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桃太郎の姉の告白

 山間の道を一人の男が歩いていた。時は夕暮れ。季節は夏。虫の声が響く中歩く。

 男は旅人のようであった。腰に挿したものからすると侍か。三度笠に手をやると、立ち止まって行く先を見据えた。

「家が……あるな」

 人里からはやや離れていた。道も獣道に近いものであったが、木々の合間から小さく茅葺の屋根が見える。歩いていくと、ふもとの村を見下ろせる開けた場所にくたびれた家が一軒立っていた。

「こんな場所に家が……」

 しばしその家屋を眺めていると、中から娘が一人出てきたので驚く。廃屋と思っていたからだ。

「何か御用ですか」

 娘のほうには動じた様子はなかった。見る限り、十五、六といったところ。だいぶ色は褪せているが、花の図柄をあしらった赤い着物を着ている。美しい……だがどこか人を寄せ付けぬ雰囲気を感じさせる。

「こんなところに家があるのに驚いていた。一人で暮らしているのか」

 旅人の質問に、娘は首を横に振った。その目は何者か問うてはいたが、不審は浮かんでいない。旅人はそれを悟る。

「麓の騒ぎは知らんのか? 沖にある八島で死人が出たぞ」

 娘はそれを聞いて、顔をこわばらせる。八島とは麓の村の者から聞いた名で、陸からはそう遠くない小舟でも渡れる島であった。古くは八つであった島が一つに集まってできたと言われるが真偽は定かでない。

「八島で死人が……? そんな……」

 娘は軽くよろけたようであった。旅人はそれを恐怖によるものと受け取る。

「それも一人二人ではないらしい。三十を越える数の死体が出たと聞いた」

 娘は額に手を当て、戸の前の岩に腰を落とした。息が荒い。

「そんな……まさか……」

「刃物で斬られていたそうだ。一人残らず……」

「あの島には誰も住んでいない筈……です」

 娘はやっとのことでそれだけ口に出した。

 旅人は立ったまま答えた。

「そうらしいが……何でもな、ここ十日ほどは、村の若い衆が祭りの稽古をするために連れ立って島に渡っておったらしい。何といったか、面をつけて舞いを踊る出し物があるのだと聞いたが。どうも、その者たちだという話だ。皆殺しにされている」

 それを聞くと娘は震えた。腕で両肩を抱き、どこか空中の一点を見つめた。

「なんてこと……ああ、どうして今……」

「今、麓の村じゃあ下手人を捜索中だ。私は旅の途中なのだが、よそ者は疑いを晴らすのも一苦労だ」

「殺した者はまだ……捕まっていないのですか」

 娘の問いに、旅人は首を振った。

「そうらしい。島から戻った舟は見つかったそうだがな。小舟で、乗れても一人二人だろうという話だ。あれだけの人数の、しかも血気盛んな若い男どもを一人二人で全員切り伏せたとなると、人間業とは思えんが」

