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神影の彷徨 作者:ゆちゃあ
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第二話 似て非なるモノ / (終)「第一」

『第一』



 車の中には私と朱水、削強班の三人が向かい合って座っている。あ、勿論運転手として執事さんもいるけど。由音ちゃんはめんどくさがる鏡さんに抱きついて楽しそうだった。
「今回、俺と菅江でヤツと対峙して、緊急時には高海の力を借りる。それで良いな?」
 そんな二人を横に冷静な矢岩君、きっといつもの事だから慣れているんだろう。恐ろしいのはこれから危険な場所に向かうというのに三人からは何も緊張した空気が醸し出されていない事だった。
「うぃっす。何時も通りっすね」
「まあ、逆十字の力をあの狭い場所で使われても良い迷惑ですからね」
 朱水は決して嫌みの意味でそう言ったわけではなく、純粋に駆け引きの問題でそう言ったに違いない。たまに朱水の口から飛び出る厭味ったらしい口振りではなく、静かなそれであった。
 そんなに鏡さんの力は凄いものなのかな。顔も見た事のない、噂だけに聞いていたという彼女の力をそこまで朱水が信頼しているという事実が、私の想像を膨らませる。魔法使い、その単語の奥深さを薄らとだが感じた。
「有、貴女は私の後ろにいなさい」
「うん、わかってるよ」
 何故だか影と呼ばれる者は私を狙う。そのため私と影の間に常に朱水がいるように立たなければならない。私自身お粗末な壁は作れるのだが、それが本当に有効かどうか等本番で試す訳にはいかないからだ。身を守るより、守られるべきだと納得する。
「ああそれと、何があっても有以外は私に近づかないこと。消し飛んでも知りませんからね」
 朱水は軽く笑いながら冗談めいてそう言ったが、削強班の三人はその言葉が事実そのものを表していることを知っているため、誰一人笑う者はいなかった。矢岩君に至っては窓の向こうに向けていた視線を瞼で長く遮っていた。


「お嬢様、そろそろ着きます」
 執事さんは車を止めて振り返る。
「何所に車を着ければ宜しいでしょうか?」
「そうね、先日と同じ所で良いわ」
 執事さんは朱水の言葉に従いあの日と同じ場所に車を停車させた。見覚えのある風景を視界に収めているとあの時感じた吐き気がじわじわと込み上げてくる。
「では行ってくるわ」
「お気をつけて。皆様もどうかご自愛を」
 執事さんは綺麗な礼をして私達を見送ってくれた。削強班の三人にも分け隔てなく丁寧に挨拶する様は執事さんの人格の表れだと言うべきかな。


 あの日同様の重圧を感じながら私は階段を上る。しかし今日はこの前ほど不安が胸を支配してはいない。朱水以外に三人もいるからだ。この人数ならどんなことになっても平気だと思えてしまう。朱水が敵ながら認めている様な人達だ、不安なんて勝手に薄まってしまう。

「妙だな」
 先陣を切っていた矢岩君はそう呟き立ち止まる。
「玄もそう思う? 由音はどう?」
「はい~。何か変っすね。自分は初めてここに来ますが……」
 由音ちゃんの言葉の切れ目を待たずに朱水が言う。
「先程から結界の位置が少しずつ動いている、と言いたいのよね?」
 見渡す朱水の視線にぶつかると三人はそれぞれ小さく頷く。
「ああ、明らかにそうだ。この結界、普通じゃねえな」
「でもそれより妙なのは動いていると言うには微妙な動きなのよね。つまり数秒間隔で結界の範囲が変わり、その瞬間は飛び飛びになっている」
「そこから考えられる結果はそう多くない」
 矢岩君は辺りを鋭い目つきで見回す。見えない敵を探している様だった。
「この結界の中に結界を張った奴がいて、何度も結界を張っては消し、張っては消している、これが一番考えやすいな」
「でも何でですか? そんなの意味無いじゃないっすか? 張り直している瞬間に誰かが入ってきてしまったら結界の意味がないっすよ」
 由音ちゃんが何気なく言ったその言葉は私以外の三人の視線を集める。
「そうか、分散させるためだったのか」
 三人が言うにはこの結界は中に迷い込む者の数を制限するために張られた物だと言うことだ。それは大勢の人間、つまり団体の魔狩り者などは一部しか入れず、残りの者はどこかへ勝手に移動させられてしまうという事らしい。
「でも変よ。私達は今さっきこの結界の穴を潜って入ってきたところでしょう? そんな大がかりなことが出来る者が何故侵入を許せるような穴を作るのかしら。しかもその位置が位置よ」
 そう、結界にある穴はなんと階段道の上に位置していたのだ。道理で最初に私達二人だけで登った時でも何事も無く神社までたどり着けたわけだ。
 三人は再びお互いの考えを意見し合い始めた。完全に除け者となった由音ちゃんと私は少しだけ距離を置き二人だけでその間の時間を潰す。
「お姉さんは……って何時までも『お姉さん』は変ですよね。あ~と、何て呼べば良いっすか?」
 地面に小枝でお絵かきするのに飽きた由音ちゃんは私と目が合った。
「う~ん、何でも良いよ。好きに呼んで」
「そうですかぁ。なら……有にゃん」
 由音ちゃんは手のひら側が上を向くようにして人差し指を突きだし、どうだと言わんばかりの威勢の良い顔を作った。
「却下」
 自分でも驚くくらいに即座に却下という判定が口から飛び出した。
 その呼び名は許さないかんね!
「うあ、今何でも良いって言ったのに。なら……ゆうにゃん」
「そんな字にしなきゃわからない程度の変化なんて求めてないって。もっと他の無いの?」
 由音ちゃんは困ったように考えながら私を観察し始める。そんな熟察して決めるようなものでもないような。
「そうっすね……ならこれはどうだ、ゆうたん!」
「駄目、そっち路線駄目!」
「ええ~」
「そう言う変わった呼び方じゃなくて普通に有さんとかで良いでしょ」
 しかし由音ちゃんはぶ~とふて腐れたような口をする。
「それじゃつまらないんです~。そう、何か特別な間柄ってのが醸し出されるような呼び方でこそ美しいのです」
 びっと人差し指を立てて力説する。もう、無茶苦茶な。そもそも私達はそう特別な間柄と呼べるほどの仲でないでしょうに。
「う~ん、う~ん、……ああコレなら良いっすよね?」
 顎に手を当て今まで一番長く悩み抜いた結果が導き出せたらしい。目の輝きが違う。
「何?」
「有君」
「は?」
 私のあからさまな拒絶心を音にした反応を無視して由音ちゃんは舌を動かす。
「そう、一見さも有り触れた呼び方のようで、実は幼なじみの様な運命的な間柄でも使用されるという甘美な呼び方、そ~れぞ君付け。さあどうだ!」
 あの、私女ですよ? そう言うと由音ちゃんは笑って、
「気にしない気にしない。大丈夫っすよ」と、何に対して大丈夫なのか意味がわからない反応をする。
 ああ、もう良いや。これ以上言うともっと変な呼び方されるかも知れないしね。
「それで良いよ」
 私は何とか作り笑顔でそう言った。由音ちゃんはそんな分かりやすい私の表情なんて気にもせずにニヤニヤしている。それにしても幼なじみだとか、やっぱり由音ちゃんは矢岩君が言う様にそういう類の漫画とか小説とかを読む様だ。もしかすると頭の中も似ているのかも知れない。
「あ、あっちも話に一段落付いたみたいっすよ」
 三人は結局これと言った結論を出せず、当初の目的だけ果たせれば良いということに帰結した。

