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神影の彷徨 作者:ゆちゃあ
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第四話 イキトシイケルモノ / 6




 これ程までに生きるのが辛いなどと考えたことがあっただろうか。全てが辛く、全てが憎い。今すぐにでもこの首を掻っ切るのも良いが、私の頭はもっと別のことを望んでいる。

 全て消えてしまえばいい。その消滅に私が巻き込まれるだけで良い。自分一人いなくなるのではなく、世界が欠ければいい。

 何故だろうか。私は一体何故このような考えを持つようになったのだろうか。





「先生」
 それはこの静かな部屋でなかったら聞き取れない程の声だった。声の方を見ると一人の生徒らしき人物が立っていた。
「ちょっと宜しいでしょうか?」
 やはり響かない声が続く。
「はい、何でしょう」
 彼女は小動物のように細やかに動き、鞄から本を取り出した。
 それは私が先日図書館で借りた物であった。
「先生もこういう物読むんですね」
 本を私に見せて顔を綻ばす。
「私が読んだらおかしいですか?」
 彼女は慌てて「滅相もございません」と手をバタバタとさせ否定したが、そのようなことを訊いた時点で既に遅い。
「てっきり先生はこういう物に興味無いのだと思っていましたので。私、借りようとした時に私の一つ前に先生の名前が書かれているのが何故か嬉しくてここに来ちゃったんですよ」
 何て屈託のない笑顔だろう。この院で彼女のような生徒が在籍し続けるような事が出来るのか疑問に思える程に幼稚な印象を受ける。まあここにいるという時点で彼女が優秀な魔法使いである事が証明されているのだが。
「私だって恋愛小説くらい読みますよ。それに私くらいの子はそういう物を好むと聞いていたのですが」
「あ〜そうですね。でも先生はいつも格好良くてこういう本と結びつけなくて」
「かっこ……いいですか?」
「はい!」
 即答だった。彼女は私をどの様に見ているのだろうか。私のことを格好いいなどと表現する人とは今まで一度も出会ったことはなかった。
 いつも人は私のことを賢い等と煽てる。尤も、その大半は「小賢しい」という意味を含んでいたに違いないが。
「それで?」
「え?」
「それで、何ですか? 用事はそれだけですか?」
「はい……」と縮こまる女生徒。

   くだらない。本当にこのような生徒がここに在籍していられるのだろうか。

「貴方、名前は?」
 私の問いかけに彼女は一瞬だけ表情を強ばらせたが直ぐに満面の笑みを浮かべる。
「シタニアです」
 シタニア……そう言えばそのような名前の生徒が私の掛け持つクラスにいたな。
「そう。シタニア君、貴方はこの学院の生徒なのでしょう? ならばそのようなことで師を呼び止めるというのは間違っているとは思いませんか?」
 この院では甘えて良いのは一部の人間だけで良い。一握りの天才か、今までの人生の大半を努力という投資活動で過ごしてきた愚か者だけだ。

 そう、愚か者だ。どうせ努力しても辿り着くのは人の先。一方、天才は人の先でなく世界の先に辿り着ける人種だ。口惜しいことに私は愚か者の方である。その事に気付いていればもしかしたら私は今と違った道を歩めていただろうに。何も知らない輩共は私のことを口々に天才と謳うがそれは大きな間違いであることを以前は逐一説明したくなった物だ。「私は違う。あれらとは違うのだ」と。

 しかし私は進まなくてはならない。このまま自分の足に繋がっている鉄球を認識しながらも、私は目的の為に歩み続けなくてはいけないのだ。
 嗚呼、愚か者だと気付いていたらその場で首を吊れたものを、中途半端に知識を貪るからいけなかった。

「す、すみません」
 私の言葉は少々厳しかったのだろうか、シタニアという生徒は一礼すると一目散に去っていった。彼女が振り返る際に空中にキラリと光る物が流れた。
「泣いていたのか? 何と軟弱な」
 シタニアと言ったか。生徒の顔など覚えるのは面倒であるが彼女の顔は私の心に深く刻まれた。


