ケチケチおばさん
八十二歳のそのおばさんは、物凄いケチでした。ケチの中のケチ、あるいはドケチの中のドケチと言ってもいいくらいだったでしょう。……え?八十二歳ならおばさんじゃなくておばあさんだろうって?いいえ、違います。きっとお年寄りの方たちが自分と同年代の方とだけ、話しているのを聞いたことがある人にならわかるでしょう。彼らはあまり親しくない人が相手でも決して「おじいさんは今おいくつですか?」とか「おばあさんのご趣味はなんですか?」といったようには決して聞きません。大抵の場合「おじさんは」とか「おばさんは」と言ったりするのです。そしてわたしもまた彼女の孫というわけではありませんから、ケチケチおばさんのことをケチケチおばあさんと呼ぶわけにはいきません。
おばさんがどのくらいケチかについて語るのは、そう難しいことではありません。まずは水道光熱費の話からすることにしましょう。おばさんは庭付きの小さな平屋の一軒家に住んでいるのですが、この家の裏のほうには雨水が大きな樽に三つ、溜めてあります。おばさんは大抵、飲み水以外のことなら、この樽の中の水でまかなってしまうのです。たとえば洗濯の水がそうですし、顔を洗う時にもこの水を使います。また台所の上の大きなたらいの中にもこの水を入れておいて、食器の汚れをまず軽く洗い落としてから必要最低限の水道水だけで、皿洗いを完了させます。さて、次に電気ですが、とにかくおばさんは早寝早起きです。夜は八時、あるいは遅くても九時には就寝します。何故かって?そんなことは簡単です!あんまり遅くまで起きていると、電気代がかさんでしまうではありませんか!
特に冬場は灯油代が馬鹿になりませんから、おばさんは手縫いの刺し子の布団の中に温かい湯たんぽを入れて、なるべく早く眠るのです。そして昼間は特にこれといって何もすることがない時には、おばさんは日光を上手に利用します。お陽さまの光が一番強い部屋の窓際までいって、そこに椅子を置いて座るのです。手には新聞やその他の読み物を持っていたり、あるいは編み物を手にしていることもありますし、あるいはただ灯油代の節約のためだけに、日がな一日ぼんやりしていることさえあります。お天道さまの力は偉大なもので、こうすれば冬でもストーブを消していられますし、おばさんは時には着ているものが汗ばんでくることさえありました。
冬の話はともかくとしても、春から秋にかけておばさんは、朝早起きして、小さな庭で畑仕事に勤しみます。じゃがいもやにんじん、たまねぎ、えんどう豆やいんげんなどなど……おばさんはスーパーで野菜を買ったということがほとんどないくらいでした。収穫したものはすべて新聞紙にくるんで、地下貯蔵庫のほうに保存しておくのです。それと、おばさんは新聞を一紙とっているのですが、それは夕刊にはさまってくるスーパーのちらしのために購読しているといってまず間違いなかったでしょう。もしかしたらこれがおばさんのケチ人生において最高の贅沢であり、おばさんにとって一番の趣味といえるものだったかもしれません。夕方、新聞配達員がポストのところに新聞を挟めてゆくと、おばさんは早速いそいそとそれをとりにゆきます。そして居間の小さなちゃぶ台の上にちらしを広げて、老眼鏡の向こうから鋭く目を光らせるのです。Aスーパーではカニクリームコロッケが五十円、Bスーパーではトイレットペーパーが225円、Cスーパーではほうれん草が七十七円……といった具合に、マジックで目的のものに大きくしるしをつけていきます。この時、もしCスーパーよりBスーパーのほうがティッシュが二十円安かったりすると、おばさんは心の中でほくそ笑みます。
(ああ、これで自分は二十円得をする)と心の中でにんまり笑う時――おばさんは至福に包まれるのでした。