「誰の仕業かも……わかっていないのですか」

「村の人間の話じゃあ……わからんそうだ。よそ者には違いなかろうが。街道の方へは逃げとらんようだし、山に逃げ込んだんじゃないかという話だ。間もなく山狩りが来るぞ」

 娘が黙り込んでいるので旅人は言葉を継いだ。

「あんたも、今は下に避難したほうがいい。山に潜んでいるかもしれん」

 だが、娘は呆けたように答えもしない。虚空の一点を見つめて考え込んでいるようだった。旅人は娘を説得しようとはすることはせず、代わりに尋ねた。

「ところであんた、宮倉という家はこの先かね」

 娘はそれを聞くと、顔を旅人の方に向けた。目を見開いている。その驚きように旅人のほうが面食らう。

「知っているのか」

「宮倉……でございますか」

「ああ、宮倉だ。そういう家がこの辺にある筈だが」

「それは……何用でございましょう」

 旅人は眉をひそめた。

「宮倉の者なのか?」

「私は違います。……宮倉という家はもう、ありませんので」

 旅人はそれを聞いて慌てる。

「もう、無い?」

「何用でございましょう」

 娘の口調に厳しいものを感じたせいか、旅人は話すことにした。

「人を探している。お初という女だ。もうだいぶ前になるが、宮倉の家に嫁いだと聞いている」

「お初様……でございますか」

 娘はそれを聞いて、旅人を真っ向から見つめた。

「知っているのか」

 話すのをためらっているのがわかった。

「存じませぬ」

 嘘だとわかったが、旅人は質問を変える。

「宮倉の家はどうなったのだ」

「もう……ございません。十年ほど前になりましょうか。源蔵という当主が死に、跡継ぎもなく看取る者もなかったと聞いております」

「看取る者もなし……と? その源蔵に嫁いだのがお初ではないのか。お初はどうした」

「当時の使用人も既に村にはおりませぬゆえ」

「何が……あったのだ」

 旅人は、娘が知っていて口を閉ざしているように思えた。旅人は傍の薪の山に腰掛けて、娘と目線を合わせた。

「その方、名を何と言う」

「私の名でございますか」

「そうだ」

「香織と申します」

「香織どの、話してはくれぬか。お初という女は……」

 三度笠を外し、傍らに置いた。

「……私の姉なのだ」

 はっと息を飲む音が聞こえ、香織と名乗る女は目の前の侍を見つめた。小さく息を吐く。

「これも縁でございましょうか……。話さぬわけにはいきますまい」

「頼む」

 香織は静かに語り始めた。

「私には弟がおります」

 旅人は、いつの間にか虫の声がやんでいることに気付いた。静寂があたりを包む。


「弟の名は……桃太郎といいます」


 *


 私には弟がおります。弟の名は桃太郎といいます。

 私も弟も、どちらも拾われたのでございます。私は十五年前に、弟は十年前に。拾ってくれたのは、このあばら家で暮らしておりました、年老いた夫婦でございました。二人とももうこの世にはおりません。

 弟が拾われたのは、私が七つの頃のことでした。一人で家にいた私は、突然、お婆様が慌ててお爺様を呼びに行ったのを見ました。お婆様はその時、裏の小川で洗い物をしておりました。私が家を出ようとするとお婆様は私にそれは初めて見る恐ろしい剣幕で、けして見に行ってはならないよと言いました。すぐに山へ柴を刈りに行っていたお爺様と戻ってきて、二人は洗い場のほうへ行きました。

 でも私は好奇心を抑えることができませんでした。興味を引かれ、裏の小川へ見に行ってしまったのです。すると川っぺりの洗い場のところに、それはありました。

 大きな桃でございました。

 その頃の私の身の丈の半分程もある、真っ赤な桃でした。私が見たのは、桃をお爺様が刀で切っているところでした。刃が桃を二つに割っていくにつれ、赤い果汁が溢れ出しました。と思うとお婆様が桃の中に腕を突っ込んで、赤黒い塊を取り出しました。

 それは赤ん坊でございました。

 その産声に私が驚いて声をあげたのでお爺様とお婆様にばれてしまい、家に戻されて酷く叱られたのを覚えております。その赤ん坊が桃太郎でございます。

 桃太郎は私とともにお爺様とお婆様に育てられました。お爺様が刈った柴を売ったお金ではとても子供二人を育てることは難しかったのですが、今思えば村の人に助けて貰っていたのだと思います。時々は桃太郎に乳を飲ませに来てくれる村の母親がいたようにも思います。お爺様は村の人に慕われていましたので。

 桃太郎は病気をすることもなく育ちましたが、小さい頃は私と二人で遊ぶことが多かったからでしょうか。村の男の子たちと仲良くなれませんでした。いつまでも姉やと遊んでいてばかりでは困るとお婆様が私と遊ぶのを禁じ、村へ下りていくように言いました。

 でも、駄目だったのでございます。桃から生まれたという話は子供達の間では広まってしまっておりました。それゆえに桃太郎はいじめられたのでございます。お前は親なしじゃ、親が桃ならお前は何じゃと。

