなかった。しかしそれは些細な話題、直ぐに他の話題へと移ろう。そんな事よりも小腹を空かした女子高生はクレープの甘さの方が興味を持てるのだ。

 食堂にある自販機前でジュース片手にお喋りを終えた後、昇降口にてローファーに履き替えると、私の横で下駄箱の蓋が開く音がした。その人物をチラリと見て私は驚きに持っていた上履きを落としてしまう。

 それは先程の女生徒であった。
 そんなはずはないと何度も確認するが、やはり廊下で本を落とした彼女だった。
 つまり彼女はクラスメイトであったのだ。

 いくらなんでもこの時期になって顔も覚えていない生徒がいるはずがない。しかし現に私は今隣にいる生徒の名前どころか顔も知らない。驚きのあまり最初コソコソとしていた視線はついにじっくりとした物に変わってしまい、靴を履き替えた女生徒と目があってしまった。彼女は先程と違って直ぐに視線を逸らす様な事は無く、私の奇妙な目線をしっかりと受け止めて小首を傾げた。その瞳に見返された私の体は不思議な事に力を奪われ、よろよろと下駄箱に寄り掛かってしまう。彼女はそんな私を尻目に小さくさよならと言って昇降口から出ていった。
 私がなかなか昇降口から出てこない事を心配に思った親友達が下駄箱に寄り掛かっている私を見つけると、吐き気でも催していると勘違いしたのか背中を優しく摩ってくれた。その心地好さに心を湿らせている中、私は女生徒の下駄箱に書かれている名前を確認した。

 尼土有、それが女生徒の名前だった。





 長い間行列に並びはしたが、それに見合う美味しいクレープを食べて満足した私達はそれぞれの帰路につく。まだブレザーを着ていても汗ばむ程ではないにしろ日は確実に私を照らし続け、歩く気力を削いでくる。せめて涼みつつ進もうと、思いつく限りの寄り道ポイントを脳内で列挙し、その道順を考えつく。そう言えばもう5月、校則で認められた衣替えの季節だ。この暑苦しいブレザーから解放される日が既に訪れていたのだった。朝はまだ寒かったため衣替えの事を完全に忘れていたのか。
来たる快適な日々を思いつつも暑くなる体をずりずりと運んでいると、再び彼女と出会った。彼女、一色朱水はやはり独りだった。


 人は誰でも自分が特別な存在である事を望む。自分が怪力の持ち主であらゆる敵を投げ飛ばす妄想、学校中の異性が自分を好きになるという妄想、ある日突然自分に何かしらの特殊な力が目覚め謎の組織との戦いに巻き込まれるという妄想、そんなあり得ないと言いきれるものだったり、大人が夢見る様な現実に近い妄想だったり。誰もが思い浮かべ、そしてその内の幾人かはその妄想を口外する。絵にしたり文にしたりする人も跡を絶たない。

 私にもその様な欲がある。
 一色朱水の初めての友達になる事だ。
 彼女は何時も独り。
 そんな彼女が選ぶ友達はさぞや特別な存在なのだろう。

 自分でも厭らしい考えだという事は分かっていた。彼女と友達になりたいというよりも、彼女の友達という特別な存在になりたいのだ。彼女に近づきたいのではなく、彼女と同等の扱いを受けたいのだった。いつもどんな時でも視線を集める彼女は何時しか私の欲の形になっていた。いつも独りでいる彼女が選ぶ最初の友達、それが私だという妄想を何度繰り返したか。
 私だけがこんな考えをしているとは思えない。でも皆口にしないから分からない。
分かっている、こんな事を口にしたら白い目で見られるに決まっている。
でも分かっている、皆同じような事考えている筈だって。だから皆の視線が集まるんだから。

 一色朱水に近づきたい人間は、彼女の心よりも、彼女の隣という地位が欲しいんだ。

 だけど私に憧れの心が無い訳ではない。彼女の隣と言う地位が勿論欲しいが、彼女の心も欲しいという気持ちも少なからずある。あまりに容姿が端麗だから普通に仲良くなるという発想が持ち辛いのだった。違う生き物、そんな考えすら浮かぶ始末だった。

 一色朱水は今も独り。

 これはチャンスではないか?

 例え声をかけたとしても私と彼女以外その事を知る事は無いのだから。

 例え失敗して変な印象を与えてしまっても、彼女は誰にも言いふらしたりしない。

 だってそんな相手すらいないんだから。



 勢いというのは怖い物だった。乾いた口を何とか開き彼女の下へと速足で向かう。誰もいない、二つの意味であるこの言葉が私を突き動かした。

 一色さん、こんな所でどうしたの?

 そう、声をかけるつもりだった。

 しかし彼女のおかしな様子に気づき私の足は止まった。

 彼女は止まっていた。

 横から見る彼女の顔は、今彼女の心をどんな感情が支配しているかが分かるものだった。

 彼女は視線の先にある何かに見惚れていた。

 私も彼女の先にある物を確認する。

 それは先程の女生徒、尼土有であった。

 一色朱水は熱い視線を本屋の前にいる尼土有に送っていた。




 私の頬には何故か涙が流れていた。





実験回1。皆さんにとっては普通の事、私にとってはチャレンジ。かぎかっこを使わないという物。
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