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神影の彷徨 作者:ゆちゃあ
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第五話 貴女と私 / 1




 ねえ有、貴方は知ってる?

 人間は見た情報を確実に保存することは出来ないのよ。

 どうやっているかですって?

 簡単よ、「きっとこういう景色だった」って勝手に想像しているだけなの。

 だから同時に見た物でも一方だけを情報として抽出できたりするの。

 貴方も経験したこと無いかしら?

 状況記憶の中では目の前に二人の人がいたはずなのに、片方の人の姿だけを忠実に覚えているって事とか。

 それはね、もう一方の人を想像するだけの情報を貴方が取り入れなかったからなのよ。

 それはつまりその存在を理解しようとしなかったって事。

 ふふ、やっぱりあるのね。

 ねえ、私の可愛い有。

 貴方、自分の顔を思い出せるかしら?

 そう、そうよね。

 貴方は自分の顔を思い出せないわよね。

 私も同じよ。

 でもね私は貴方の顔だけは確実に思い出せるの。

 どうしてですって?

 おかしな事言うのね。

 毎日顔を合わせているのだから当然よ。

 それに好きな人の顔は覚えられるものでしょ?

 ふふ、恥ずかしがらなくても良いのよ。

 ねえ有……貴方は私が護るわ。

 そう、絶対に……。

 だからね、貴方も私を守って……。





 小さなドアのノック音で目が覚めた。それは起きている人間には届いても寝ている人間には届きそうにない程小さかった。それでも私の耳には届いてしまったんだ。だって昨日の夜に期待して布団に入ったんだから。
「尼土様、お時間です」
 もう一度小さくコンコンとノックの音が鳴ると数秒間だけ無音の時が訪れる。
「…………失礼します」
 その言葉と共にドアがゆっくりと開かれた。
 そこにいたのは何処か楽しげな椒ちゃんだった。でも私と目が合うと直ぐにいつもの機嫌が悪そうな顔になった。
「起きていられたのですか」
「うん、おはよう椒ちゃん」
「ええ、おはようございます」
 椒ちゃんは私が黙っていたのがどうも気にくわないらしい。

 多分さっきの顔を見られたのが嫌なのかな。

「今日も良い天気だね」
「……まだカーテンが閉まっているのによくお分かりになりますね」
 話題転換のための苦しまぎれな言葉に椒ちゃんは呆れたような態度を見せてカーテンを開く。長方形の窓枠いっぱいに朝の白い光が降りかかっていた。その光を見るだけで私は目がぱっちりと覚める。
「まあ尼土様の仰るとおり今日はよい天気なのでその戯れ言も許しましょう」
 外を見る椒ちゃんの横顔は差し込む日差しの力を得てか、いつも以上に綺麗だった。いつも通りの髪型にいつも通りのメイド服、しかし一つ違うのは、いや、本当だったら違っているはずだったものがあったんだ。
「ねえ椒ちゃん、昨日の約束忘れちゃった?」
 私の言葉が指す物が分からないのか椒ちゃんは軽く首を傾げる。
「『尼土様』は禁止って言ったよね?」
「…………本気だったんですか」
 はい、本気です。全く、何を言っているんだい椒ちゃんってば! お姉さんはね、それを楽しみにしてこの朝を迎えたんよ!
「勿論だよ〜。後、約束忘れたらお願い聞いてくれるとも言ったよね?」
「言いましたっけ?」
「言ったよ!」
 椒ちゃんはとぼけているようだけど、昨日お互いに約束事を決め合ったのだから、その約束を破ったときの罰として決められた「願いを出来るだけ叶える」という約束も有効だ。
「分かりました。尼土様は何がお望みですか?」
やっぱり覚えていたみたいで、あっさりと納得してくれた。
「ほらまた」
「……有様は何がお望みですか?」
「そうだな……」
 う〜ん、実は何も考えてなかった。椒ちゃんは徹底して約束を守ると思っていたから冗談で言っただけだったんだもん。
私の言葉を今か今かと待ちわびて、ちらちらと覗くその目の下にあるぷっくりとした唇を見て私はナイスでグッドな考えを思いついた。
「そうだ、おはようのチューでもお願いしようかな」
「…………本気ですか?」
 勿論! っと首を縦に振って表現する。椒ちゃんの眉がほんの少し吊りあがった。
「御主人様に報告しますよ?」
「う、それはちょっと……」
 非常に不味い気がする。いや、椒ちゃん相手なら朱水も許してくれそうだけどそれでも少しの間不機嫌になる姿が目に見えていた。
「それに人間の口は雑菌だらけで、睡眠中に口の中でどんどん増えるんですよ? そんな口に私がキスをしろと?」
 椒ちゃんは私を叱るように一本指を立てる。その勢いを見たなら椒ちゃんを知らない人は間違いなく拒絶していると思うだろう。でも私みたいに椒ちゃんを少しでも理解している(自称だけどね)者にしたらこの椒ちゃんの言葉はただの上辺だけの言葉だってことくらい簡単にわかるんだ。
「私、別に口にしてとか言ってないよ?」
「……そうですね。早とちりだったって事は認めます。でもしませんよ」
「そっか……残念……」
 わざとらしく落ち込んでみる。椒ちゃんにはこの攻撃が一番有効だと言うことを既に私は知っていたりする。するとやはり椒ちゃんは大きく揺らいだ。因みに今の椒ちゃんの頭の中は絶対にこういう考えが巡っているはずだ。『私はしたくありませんけど有様が酷く残念がるため、仕方なくです』ってね。上辺の言葉を飛び越えられる踏み台を用意してあげれば椒ちゃんは結構簡単に越えてくれるんだ。
「……分かりました。ほっぺだけですよ?」
「うん!」
 頬を赤らめてすっごく可愛くなった椒ちゃんはベッドの上にいる私の横へとふわりと座った。私の肩にそっと顎を乗せ、腕をぎゅっと掴む。
(ほっぺ! ほっぺ? ほっぺですよ! 椒ちゃんってば可愛すぎるよ!)
 小さな呼吸と共に漂う椒ちゃんの匂いに鼻血が出そうになるのを必死に抑えて何とか平常心を保とうと頑張る。頭がこれ以上熱くなったらきっと椒ちゃんを押し倒しちゃって抱きついちゃうかも知れないから。
「目……閉じてください」
「う、うん」
「御主人様には内緒ですよ」
「勿論だよ」
 頬に少し湿った柔らかい椒ちゃんの唇がちょっとだけ触れる。
「……これで良いですね」
 直ぐに離れてしまったが唇が触れたとこだけがとんでもなく熱い。
「私はもう下に行きますからね」
 少し目が涙ぐんだ椒ちゃんが困ったような恥ずかしいようなそんな顔をして言うものだから、嬉しさのあまり言葉を発せられなくなった私はただただ頷くしかできなかった。
「早く着替えて下さいよ。後……」
 椒ちゃんは私をちらちらと見ながらぼそぼそと呟く。
「もう少しはだけにくい寝間着にした方が宜しいかと」
 椒ちゃんの目線の先を見るとそこにはぱっかりと開かれた私の胸元があった。椒ちゃんに気を取られていて自分の姿に注意できていなかったようだ。
「う、うん」
 私の返事を確認した椒ちゃんはメイド服の皺を正してドアへと歩いていった。
「ではまた後で」
 しっかりと丁寧なお辞儀をして椒ちゃんはドアを閉めた。