 私のせいなのです。桃太郎が桃から生まれたのだと言いふらしたのは私だったのです。己の浅はかさを憎う思います。

 桃太郎はいじめられるのが悔しくてか悲しくてか、いつも泣いて帰ってきました。あの子が不憫でなりませんでした。お爺様もそうだったのでしょう。お爺様はあの子に剣術を教えました。昔は名の知れた剣術家だったお爺様は、桃太郎をほんのちょっとたくましくしてやるつもりだったのでしょう。でもあの子は……剣の才に恵まれておりました。お爺様も驚いておりました。老いたとはいえ、習って五ヶ月で八歳のあの子がお爺様を負かしてしまったのですから。

 でもあの子は根は優しい子なのですよ。それだけに残念でならないのは、お爺様が桃太郎の木刀を受けて、腰を悪くしてしまったことでした。お爺様を初めて打ち負かした喜びと、己の剣でお爺様を傷つけた悲しさに挟まれ、あの子は己の心を乱してしまいました。村の子供たちにはけして剣を向けてはいかんとお爺様に言われていたのに、あの子はやり返してしまいました。

 子供達の中では大将格だった子を、一太刀でやっつけてしまったのを見て、あの子がいじめられることはなくなりました。ただ代わりに誰もあの子に近づかなくなりました。私は見ていなかったのですが、その鮮やかな一太刀は子供たちだけでなく大人も怖がらせるのに十分だったのです。

 お爺様は腰を悪くしてから半年程して逝きました。お婆様もそれから程なく後を追いました。

 私たちは二人きりになりましたが、あの子がお爺様の真似事をして柴を刈ってくれましたし、村の大人達もお爺様と同様、私たちを気にかけてくれておりましたので、なんとかやってこれました。

 ただ、結局、あの子には友達ができませんでした。

 ずっと寂しかったのだと思います。桃太郎は。本当は他の子たちと遊びたかったのだと思います。でも、できなかった。桃から生まれたという己の出自を恨んでおりました。ええ、わかっております。本当は、出自など関係ないのです。でもあの子はそう信じておりましたし、それは私のせいなのです。


 あの子のことを、村の子供たちが影でこう言っていたことがあります。

 桃太郎には、三匹のお供がいる、と。

 三匹とは、犬と、猿と、雉だというのです。

 何のことだかわかりますか?

 わかりませんでしょう。

 それは、こういう意味なのです。


 友は居ぬ。友は去る。友は来じ。


 桃太郎の友など一人もいない。桃太郎の友だった者はみな去ってしまう。桃太郎のところに友など一人も来はしない。

 そう引っ掛けた、言葉遊びなのでございます。桃太郎には一人も友と呼べる人間がおりませんでした。でもあの子ほど、それを欲していた子もいなかったと思うのです。


 あの子が桃から生まれた桃太郎になってしまったのは、私のせいなのです。

 お婆様が死ぬ間際に私だけを呼んで、そっと教えてくれました。あの日、川辺の洗い場で見た光景のことでした。私が桃から赤ん坊が出てきたと思い込んでいたあの光景は、少し違うものでした。考えてみれば当たり前のこと、そんな大きな桃はありませんし、あっても人間の赤ん坊が出てくる筈がありません。


 あれは真っ赤な桃などではありません。体中を斬りつけられ、血に染まった裸の、女の死体だったのです。それも、臨月を迎えた妊婦でした。


 お婆様が川を流れてきた女を見つけた時、まだ生きていたそうです。それでお爺様を呼びに行ったのですが、もう手遅れでした。間もなく息を引き取りましたが、お爺様は女の最後の願いを聞き届けました。お腹の子を助けて欲しいと。お爺様は言われた通り腹を割き、お婆様は赤子を取り上げたのです。