確かにおばさんはそんなふうなケチではあったのですが、実をいうと家の中には結構余計なものがあったりします。そんなのは吝嗇家にあるまじきことだと思う方もあるかもしれませんが、それはこういった事情なのです。おばさんは戦争で夫を亡くし、そのあと女手ひとつでひとり息子を育ててきたのですが――この息子とは現在音信不通です――戦中から戦後にかけて、何も物のない時代というのを経験しておりましたので、何かにつけて物がたっぷりないと安心できないのです。つまりそれはどういうことかというと、家の中にはティッシュペーパーやトイレットペーパー、洗剤など、その他いくら年月が経っても腐らない種類の生活用品が山のように積んでありました。加えておばさんは、AスーパーよりBスーパーのほうが一円でも安いとなると、ただそれだけの理由で、まだたくさんあるにも関わらず、石けんや洗剤、トイレットペーパーを買ってきてしまうという困った癖がありました。でも、それがおばさんの唯一の趣味のようなものでもありましたから――言ってみればそれはケチなおばさん唯一の、可愛い贅沢のようなもの、とも言えたかもしれませんね。
先ほどわたしはおばさんが物がたっぷりないと安心できない質だと申しましたが、おばさんはお金に関しても同様でした。おばさんはひとり息子を育てるために、六十五歳まで建築現場で男たちに混じってせっせと働き、退職した時には貯金の総額が一千万円以上にもなっていました。でもおばさんは、貯金通帳の金額を何度見ても、決して安心したりはできないのです。(こんなもの、どっかの老人ホームにでも厄介になることになれば、すぐに消し飛んでしまう)
そう思うからなのでした。そしてさらにおばさんは、常に目に見える形で現金がないと安心できない人だったので――鍵のかかったタンスの一番上の引きだしには、いつも五十万円くらいのお金がしまってあるのでした。毎日寝る前にそこからお札をとりだしては、にんまりとしてあとはぐっすり眠るのです。
おばさんはケチではありましたが、決してお金がないからだというわけではなかったのです。でもお金の心配というのは、強つくな人ほどいくら蓄めても安心できないもののようで、おばさんもそういうタイプのケチだったと言ってよいでしょう。おばさんは買物へいく時、神経症ではないかというくらい、戸締まりにはよく気をつけます。何しろタンスの一番上の引きだしには、五十万円ものお金が常時入っているのですから――当然といえば当然だったかもしれませんが、トイレから風呂場、台所の小さな窓に至るまで、ひとつひとつ鍵がかかっているのを確かめて、ぐいぐいとしつこいくらい何度も引っ張るのです。そして点検がすっかり済んでからようやく、財布の入った小さな巾着をひとつ手に持って、スーパーまで出かけていくのでした。
おばさんの家の近くにはAスーパーとBスーパーがあるのですが、Cスーパーはちょっと離れたところにあります。歩いて三十分はかかるでしょうか。それでもおばさんはBスーパーよりもCスーパーのほうが一円でも安いとなると、がんばって歩いてCスーパーまでいくのです。でも、七十歳代の頃まではおばさんも、Cスーパーまで歩くのがそんなに苦でなかったのですが、八十歳を過ぎてからは――買物袋を片手に下げて、三十分歩くのがだんだんつらくなってきました。先日、帰り道で一度、失禁してしまったということもあり、その日おばさんはCスーパーのほうがジュースが三十円も安いにも関わらず、Aスーパーでそのオレンジジュースを買わなくてはなりませんでした。Cスーパーまでいって1リットルパックのジュースを片手に帰ってくるには――おばさんはもう、自分はだいぶん老いてきたということを認めないわけにはいきませんでした。しかも失禁してしまった時、帰り道の途中で近所のお節介な奥さんとばったり会ってしまったということもあり、おばさんはそのことを思うと余計、Cスーパーへはいきたくありませんでした。心の中では(ここよりもCスーパーのほうが三十円も安いのに……)とぶつぶつ呟いてはいましたが。