 私はクラクラと上せた頭を支えきれずに再びベッドへ崩れ落ちてしまう。丸めた布団を抱くようにして何とか椒ちゃんへの抱きつき欲を誤魔化してみた。
「あ〜も〜可愛すぎるよ〜。どうしよう、私この生活に耐えられるかな」


 この前の三連休以降、椒ちゃんは私の家に住むようになった。
 叔母さんは椒ちゃんについてあまり探求せず、簡単に了承してくれた。多分私達の雰囲気から何かを感じ取っていたのかな? あの笑顔の中に大人の余裕を見た気がするもん。
 さっきのことはこれが理由だったりする。この家には「尼土様」に該当する名字の人物が二人住んでいるのだから名前で呼んで貰わないと困る。それに気付いたのは昨日で、ついでだからと色々と約束事を決めたんだ。
(と、言ったところで本音は勿論椒ちゃんに名前で呼んで貰いたかっただけなんだけどね)
 こじつけているわけでもないのであの時椒ちゃんはちゃんと頷いていた。
(なのに忘れるなんて……もしかしてわざと? 私にお願いしてもらうため……な分けないか)
 自意識過剰にも程があるね。我ながら反省猛省。


 リビングに入ると既にテーブルに二人とも着いていた。
「有ちゃんおはよう」
 いつものように手を軽く振って叔母さんは挨拶をしてくれた。
「おはようございます」
 私もいつものように返す。

 叔母さんの名前は尼土 志保里(しおり)、私の母親という人物の妹だ。叔母さんは多分魔のことについて何も知らない。一度もその様なことを示す言葉を叔母さんの口から聞いたことがないし、普通の人間としか思えなかった。

「おはようございます」
 椒ちゃんもポテトサラダを分ける手を止め二度目の挨拶をしてくれた。
「うん、おはよっ」
「ふふ、今日のサラダは椒ちゃんの手料理よ〜」
「え、ホント?」
「は、はい。お口に合うか……」
「合う合う。絶対合うよ! 椒ちゃんの手料理だもん、むしろ口を合わすよ」
 椒ちゃんはこの家に来てから少しずつ料理を覚えていった。叔母さんに教えて貰っているようだ。たまに私も教えるが教官としては圧倒的に叔母さんの方が優れているため叔母さんが教える事の方が多い。椒ちゃんは叔母さんに教わっている間よく楽しそうにしていた。
「ほら、有ちゃんも席に着いて」
「は〜い」
 椒ちゃんが分けてくれたポテトサラダの小鉢を受け取って自分のいつもの席とその横に置く。
 座る席はいつも同じで私と叔母さんが対面する形だったのだが、椒ちゃんが来てから叔母さんの左に椒ちゃんが座るようになっている。あ、私から見たら右になるのかな?
 そうなった理由は叔母さんが「こんな可愛い子私の横以外許さない」って駄々を捏ねたからだ。全く、いい歳なんだから駄々なんて捏ねないで欲しいよ。みっともないと言うより見てるこっちが恥ずかしくなる。

 3人で「頂きます」の挨拶をしようとした時に椒ちゃんが席を立った。
「あら、もう来たの?」
 椒ちゃんは叔母さんの問いに頷くと玄関へと向かっていった。その間にチャイムが鳴る。
「椒ちゃんって凄い子ね〜。忍者とかじゃないの?」
 叔母さんは自分の言葉にクスリと笑う。あながち間違っていない気がするから私は取り敢えず同意の意を示しておいた。

 玄関が開く音がすると、次にドタドタと廊下を走る音がし、そして最後に制服姿の由音ちゃんが元気よく登場する。
 これも最近の日常である。
 由音ちゃんは本当に私の家が直ぐそこであるアパートに引っ越して来て、最近は殆ど毎日朝食を共にしている。最初の頃は朝食を三人だけでとっていたが叔母さんが誘ってくれたおかげで食卓が更に賑やかになったのだ。実は政府公認で学校に行く必要も無いらしいのだけれど、体裁のために以前通っていた学校の制服を着ている様だ。
「おはようございます!」
「あら、おはよう」
「由音ちゃんおはよ〜」
 由音ちゃんは元気よく挨拶をする。
「今日は早かったわね。いつもはもうちょっと遅いのに」
「いや〜珍しく起きられて。本当は毎日戴きますの挨拶の前に来たいんっすけどね」
 頭を掻きながら照れ笑う。
 普段は由音ちゃんってばお寝坊さん気味なので食事は先に3人だけで始める形になっている。最初の頃は待っていたりもしたのだけれど遅刻ギリギリになることが二日連続したために今の形になった。
「取り敢えず退いていただけませんか?」
 入り口を塞ぐようになっている由音ちゃんの後ろで椒ちゃんが呆れたように言う。
「おっと御免なさいっす」
 由音ちゃんは素直に言葉に従い、私の隣に座った。
 椒ちゃんも静かに自分の定位置となっている席に座る。ちなみに由音ちゃんと椒ちゃんが対面するような席位置だ。つまり私の右手側に由音ちゃんが座っている。二対二で御見合っている感じと言えば分かりやすいか。
「なら珍しく四人で言えるわね。じゃあせ〜のっ」
 叔母さんが合図するとみんな口々に「戴きます」と言って各自のご飯に箸を付けた。

「そう言えば二人とも朝は洋食だったんですってね」
「洋食と言っても自分は焼いたトーストにマーガリン塗った奴と牛乳だけっすけどね」
「菅江様、トーストを焼くという表現はおかしいですよ」
 椒ちゃんは相変わらず由音ちゃんには手厳しい。
「私達の屋敷では朝は洋食となっております」
 椒ちゃんは焼き鮭の小骨と箸で格闘している所為で顔をしかめながらも答える。