 再び階段を上っていくと例の神社の鳥居が見えてきた。一度対面したからであろうか、私でも気配と言う物が感じられた。髪の毛が逆立った気がした。
「いる、ね」
「ああ」
 削強班の三人はお互いの配置に立ち、そのままの形を維持してゆっくりと進む。
 私にも見えた。暗闇の奥にあの男の人がいる。
「……来るぞ!」

 目が、合った

▽▽▽▽▽

 男は一直線に有を目指し突進する
 獣の様な獰猛さを持った走り方
 しかし玄がその間に立つ
 その背には既に数本の剣が展開していた
「お前が物として死ねるのなら殺してやるよ」
 玄は流れる様に男の首に剣を突き刺す

 玄の中では目的であった拿捕は既にないがしろにされている

 だがそれは男にとって何ら効果が無い様である、自らに刺さる刃を抜き取り一笑して見せた
 歯間から流れ出る血を猛獣の涎の様にひたひたと垂らしながら
「ちっ」
 玄は間髪を入れずに両手両足に剣を突き刺す
 だがその剣も男の背中から急に現れた黒い腕によって抜かれる
「先輩」
 今度は自分の番だと由音は声を張る
 由音は自分の最も得意とする戦法をとった
 魔法で作った釘を、魔力を秘めた短刀を使って打ち飛ばす方法である
 その速さたるや電光石火を形にした物であった
 男はその釘を真横から受けて吹き飛ぶ
 人外故か体が引き千切れる事は無かった
「流石は由音、正確な狙いね」
 鏡は感心したように笑う
「次」
 玄は地面に仰向けになっている男に空中から十本余りの剣を突き刺す
 男の体を突きぬけて地面に刺さった刃達が冷たい音を響かせる
 しかし男の動きは一切止まらなかった
 黒い腕がそれらを撫でるように透き通るとたちまちその全てが抜き取れていた
「不味いな。こいつには刃物が効かない」
 男の足元に着地した玄が右手を天に向かって差し出すと、辺りに散らばった剣が玄の背中に集まる
「先輩、退いて下さい」
 由音は男が立ち上がると同時に男の下に潜り込み真上に向けて釘を打ち飛ばす
 男は魔力によって加速された釘を顔や喉にまともに食らい、上へと吹き飛んだ
「先輩、ここは自分がやるっす」
 由音は空中にいる男に対して再びの釘の打ち込みをしながらそう叫んだ
 刃が効かぬ相手なら距離を保てる自分の方がまだ有利だと思ったからだ
 釘が正確に男に当たり立て続けに突き刺さるため男は空中に(とど)まる
 しかし由音にとっては致死の攻撃であったそれは一向に男から命の灯を消し去る事は無かった
 釘を打つ由音の顔に焦りが映る
「悪いな。妨氷を起こすから時間を稼いでくれ」
 由音の攻撃も有効でないと結論付けた玄は、鏡の真横に飛び退くと鞄から神器を取り出し、魔力を注ぎ始める

 神器とはそれ単体でも魔力を持つが、魔力を注ぐことにより更なる威力を瞬間的に出すことが出来る。それは存在の拡張である。そのため通常、使用者は「起こす」という、魔力の注入行為を行う。