ところでおばさんがCスーパーの帰り道で会ったという近所のお節介な奥さんですが、実は彼女はある宗教に入っていて、よくおばさんにその話をしにくる人なのです。年は大体六十歳代で、白髪混じりの頭にくるくるとしたパーマをかけた、なんとなく恩着せがましい話し方をする人です。この奥さんはおばさんがひとり暮らしで寂しかろうと思うのか、大体月に一度か二度、つまらない手土産を持っておばさんの家のインターホンを押します。おばさんとしても、大して有難くもない退屈な宗教話をされるのは実に迷惑なのですが、やはり近所づきあいということもあり、つい彼女のことを家に通してしまうのでした。
おばさんの家にくるのは、この奥さんの他には、新聞の集金をしにくる人と、あとは訪問販売のセールスマンくらいのものだったでしょうか。ちなみにおばさんの家のドアの前には大きく『訪問販売お断り』の張り紙がしてあるのですが、それでも図々しい彼らはそんな張り紙など無視して、おばさんに高額な布団だの健康食品だのを買わせようとするのでした。もちろん、おばさんは若い時から男たちに混じって建設現場で働いていたような、男まさりのきかない性格をしていましたから、そんな訪問販売のセールスマンなどけちょんけちょんにのして、いつも追い返してしまうのですが。
それにしても、お年寄りを狙ったこうした悪徳商法のなんて多いことでしょう。家のリフォームや台所の水まわりの点検、びっくりするような値段の布団や健康食品、本物の水晶と偽ったガラス玉の数珠に、これを家の南東に飾ると幸せになれるというあやしげな仏像、さらにはオレオレ詐欺に至るまで……おばさんは町内の老人クラブの会長が「オレオレ詐欺には気をつけるように」と言ってパンフレットを置いていった時、自分は絶対にこんなものには引っかからないという絶対の自信がありました。何故かというと――おばさんとひとり息子が喧嘩別れしてしまったのも、もともとはお金のことが原因だったからです。おばさんの息子がある時飲んだくれて、三百万円ほど借金を作った時、彼女はたったひとりの可愛い息子を家から追いだしたのでした。一度だけ、「五万円貸してほしい」という手紙がきたことがありましたが、おばさんはお金を送りませんでしたし、それっきり、二十年来年賀状一枚やってきたことはありません。ちなみにその手紙は、おばさんのタンスの一番上の引きだしに大切にしまってあるのですが、すでに紙のほうはすっかり黄ばんでしまっています。
その日、おばさんが買物から帰ってくると、台所の流しの下のほうでは、哀れなネズ公がネズミ捕り機に引っかかっていました。キィキィ鳴いているその姿を見ても、おばさんは可哀想だなどとは、これっぽっちも思いません。大きなポリバケツに水を張ると、そこにネズミ捕り機ごと沈めて、哀れなネズ公を水死させてやるだけです。そしてネズミの死体は庭の隅のほうにある決まった場所へと捨てるのです。その大きなポリバケツはネズミ殺し専用でしたので、おばさんは他のことには一切使いません。だから消毒する必要なんていうのもまったくないわけです。
ところでおばさんは以前、Bスーパーで非常に興味深いものを発見しました。何しろおばさんの住んでいる家はもう大分古く、築年数も四十年以上経っておりましたので、ネズミがよくでるのです。それとダンゴ虫もよく出没いたします。おばさんはなんとかしてあのネズ公どもを一網打尽にできはしまいかと常々思っていたので、そういう薬品でもないかとペットコーナーや園芸コーナーのあたりを見てまわったのです。そうしたらありました、ありました。その名も『チュウチュウネズミのスーパー毒まんじゅう』というのが。
おばさんはこれはいいと思い、巾着袋の中から老眼鏡をとりだすと、取扱い方法などについて、よく読んでみることにしました。そうしたらこうあるではありませんか。
①ネズミの大好きな匂いのする、このスーパー毒まんじゅうを、まずはネズミのよく出没する箇所に置いておきます。
②するとこれを食べたネズミはスーパー毒まんじゅう効果によって、日の光を求めて外へでていきます。そしてその頃には毒がまわって死に至りますので、あなたの手を煩わせたりすることは一切ないのです。
