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  輪廻 作者:代田さん
         4月22日 4
 怜璃は大方の検査を終えて、ベッドに横になっていた。
 怜璃が寝ているこの部屋は、神代の病院でも何部屋しかない特別室だ。広い部屋に設えられた大きな窓からは、夕刻の斜光に照らされて輝く町並みが見渡せる、素晴らしい眺望だ。その町並みをぼんやりと眺めながら、怜璃は昼間の出来事を思い返していた。
 
――あれは、誰だったんだろう。

 あの時、意識が飛ぶ寸前怜璃が見た、裸足の足。あの足の主が自分を助けてくれたことは分かっている。あの足の主が現れたとたん、呼吸が復活したのだから。だが、それが一体誰のものだったのか……あの後すぐに意識が飛んでしまったので、その人物の顔を確認することはできなかったが、その人物を突き止める糸口がどこかにないか、怜璃はずっと考えていたのだ。
 あの足によく似た足を、怜璃はこの病院で見た気がする。エレベーターが墜落したとき見た、スリッパを履いた裸足の足……そう、紺野秀明。

――でも、彼は絶対安静のはず。まさか……。

 考えていると、突然ノックの音が響いた。怜璃は慌てて居住まいを正す。

「はい」

 扉を開けて入ってきたのは、白衣姿のすらりとした男性医師……神代亨也であった。
 
「いかがですか? 気分は」

 そう言って微笑んだ亨也の顔があり得ないほど端正で、怜璃は思わず頬を赤らめた。

「はい。もうすっかりいいです。すみませんでした。ご迷惑をおかけして……」

 亨也は笑顔で首を振ると、ベッド脇の丸椅子に腰掛けた。

「検査の結果は、良好でした。特に酸欠による悪影響は見られませんでしたし、その他も特に問題はありませんでした。あとはこのまま、一晩ここでゆっくり休んでいけば、明後日には登校も可能でしょう」

 怜璃は頷きながら、心臓の拍動が見る間にスピードアップするのを感じていた。加えて、亨也と目があう度に感じる、体中に電流が走るようなあの感覚……。そういえば、前にもどこかで似たような感覚を味わったことがあった。あれは、確か……。
 その時、少々乱暴なノックの音が響いた。
 怜璃が返事をすると、看護師が慌てたように駆け込んできて、亨也に何か耳打ちしている。急患だろうか? 亨也の目が、一瞬鋭さを増したような気がした。
 亨也は立ちあがると、先ほどの鋭さが嘘のような柔和な微笑みを浮かべて怜璃を見た。