「うわっと」
 由音に向かって宙にいる男の黒い腕が伸びる
 それは蛇の様に細長く、由音に噛みつかんと迫った
「変幻自在っすか。便利で良いっすね」
 その腕を軽々と避けながらも由音は再度打ち込む
 しかしその釘はもはや男に当たる事はなかった
 男の黒い腕が八本に増え、その全てを悠々止めてしまったのである
「ああ~先輩、自分もう時間稼げそうにないっす」
 由音はお手上げのポーズをする
 服毒程の苦笑いが自然と浮かんでいた
「狡いっすよ、アレ。私の釘を何でもないように受け止めちゃうんすから」
 地面に降り立った男に向けてまた釘を打ち飛ばすが、何度やっても黒い腕に防がれてしまった
 黒い腕はそもそも釘に荷重がかかっていないかの様にそれを静かに受け止めていた
 由音の攻撃は完全に攻略されてしまった

「菅江、もう退け。後は俺がやる」
 青白く輝く神器を右手に構え、玄は由音に撤退の命を出す
 由音が飛び退くとそれを男は追った
 今までの分の仕返しを企んでいるのであろう
 だが二人の間には玄が待ち構えている
 豪速と言わんばかりの踏み込みで向かってくる男に対し、玄は何時ぞやに見せた構えでそれをただ静かに眺める

 勝負は一瞬

 男の黒い腕が玄に届くや否や、妨氷構えた魔狩り者はその八本の腕を潜って相手の四肢を切り落とした
 男の肉体よりも神器の力が勝った結果であった
 故に男は四肢を失い勢いのまま転がる
 ただの式典兵器では剥がす事の出来なかったその肉体を妨氷は切り落としたのだ

「高海、後は頼む」
 玄の言葉に頷き、鏡は停滞の式典兵器を数々の呪詛と共に男の胸に差し込んだ
 高等魔法使いとして名高い高海鏡の呪いが男の体を蝕む
 男は最後に力を振り絞って上半身を持ち上げようとしたが手も足も無い今は何ら抵抗ができなかった
「いや〜。案外呆気なかったっすね」
 そう言いながらも由音は緊張の所為でかいた汗を拭う
 第一と殺し合うなど魔狩り者の中でも前例が余りに少ないのである
 その第一を仕留めた事による安堵が彼女の口を大きくしたのだ
「そうね。私も意外だわ。他の第一もこの程度なのかしら? まあ、古代の人間が勝てたのだからこの程度でも納得できるかと言えばできなくはないけれど」
 朱水は呆れながらも背後にずっと隠れていた有を抱きしめる
 俯いていた有はゆっくりと顔を上げ朱水へ不安の目を向ける
「さ、帰りましょうか。後始末は魔狩り者達がやってくれるわ」
 有は朱水の笑顔に応えようとした

 しかし、有は笑えなかった

 まだ、何かがいる、そう思えて仕方がない

 その根拠は何所にあるのか

 (男の人の目が私を凝視しているから?)


 (男の人の手が私の方に向いているから?)

 (男の人の声が私にだけ聞こえるから?)

 ………………?

「有、どうしたの? もう行くわよ」
 朱水は先に階段を下り始める
「未だだよ」
 有は削強班の三人の視線を一身に受けながらもそう呟いた
「未だその人……生きてるよ」
 鏡は有の独り言を笑い飛ばす
「確かに、生きてるっちゃぁ生きてるよ。でもね停滞を打ち込んだから、まあ安心しなって」
 しかし有の顔の翳りが消えることはなかった
「だって……さっきからずっと何か言ってるし」
「は?」
 鏡は有の言葉に大した反応が出来ず、ただ開いた口がその音だけを発した
「さっきからその人の声が聞こえるの。だけど朱水も鏡さんも由音ちゃんも矢岩君も誰も聞こえて無さそうなんだもん」
 有は肩を抱いて震え始めた
 自分だけに起きている現象と言うのが怖いのだろう
「お願い。誰かこの声止めて」
 有はとうとう跪いてしまった
 朱水は不審ながらも男に近づき、その姿を観察する
「驚いた。本当に生きているのね」
 その男の胸は微かにだが上下していた
 そして朱水は気が付いた
「ねえ、貴方、確か妨氷でこの男の両手両足を切断したのよね?」
「ああ……そうか!」
 玄は瞬時に何が起こっているか悟り、叫んだ
 断面には氷など一切見受けられなかったのだ
「そいつから離れろ! 奴は自分で切断されたと見せかけているだけだ」
 その玄の叫びが終わると同時に地面から数え切れないほどの黒い手が突き出てきた
 地面が割れる事も無く、ただそれは生えてきた
 間一髪、朱水はその黒い噴泉から逃れる
「停滞が効いていないですって?」
 地面から垂直に伸びあがる無数の黒い噴泉を見上げて鏡は絶望の音を零す
「あれだけの呪いと一緒に穿ったのよ。それなのにこんなに動けるなんてどれほどの化け物よ」
 首を大きく振り思考を止めた鏡は急いで有のもとに駆け寄り、朱水の代わりとして護衛に付く

 魔狩り者である高海鏡が何故魔である尼土有を最初に保護したか
 それはここにいる人間達の安全のためである
 尼土有を失った一色朱水は恐らく怒りのままに動くだろう
 そうなったら例え鏡達であっても命の保証はできないのだ