その取扱い説明文を読んだ時、おばさんは一瞬(こんなの、本当だろうか?)と疑わしく思いました。それで試しに一箱(十ニ個入)買って帰ろうかと思ったのですが、値段を見ると九百八十五円もします。たかがネズミのために九百八十五円……おばさんは迷いました。でもスーパー毒まんじゅう効果がどんなものか、自分で試してみたかったので、清水の大舞台から飛びおりるつもりで一箱買ってみることにしたのです。
実際のところ、チュウチュウネズミのスーパー毒まんじゅう効果というのは大したものでした。台所の下にまずは一個置いておいたのですが、それがなくなっていた翌日、おばさんは庭の前で完全に死んでいるネズミの死体を発見しましたし、その次の日には玄関の前、裏の水を蓄めておく樽のそばなどでも一匹ずつ死骸を発見しました。
(おお、これは素晴らしい!)と思ったおばさんは、感動のあまり発売元のメーカーに感謝の手紙を送りたいくらいでした。でも値段がやはり高かったので、おばさんはその後スーパー毒まんじゅうを購入することなく、ネズミ捕り機と飼い猫のノラだけで、なんとかネズミ退治を行っていたのでした。
その日、おばさんはネズミを水に浸けたあと、TVを見ながら遅めの昼食をとっていました。スーパーで一円でも安くものを買うことの他に、おばさんが毎日の楽しみにしていること――それがTVのワイドショーを見ることでした。おばさんの人生は、これまで決して安楽なものではありませんでした。生まれだって決して裕福な家ではありませんでしたし、結婚したすぐあとで夫は彼女のお腹に赤ん坊がいることも知らずに戦地で亡くなりました。その後、見合い話や縁談がまったくなかったというわけではありませんが、おばさんはひとり息子と歯を食いしばってでもふたりで生きることに決めたのです。最初は住みこみである家の家政婦をし、いじめに耐えかねてそこをやめたあとは、産婦人科病院で看護助手の仕事に就きました。そしてそこの病院が潰れたあと、今度は建築現場で男たちに混じって働くようになったのです。
そんなおばさんにとっては、昔から他人の不幸は蜜の味でした。今もワイドショーでは残虐な殺人事件の現場をリポーターが演技がかったような真面目な顔で案内しています。そしてその次は幼児虐待事件、政治の汚職事件、芸能人の離婚記者会見……と続いてゆきました。いくら他人の不幸は蜜の味とはいえ、おばさんも人が死んだり殺されたりするのを喜んでいるというわけでは決してありません。ただ老い先短い自分のことを考えると、あんなふうに残酷な殺され方をして野ざらしにされるよりは、自分がこの家で誰にも知られずにいつかひっそり死ぬほうがよほどましではないかと思うのでした。幼児虐待事件にしても、自分は息子のことを虐待するでもなく、成人するまで立派に育てあげたのに……と思いながら見たり、私腹を肥やしている金満政治家に腹を立てたり、芸能人の離婚記者会見に至っては、それこそ他人の不幸は蜜の味だと思って(これだから今の若い人は)などと、内心どこか嬉しげな溜息を着くのでした。
実をいうとおばさんは、男女の愛というものについては、あまりよく知らない人でした。何故かというと、戦争で亡くなった旦那さん――この方はルソン島で亡くなりました――とは出征前に、急ごしらえのような形で結婚し、ただ一度契りをかわしただけの関係だったからです。今若い人にこんな話をしたら「まあ、なんてロマンチックな!」ということにでもなるのでしょうか。でもおばさんは全然そんなふうには思いません。もしおばさんにそんなことを言ったとしたら、きっと彼女は地面にぺっと唾を吐き捨て、こう言ったことでしょう。「ロマンツックだと?笑わせるんでねえよ」と。
とはいえ、おばさんはこの方――立派な戦死を遂げた自分の旦那さんのことを、大変敬愛しておりました。今も毎日仏壇にお膳を捧げることと、お線香を上げるのを欠かしたことは一度もありません。お見合いの話が決まった時、おばさんは相手の人があまり自分の好きになれない感じの人だったらどうしようと不安に思ったのですが、彼は美男子な上背もすらりと高く、教養のある優しい立派な人だったのです。おばさんはきっと彼のような素晴らしい人のことは神さまが守ってくださるに違いないと信じて疑いもしませんでしたが、おばさんの旦那さんとなった人は、二度とそれきり生きて日本の地を踏むことはありませんでした。彼の戦死の知らせを受けた時、おばさんがどんなに悲しかったか――わたしには想像してみることさえできません。