 ちなみに本来椒ちゃんは食事をとる必要はないらしい。だけど流石に何も食べていないと叔母さんが不思議に思うだろうから食べて貰う事にしている。一応臓器の種類は人間の体と同じだから食べることは出来るらしい。

「悪いわね、この家だと朝は和食と決まっているのよ」
 叔母さんはこの食事が楽しくてしょうがないようで、さっきから私達三人を忙しなく見回していた。
「いえ、この様な朝食も趣があって楽しいです。それに志保里様の手料理は本当に美味しいので大好きです」
「自分も大好きっす!」
 椒ちゃんと由音ちゃんの返答に気をよくしたようで、いつも素敵な可愛い垂れ目が更に垂れていた。
「由音ちゃんはその朝食でお腹持つの?」
 普段しっかり食べてる私からしたら由音ちゃんの朝食メニューがとても少なく思えてしょうがない。食パン一枚だけでよくお昼まで持つもんだ。というかそんな食事でその胸ですか……お姉さんが今まで摂ってきた栄養はどうして由音ちゃんみたいにしてくれなかったんかね。
「結構平気っすよ!」
 由音ちゃんは元気よく答える。その頬にはご飯粒が幾つか張り付いていた。
「菅江様、みっともないですよ」
 そう言って椒ちゃんが苦笑しながらそのご飯粒をとって焼き鮭が載ってる皿に置いた。由音ちゃんもさり気なく顎を出して取りやすいようにしていた。
 流石に椒ちゃんは取った米粒を食べたりはしないがその行動は凄く意外だった。
(珍しい……椒ちゃんが由音ちゃんにあんな事するなんて)
 こうしてみると二人は年が近い姉妹みたいだ。近すぎて仲がギクシャクしてるとかそんな感じ。性格的にお姉さんは椒ちゃんかな?
「はい? 私の顔にも付いていたりしますか?」
 椒ちゃんは私の視線にてっきり自分の顔にもご飯粒が付いていると勘違いしたようで、自分の頬を手の甲でぐりぐり拭った。
「うんにゃ、付いてないよ」
「はあ……」
 不思議がるが直ぐまた再びの鮭との格闘に戻った。本当に無意識にやったんだろうな〜。
「うふ、んふふふふふふ」
 叔母さんも同じ事考えたのだろうか、凄く楽しそうだ。
「ちょ、叔母さん、口からお米吹いてますよ」
「あらあら御免なさい」
 叔母さんったらほんと若々しいというか、凄く一緒にいて楽しい人なんだけど、たまには大人なりに落ち着きを持って欲しい。
「こんな可愛い子達と一緒に食卓を囲めるなんて最高ね〜。おばさん生きてて良かったわ」
「私は可愛くないですかそーですか」
「いやねぇ。有ちゃんもすっごくプリチーよ!」
「……プリティです」
 椒ちゃんが何故か叔母さんの言葉を後追いする。
「はいはい。一応そう言うことにしときますよ」
「本当よ〜」
 叔母さんはわざとらしく涙声になる。ほんと、幼い人だ。でもそこが良いのかもね。

 私がこの家に来た頃の記憶は何故かほとんど無い。多分私の力がそうさせているんだろうけど。だからいつの間にかここに住んでいるって言う感覚なのかな?  
 叔母さんの陽気な性格のおかげで私達は仲良く生活してきた。だから直接の親子ではなくとも何ら苦痛無く、楽しい生活を送ってこられた。これって結構幸せな事だと思うんだ。

「そういえば由音ちゃんって中学生で良いのかしら?」
 叔母さんはご飯を一生懸命口に詰めてる由音ちゃんに訊いた。そう言えば私も直接本人に訊いた事が無かった。口に詰まりに詰まったご飯をよく噛んで飲みこんでから由音ちゃんは答える。
「いえ、高校生ですよ」
「え? そうだったの?」
 意外だ。私もてっきり中学生だと思っていたよ。あれ、でも前に矢岩君から十三歳って聞いたはずなんだけどな〜。
「はい。高校生っす」
「あらあら、私ってば失礼なことを」
「いえいえ。よく間違えられるんで慣れてるっす」
 由音ちゃんは手をおばさんみたいに振って笑う。その姿を椒ちゃんは訝しげな目で見ていた。私にもそれとなくわかる。今の由音ちゃんは何かを隠してる。いつもの顔じゃなくて何処か辛そうな、そう、この前一緒にお風呂に入ったときに見せていた直ぐにでも壊れそうな笑顔と同じ顔をしていた。
「小母様は何のお仕事をなさっているんすか?」
 椒ちゃんの目線に気付いたのか由音ちゃんは慌てて話を変えた。
「う〜ん、言って分かるかしら? 皆がね、安全に過ごせるように頑張る仕事よ」
 私も同じ事を訊いた時に今と同じ答えを返されたっけ。何故か叔母さんは仕事を教えてくれないのだった。
「へぇ。なら社会にとって重要な仕事なんですね」
「そうね〜。結構大事かもね〜」
 叔母さんはくすくすと笑う。何が楽しいのだろう?
「椒ちゃんは朱水ちゃんのお屋敷のお手伝いさんをやっているのよね?」
「はい。一色家でお仕事をさせて貰っています」
 本当は微妙に違うんだけど話がややこしくなるから叔母さんにはそうやって誤魔化しておいた。
「いきなり現れた時にそんなお洋服着ているのだもの。私驚いちゃったわ」
 確かに普通は驚くと思うかな。だって椒ちゃんはいつでもこのメイド服を着ているんだもの。この前一緒に学校まで歩いていった時なんてみんなの視線集めていて結構恥ずかしかったものさね。椒ちゃんの方は全然恥ずかしそうには見えなかったけどね。
「この服に私は誇りを持っていますので服を替える気はありません」
「……」
「…………」
「………………」
「……あの、同じ服を何枚も持っているので着替えてはいますよ?」
「だ、だよねー」
 皆が皆同じ事を考えたのだろう。誰も口に物を運ばなくなったのを不審に思った椒ちゃんが真実を明かしてくれた。
「当たり前ですよ」
 椒ちゃんはちょっぴりいじけたように口を尖らせながらやっと小骨を取り終えた鮭を箸で割った。
「あらこんな時間。おばさんはちょっと早く出て行かなくちゃいけないからもう失礼するわね」
「そうなんですか? 行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃいませ」
「行ってらっしゃいませ!」
 椒ちゃんは丁寧に一礼して、由音ちゃんは元気一杯に手を振って叔母さんを送り出す。
「私達もそろそろ食べ終わらなきゃね」
 私達の余裕も残り僅かだった。既に食べ終わっていても良い時間だっていうのにこうも遅いのは、きっと四人全員が最初から揃っているのが嬉しくて仕方がなかったからだと思う。みんな嬉しくていっぱい喋っちゃったから口に物が入らなかったんだよね。
「ん、終わり。んじゃ二人は歯磨いてきてね」
 いつもの習慣で私が使い終わった食器を運ぶ係だ。
「いえ、私は先に有様の制服をアイロンがけしておきます」
 椒ちゃんはご馳走様と言った後、一礼して二階へと上がっていった。
「有君、流石に歯は一緒に磨けないっすよ」
「……ああそうか」
 同じ洗面台だと二人で歯は磨けないよね。いつもは微妙に時間がずれてるからすっかり忘れてたよ。
「じゃあ由音ちゃんが先にどうぞ」
「は〜い」
 由音ちゃんは元気いっぱいでリビングを出て行った。

