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そこに在る時間

ある朝のひととき~陸の時間~

 それは、陸が学校指定のブレザーをはおるのと同時だった。
「うるっせー! 黙れ!」
 階下から響き渡る弟の悲鳴に近い怒声と、気が高ぶっているのだろう、踏み鳴らす足音が玄関まで続く。
 怒りに任せ、玄関の引き戸を開ける音がしたかと思えば、叩きつけるように閉められた。
 家が、揺れた。
 感情に支配されているだろう弟を、二階の窓からのぞけば、玄関がまた勢い良く開けられる音がした。
「思春期ー! フーッ!」
 女の声に陸は少し驚き、苦笑した。
 少し高い所から見てもわかるくらい、弟は驚きに肩をすくめ、振り返った顔には怒りと恥ずかしさが混同していた。
 だが、弟がいつもの大声で反論する事はない。
 通学時間だ。人目を多少なりとも気にする年齢にはなったのか。
 弟が振り返った先には、すでに玄関は弟がしたように家が振動するほどの勢いで閉められ、誰もいない。
 言い逃げした女の声は、まぎれもなく母のものだった。
「朝からなにやってんだよ」
 短髪を揺らし、周りの応援なのか同情なのかわからない小さな笑い声を受けながら、足早に学校に向かう弟の頭を眺めながら、陸は目を細めた。
 バカが。誰が後始末してると思ってるんだ。
 しなくてもいいのかもしれないが、母に合わせて弟である海斗の悪口を言えば、母は手の平を返して「仲良くしなさい」と言ってくるのも目に見えていた。
 大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
「ったく!」
 鞄を持ち、少し軋む階段をおりていけば、眉間にシワを寄せた母が口をとがらせ、ボウルを抱えて力任せになにやら混ぜている。
 鞄を玄関に置き、台所に行くと、陸に気づいた母がボウルをテーブルに置いた。
「今日は遅いんじゃないの? 支度は済んだの?」
 そう言いながら、味噌汁をよそい始める。
 陸は怒りのはけ口になっていたボウルの中をのぞく。
「カスタード?」
「そうよ、アップルパイ作ろうと思って」
 陸が朝から声をかけた事で、少しばかり発散出来ると思ったのか、いくぶん明るくなった声が返ってくる。
「……アップルパイって、カスタード入ってたっけ?」
「この間、お隣の奥さんに味見でいただいてね。すごくおいしかったからアリなんだと思ったのよ」
 これがきっかけであるのは、間違いないだろう。
 母は、思春期と叫んでいた。そして、海斗は黙れと叫んだ――陸はすぐに思い当たり、苦笑する。
 海斗が一目ぼれした同級生の女の子との事を、なにかしら言ったのだろう。
 母に言うべきだろうかと躊躇ちゅうちょしていると、目の前に味噌汁とご飯が置かれる。
 具が山のように入っている、汁がかなり少なめの味噌汁。
「あのさ、これって」
「しょうがないじゃないの、あんた最後だし。みんな揃ってご飯にするなら均等に出来るけど……余ったらもったいないでしょう」
「まあ、食べるけど。母さんが昼飯で食べてもいいんじゃないの」
「今日、パンにするから」
 当然のように、うなずきながら言ってくる母に、陸は「ああ」とつぶやいてはしをつけた。
 仕方がないので、朝飯を黙々と食べていると、母がとうとつに小さく笑った。
「お母さん、初めてうるさいとか黙れって言われちゃった」
「聞こえた」
「親だったら、なにを言っても傷つかないとか思ってるのかしらね」
 『なにを言ったか』にもよると思うけど。という言葉は、ご飯と一緒に飲み込んだ。
 母が少し寂しそうな顔で、目線をカスタードに落とす。
「母さんが泣いてたって、後で言っとくけど」
 適当にそう言えば、母は瞬間的に顔を上げ、不思議そうな顔をしたかと思うと、いたずらっこのように満面の笑みを浮かべた。
「よろしく!」
「高い声で、フーッ! とか言っちゃってたから、あまり意味ないかもしれないけど」
「あ、聞こえた?」