 それから幾日ほど経ったある日、それは人気のない廊下での出会い。
「シタニア君、この前の小説は読みましたか」
 廊下の先で私を見つけた途端、あからさまに目を逸らした彼女に私は何故か声をかけてしまった。
「あ、はい……」
「そうですか」
 そして幾ばくかの静寂。
「えっと、それだけでしょうか」
「え、ええ」
 何をしているんだ私は。この生徒に自分で注意したことを自らしでかしてしまっている。
「……ふふ」
「どうしました?」
「だって……あははははは」
 彼女はあの日の出会いの印象とは違って大きな声で笑い始めた。しかし何故笑われたのか。
「私、何かしましたか?」
「先生の顔が可笑しいのですもの」
 未だ笑い続ける彼女の目には涙すら浮かぶ。何と失礼な。
「人の顔を笑うとは感心しませんね」
「ち、違います。先生の顔が可笑しいんじゃなくて表情が可笑しかったんです」
 だって先生ってば目を見開いて固まるんですもの、とシタニアは言った。む、その光景を想像してみると確かにそれは笑われても仕方ないと我ながら思う。もしかすると私は以前にも他の人間の目前でその表情をしてしまっていたかも知れない。気を付けねば。
「ご忠告感謝します」
「そんな、忠告だなんて」
 何を思ったのか、涙を浮かばすシタニアは私の頭を撫でた。私はあまりの出来事に言葉を失う。
「あ、ご、御免なさい!」
「い、いえ……」
 私の頭上から伸びる彼女の腕を見つめる。
 教員となってからは、当たり前であるがこのようなことをされた覚えは無い。

 何かが私の体の中で跳ねた。

 このこみ上げてくる熱い物は何だ? 羞恥か? 怒りか?

「わ、私妹がいるのですけど…」
 シタニアは尻つぼみな言い方で言い訳をし始める。
「先生と同じくらい背丈で、匂いもどことなく似てるからつい……」
 そう言いながらも彼女の手は私の頭から離れようとはしない。その掌の熱がじわじわと私の頭に浸透し始める。


  心臓が跳ねる


「止めなさい!」
 思わず大声を上げてシタニアの手を力一杯引き剥がしてしまった。
 頭に血が上るのが自分で分かる。頬が紅潮するのが自分で分かる。耳が紅くなるのが自分で分かる。でも、自分が分からない。

 私は何に駆り立てられているのか

 何かから逃げるように私は彼女から逃げ出した。自分でも訳が分からないが咽せるような熱い息が口から吐き出される度に喉の奥から何かが逃げ出そうとする。

 恐い

 私を呼び止める声が遠くに聞こえたが私の体は止まろうとしない。既に自分の体ではないかのように勝手に体が動いている。

  恐い

 私は恐いのだ。

 学院の隅の方にある人っ気少ないトイレに駆け込むと同時に私は体の中身全部をぶちまけるように洗面台へと胃の中身を吐き出した。トイレに誰もいなかったのが幸いであった。このような姿を見られてしまったらどの様な噂が立つであろうか。

「いや、そんなことはどうでも良い」

 跳ねる心臓を押さえ付けている自分を鏡越しに観察する。
「久方ぶりな私だ」
 鏡の中にいる自分は弱々しく、その首は簡単に折れてしまいそうなほど細い。
「なんてことだ。もう考えないと誓ったはずなのに」
 旧い私は新しい私に誓わせた。

「これだから人間は嫌いなんだ」

 『生きている』と言うことを考えるなと。

「お願いだ、その煩い心音を止めてくれ」

 それが唯一の私の誓いだから。

「その耳障りな息音を押しつぶしてくれ」

 それが唯一の私の禁忌だから。

「私は生きていたくて生きているんじゃないんだ」

 もう自分を生物としてみるな。決して自分の体を顧みるな。お前はただ目的だけのために時間を貪っていればいい。それだけで良いんだ。

 それだけで許されるのだから。


「アケミ……ボクは貴方が羨ましい」
 アケミの顔がちらつくと、私は思わず日本語で弱音を吐いてしまった。

 早く辿り着かなければならない。それが私の誕生であり終焉なのだから。

「死が欲しく、生を望むのだ。そうしなければならないのだ」


 鏡に映る私はその時生まれて初めて自分に微笑みかけた。

「自分を恐れるなんて馬鹿げていると笑われるだろうに」
 笑いたければ笑えばいい。それが私のあり方なのだから。

 生きとし生けるもの、その全てが生を望むなんて事は有り得ないことなのだ。

 生きることが欲の延長線に存在するモノなのならば、死も欲の先にあって良いはずだ。表裏に位置する物は互いに等価値でなくてはならないのだから。
「そうだ。だから私は早く辿り着かなくてはならないのだ」



 ただ死ぬだけでは駄目なのだ。

 何と他人が羨ましいことか。

 彼等は簡単に死ぬことが許されるのだから。



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