 朱水は黒い腕を目の前にして身構えている
 彼女は理解しているのだ
 背中を向けたら殺されると
 第一の強さを

「どうやらこれからが本気でお相手してくれるようね」
 朱水は全ての神経を研ぎさまし集中する
 何があっても奥手を取らないように

 理解している
 この中で一番強いのは一色朱水だ
 その自分がここでおめおめと死を招き入れることとなったら、有だけでなく、魔狩り者らも殺されることになると

 唇を舐めて湿らせる
 咳が込み上げてくる

「何が起きているんだ?」
 玄は目の前で起きている状況にただ疑念を抱く

 直ぐに襲いかかって来ると思われた黒い腕は、その進路を正反対に折り曲げたのだ
 そして男へと零れ落ちる
 終いに数々の黒い腕は男を包み、黒い球となった

「嫌な感じっす。まるで卵みたいじゃないっすか」
 言い得て妙、そう朱水は感じた
 魔として最高位につく朱水は、それ故に相手の程度を知ることが出来る
 強者は強者を知る、そう言うことである
 故にわかる
 球の中で今何かが存在しようとしていることを

 体が一度大きく震えた

「来るわよ」
 朱水はそう小さく呟くと右手に霧を集める


 球が割れる
 零れ出でる黒の卵水
 次いで馬のようなモノが現れた


「冗談だろ……何てモンを相手にしちまったんだよ」
「何すかあれは? 馬ですか?」
 由音の問いに鏡は頭を抱えて答えた
「中国の四霊が一つ、よ。あんたも名前くらいは知ってるでしょ」
 朱水が絶望の色を潜めた声色でそのモノの名を告げた

「麒麟よ」

「一角牛尾馬蹄の鹿、正しく麒麟ね。影だから大きさは曖昧なのかな、想像よりは随分小さいね」
 鏡は鏡で有と由音をさり気なく庇うように身構える
「鬼神、俺達はどうしたら良い?」
 朱水は瞬時に玄が言いたいことを理解し、端的に言った
「確かに、私一人の方が有を守れるかも知れない。でも最初の全力の霊力が外れてしまえば私は瞬く間に殺されるでしょうね。だから、出来れば共にいて欲しいわ」
 生き残る可能性はそちらの方が少しは増し、そう朱水は考えた
「わかった。呉々も俺達ごと消し飛ばすことのない様にな」
 朱水は玄の言葉を無視する
 有さえ守れれば、それが朱水の本心であるからだ
 玄もそれがわかっている様で、ただ黙って神器を構えた

「「「汝ガ……神タルモノノ…………」」」

「聞こえた。これが有の言っていた声なの?」
 有は鏡の背後でこくこくと怯えながらも頷く
 有以外の四人は初めてその謎の声を聞きとる事ができた

「「「迷イシモノ……」」」

「何が言いたいのよ。有に用があるならちゃんとした言葉で喋りなさいよね」
 朱水は精一杯の虚勢を張る
 肌に強烈な痛みが走りまわっていた

「「「迷イシモノ……汝ガ…………」」」

「迷いし者、尼土のことか?」
 玄は有の方へと頭を向け続けている麒麟の様子からそう推測する
「何故彼女が迷いし者なの?」
 鏡は自分の背後にいる有を麒麟の目線から逃がそうとしながら、恐怖しか与えないその黒いモノに問うた

「「「全テノ……回帰導キテ……」」」

「どうやら話は通じないみたいね」
 鏡は半分諦めのような口調でそう呟きながら、左手を地面に付ける
「魔力、行使」
 左手に逆十字が浮かび上がり地面が十字に剥がれた
 背後の有はその質量感に驚く
 世界がどう間違っても女性一人が片手で持てるような塊ではなかった
「捕らえるなんて夢の又夢。生き残れるかさえも確かじゃないわね」
 でも、と鏡は続ける
「私だってこれでもただの人間じゃないのよ」
 その言葉に思わず朱水は吹き出してしまった
「そうね。貴女をただの人間だなんて思う輩はこの世にはいないわね」
 鏡はその朱水の皮肉めいた言葉に何故か励まされた様な気分となった
「動くぞ」
 玄は妨氷に溜に溜めた魔力を確かめるように一瞥してから切っ先を麒麟の雄々しき頭に向ける


 それは跳んだ
 どんな者でもソレの出足は見えなかっただろう
 麒麟の影であるソレは何者にも止められない速さであった

「こっち、か」
 鏡は辛うじて察知した麒麟の動きを材料に狙いが有である事を確信した
 土の塊で出来た十字を盾にそれを迎え撃とうとしたが、いとも容易く吹き飛ばされてしまった
 その音たるや鉄の塊がぶつかった様だった
「キャァ」
 鏡の声高い叫び声が当たりに響く
 その姿は森の方へと消えていた
 樹木が折れる音が鳴り響く
「鏡先輩!」
 それを真横で見ていた由音は、有の手を引きながら鏡の下へ走り向かう
 止まった麒麟に片手で器用に釘を打ち飛ばしつつ
 木が折れてできた道を二人は跳ね走る
「大丈夫っすか?」
 道の終わりにいる鏡へとたどり着くとその頬へ手を添える
 鏡は顔を痛みに歪ませながらふらふらと立ち上がった
 服は破れていて中に着ていた特殊な鎧が露出していた
 その背中にあった木は半ば折れかかっていた
「さあどうだか。骨の一・二本はやられてるんじゃないの? ったく、馬鹿みたいな力持っちゃってさぁ」
 既に土塊が消えている左手を右手に添えて遠くに佇む麒麟目がけて詠唱を開始する
「有君離れるっす」
 由音は有を突き飛ばし、自身も木陰に跳び込んだ