おばさんはごはんに漬物、浅蜊の味噌汁にゆうべ作った煮物の残りを昼食として食べ終わると、電気代がもったいないので、すぐにTVの電源を切りました(ちなみに、コンセントも抜いてしまいます)。そして買い物から帰ってきた時にポストに挟まっていた郵便物のいくつかに目を通しました。ひとつはいんちきくさい健康食品のダイレクトメールで、もうひとつはサラ金のそれ、もうひとつは市役所から送られてきた固定資産税の払込み用紙でした。
(やれやれ。この家に住むかぎり、一生こんなものを払わなくちゃいけないのかね)
おばさんは払込み用紙の上に並ぶ、おばさんにとって決して安いとは思えない税金の金額を見て、とても深い溜息を着きました。そしてもうひとつ、ガス料金のメーターを測定した紙を最後に見ると、ちょっとだけ嬉しくなりましたが、すぐがっかりしました。何故って先月の四月は一か月が三十日しかありませんから――三月に比べてちょっとだけ料金が安くても、それは一日違いのせいだろうと思ったからです。それに冬よりも春先のほうがガス料金がかからないのは当然のことのようにも思え、家計の経費を削ろうと思えばやはり食費を削る以外に道はないのだと、あらためてそう思ってなんとなく暗い気持ちにさえなりました。
(やはり世の中は金。金、金、金、金、金なのだ)おばさんはダイレクトメールをびりびりに引き裂いて屑篭に捨てながら、そう思わずにはいられませんでした。もしこれでおばさんになんの蓄えもなかったとしたら――自分は年金だけで、どんなに惨めな生活をしなければならないだろうと、想像しただけでぞっとしました。電気も水道もガスも、ひとり暮らしのお年寄りだから気の毒だ、などと誰も思うことなく支払いが滞れば残酷に止められてしまうでしょうし、そんなのは金を払わないあなたが悪いのだという感じで、世間の人も大して同情したりしないだろうということがおばさんにはよくわかっていました。
(なんて世知辛い世の中だろう)
そう思っておばさんが首を振りふり溜息を着いていると、電話が鳴りました。素晴らしい電気掃除機の実演販売をおばさんの家にまできてしてくれるという、大変親切な電話でした。「うちには丈夫な掃除機があるから、そんなのはいらないよ!」、おばさんは営業マンが舌先も滑らかにぺらぺらと調子よくしゃべりまくるのを遮って、がちゃりと受話器を置きました。
そして哀れなネズ公が水死体になっているのを見てとると、ネズミ捕り機をバケツから引き上げて、庭の隅のほうまで捨てにいきました。そこでは何匹ものネズミたちが土の中に捨てられておりましたので、土も滋養がいいのでしょう、たっぷり肥えて太ったミミズが、今日も元気に匍匐前進に励んでおりました。
おばさんがネズ公の死んだばっちい水を、これまた所定の場所にばしゃりと捨てておりますと、庭の塀の上には三毛猫のノラの姿がありました。彼女はこれからこの小さな平屋の家で不幸があるのを知ってか知らずか、おばさんと一緒に家の中へ入ってきました。ノラというのは半ノラで、一応はおばさんの家で飼われてはいるものの、もともとノラ猫であるせいか、気の向いた時しかおばさんの家には帰ってきません。その時もおばさんは久しぶりにノラが帰ってきたと思って、非常に喜びながら、彼女に猫まんまをご馳走してあげました。
「おお、ノラや。あんたが帰ってきてくれて嬉しいよ。さあ腹いっぱいたんと食べて、あの小憎らしいネズミどもを、とっ捕まえておやり」
ノラはおばさんの言葉がわかるのか、返事をするように一言「ンミャア」と鳴きましたが、それは猫まんまが美味しいことに対する「ンミャア」だったのかもしれません。