 私は、たぶん幼さと衝撃ゆえにそれがうまく理解できなかったのでしょう。膨れた真っ赤な腹を桃と勘違いしたのです。桃を割ったら赤ん坊が出てきた、そう思ったのです。あまつさえ、それを麓の村で言いふらしてしまった。

 お爺様とお婆様は、おそらく私に本当のことを知らせないほうが良いと思ったのでしょう。その通りあれは桃だよ、桃から生まれた子だよとそう言い聞かせられました。桃から生まれたのだから桃太郎がいいと私は言いました。私が名付け親だったのです。

 そのせいで、弟は桃から生まれたという因縁を背負って生きなければならなくなったのです。全ては、私の浅はかさが生んだことでした。


 宮倉の家の話をいたしましょう。

 ここよりわずか山道を行ったところに立派な屋敷がありました。何代も続いた宮倉家でございましたが、あそこに家を移したのは最後の当主源蔵の代でございます。二、三人の使用人だけを連れて一人山へ篭ったのでございます。

 宮倉源蔵という男は金持ちでございましたが酷く猜疑心が強く、人に心を許さない男であったとか。そのくせ一人では生きられず、使用人をこき使い、また借金のかたに強引に女を娶りました。連れて来られた女たちも人を人とも思わぬ扱いに二月と持たずに逃げ出すばかりでした。

 お初様を嫁に貰った頃には四十を過ぎていたそうです。初め、源蔵は他の女と同じように乱暴を働いたということでしたがお初様は逃げ出しませんでした。源蔵の乱暴に耐え、三年も沿うたのです。源蔵も次第に心を許し、夫婦らしい会話もするようになり、村の者はようやく源蔵が人の心を取り戻したと喜んだそうです。

 私が覚えておりますのはその頃の源蔵とお初様で、それは仲の良い夫婦でございました。お初様はとても美しく、源蔵も温和な人間に見えたのでございます。

 ですがそれも長くは続きませんでした。

 ある日、源蔵の使用人の一人がお初様に言い寄りました。お初様は拒んだのだと聞きましたが、源蔵はそうは思わなかったそうでございます。裏切られたと思ったのでございましょう。源蔵は完全に心を閉じ、同時に激しい怒りをお初様に向けました。以前の源蔵に戻ってしまったのです。

 お初様は誤解を解こうと必死でございました。でも源蔵はお初様の言うことは信じません。それでもお初様が出ていかなかったのは、源蔵の子を宿していたからです。子供が生まれればあの人もまた心を取り戻してくれる。一度川辺でお初様が私にそう仰いました。

 お腹が大きくなり、誰の目にも身篭っているのがわかる頃になってようやく源蔵はその事実に気付きました。しかし源蔵は喜びませんでした。自分の子ではないと考えたのです。使用人の子だと。

 後から村の者が噂で話していたことですから、確かではありませんが、どうもその使用人は源蔵の金を盗んで逃げ出していたようでした。源蔵はお初様に言いました。あの使用人と駆け落ちでもするつもりだろう、どこへなりと行くがいいと言いました。それでお初様は出て行くわけにはいかなくなったのです。お初様がどうしてそこまで源蔵と添い遂げようとなさったのか私にはわかりません。お初様は出てはいかないと言いました。ならば斬ると源蔵は脅しました。お初様はそれでも残ると言ったのです。