 本当に、あの時と違って凄く好い表情をしてくれる。お風呂での由音ちゃんは今にも泡となって消えてしまいそうなほど儚げだった。あの後椒ちゃんに言われて隠れていたのに、「仕事っす」と言い捨てて一人で出て行った時は、その背中をもう二度と見られないかと思ってしまう程霞んで見えたものだった。



「よし。戸締まりも良いね?」
 玄関でお互いの仕事の報告を交わす。これも日課となっていた。
「はい。全て施錠済みです」
「ガスと蛇口は?」
「確認したっす」
 やっぱり3人もいると出かけ際のチェックは簡単で良い。これが一人だと結構時間を食うんだよね。
「よし、じゃあ行こっか」
「はいっす」
「お二人とも気を付けて」
 玄関で二手に分かれる。私と由音ちゃんは学校へ、椒ちゃんは朱水の家へ。

 椒ちゃんは朝と夜は私の家にいるが、私が休みの時以外は昼の間朱水の家でお仕事をしている。本当は朱水はしなくて良いと言ったのだけれど椒ちゃんがやると言って頑として聞かなかったらしい。何か、椒ちゃんらしい。

「行ってきま〜す」
「行ってくるっす」
 私達二人は玄関で手を振り続けてくれている椒ちゃんに別れを告げて学校へと歩き始めた。
「ねえねえ有君」

 家から学校は由音ちゃんが私に付いていてくれることになっている。彼女は割りとお寝坊さんだけど一応毎日この時間にだけは間に合っている。朱水にああ言った手前流石にここで遅刻は出来ないらしい。

「なあに?」
 由音ちゃんの表情に釣られ私もつい頬が緩んでしまう。

 椒ちゃんは相変わらず微かに不機嫌そうな表情を作っているけど、由音ちゃんは常にニコニコしている。

「今日は有君にとって良いことがあるっすよ」
「へえ、何かな?」
「学校に行けば分かるっす」
 あやー、そんな言い方だとお姉さんでもばっちり分かっちゃうんよ~。
「……何というか、察しが余程悪い人じゃないと今の言葉で大体分かっちゃうよね」
 もしかしてさっきの高校生発言ってこの事だったのかな。変に心配した私が馬鹿みたいだ。いや、何も無かったんだもの、喜ばしい事かな。
「あー、もっと言葉を選べば良かったっすね」
 早い段階でばれてしまった所為で少しショックを受けてる由音ちゃん。何か可愛い。
「そっかそっか。でも制服はどうするの?」
 今着てるのは違う学校の制服、そりゃ数日は他校の制服でもいられるだろうけどやはり新しいクラスに溶け込む際に障害になってしまう傾向があるために早い段階で指定の制服は欲しいものなのだ。
「もうとっくに注文済みっす」
 おお早い。流石引越準備は万全と豪語するわけだ。
「実はもう持ってたり」
 そう言って鞄のファスナーを開ける。そこにはちゃっかり私の学校の指定制服が入っていた。どおりでいつも以上に鞄がパンパンなわけだ。
 多分私を驚かそうとして最初から制服を着るのは止めたのだろう。
 詰めが甘いよ由音ちゃん!

「なら今日のお昼に制服姿見せてよ」
「いいっすよ。教室に向かえば良いんですか?」
「ううん。私達はいつも屋上で食事してるから屋上に来てよ。屋上へ行ける校舎は一つしかないから迷わないと思うよ」
 だけど由音ちゃんの顔が固まる。
「ん? もしかして高いところ苦手だったりする?」
 あんなに自分を売っていたのにそんな弱点があるのだったら少し間抜けだ。でもそれはそれで何かかわいげがあって良い。
「……達っすか?」
「ん? あ、まさか由音ちゃんってば朱水の事忘れてたの?」
 どうやら図星だったらしい。由音ちゃんは頭を抱えて悩み始める。
「うう……折角楽しい昼食になると思ったのに。鬼神さんの目の前だったなんて」
 朱水の前だと緊張して食事が出来ないのかな? でもこの前夕食に誘われたときはバクバクと朱水の前でも平然と食べていたけどなぁ。
「折角二人きりになれていちゃいちゃ出来ると思ったのに……」

 …………そっちか!





「で、今日の学校が騒がしかったのは貴女が転校してきたからなのね?」
「は、はい」
 屋上には私達三人しかいなかった。屋上は相変わらず他の人がいない。

 朱水と一緒に屋上への階段を上ると踊り場には学校指定の制服に着替えていた由音ちゃんが既に立っていた。

 うん、確かにそれだけだったよね。他に由音ちゃんは何もしてなかったし、変な事もしてなかった。

 それなのに空気が一瞬で凍り付く。

 そして聞こえるのは朱水の歯ぎしりだけだった。

 そんなこんなで今、由音ちゃんは屋上の縁に座る朱水の前に正座させられている。流石にそのまま正座するのは痛そうなので朱水は自分のハンカチを由音ちゃんの足の下に敷いてあげていたけど。
 私はと言うと、自分だけ食事を始めるわけにはいかず、朱水からちょっとだけ離れて縁に座って二人を見守っている。
「まあ確かに? 私だけよりも貴女がいた方が有も安全よね?」
「……はい」
「でもそれって私にとって凄く不快なのよね」
「……はい」
 朱水は本当に泣きそうな由音ちゃんを責め続けていた。
「私が有と一緒にいられる短い時間を!」
「…………」
「貴女は!」
「…………」
「奪う気なのって訊いているのよ!」
「…………」