おばさんはノラが食事を終えると、居間のソファで彼女のことを膝の上にのせ、しばらくの間猫相手に、色々な世間話をしました。自分は一人暮らしの年金生活者だけれども、世の中にはもっと不幸な人がたくさんいるだろうから、健康なだけでも感謝して毎日を生きなければいけないことや、宗教に走っている近所の奥さんの悪口や、世の中には金儲けしか頭にない恐ろしい人間がたくさんいること、Cスーパーまで歩いていくのが億劫で、ジュース代を三十円損したことなどなど……。
「ノラや。おまえはいいねえ。いつも自由気ままに生きていられて。何かあったらうちまで逃げてくれば、おまんまにはありつけるもんねえ。わたしも次に生まれてくる時には人間なんかじゃなく、おまえみたいに猫にでも生まれてきたいよ」
ノラはおばさんの話を聞いているのかいないのか、おばさんの膝の上で体を丸めて気持ちよさそうに目を閉じています。やがて五時になり、そろそろおばさんが夕ご飯の仕度でもしようかなと思っていると、ノラは身を起こしておばさんの膝の上から絨毯にくるりと下りました。
「おお、よしよし。おまえにはわたしの気持ちがわかるだね」
おばさんは冷蔵庫を開けると、そこから糠さんまを一匹とりだして、下ごしらえしてからレンジのグリルで焼きはじめました。そしてきゅうりとわかめの酢ものを作ろうと思い、冷蔵庫を開けようとした時――目には見えない何ものかがおばさんの背後を襲いました。これは人間ではありません。でもおばさんは誰かに鈍器で後頭部でも殴られたみたいに、その場に前のめりに倒れこみました。あまりに急な痛みに突然襲われたので、顔面が床にぶつかった時、前歯が一本折れました。おばさんは健康なだけでなく、歯が丈夫なことも自慢にしている人だったのに……おばさんはガンガンという恐ろしい頭痛に襲われたまま、もはや身動きさえできませんでした。脳梗塞です。脳の血管が詰まってしまったのです。これはただごとではないと、あまりの痛みに気が遠くなりそうになりながらも、おばさんが最後に力を振り絞って行ったこと――それはなんとしてでも魚を焼いているレンジの火を止めなければいけないということでした。ほんの一メートルほどの距離が十メートルのようにも思われましたが、おばさんは死力を尽くして最後に自分の人間としての義務を果たしたのです。
おばさんが意識を失ったあと、実際に息を引きとるまで、数時間の時を要しました。その間ノラはうつぶせに倒れたおばさんの体のまわりを、うろうろ歩きまわっていました。時々耳に軽く噛みついてもみましたが、おばさんは一向に目を覚ます気配を見せません。それでもあたりが真っ暗闇が包まれ、おばさんの魂が最後に天に召されようとする瞬間――おばさんの意識はほんの一瞬だけ、この地上に戻ってきました。そしてもはや自分の意志では一ミリたりともどこも動かせない体の中で、こう思ったのです。
(神さま、このおばばをどうか、コロリと死なせてくだせえ。神さまどうか……)
おばさんの最後の心の祈りが通じたのかどうか、本当におばさんはそのまま、コロリとあっけなく死んでしまいました。ノラにもその気配が伝わったのでしょう。おばさんが息を引きとってしまうとノラは、おばさんがいつも座ってTVを見ているソファの上にぴょんと飛びのり、そこで体を丸めて眠りはじめました。まるでおばさんの、最後に残されたぬくもりを感じようとするかのように。
おばさんの死後、一番最初に異変に気づいたのは、新聞配達員でした。一週間近く経っても、一向に新聞がポストから抜かれていないのを見て――おばさんの住んでいる地区の民生委員に知らせたのです。するとその民生委員はおばさんの家を訪ねていき、庭の木戸をくぐっておばさんの家の庭に面した大きな窓から、彼女の家の中へと侵入しました。おばさんは一週間前、ノラを部屋に上げた時、窓の鍵を閉め忘れていたのです。
家の中は蒸し暑く、おばさんの死体が腐ったひどい匂いがそこここに漂っていました。ソファの上でノラが「ニャオン」と鳴きます。民生委員は台所でひとりの老婆が倒れているのを発見したのですが――彼女の体は腐りかけ、ひどい腐臭を放っており、しかもその死体を二、三匹の汚いネズミどもが齧っている最中でした。