「刮目しなさい(レンゼッテ)」「完数なる物の在処よ。三たる所以(ゆえん)に回帰せよ」

 詠唱を終え右手を振り上げると三本の氷の矢が足下から飛び出し麒麟に命中した
「あちゃー、効いてないね」
 氷の矢は確かに麒麟の眉間に突き刺さったように思えたがそのまま貫通してしまった
 その矢が麒麟の怒りを買ったのか、再び麒麟は鏡目がけて突進をする
 黒い怪物が新しく生まれた道を豪速で滑る
「何呆けて立っているのよ。殺されるわよ」
 いつの間にか鏡の横にいた朱水は有を抱きかかえ右に跳び森の中へと消えていった
 即座に判断し鏡は由音の手を引きながらギリギリで麒麟の体当たりを避けた
 鏡が衝突して倒れかけていた木は麒麟の衝突により今度こそ吹っ飛ぶ
「これはどうだ」
 玄は背後より麒麟の後ろ足を妨氷で切り裂いた
 しかし手応え自体無く、空を切っただけだった
「つまり今まで確認された奴らと同じく、全身が影の部分になったって事か。人間の形状は前身だったって訳だ。こちらからの干渉は受け付けない、厄介なもんだな」
 麒麟が振り返ったので玄も止む無く跳び下がった
 全員が麒麟を囲う様に位置するが誰もが手を出せなかった
 状況だけなら圧倒的に有利に見えるこの布陣は、何ら意味をなしていなかった
「打つ手は無いんですか?」
 由音は釘を作ることすら諦めた様で右手に短刀を持ち絶望の様子で構えていた
「わからねぇ。単純な打撃では意味が無いし、神器すら効かないとなるとな」
 玄は鞄の中にある鉄球を繋げたような物を掴むが、しばし考えた後それを戻した
「こいつを使うわけにはいかねぇな」

「「「迷イシモノ……今コソガ期……ソノ……モッテ……」」」

 麒麟は前足を踏みならす
 暴れ馬の様なその姿は死の舞であろうか
「生草を踏まず、か。影になると性質も変わるものなのかね」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ。どうするのよ」
 鏡はじりじりと足をずらし玄の横に着く
 大きな動きは間違いなく興奮した第一を大いに刺激してしまうからだ
「なあ高海、あれ打てるか?」
 鏡はそれに自分の掌を思慮深げに眺めてから頷いた
「一度くらいなら。でもこんな所でぶっ放したら大きな被害出るわよ」
 玄はニヒルな笑いをして見せた
「構わねぇ。生き残るのが最優先だ」
 そして麒麟の表に回り叫んだ
「俺がどうにかしてこいつの足を止める。良いな?」
 鏡はその言葉に覚悟の頷きを返す

「待って。私がやる」

 その言葉は意外な人物から零れ出た
「有……」
 朱水に守られていた有は震えながらも声を張り上げる
「影の目標は私なんでしょ。私なら多分影を止められるはずだから……。そうでしょ、朱水?」
 有の決意の眼差しに朱水は反論しそうになった自分を抑える
 感情だけでは生き残れない
「…………ええそうね。貴女の壁なら恐らく止められるでしょう」
「良いのか?」
 玄は朱水に尋ねるがその視線を遮るように有は立ち、大声で自分を奮い立たせるように叫んだ
「私、出来る!」
 その声に麒麟は向きを有の方へと変えた
 その目は有を潰さんとしている
「わかったわ」
 朱水は有の手を握る
「でも横にいさせて。私は貴女と一緒、絶対によ」
 有はその手の震えに驚いたがその震えを止めるほどに強く握り返した
「うん、横にいて。その方が安心できる」
 麒麟が二人に向かって足を踏み鳴らした
 来る……
 その距離は麒麟の数歩である
 もう後戻りはできない
 迫る黒塊
「来るわよ」
「うん」
 有が目を閉じると同時に薄い水晶の様な壁が現れた
 麒麟はその壁に当たり反動で地べたに転がるように倒れた
「凄い……本当に止まったっす」
 由音は目の前で起きた、単純でしかし理解し難い現象に(おのの)いた
 当たり前だ、先程まで何ら手応えを得られなかった麒麟をいとも容易く止めてのけたのだから
 あの青い魔は自分が尊敬する二人の魔狩り者、恐れている鬼神、それらよりも危険な者なのかも知れない
 だが、頼もしい
「高海、今だ」
 玄の声が鏡の瞼を開ける
「わかってる」
 鏡は自分と影の直線上に誰もいないことを確認して早口で詠唱する

「賛美せよ(アンスゥーデ)」「小柄なる者、大者(たいじゃ)を討ち取らん。支配は被支配に、被支配は支配に、怒りの(ごう)愚昧(ぐまい)なる者に叩き付け、万物の台となりし者よ、今こそ()せ。汝は願う者、我は告げる者。我は刻を告げ、汝がそれに応えるのならば、汝が願い、我が叶えよう」

 鏡が詠唱を終えると、その周りに渦が現れた
 その渦は無数の土石で出来た竜巻
 人間の目ではその一つ一つの姿を捕らえられないほどの速度で回っていた
 石のとぐろは更に土を巻き込み小枝を吸い込み赤く脱皮する
 強熱(ごうねつ)が鏡の皮膚を覆う
 瞼は既に開けられないために後は自分の感覚を信じるだけしかない

「歌え、笑え、狂え」

 鏡の最後の言葉と同時に渦から石が我先にと影目がけて飛び出した


 それは森の静寂を奪い去り
 あらゆる木々と
 数えきれないくらいの小さな命を
 いとも簡単に消し飛ばし
 全てを蹂躙し
 根こそぎ大地を抉って
 最後には勝手に融け消えてしまった