 それで源蔵はお初様を斬り、自害しました。十年前の出来事でございます。


 お婆様が川で見つけたのは、上流から流れてきた、お初様だったのでございます。


 *


「こちらへ……ついてきて下さい」

 香織は立ち上がり、家の前の道をやや下り、わき道へと抜けた。しばらく歩くが、香織は無言だった。旅人も何もきかずについていく。

「お初様のお墓です」

 香織が立ち止まったところには、墓石などない。ただ大きな岩が積んであるだけだった。

「この下に……眠っているのですか」

「お爺様とお婆様が埋葬したと、お婆様が亡くなる日に私に教えてくれました」


 香織は岩の前で手を合わせた。そして一礼し、家のほうへと去っていく。

 旅人はしばしその場で立ち尽くしていた。やがて、岩のほうを向き直り、膝をついた。

「姉上……お久しゅうございます」


 *


 家の戸の前で呆と空を見ていた香織が足音に目をやると、そこには旅人が戻ってきていた。

「香織どの。礼を言う。姉上のことを話してくれたこと、感謝する」

「御用はお済でしょうか」

「いや……まだだ」

 旅人はあたりを見回した。

「桃太郎は……今、どこに」

「ここには……おりません」

「桃太郎に会わせては貰えないか」

「どうしてですか」

「私は……桃太郎の叔父にあたるのだろう。桃太郎を……いや、君たちを……引き取ろう。うちの子として育てたい」

「私はもう十と七になります。ご厄介になるわけには参りません」

「厄介などと言うな。私には子がない。妻は子を生めぬのだ。こうして姉の嫁ぎ先を尋ねたのも、半分は養子の頼みに来たのだ」

「跡取り……でございますか」

「そうだ。私の勝手な事情で済まないが……桃太郎と君は連れて帰る」

 旅人は香織に頭を下げた。

「頼む。来て欲しい」

 香織は……しばしうつむいた。髪を落ち着きなく触り、やがてぽつりともらした。

「ありがとう……ございます。とても、ありがたい申し出です」

 旅人はほっとした顔をした。

「私たち二人には身よりもなく、いつまでも村の大人たちの好意に甘えているわけにもいきませんでした。とてもありがたい……申し出です……」

 香織はしかし、涙を流していた。そのことに気付いた旅人は一歩近づいて言う。

「なぜ泣く。君には泣く理由などない」

「あります。私たちはもう……手遅れなのです」

「手遅れ……?」

 香織は嗚咽を漏らした。

「どういう意味だ。何が手遅れなのだ……? 桃太郎は?」

「桃太郎は……」

「桃太郎は、どこにいるのだ」

 香織は、唇を噛んだ。


「桃太郎は……鬼が島に」


 *


 あの子は……。あの子は、剣を持って村の子を叩いてしまったことを、ずっと後悔していました。いじめられることはなくなったけれど、あの子にとってはむしろ近づいてこないことのほうが堪えたでしょう。一層の孤独として、より辛いものに感じられたのだと思います。

 あの子は、認められたがっていました。必要とされたがっていました。村の皆に。

 ある時、村の誰かにお爺様の昔の話を聞いたらしいのです。昔、よそから来たゴロツキが村の皆を苦しめていた時、お爺様が剣で追い払ったことがあると。そのことがあってから、お爺様は村の皆に一目置かれるようになったのだと。お爺様もよそ者でした。村に居場所ができたのはその活躍のおかげだったのだと、そういう話でした。

 弟はその話にいたく感激し、自分も同じようにすれば受け入れて貰えると信じました。すなわち、村に害を成す者をこらしめれば、村の皆に認めてもらえる、受け入れて貰える、友達ができる。

 しかしそう都合よく敵が現れることもなく……弟はいつも探していました。こんな辺鄙な村にはゴロツキだろうとそうそう訪れません。何もない村ですから。近頃、弟は我慢が限界に来ていたようで、毎日のように私に聞くのです。どこかに悪い奴はいない? いたら俺がとっちめてやんのに、と。


 それで私は、作り話をしてしまったのです。

 鬼の住む島があると。そこには鬼が住んでいて、ごくたまに人里へやってきては皆を苦しめるのだと。その鬼を退治すれば、皆に認めてもらえるのではないかしら。

 桃太郎は興奮して聞きました。何という島かと。私は答えました。鬼の住む島の名は、鬼が島。

 作り話なのです。ただ、それを話せば弟の心が慰められると思いました。いつか鬼が島へ渡り、鬼を退治して皆に認められる、そういう夢を見ていられると……そう思ったのです。

 その日から桃太郎は鬼が島のことばかり聞きました。それはどこにあるのかと。嘘ですから答えようもありませんでした。わからないと言うしかありませんでした。それで良かった筈なのでございます。