 流石に可哀想じゃないかな?
「ねえ朱水、そんなに言う事もないんじゃないかな? それにここに呼んだのは私だし」
「…………だって本当に大切な時間なんだもの……嫌よ」

 ちょちょちょちょ! 今朱水がとんでもなくレアな顔しましたよ!
 まるで幼稚園児が臍を曲げたような顔!
 朱水があんな顔するなんて考えもしなかったよ。

「御免なさい……。昼飯は自分の教室で食います」
 由音ちゃんはさり気なく涙を拭ってゆらりと立ち上がり、こちらを一瞥もせずにとぼとぼと疲れ切った様子で歩き始めた。その後ろ姿はとてもじゃないが見てられなかった。
「…………」
「わ、分かったわよ」
 私の無言の訴えが通じたようで、朱水はそれを追って由音ちゃんを止める。
「私も少し子供染みた態度だったって思うわ」
 朱水は由音ちゃんを無理矢理方向転換させてこっちへ連れてこようとその背中を押している。
 完全に由音ちゃんのその目は充血していた。あそこまで言う事無いよ朱水……。
「ほら、仲直りしましょ?」
 朱水は仲直りの握手を求めて由音ちゃんの前に手を差し伸べる。由音ちゃんは大人しくその手を握るが手を振る元気は無いようだ。その様子で朱水は完全に負けを認めたようで、縁に座った自分の膝に由音ちゃんを座らせた。
「悪かったわよ」
「……自分も浅はかな考えだったっす」
「いえ、貴女は有にとって最良の環境を作ってくれようとしたんだもの。それを責めた私が完全に悪いわ。御免なさいね……許してくれるかしら?」
 朱水は由音ちゃんの肩に顎を乗せてその背中を包むように座る。
(いいなぁ由音ちゃん…………って待て待て、そうじゃないだろ私!)
「許すも何も、自分は朱水さんの意に背くような形にする気はありません」
「そう。なら私は今後も三人で食事したいわ」
「……いいんすか?」
 微かにだが由音ちゃんの顔色に赤味が戻る。
「いいわよ〜」
 どうやら一件落着の兆しが見えたようだ。

(それにしても二人はくっつきすぎだと思うんだ、うん)

「ふふ、ねえ由音ちゃん、有のあの顔見て。あの子ったら嫉妬してるわよ?」
「し、してないよ!」
「あら、有の事は私にはお見通しなんだから隠しても無駄よ」
 そこでやっと由音ちゃんは笑顔に戻ってくれた。


 やっぱりあの時の彼女を知ってしまった私には、彼女の笑みこそが何よりの『彼女の証』に思えてならなかった。


 そしてやっと三人でお昼ご飯を食べ始めた。朱水は由音ちゃんの抱き心地が相当気に入ったのか、今も抱きながらお弁当を食べている。
「ねえ由音ちゃん。貴女のお弁当ってとっても個性的ね」
 朱水は目の前にある由音ちゃんのお弁当を興味深げに眺めてそう言った。
 私はその言葉に一体何所が個性的なのかと不思議に思い覗いてみると、
「キャラ弁……ですかえ」
 そう、それはアニメや漫画のキャラクターをご飯や色取り取りなおかずで作るあの『キャラ弁』だった。
「あ〜悪い事は言わない。お姉さん的にはそれは止めた方が良いと思うんよ」
 流石に高校生にもなって、というか中学生でもそれは子供染みていると思うんだ。
「うう、やっぱ不味いっすかね?」
「うん、かなり」
 由音ちゃんも多少は自覚しているようで、恥ずかしそうにお弁当の蓋で隠そうとした。でも朱水がその蓋を取っ払い、そのお弁当の中に入ってた卵焼きを勝手に食べてしまった。
「私は好きよ。それに、うん、美味しいわ」
 いや、後半は全然話に関係ないよ。でもその言葉は不思議と由音ちゃんを元気づけたようで、由音ちゃんもちっちゃなフォークでお弁当を再び突き始めた。
(なんか微笑ましいな)
 二人が仲良く食べているのを見ていると私の心はすっごく温かくなってきた。
「椒もね、昔はこういう風に私の膝に乗ってお昼寝していたものよ」
「そうなんすか? 何だか凄く見てみたいっす。きっととんでもなく可愛いんでしょうね〜」
 由音ちゃんは椒ちゃんの寝顔を想像したのか、フォークを止めてボーっとしだした。そして涎がジュルリと出そうになると慌てて動き出す。

 そう言えば前から思っていたけど、椒ちゃんはあからさまに由音ちゃんに対して敵意みたいな感情をむき出しにしているけど、由音ちゃんは椒ちゃんに対して全くそういう感情は無いようだ。むしろ好いてるんじゃないかな?

「ねえ有、貴女も由音ちゃん抱いてみたらどう?」
 どうって朱水さん、貴方の物じゃないんだから勝手に決めちゃ駄目でしょ。でも本当に気持ちよさそうに朱水が抱きついているものだからつい私もやりたくなってきてしまった。
「えっと良いかな?」
 一応由音ちゃんに確認しようとしたが、それよりも早く由音ちゃんは私の膝に座ってくれた。

「……こ、これは!」
 気持ちいい何て物じゃない! ギュッと、ギュッとしたい! それも激しく、情熱のままに!
「えっと、どうっすか?」
 不安そうにこっちを向く由音ちゃん。だけどこっちを見ないでおくれ。今の私は確実に他人様に見せられるような顔をしていないんだ。朱水の顔が私の横にあってよかったよ。
「き・も・ち・い・いー」
 一文字の度にため息が出るほど素晴らしかった。
「そ、そうっすか?」
 由音ちゃんも気分が良いらしく私の体に自分からすり付いてくる。すると由音ちゃんの髪のサイドアップが私の頬を軽く擦り、それすら気持ちよくなってきた。
(ああ〜、小動物系って言う言葉、この子みたいな子に使うんだろうな〜)
 暫し食べる事も忘れてその感触を楽しんでいると朱水がいきなり私の横に座った。
「朱水?」
「…………」
 そして朱水はさり気なく、そう、本当にさり気なくだが私に寄りかかりながら食事を再開した。
(まさか嫉妬? 何だろう……今日の朱水すっごく可愛い)
 いや、いつも以上と言った方がその切れ長なツリ目に睨まれずに済むかな?
「幸せ〜」
 思わず口に出る。幸せの重みを二つ同時に感じている今の私は間違いなくこの学校一の幸せ者だった。
「そうね、何だか今まで在った事の何もかもが全て何かの物語で、私達はただその物語を読んでいたに過ぎないって、そんな幻想すら覚えるわ」
 どうやら朱水までこの幸せ空間にやられてしまったようだ。