 それは悪魔の所業か、大地を一直線に消して魅せた


 しかし、結果は予想を裏切った
「うっそ。冗談でしょう?」
 鏡は落胆した
 黒い獣は未だ倒れたままであったが、確かにそこに存在し続けていたのだ
 あれだけの魔力を使い果たし、これだけの生命の犠牲を出しておきながらも、彼女の行使できる魔法の中でも最高峰の威力を誇る一撃は影の形を崩すことすら出来なかったのである
「いよいよ万策尽きたか」
「ここが死に目っすか」
 日頃から死ぬ覚悟がある削強班はもはや逃げることすら考えず、ただ最後の最後まで抵抗しようとする
 元より逃亡など目の前の俊足の怪物には無意味な手段であろう

 だが……
「ふふ、ふふ。今のでアレがどの様な物か多少わかったわ」
 声一つ、この場を支配している空気とは違う色を滲ませる
 彼らが恐れる者の一つである鬼神は有の肩を抱きながら不気味な笑いを見せた
 その微笑みは幾人もの死者を見てきた削強班の背筋さえも凍らせた
「何を、するつもり?」
 鏡はそう訊くが朱水は人間など相手にしないと言いたげな眼差しを向けるだけである
「有、命令よ。何とかしてアレを止めなさい。壁等ではなく、確実に止められる何かを創造して」

 朱水が纏う空気が変わった
 朱水の髪が段々と白く光り始める
 朱水の周りに紫色の霧が集まり始めた

 その変化に削強班達は慌てふためく
「不味い、高海、菅江、俺達は退くぞ」
 玄は即座に撤退の意思を告げる
 彼の頭にはそれ以外の選択肢は浮かばなかった

「あれ……が」
 鏡は恐怖の余り言葉の続きを口から出せなかった
 そうしている間にも朱水の変化は速やか進む
 目眩、それに近い視覚異常を覚える鏡は、それでもその眼を鬼神へと向け続けた

 知っているのだ、あの姿を見た者がどの様な結末を迎えてきたのかを
 わかっているのだ、ここにいるだけで簡単に命が吹き飛んでしまうことを
 そして再認したのだ、やはり彼女は魔であり人間を容易く葬る化け物であることを


 違い過ぎるその存在
 恐ろしい、そう、恐ろしい
 ああ、やっぱり鬼は鬼なのだ
 鏡が殺してきた者の中にこれほどの神秘的恐怖を覚えさせる者はいなかった

 凍え、膝が抜ける

「鏡先輩、どうしちゃったんすか! 逃げないとマジで殺されちゃいますよ!」
 由音は泣きながらも鏡を立たそうとする
 肩を必死に揺らすが鏡は一向に明確な反応を示さない
「あの人の目、あれホンモノでしたよ。人間を塵屑と見下げる目だったっす。このままじゃ巻き添えくらいますって」

 鬼神が再びこの大地に現れようとしている
 一色朱水という者から魔王とも呼ばれるべきイキモノが再び生まれる

 世界が揺れる
 それは大地すらも鬼神を恐れるから

 目は金色に、髪は白銀に輝き、唇は艶やかな魔性の美しさを持ち、逸美(いつび)なその肢体は紫の霧に覆われ、一層それを鬼神たらしめている

 麒麟すらその誕生に圧され動けないでいた

「あれこそが『鬼』と呼ばれる種族の証……」
 玄は鏡を抱きかかえ由音に目で逃走のサインを送る
「魔の中で形が変わる者達を鬼と言う……」
 腕の中の鏡はブツブツと何かを語る

 人間の容姿から異形へと変わる事が出来る、数少ない魔こそが『鬼』と呼ばれる種族である。異形である者は第一に近い存在、つまり鬼は人間の皮を被った第一と同じなのである。鬼であるというだけでその実力を誰もが認めるほどだ。それほどに危険な生き物なのだ。

「朱水……」
 有は震える顎で何とか声を絞り出す
 金色の目が有を捉える
「足枷でも良い。檻でも良い。何でも良いからアレを完全に止めて頂戴」
 朱水の変身に腰を抜かすが、有は地べたに座り込んだまま言われた通り足枷を創った
「これじゃ、意味が無い」
 しかし、確かに足枷は創れるのだが、ただそこにあるだけで何ら意味を持たないのである
 地面に転がる枷を有は絶望の色で眺める
(どうしよう……こんなんじゃ意味が無いよ。そもそも影には物理的な影響は与えられないのに。どうしたらいいのかわかんないよ)
 有は自分の行動が未来に大きく影響することを理解しているために焦り、頭では余り意味の無いことを繰り返していた
 助けを求めようと顔を上げるが周りには朱水しか残っていない事を知って顔をゆがめる

 ずっと蠢いていた第一はついに壁にぶつかった際の激痛に慣れたのか、ふらふらとしながらも立ちあがった

 その光景が目に映ると有は涙を零した
(駄目だ……できないよ……無理だよ……朱水)
 その目は朱水に向けられる
 鬼はしっかりと有を見ていた

 鬼が微笑む

 例え容姿が変わろうともそれが朱水であるのだと納得させられる光景であった
「早くして頂戴。正直、理性を保っていられるのはほんの少しなのよ」
 響く朱水の優しい声は有の混乱を多少鎮めることとなった
(足枷、檻……どうすれば良い? 例え影に影響を及ぼすように創れても、あの速さでは檻では間に合わないし、足枷にわざわざかかってくれるわけがない。どうすれば……考えろ……考えるんだ……)