民生委員は部屋という部屋の窓を全開にして、空気の入れ換えをしようとしたのですが、その時ノラはすぐに外へ逃れでていきました。彼の見たところ、ノラはまるまると太っているように見えましたので、おそらくネズミでも食べていたのだろうと、そう思いました。実際、ノラは恩のあるおばさんの死体を食べようなどとはこれっぽっちも思いませんでしたし、必要な時にはおばさんの死体に齧りついているネズミを何匹か食していたのでした。
おばさんが亡くなったことはすぐ、町のちょっとしたニュースになりましたし、『独居老人・ネズミに食べられる』という見出しで、新聞にも報道されました。また、おばさんが毎日見ているワイドショーのレポーターがおばさんの家までやってきて、近所の人に取材したりもしました。
「息子さんがひとりいらっしゃるらしいんですけど、なんでもお金のことで喧嘩別れして以来それっきりだって話してらっしゃいましたわ。他には親しくおつきあいしている方もいらっしゃらないようでねえ……わたしも気の毒に思って、月に一度は必ず、顔を見にいくようにしてたんですけど」
みっちりお化粧をしたくるくるパーマの奥さんが、そうレポーターのインタビューに答えていました。そしてこのTVを見ていたおばさんの一人息子は――すぐに自分の郷里まで急いで帰ってくると、そこでしめやかに行われていたお葬式に参列しました。喪主は町内会長ということになっていましたが、実際のところ町内会長も老人クラブの会長も、また民生委員も、おばさんの一人息子とどうにかして連絡をつけたいと考えておりましたので、彼がきてくれて本当に助かったのです。
お葬式の間中、おばさんの一人息子は「おふくろ、おふくろ」と言って泣きじゃくっていたのですが、告別式が済んだあと、葬式代などを支払うのに家捜ししているうちに――とうとう、おばさんのタンスの鍵を地下貯蔵庫の中から発見しました。この息子は自分の母親が大切なものを昔からタンスの一番上の引きだしにしまっているということを知っていたのですが、鍵のありかまでは知らなかったのです。それで、どうしても鍵が見つからなかったら、チェーンソーか何かでタンスを解体する以外にないとまで思っていたのでした。
鍵を開けたタンスの中には、たくさんの白黒の写真と、いくつかの手紙(その中の一通は彼自身が自分の母親に宛てたもの)、そして家屋や土地の権利書、銀行や郵便局の貯金通帳、印鑑、印鑑証明のカードなど、貴重品がしまいこんでありました。その中で彼が真っ先に目をとめたもの――それが五十万円もの現金でした。彼は母親の若かった頃の写真にも、父親と母親が祝言を上げた時の写真にもまるで興味を示さず、その現金を鷲掴みにすると、思わず「やったぞ!」と叫んでしまったくらいでした。
その後、おばさんの住んでいた家は取り壊され、更地にしたあと、息子が八百万という値段で売りにだしました。彼は昔、母親が自分のことを家から追いだしたことや、借金を断られたことなど、いまだに怨みに思っていましたので、自分の母親に「もっとああしてやっていれば、こうしてやっていれば……」などとはこれっぽっちも思いませんでした。正直なところ「たんまり金を残してくれてありがとうよ、おふくろ」くらいにしか思ってはいなかったのです。
ところで、おばさんは生きている間幸せだったのでしょうか。それとも不幸だったのでしょうか……世間の人々はおばさんのことを新聞やニュースなどで知って、「なんて気の毒なんでしょう!」と感じたらしいのですが――おばさんは本当に気の毒な人だったのでしょうか。少なくとも、わたしはそうは思いません。おばさんは毎日仏壇の前で「ピンピンコロリと死なせてくだせえ」と仏さまと旦那さんに祈っているような人だったので、ある意味ではその願いが聞き届けられて、幸せだったとも言えるのではないでしょうか。
ただ、そのことをおばさん以外の誰ひとりとして知ることがなかったという、それだけで。
終わり