   でも、彼女は違った。


「ね、由音ちゃんもそう思うでしょ?」
 由音ちゃんは朱水の言葉に力なく笑うとその視線は弁当へと移り、そのまま動かなくなってしまった。

「あ、由音ちゃんが編入した教室ってどうだった?」
 抱きとめているはずの由音ちゃんが何だか凄く遠くに感じられたので思わず言葉で繋ぎ止めようと話題を変えてしまった。
「一年二組っす。まだクラスメイトの名前全然覚えてないから誰がどうのって言えないっすが、みんな親切な人だったっす」
 でも私が喋ると笑う人もいたっすけどね、と由音ちゃんは言った。
 多分彼女の口調の事を笑ったのだろう。由音ちゃんは変わった喋り方をするものだからその子はつい笑っちゃったんだと思う。
「きっと由音ちゃんが来てみんな喜んでるよ?」
「そうっすか?」
「勿論だよ。こんな可愛い子が転校してきたんだもの」
「そうね。特に男子なんて大喜びでしょうよ」
 朱水と二人で頷き合う。
 多分言いたかった事は同じ、私達はさっきからずっと同じ事を考えていた。

 由音ちゃんは皆に好かれる子なんだよ、って。

(椒ちゃんはちょっと特殊なケースだから例外なだけだもんね)





 予鈴が鳴り響く。
「っと、時間だね」
 慌てて私達は鞄にお弁当箱を仕舞う。
「それじゃ由音ちゃん、放課後は迎えに行くから」
「あ、自分が行くっすよ」
「う〜んそれは止めた方が良いよ。上級生の教室って結構入りにくいものだよ?」
 下級生だから入りやすいとも言えないけど、横柄な態度を取られない事は間違いない。
「それと由音ちゃん?」
 朱水は由音ちゃんの頬を手で優しく挟むと言い聞かせるように言った。
「何か学校での心配事や問題があったら遠慮無く私達に言うのよ? 貴女さっきから何か隠しているようだから一応言っておいてあげるわ」
 そうなのか……。私は全然気が付かなかったけど朱水にはお見通しだったようだ。
「はは、やっぱ朱水さんには気付かれてしまったっすか」
「ちょっと待った。由音ちゃん? ここは学校よ?」
 朱水のその発言に暫し首を傾げるが自分の言葉の間違いに気付いたらしく、言い直す。
「朱水『先輩』は鋭いっす」
 ああ、確かにそうだった。朱水や私しか居ない場合は構わないが、他の生徒の前でいきなり転校生が先輩である私達を親しげに呼ぶのはおかしいかな。
 朱水はそう言うところにも気が利くようで、由音ちゃんに気付かせてあげたみたい。
「それで、何を隠していたのかしら?」
 由音ちゃんは少し困った顔をするが朱水の真っ直ぐな目に観念して鞄の中から何かを取りだした。
「これなんすけど」
 それはパッと見でもアレにしか見えなかった。


「ちょっと、由音ちゃんってばいくら何でも好かれすぎだよ!」


 そう、それはどう見たってラブレターだった。

▽▽▽▽▽

 それは一時限目と二時限目との間の休み時間の話だった。
 廊下は何やら騒がしく、特に男子の野太い声が響いていた。
「なあ、何かあったのか?」
 丁度トイレから戻ってきた輪島に問いかけてみる。廊下を通ってきたのだからこの喧騒の原因を知っているかもしれない。
「ん? ああ、君中が何だか凄いことになってるって話だ」
「お、あいつ今日は顔出したのか」
 君中はサボり癖が酷く、あまり学校に出ない人間だ。どうやら今日は出ているみたいだが……。凄い事って何だろうな。
「でな、あいつがどうやら今日一年に転校してきた子に一目惚れしちまったんだと」
「マジかよ!」
 あいつが人間を好きになるとは……。これが他の奴だったら恐らくさほど大ごとにならないはずだった。しかし君中だとそうはいかないのである。

 君中は顔は良いんだが所謂オタクで、二次元に現を抜かしているらしい。それもそう言う類のアニメを見たりゲームをするために学校に来ないと言う重症のレベルで、サボり癖と言うより半引き籠もりなのかも知れない。

そんな人間が二次元以外の人物を好きになる等もしかしたら生まれて初めてなのではないだろうか?
「マジだよ。今ラブレター拵えていやがる」
「おいおい、あいつらしくないな。そんな積極性なんて何所に隠していたんだよ」
「気になるなら廊下に出ればいい。そうすりゃ分かる。クラスの連中が大騒ぎしているんだ」
 いや、眠いからパスだな。どうも最近眠くてしょうがないんだ。それに出来れば行動的な時の君中に関わりたくないっていうのがあるしな。


 それは二時限目と三時限の間の休み時間だった。
 授業を終えた先生が教室から出ると勢いよく反対のドアが開かれた。その大きな音にみんなの目が一点に集中する。
 しかし当の本人は他人の目など気にならないようで、真っ直ぐこちらへ向かってきた。
「宇津居、次の時間ちょっとつきあってくれ!」
 …………ガッデム!! よりにもよって俺かよ!

