ありがとうとごめんね
小学校が終わると、親友の眞子ちゃんが、ちらちらと美代ちゃんを見ながら、どこか言いにくそうに告げました。
「あのね、美代ちゃん。今日はちょっと寄るところがあるし、用事もあるから、一緒に帰れないの」
眞子ちゃんの手は机の上に置かれた綺麗なエメラルドグリーンのランドセルの背を撫でています。
最近のランドセルは、色んな色があり、おしゃれな眞子ちゃんは、クラスでも率先して赤以外のランドセルを使い始めました。
眞子ちゃんの用事というものを、美代ちゃんは薄々察していました。
他の子が話しているのを聴いたのです。
今日は眞子ちゃんのお母さんのお誕生日で、下校途中でお花屋さんに寄り、花束を買うつもりであること、ケーキ屋さんに寄り、バースデーケーキを受け取る予定であること。
「うん。わかった。じゃあ、ばいばい」
「ごめんね。ばいばい。また明日」
眞子ちゃんが美代ちゃんに本当のことを話さなかったのには理由があります。
美代ちゃんには、お母さんがいません。
美代ちゃんが五歳の時に、病気で亡くなりました。
それからもう三年になります。
美代ちゃんは、お父さんと二人で、中古の一軒家に住んでいます。
朝、起きると前の晩からとっておいた出汁でお味噌汁を作り、卵焼きを作ったり、お魚をグリルで焼いたりします。お米は、これも前の晩から砥いでおいて、タイマーで朝、炊き上がるようにセットします。
お父さんは起きてくるたびに美代ちゃんに温かい「ありがとう」を言ってくれるのです。
お洗濯はお父さんの受け持ちです。
美代ちゃんが作った朝食を食べる前に洗濯機を回し、ちょうど食べ終わった頃に洗濯機が洗いが終了したことを告げる「ピー、ピー、ピー、」という音を聴いて、また温かい声で「ごちそうさまでした」と言って席を立つと、洗濯物を干しにかかります。
三年前と比べると、美代ちゃん同様、お父さんも家事に慣れ、それは素早く無駄のない動きで次々に物干しスタンドに洗濯物を並べていきます。
それから美代ちゃんが淹れた緑茶を、また「ありがとう」と言って飲みながらざっと新聞に目を通し、家を出ます。
そんな風にして、美代ちゃんはお父さんとの二人三脚の生活をしていました。
寂しいと思うことはもちろんあります。
例えば今日のように、眞子ちゃんのお母さんが誕生日を迎える日など。
美代ちゃんのお母さんが誕生日を迎えることは、もうありません。
この先、美代ちゃんがどんなに成長しても、ずっと。
あまりに辛く悲しくなった時、美代ちゃんはお母さんからもらったオパールの指輪の入った箱を、勉強机の、とりわけ大切なものの詰まったひきだしから取り出します。それはお母さんが入院する前に、美代ちゃんにくれたものでした。
金色のリングに楕円形のオパールの、キラキラとした輝きを見て、心を慰めます。その青とも緑とも、白とも見える美しさにうっとりします。
それはお父さんのくれる「ありがとう」の言葉にも似ているようで。
〝ありがとうの心を忘れちゃだめよ、美代ちゃん〟
病気が発覚してから美代とお父さんに家事を教え込んだあと、入院したベッドの上でお母さんが言った言葉です。
実際、お母さんは美代ちゃんに何度も言ってくれました。
〝生まれてきてくれてありがとう、美代ちゃん〟
〝美代ちゃんみたいな子供がいて、お母さんは幸せよ〟
それから、眉を悲しそうに寄せて、
〝一緒にいてあげられなくてごめんね〟
お母さんは美代ちゃんに、「ありがとう」と「ごめんね」を同じくらい繰り返しました。
亡くなる、その前日まで。
オパールの指輪を持つ美代ちゃんの手に、ぽたりと熱い雫が落ちます。
オパールにもその雫は降り、キラキラが水分を含んでピカピカになりました。
「…ありがとう。ごめんね」
お母さんの言葉を繰り返してみます。
お母さんはこうも言っていました。
〝このオパールには希望の意味があるの。美代ちゃんに、たくさんの希望がこれから用意されていますように〟
それは死を前にしたお母さんの、本当に切実な願いでした。
「お母さん…」
〝なあに、美代ちゃん〟
答えてくれる声はもうありません。
笑顔になるとできるえくぼも、もう見られません。
一緒にお風呂に入ってくれることも、髪の毛を手で優しく梳いてくれることも、甘えた時に抱き締めてくれるお母さんの良い匂いを嗅ぐことも、もうありません。
「会いたいよう」
ぽたり、ぽたり、熱い雫は落ち続け、それを受けるオパールは、輝きを一層増すものとなりました。
ピカピカ、キラキラと。
熱い雫はしばらく落下を続け、やがてお夕飯の準備の時間が来るまで、止むことはありませんでした。