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01 再会
 頬に触れる、大きな手のひら。
 心に染みいる優しい声。
 私を惑わすその唇も。
 私を狂わすその指先も。
 私に甘い痛みをくれる、その温もりも。
 いつかはきっと、消えてしまう。
 永遠のものなんて、この世には存在しない。
 だから。
 もしも、『運命の恋』と言うものがあるのなら――。
 その恋に殉じてしまえれば、どんなにか、幸せだろう。


「ねぇ、ねぇ、あずさセンパイ! 耳より情報仕入れましたよ〜」
 忙しない朝のロッカールーム。
 いつものごとく、いつものように。
 色気の欠片もない濃紺の制服に着替えていたら、同じ工務課の美加ちゃんが、語尾に音符マークが付いていそうなご機嫌ボイスで声を掛けてきた。
 大学を卒業してから、六年間。
 私が勤めているこの太陽工業は、県下一の規模を誇る鉄骨建築の会社だ。
 簡単に言うなら、県で一番大きな『鉄工所』。
 私が所属しているのは『工務課』といって、設計図から加工図をおこす仕事をしている。
 設計士の『先生』が書いた設計図から、実際工場で製品が加工出来るように。例えば、柱の一本一本の図面を書き、そこに必要な加工や寸法を書き入れていく。平たく言えば『図面屋さん』だ。
 美加ちゃん。佐藤美加は、私より五つ年下の二十三歳。我が太陽工業で、私と同じ工務課所属の、まあ、仲の良い後輩。綺麗に巻いたふわふわカールの色素の薄いセミロングの髪と、今の流行を押さえたバッチリメイクの可愛い系OLだ。
 黒縁メガネで引っ詰め髪。おまけに化粧は、ファンデーションと口紅だけを辛うじて付けている程度の地味ぃな私とは、見た目も性格もまったく正反対。
 噂好きで何よりも先に口が動くことを除けば、気さくで明るいとてもいいコだ。
 どちらかと言うと、人付き合いがあまり得意じゃない私にとっては、その明るさと屈託の無さは、時に眩しく感じたりする。ある種の『憧れ』があるのかも知れない。
「なに美加ちゃん、また社内恋愛情報でも仕入れたの?」
 この前の『耳より情報』は、総務の課長と新人のコが、会議室で良からぬ事に及んでいたという、まことしやかな噂だった。
 まるで見てきたかのような、その実況中継さながらの描写の細かさは、有る意味職人芸だ。
「違いますよぉ。今度のは、もっと耳より情報なんですっ!」
 ロッカーの内扉の鏡で入念にメイクのチェックをしながら、美加ちゃんは目を輝かせた。
「ほら、工務課の新任の課長、今日から出社でしょう?」
「ああ……、そう言えば、今日からだったね」
 今まで課長のポストにあった木村さんが病気で長期入院になったため、急きょ決められた人事だった。
 なんでも社長直々に、系列会社から引き抜いて来た『有望株』らしい。と言うのも、美加ちゃん情報なんだけど。
「たしか、谷田部って言ったっけ? その課長がどうしたの?」
 私の質問に、待ってましたとばかりの美加ちゃんの瞳が『きらりん』と輝く。
「見たんですよ〜、見ちゃったんですよ、課長の実物!」
「へぇ……」
 形ばかりのメイクをチェックしながらの、私の気のない返事が気に入らなかったのか、美加ちゃんは、手入れの行き届いた綺麗な弓形の眉根をキュッとひそめた。
「へぇって、梓センパイってば、感動がないなぁもうっ!」
 両手を腰にあててそう言うと、制服のベストに窮屈そうに収まったCカップはありそうな豊かな胸を反らしながら、『プン!』と頬を膨らます。
 って言ってもねぇ。
 新任の課長に会ったからって、感動する要素ないと思うんですけど、私。
 男性教師に興味津々の、ウブな女子中学生じゃあるまいし。
 悲しいかな。女も二十八歳にもなれば、少々の事で、ハートはときめかなくなるものなのよ。
「なに、いい男だったわけ?」
 苦笑しつつ、美加ちゃんが聞いて欲しいだろう質問を返す。
 案の定。美加ちゃんは『うふふふ』とニヤケた表情で、なぜか化粧ポーチからピンクの携帯電話を取り出し、『シュタッ!』っと私に差し出した。
 チラリ。視線を走らせると、その表示窓には、携帯カメラで撮った写真が写っている。
「何? 写真まで撮ったの?」
 今日から飽きるほど見られるでしょうに。ご苦労様ね。
「見て下さい〜、久々のヒットですよ!」
「どれどれ」
 私は、落ちかけた黒縁メガネの鼻のフレームを人差し指でずり上げて、苦笑しながら美加ちゃんの携帯の画面を覗き込んだ。
 ――え?
 瞬間。
 息が止まった。
 ドキンと、鼓動が跳ねる。
 携帯の荒いカメラの画像。
 映っているのは見覚えがある。――ありすぎる、痩せぎすの男の横顔。
 年は、二十代後半から三十代前半。
 彫りの深い顔立ち。
 少し鋭さを感じさせる切れ長の目は、綺麗な二重。
 すっと通った鼻筋、引き締まった口元。
 そんな……まさか。
「……この人が、谷田部課長なの?」
 谷田部って、名字が違う――。
 アイツの訳がない。
「谷田部……、なんて言うの?」
 思わず、声が震えてしまう。
「はい?」
 意味が分からなかったのか、キョトンと目を丸める美加ちゃんに、私は同じ質問を繰り返した。
「課長の名前、谷田部、何?」
 喉の奥に絡んだ声が掠れて、上手く出てこない。
「ああ……名前ですか」
 美加ちゃんは、記憶の糸を辿るように眉根を寄せて『う〜ん』と、空を睨んだ。
「え〜と、確か、東にサトルでトウ――トウゴ?」
「東悟……」
 ――同じ名前。
 まさか……偶然よね。
 世の中に、そっくりな人間は三人居るっていうし。その似た人が、たまたま同じ名前だった。
 そう。そうよ。
 こんな所で、アイツに会うはずがないじゃない。
「正面は撮れなかっんですけど、横顔だけでも凄いイケメンでしょ。もろタイプですぅ〜、あたし!」
 内心、動揺しまっくっている私の様子には気づかず、美加ちゃんは無邪気にはしゃいでいる。
 私は、ただ呆然と。
 その写真に写った、男の横顔を見詰めていた――。

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