 でも、良くはなかったのです。何日か前から、桃太郎の姿がありません。


 *


 旅人は……頬を伝う涙に気がついていた。香織も涙を流していた。

「まさか……」

「おそらく、その通りです。桃太郎は……鬼が島かもしれないと思って……八島へ渡ったのでしょう」

「ばかな。桃太郎とてずっとこの土地で暮らしたのだろう。八島という名を知らぬ筈がない」

「このあたりには古い別の名がたくさん残っています。たとえばこの山も、一ノ山と言われますが鹿山、桑杉山、四面白山などの名でも呼ばれます。八島もまた、桜女島、産声島、一刀岩といった名を持ちます。それ以外にも村の古老しか知らぬ名があります。鬼が島もそうした異名の一つではないかと桃太郎は考えたのかもしれません」

「しかし……まさか……同じ村の人間だろう」

「村の人間だと……わからなかったのでしょう……。八島には人が住んでいませんし……村の若者らが祭りの稽古をしに行っていたのなら……面を、つけていた筈です」

「面を……っ」

 旅人は不幸な偶然を呪う。

「面には鬼のように見えるものもあったかもしれません。いえ……おそらく、桃太郎は島には鬼がいるに違いないと思い込んでいたでしょうから……怪しい集団を鬼と決め付けてしまった、誰かなど考えもせずに」

 あるいはもしかしたら、と香織は言った。

「集まって自分の知らない稽古をしている村の若者だと知って、自分がのけ者にされていると感じたのか……それは考えすぎでしょうか」

「十歳の少年が一人で……三十人を斬ったというのか」

 香織はただ、桃太郎ならできぬことではなかったでしょうとだけ口にした。

 旅人は、淡々と話をするこの娘に、違和感を覚えた。

「なぜそう落ち着いていられる。桃太郎は……したことの咎めを受けねばならん。……やがて村の者に捕まる。死罪は免れん」

「……弟は、帰ってきます」

 香織は強い口調で言った。


 それきり、二人は何も言わずにいた。旅人はただ己の来るのが遅かったことだけを悔やんだ。


 声がした。

「姉上!」

 顔中を血で赤黒く染めた少年の姿。

「桃太郎」

 香織の言葉。

「姉上の言ってた鬼が島に行った! 退治したんだ、鬼を! 村を救ったっ」

 抜き身でぶらさげていた血塗られた刀。大地に放る。

「君が……桃太郎か」

 旅人は呟くが、桃太郎には聞こえていない。ただはしゃいでいる。

「桃太郎、おいで」

 そう言って、香織は手を伸ばした。

 桃太郎は嬉しそうに、姉に近づく。

「姉上……これで俺、認めてもらえるかな」

 桃太郎を抱きしめる香織。

「ええ、認めてもらえる。これでもう貴方は立派な村の仲間よ」

 香織の手が桃太郎の背中に回された。

「良かった。俺、やっと……」

「……そうよ……だから、今はゆっくりお休みなさい……」

「……う……ん……疲れた……」

 桃太郎が、手をだらんと下げたのを見て、旅人はようやくそれに気がついた。

 香織の手に握られた小刀が、桃太郎を背後から貫いていた。

「か、香織どの……」


「この子は誰にも渡しはしません。私の家族です」


 遠くで鴉が鳴いていた。


「ゆっくりおやすみ……桃太郎」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 題名から気になって見てみたらなんとまあ面白い。 本当にありそうだなって所がすごい。 語彙力なくて悪いんですけどめちゃくそ面白かったです。
[良い点] 凄いです。 壮絶な桃太郎ですね。 特に出生の秘密や狭い村の中の子どもゆえの残酷な犬、猿、雉は心に突き刺さりました。 友達が欲しい、それだけだったのに 読了後に泣けました。文章じゃなく…
[良い点] とても面白かったです。 山あいのしっとりした空気感が読んでいて心地よかったです。 お姉ちゃんは災いの元。
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