 アイシスは言った
 私の力は『肯定』だと
 朱水は言った
 私の力は現実を上回る『肯定』だと

 ならば

 私がそれを強く信じるならば
 私がそれを強く望むならば

 私のその空想は現実を上回る

 多少の矛盾など無視できる、それこそが「現実を上回る」という事なのだから

 だったら

「だったら私が創造すべき物は足枷や檻なんかじゃない」

 朱水は有の瞳の輝きで理解した
 有は……『やる』
 朱水は麒麟との間を一瞬で詰める

「行くよ朱水!」

(現実を上回る空想、答えは『足枷がかかった第一』だったんだ)

 麒麟は朱水の接近に伴い跳び退こうとしたが、急に現れた足枷により本来影響されない足が動かなくなってしまい、再び横倒しとなった

 朱水の手が確かに麒麟に届いた
「上出来よ。後で一杯褒めてあげるわ、有」
 朱水はその腹に両手を突っ込む
「さっきの物理的な魔法が効かないならば、私が存在ごと消してあげるわ」

 影は崩れる

 ただの破壊ではなく「壊れるという呪い」によって
 物理的な力が効かないならば根本の力で壊せばいい
 世界の力によって作られた存在ならば同じ力で押し戻せばいいだけだ

 朱水は気付いた
 魔法と言う世界の神秘で傷つかない物は一体何だというのか
 それはまさしく「影」
 その場に存在する物ではなく存在に付随するモノ
 実体から影が生まれているというのなら
 実体の方を壊すか
 影を薄めてしまえばいい
 そう考えたのだった

 光によって生まれる影ならば
 風を当てようが影が消える事はない
 しかし同じ光によって消す事ができる
 その要領で目の前の影を消すとすれば……

 朱水は覚悟を決めた



 鬼神の解き放った霊力の流れに乗って第一の『(けい)』は層を移ろう

 それは存在そのものの破壊
 それは影そのものの崩壊
 それは物の否定


 影は崩れる
 鬼神の呪い(ちから)をその一身に受けて……





「終わったようだな」
 階段の中程にいる玄は影の消滅を悟った
「ほら、何時までも泣いてないの」
 鬼神を視界から失った鏡はいつもの明るさを取り戻していた
「だってぇ~。ホントに怖かったんですもの~」
 鏡は由音の涙を手の甲で拭い取る
「大丈夫、もう終わったんだから。それに一色さんなら元に戻るわよ。だってそうじゃなかったら私達はあの一色朱水しか知らないことになるからね」

 以前にも一色朱水はああなった
 しかし死に神となりて人々から命を奪い、鬼神と恐れられた一色朱水との初顔合わせでは、意外という表現を禁じ得なかった
 何故なら私達の様に笑い、私達の様な生活をしているからだ
 何よりも驚いたのは眩しい程の尼土有との信頼関係だった
 いや、二人の関係はそのような言葉では言い表せないのかも知れない
 あれでは人間と何も変わらないではないか
 むしろ、人間よりも人間らしいところもある



 なら、私達がさんざん殺してきた中にも……



「お出でなすった」
 玄の言葉に釣られて鏡は階段上の二人を見上げた
「これまた何とも素敵なご登場で」
 鏡は思わず笑いながら二人が下りてくるのを迎えた
 朱水の容姿は既に元に戻っていて、その顔は喜びで充ち満ちていた
「私は遠慮したのに」
「ご褒美よ、ご褒美。こういうの、憧れていたのよね」
 一色朱水は尼土有を、所謂「お姫様抱っこ」と呼ばれるポーズで連れてきたのである
 どっちにとってのご褒美なのかは敢えて言及しないでおくべきか
「びっくりする程お似合いよ」
 鏡は自分の脳裏にちらつく考えを振り払い、両魔の雌雄関係を象徴しているであろうその姿を称える
「でしょう? 何よりも驚いたのは有の抱き心地よ」
 朱水は興奮した様に有を更に強い力で抱きしめる
 有はその姿故に見えそうになる下着を隠そうと必死だった
「この素晴らしい程の安定感、右手に垂れる髪のこそばゆさ、適度な重量、程よい肉感、鼻に微かに届くこの匂い、どれをとっても……最高よ」
 終いには熱の籠った溜息を吐く
「ちょ、朱水、恥ずかしいって。それにきっついよ」
 有は顔を真っ赤にして離れようとするが、その顔を見れば誰もが嫌がってはいないと察するだろう
「あら」
 朱水は階段の端でグスグス泣いている由音を見つけた
「あ~、私よね?」
 気まずそうな声が出た
 鏡は当たり前の様に頷き由音の下へ行くよう頼んだ
「わかってるわよ」
 朱水は有を下ろして由音を後ろから抱きかかえる
「ひぃ」
 由音は横から現れた朱水の顔を見るや否やもがいて逃げ出そうとする
 しかし朱水の力には敵わず、疲れて朱水の胸に寄りかかることとなった
「怖がらせちゃってごめんなさい」
 由音は驚く
 鬼神と恐れられていた者がこうも易々と人間に対して謝罪の言葉を口にするなど思ってもいなかったからである
「許して頂戴。あの姿ではつい人間に手が出ちゃうのよ。だから何も起こさないように睨みを利かせて離れさせようとしただけなのよ」
 朱水はくすくすと笑いながら由音の耳元でそう言った
「恐ろしいことを言うな。あんたの場合手が出るっていうのはつまり殺すって事なんだろ?」
「まあ、そういう事ね」
 朱水のあっけらかんとした物言いに釣られ、玄も口を歪ます
「どう、許してくれないかしら?」
「えっと」
「あら、許せないなんてほざくのかしら?」
 由音の肩を掴む力が強くなった
「ひぃぃぃぃぃ」
 それだけで再び頭の中が混沌となった由音は暴れ出したが、結局朱水の力に立ち向かうことは出来なかった
「嘘よ。ふふ、トラウマにでもなったかしら」
 朱水は朱水で楽しそうに由音を力ずくで抑えようとする
 それを見ていた三人は一色朱水に関するある同じ表現を偶然にも思い浮かべていた