 それは三時限……いや、もういいか。
 さっきの休み時間に俺に告白の付き添いという面倒で尚かつとんでもなく恥ずかしい役を求めてきた君中によって、強制的に俺は一年生の教室がある階へと連れてこられた。
「で、どの子なんだ?」
 こいつ君中はなかなかどうして人の迷惑を考えない人物で、こういうやる気満々の時は断らずにこいつに付き合った方が後々楽だと言うことは経験上熟知している。断ると恨みの言葉を延々と耳元で囁かれるという罰が待ち受けているのである。
まあ勿論一番上等な答えは断る云々の前に「関わらない事」である事に間違いないが、それは運次第である。こいつから近付いてきたなら防ぎようが無いのだから。
「あ、あの子」
 君中が指さす方を見る。その方向には一人の座っている女子が幾人の男子に質問攻めされているような生徒の塊があった。
「あいつ等…………俺の嫁を…………」
 ……ああ、何だ? 嫁って……未だ彼女でもないのによくそんなこと言えるなこいつ。
 しかし彼の本気で妬んでいるのであろうその形相を目の前にしている俺にその事に対するツッコミを入れられる勇気は全く湧いてこなかった。本気で恐いぞ……。
 とにかく分かっていることはこいつを敵に回しちゃいけないって事だけだ。
「男子があれだけ集まっているって事はそれなりに可愛いんだろうな」
「……当然だろ!」
 いや、そんなに凄まれても今日転校してきた下級生の顔なんて知っているわけ無いだろう。勿論今のも口に出す勇気は無いがな。
「で、どうすんだ? あの集団に突っ込んでいって渡すのか?」
「そ、それは流石に……」
 急に怖気出す君中、やはり集団は例え今の様な興奮状態でも苦手らしい。
「なら廊下に呼び出してみるか? 何なら俺が呼び出し役を買ってやっても良いぜ」
「おお、頼む」
 君島は俺の腕をがっしりと掴むと何度も頷く。いや、そんなに掴まれたら動けないのだが。
 とまあ、早いところ教室に帰りたい俺はさっさと事を済ませようとする。こいつが告白するのに躊躇える状況だといつまで経っても進展しないからな。
「じゃ、行ってくるわ。あ、あの子の名前は?」
「知らない」
 ……おいおい。ま、今日初めて知った人物の名前何ぞ知るわけ無いか。それじゃ行ってみるか。

 いや待て、俺が行くよりもっと簡単な方法が在るじゃねえか。

「ちょっと待ってろ」
 君中にそう言っておくと俺は教室に入ってとある人物の横に立つ。
「あ、宇津居先輩」
「よう。ちょっと良いか?」
 彼は同じ部活の後輩だ。こういう時は同じクラスの人間に話を持ちかけるのが一番ベターなやり方だろう。
 俺は廊下に出るようにジェスチャーをする。少し後輩の顔が引きつったのは気のせいではないだろうな。
「あ、ついでにシャーペンも貸してくれ」
「……はい」
 俺ってそんなに恐い先輩として認識されてるのか? 結構心外なんだが。
 後輩は俺の言葉にちゃんと従ってシャーペンを持って廊下へと移動する俺の背中に付き添っていた。
「あの、俺何かしましたか?」
 まあいきなり呼び出されたらそうなるわな。
「いや、用があるのはお前じゃないんだ。今日転校してきた子がいるだろ?」
 俺の横で何故か殺気じみた目を後輩に向けている馬鹿の所為で余計に後輩は緊迫した表情を見せていたが、俺の言葉で何とか安堵したらしい。見て分かるほどに顔が変わった。
「ああ、菅江さんのことですね」
「菅江!」
「……あの?」
 隣の馬鹿がおかしな反応するものだから後輩は一歩後ろに下がっていった。俺もこのままこいつから離れたいんだぜ。
「まあこいつは無視してくれて良い。それより、その菅江って子のフルネーム分かるか?」
「一応分かりますけど」
「良し、ならちょっとここに書いてくれ」
 俺は教室の柱にあるプラスチック部分を指さす。ここならシャーペンの筆跡は手で擦るだけで消えるからな。
「分かりました」
 後輩は俺達の意図が分からず戸惑いながらも一応彼女の名前らしき漢字を書いてくれる。
「菅江……ゆねであってるか?」
「そうです」
「分かった。ちょっとそのペン貸して?」
 後輩に借りたペンを君中に渡すと、やっと俺がやっている事の意図を理解した君中は自分が持ってきたラブレターに彼女の名前を書き足した。勿論後輩に見えないように俺が二人の間に入って壁になってあげている。流石にそんなところを後輩に見られるのは君中としても恥ずかしいだろうからな。
 書き終わった君中からペンを引ったくると後輩に礼を言って返し、ついでに菅江さんを呼び出して貰うことにする。
「はあ。良いですけど」
「なら頼むな。もう休み時間残り少ないんであまり説明せずにここに連れてきてくれればいいよ」
 後輩は一応頷くが俺の横の馬鹿が未だに彼を睨んでいる事に怯えて、逃げるように彼女の元へと走っていった。
「これで良いだろ?」
 睨んでいたことなどに対する追求とかはする気になれない。いや、出来ないと言った方が正確だな。
「ああ」
 未だ後輩の後ろ姿を睨んでいる君中は言葉少なに答えた。

 多分こいつにとってはクラスの男子全員が敵なんだろうな。それが例え菅江さんに仲よさげでもそうでなくても関係なくな。

 後輩は菅江さんに廊下にいる俺達のことを知らせるが、こっちに連れてこようとはせず、ただ廊下に行くようにと告げただけのようだ。彼女一人でちょこちょことこっちへやってくる。
 まあ分からなくもない。この馬鹿がいる限り俺もきっと同じ行動を取る自信があるぜ。

 菅江さんは少しおどおどとしているが一度も立ち止まらずこちらへと歩いてくる。
(それにしても……)
 その子の第一印象は「小さい」だった。
 まるで中学生の一年みたいで、失礼だがどう見たって高校生には見えない。
「お前の趣味はああ言う子なのか」
「分かってないね。高校生ながらあの純粋無垢な(てい)を表している御姿! 神々しくもあろう」
 嗚呼駄目だ、こいつは本物だ……。俺の頭の中は今後のこいつとの交友関係を断とうかどうか論議している真っ最中だ。

 転校初日に知らない男子に、しかも上級生に呼ばれたのがやはり不安なのか、彼女は俺達の前に立っている間ずっとキョロキョロと辺りを見回していた。仲間連れで何かされるとでも考えているのだろうか? いくら目の前にいる奴の一方が酷く興奮しているからと言って幾分失礼では無かろうか? まあ、鼻息荒い君中を目の前にしたら普通の女子はそう考えちまうかもな。
「あの、御用っすか?」
「…………」
 女の子の割に随分と変わった口調だった。キャラクターを作っているのかね? しかしぱっちりと開いた目と、首を傾げる仕草の所為で何だかその言葉が妙にマッチングして、可愛く思えてきた。
『おい、君中』
『分かってる』
 小声と肘で君中を急かすが、こいつはこの場に及んで未だ恥ずかしいらしく後ろ手で隠した手紙を菅江さんの前に差し出せないようだ。ここまで来て踏ん切りがつかないなら始めからやらないで欲しいと思ったが、誰しもこの様な状況では多少の怯えを持つものなのかもしれない。当事者でない俺だからこそ平然としていられるだけなのかもな。
(ラブレター何ぞ作ってる段階で恥ずかしいって気付かなかったのかねぇ?)
 一分ほど固まっている三人の間に言葉は無く、菅江さんが更に怯え始めたのでしょうがなく俺は助け船を出してやった。
「これ貰ってくれるかな?」
 そう言って君中のラブレターを奪って菅江さんに渡した。
 彼女は直ぐにその手紙が何なのか察したようで、困った顔で俺を見る。
「はは、いきなり貰っても困るよね。でもちゃんと読んで欲しい。そして返事も……そうだな、今日の放課後にでもしておくれよ」
 彼女はペコペコと何度もお辞儀して、俺の言葉が終わると直ぐに教室の中に帰っていってしまった。
「これで良いだろ?」
「ああ、助かった」
 ああ、助けたぜ。大いにな。
 君中の先程までの積極性は何所へ行ってしまったのか、一番大事な時に発揮できなかった。良く言う『ヘタレ』って奴だな。そのくせ周りの連中には敵意むき出しの視線を送り続けている。
「お、もう時間がないぞ。じゃあ戻ろうぜ」
 俺達は一仕事終えた喜びと達成感で気分が良くなって階段を気持ち悪いくらいスッキリとした表情で駆け上がる。