 楽しげに笑う母が、今はまっている言葉――というか、テンションだった。
 同じ屋根の下だ。聞こえないほうがおかしいだろう。
 こういう時、父すげえな。と思う。
 運送業に勤めている父とは、顔を合わせる事が難しいが、高校生になり夜更かしするようになってからは、顔を合わせる事もある。
 成長するにつれ、話しをする事も少なくなったが、テンションの高い母をうまく収拾つけている様子は舌を巻く。
 俺は心が広いからな。と父が苦笑しながら言っていた事を思い出す。
 いらつくのは、おまえがまだ若いからだ。とも言っていた。カルシウム摂れとも言われたが。
「母さんはなんて言って、ああなったわけ?」
「ああ、それね。帰ってくるまでにアップルパイ作っておくから、桜ちゃん誘いなさいよって。あの子、可愛いわよね」
 やっぱり。という言葉を、大量のわかめを噛みしめる事でごまかす。
「もちろん、葉君にも声かけていいけど、嫁にすべく頑張りなさいよ! って発破かけただけよ」
「……母さん。思春期って、本当にわかってる?」
「わかってるわよ、面白いじゃない。お母さん、中学の頃なんていつも笑ってたわ。今思えば、なにがそんなに楽しかったのかわからないけど」
 はっきりと言った。面白いと。
 通り過ぎて、後から客観的に見る事が出来る大人とは違い、真っ只中を生きる子供にとって禁句は多い。
 ただ、つつかれてぶつかる事が出来る弟は、ある意味うらやましく思った。
 今は怒りでなにも考えられなかったとしても、時間がたてば、あの時ああ言えばよかった。今度はこう言ってやろう。と学び、すぐに乗り越えるだろう。
 年の離れた弟が生まれてから、我慢する事が多かった。もちろん、海斗からしてみれば陸のほうがうらやましいと言うだろうが。
 つつかれて言い返せず、部屋で泣いた事は死ぬまで黙っているつもりだ。
 ただ、嵐は通り過ぎるのを黙って待つ。という技術は身につけた。
 それによって、何を考えているかわからない。と言われる事もしばしばだが、長年作られた性格は、今から弟のようになど出来るはずもない。
「下手につつき過ぎると、海斗が日下さんにしゃべりかける事すらやめるかもよ」
「ああ、そういう考え方が出てきちゃうお年頃かー」
「出るだろ。最近、やっと恥という言葉を覚えたみたいだし」
「覚えちゃったかー。じゃあ少し自重するかな」
 そう言って、母が笑った。
「ごちそうさま」
 食器を洗い場に置いて、洗面所に足を向ける。
 台所から母が顔をのぞかせ、にやりと笑った。
「陸も彼女連れてきていいからね。この前集まりで来てた女の子たち、可愛い子多かったじゃない」
「……いねーし。同じクラスの集まりなだけで、誰がどうってないよ」
「ないの!? 一人も!?」
 目を見開いて、がくぜんとした表情を浮かべた母だったが、それが本当のものかは疑う余地がある。
 母がこういう事を言い出す時は、大部分面白がっている事をわかっているからだ。
「年の功ってやつか」
「なに? お母さんが年だって言いたいの?」
「違うって。こっちの話。母さんに逆らうなんて、そんな面倒くさい事するわけないじゃん」
「めんどく……まあいいわ。ほら、時間!」
「はいはい」
 やっぱり面白がっていたのだろう。
 すぐに切り替わった母に背を向け、洗面所に向かった。
 歯をみがいていると、母が少し真面目な声で話しかけてくる。
「陸」
「あ?」
「冗談じゃなく、連れてきてくれてもいいんだからね」
 まだ言うか。と思ったが、少し考えてから歯ブラシを口から抜く。
「……この間の人数くらい?」
 陸を入れて六人ほどの、男女混合の班だった。
 さすがに母は、慌てて首と手を横に振った。
「それは無理。そんなに作れない。わかった……おとなしく帰ってきなさい」
 そう言って唇をとがらせ、しぶしぶ洗面所から姿を消した。
 おとなしくって。と、陸は歯をみがきながら小さく笑った。

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