『サドだな』
『サディズム、か』
『朱水って結構Sっ気あるよね。……っは、つまり私も対象になっているって事なのか』

「な、何だかこの感じゾクゾクするわ」
「ひぃぃぃ、勘弁してくださぁぁい」
 朱水は泣き叫ぶ由音をずっと弄くりながら階段を下る
 残された三人は無言で後を付いていく
 一人は他の二人に哀れみの目を向けられながら

▽▽▽▽▽

「皆様、ご無事で何よりです」
 執事さんは私達が車に乗り込むと直ぐに車を発車させた。
「あ、私達は空港で下ろしてください」
 鏡さんは身を乗り出して執事さんにそう告げる。
「宜しいのですか?」
「はい、タクシーを拾って帰りますから」
「爺、言う通りにしてあげて。どうせ自分たちの住処を知られたくないって事でしょう?」
 鏡さんは核心を捕らえた朱水の言葉にただ苦笑した。
「まあ、組織の規則に載っているんじゃ仕方ないわよね」
「え、鬼神さんはあの短時間でそんなところまで覚えたんっすか?」
 すっかり泣きやんだ由音ちゃんは朱水の言葉に驚きの意を示す。
「まあね。それより由音ちゃん。何時までも鬼神さんはないわよね?」
「あ、すいません。では何と呼べば」
「何って……そうね、特別に朱水さんって呼ばせてあげるわ」
 うわぁ、今更だけど随分な上から目線だなぁ。
「は、はいぃ! ありがたくそう呼ばせてもらいますぅ」
 由音ちゃんは朱水の手を握ってブンブン振り回す。まるで梓ちゃんだね。
「そこまで喜んでもらえるとは思っていなかったわ」
 朱水は由音ちゃんの勢いに押され手を振り回され続けていた。にしても『朱水君が良いです』とは言わないんだね。
「あ、朱水さんの愛しの尼土有さんは有君と呼ばせてもらっていますが、どうでしょうか?」
「何よそれ」
 上機嫌だった朱水は一瞬で不機嫌になる。
「何だか呼び捨てより親密そうじゃない」
 朱水の態度に驚いた由音ちゃんは慌てて言葉を繋げる。
「だ、駄目なら止めますとも」
 しかし朱水は暫し考察した後、首を左右に振った。
「別に良いわよ。私と有との絆が何よりも深い事は自明なのだから」
 由音ちゃんはその言葉に安堵の表情を作る。何か聞いてるこっちの方が恥ずかしいよ。
 他の二人は呆れた様にその会話を聞き流していた。
 バックミラーに映っていた執事さんは楽しそうに目尻に皺を作っていた。
「皆様方、そろそろ空港に着く頃ですが」
「あ、はい。駐車場に止めていただければ結構ですので」


「それじゃ私達はここで」
 三人は駐車場で車を降りた。
「気を付けなさいな」
「あなたに心配されるのも妙な話ね」
「それもそうね」
 鏡さんと矢岩君はタクシー乗り場へと進む。
「あれ、由音ちゃんは一緒に行かないの?」
 由音ちゃんは車の傍で何もせず立ち呆けている。
「ああ、自分は先輩達とは正反対の方面なんで一緒のタクシーではないんすよ」
 だからここらで一人ご飯を食べてから帰るとのこと。
「あら、なら私の屋敷に来ないかしら? これから夕食を一緒にどう? 勿論有も一緒よ」
 勝手に私の予定を決められた。まあ、元々言われたらお呼ばれする気だったけどね。
「えぇ、良いんすか?」
「ええどうぞ」
 執事さんが開けてくれたドアから勢いよく由音ちゃんが飛び込んでくる。
「えへへ〜」
 私のお腹に顔を埋めると幸せそうな横顔をこれでもかとばかりに見せつけてくる。子猫みたいなその顔を、誘惑に負けた私は弄くり遊んでしまった。由音ちゃんも頬をつつかれるたびに気持ちよさそうな声を上げた。
「私は幸せ者っすよ〜」
 由音ちゃんは私のお腹の上でクルンと引っ繰り返り、えへ〜と破顔する。
「あ、そうそう。今日の夕食での有の担当は椒よ」
「あ、そうなの。なら絶対行かなきゃだね」
「ええ、本人からの申し出でね」
 そうなんだ。
 椒ちゃんとの関係も良好だし、大きな出来事も終わったりして……順風満帆過ぎて怖いくらいだね。
「何を作るか聞いてる?」
「さあ? 爺は聞いているかしら?」
「はい。確か炒飯を作るんだと張り切っておりましたが」

 ……またか

「椒ってあの黄色い髪のフランス人形みたいな子ですよね? あんな子が専属料理人だなんて羨ましい限りっす」
「全くよね」
 朱水は私の今日の昼食が何だったのかを知っているくせに知らん振りを決め込んでいる。
「帰ったら私がちゃんと言っておいてあげるわ」
 朱水は窓に映る由音ちゃんの顔を眺めながらそう言った。
「有は椒の炒飯が大好きだ、って。あの子、大喜びするわね」




 ……イジワル





                       (第2話 完)
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