 でも気付いてなかった。俺は大ポカをしでかしていたんだ。





 それに気付いたのは放課後、それも菅江さん達を目の前にして。

 達? そう、『達』だよ。


 何故か分からんが菅江さんの横に一色さんと……尼土さんがいるんだよ!


 そして失敗したというのは……
「あの、御手紙読みました」
 何故か菅江さんは君中でなく、俺に返事をしてきたんだ。勿論俺の横に君中の姿は無い。俺の所に来られたのは後輩にでも俺の事を聞いたのだろう。

(多分彼女はあのラブレターを俺の物と勘違いしたんだろうな)
 ああ、大いに考えられる。渡したのは俺だし、返事を求めたのも俺だ。
(と言うか自分の名前くらい書いとけよ)
 いない君中に文句を言ってもしょうがないが言わざるを得ない。

 だってそうだろ? 片想い中の子を目の前にしてふられてるんだぜ俺。しかも勘違いで。

「先輩のこと何も知らないので……」

 んあああああああ! 尼土さんが俺をちらちら見てる。しかも頬を赤らめて。乙女な尼土さんは告白現場を見ているだけで恥ずかしいらしい。ああもう可愛いなぁ!

 いや、勿論俺の主観かつ妄想での判断だが。

「だからいきなりお付き合いはちょっと…」

 それに引き替え堂々としている一色さん。彼女は何度も告白されて全員を振ったことで有名だ。だからこんな場面を見ても何も感じないのだろう。むしろその絶対零度な冷たい視線で観察されていて俺は居たたまれない気分になっていたりする。

 俺なんかが貴方の前にいて済みませんってな。


「あの?」
「あ、ああ、はい」
 どうしようか。
「えっとさ、言いにくいんだけど……」
「はい?」
 言わなくちゃいけない。主に俺の栄誉のために。俺は尼土さんが好きなんだから君に告白したという事実はあっちゃいけないんだ。
「それ、俺が書いたんじゃないんだよね」
「…………え?」
 分かる、分かるさその反応。俺だって予想できない状況なんだってばよ。
「隣に男がいたろ? あの手紙はあいつの物なんだわ」
 照れ笑い的な物を無理に作っておちゃらけようとしてみた。そうした方がお互い気まずくならずに済むと思っての判断だった。

 が、それがいけなかったんだわな。

「あら。ならどうして由音ちゃんが全部言い切る前にその事を注意してくれなかったのかしら」
「ちょっと朱水」

 どうやら俺は一色さんを敵に回してしまったようだ。

「由音ちゃんに恥をかかせたのよ? 貴方はそれが分かっているのかしら?」
「す、済みません」
 ずっと後ろで黙りこくっていた一色さんは二人の前に出でて俺に強烈な目力を浴びせてきた。それだけで俺の心臓は跳ね上がった。無論ときめきで無く、生命の危機の察知で。
「あれだ、多分私達が三人で来たから変にプレッシャーを与えちゃったんだよ。ね? ね?」
「はは、まあそんな感じですね」
 嗚呼……優しすぎるぜ尼土さんはよ! もっと惚れてしまうわ!
 尼土さんは俺の肩に手を置いて一色さんに向かうように立つ。
 その手の重みが俺にはとんでもなく頼れる強さに思えた。
「ほら、こう言ってるんだし責めるのは可哀想だよ」
「…………有がそう言うならそれで良いわ」
 一色さんは尼土さんの一言で直ぐに俺に対する怒りが冷めたらしく、他の二人に別れの言葉を告げると何処かへ行ってしまった。
 あの一色さんがこうも簡単に引き下がるとは思っていなかったので他の二人の前だが胸をなで下ろしてしまった。
「ふふ、やっぱり朱水って恐い?」
 ……おいおい、俺尼土さんに話しかけられてっぞ。

 信じらんねぇ……奇跡だろこれ。

「いえ、別に恐いとかじゃないです」
「そう? みんな朱水を怖がってるから君もそうなんだと思ってた」
 尼土さんは俺の目を覗き込みながらくすりと笑う。尼土さんの綺麗な唇の艶がどうにも俺の視線を釘付けにして止まない。
 きっとこれは俺が見ている夢なのだと、本気で思えてきた。幸せすぎる。

「それもちょっと違いますよ。一色さんは美人過ぎて近寄りがたいだけなんか……と…………」
 こらこら俺は馬鹿か? 惚れている相手の前で他の女子を褒めてどうするよ?
「あはは〜。それもそうかもね。朱水ったらすっごい美人だから」
 尼土さんも相当可愛いよ……とは言えない俺である。それに言っても多分尼土さんは笑うだけだろうけど、心の中では恐らく俺を変な男と評価してしまうに違いない。それだけは避けたい。例え彼女に恋人がいようとも、俺は尼土さんに嫌われるのだけは勘弁だ。
「あの……」
 放置され気味の所為で何処となく居辛そうだった菅江さんはやっと言葉を発した。
「ああそっか、由音ちゃんは手紙の人に会わなきゃだね」

 菅江さんの言葉に尼土さんは本来の目的を思い出したため、二人は行ってしまった。けれど尼土さんは途中で振り返り俺に手を振ってくれた。

「幸せすぎるだろ……」
 それと、俺は大事な事を再確認した。尼土さんは異常なほど可愛くて魅力的な女子だったって事をな。



 後日談として一応報告しておくが、勿論君中は菅江さんにふられた。理由は俺の時のと同じだったらしい。



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