「すみません、また急患が入ってしまったようです。これで失礼します」

「あの……」

 去りかけた亨也を怜璃は呼び止めると、振り返った亨也の目線から逃れるように慌てて目を逸らした。

「ありがとうございました、亨也さん」

 亨也はにっこりと笑った。

「何事もなくて、本当に良かった。今後は一人で行動することのないよう、気をつけてくださいね」

 怜璃は少しぼうっとしながら、その言葉に頷いた。

☆☆☆

 次第に近づいてきていた救急車のサイレンが、ぴたりと止んだ。また誰か、救患が搬送されてきたらしい。
 寺崎は丸椅子に腰掛けたまま、チラッと慌ただしい搬送口に目を向けてから、再び目の前に横たわる紺野に目を向けた。
 ストレッチャーに無造作に寝かされた紺野は、不規則で荒い呼吸を繰り返している。ボロボロの病院服の右足は染み出した血で真っ赤に染まり、ボサボサの茶色い髪に覆われたその顔は青白く、口元には先ほど吐いた血がこびりついたままだ。蛍光灯の明かりの下で改めて見るその姿は、何とも無力で痛々しい。
 寺崎は、心配そうにその顔を見つめていた。
 寺崎のワイシャツも、紺野の吐いた血で汚れている。あれから、病院に着くまでに二度ほど吐いた。最初は意識もある程度はっきりしていたのだが、病院に着く頃には呼びかけにも反応しなくなってきている。素人の寺崎から見ても、かなり危険な状態に思えた。
 と、慌ただしい足音が近づいてきた。ようやく、医師に診てもらえるらしい。寺崎は慌てて立ち上がると部屋の入り口に体を向けたが、入ってきた人物の顔を見て凍りついた。
 若い看護師とともに入ってきたのは、背の高い茶色い髪の、三十歳前後の男……神代亨也だったのだ。
 集会で何度か見かけてはいたものの、寺崎は神代家の最重要人物である神代総代に、こんなに間近で接するのは初めてだった。思わず一歩後退ると、畏れにも似た思いを抱きつつ紺野の状態を確認する亨也の後ろ姿を凝視する。
 亨也は手早く紺野の状態を確認すると、背後に佇む寺崎にちらりと目を向けた。

「あなたは?」

 亨也に問われて、寺崎は直立すると思い切り頭を下げた。

「て、寺崎と言います。魁然総代の護衛をしているものです」

「そうですか。ご苦労様でした。……桜田君、ありがとう。あとは私の方で診ます」

 看護師が出て行ってから、亨也は紺野に何か処置を施しながらこう言った。

「私も、ESP反応を感じていました。大体のことは、トレースして知っています」

 寺崎は目を丸くした。トレースされていた気配を全然感じなかったからだ。さすがは神代総代と寺崎が感心していると、女性のものらしいパタパタと軽い足音が響いてきた。
 程なく部屋に駆け込んできたのは、先日紺野の病室で遭遇した女性医師、神代沙羅だった。

「総代、遅くなってすみません。今やっと処置が終わりまして……」

 言いながら、ストレッチャーに寝かされた紺野に、ちらりと事務的な視線を投げかける。

「この男、どうしますか」

「とりあえず、魁然総帥には連絡したので、間もなく到着されると思う。処遇については、それからだ」

「そうですか。……ここでは人目がありすぎます。地下のCR室に移しますか」

「そうしましょう。寺崎さん、でしたか。手伝っていただけますか」

 亨也の言葉に、寺崎は緊張したような面持ちで慌てて頷いた。

「は、はい。もちろんです」

 寺崎は、ちらりと寝かされたままの紺野に目を向ける。
 相変わらずの不規則で弱々しい呼吸に、判然としない意識。先ほど亨也が何か処置をしているように思ったが、それはどうやら状態を確認する一環に過ぎなかったらしい。寺崎は今ここで何の処置もしないことを不審に思ったが、恐らく彼らが言っていた何とか室で処置するのだろうと思い、何も言わなかった。
 とにかく、早く治療してやってほしかった。さもないと本当に死んでしまうかも知れない。紺野の乗せられたストレッチャーを押しながら、寺崎は逸る気持ちを抑えるのに必死だった。

☆☆☆

 地下に移って程なく、慌ただしい靴音とともに、数人の護衛を引き連れた堂々たる風格の壮年男性がやってきた。

「ご苦労様です、魁然総帥」

 亨也の言葉に寺崎はごくりと唾を飲み込んだ。魁然家の頂点に位置する「総帥」をこんなに間近で見るのは、一族の最下層に位置する寺崎にとって、当然のことながら初めての経験だったのだ。
 そんな寺崎のことなど義虎は一顧だにせず、早速ストレッチャーに寝かされている紺野の顔を覗き込んだ。

「……一体何があったのか、詳しくお聞かせ願えますか」

 すると沙羅が、優雅な仕草で義虎の前に進み出た。

「今から、テレパシーで彼……寺崎くんの記憶を受信しますので、それを皆さんに送信します。彼が事の一部始終を知っていますし、それが一番手っ取り早いので」

 義虎は沙羅にそう言われて初めて彼の存在を確認したかのように、その鋭い視線を寺崎に向けた。寺崎はその視線に全身が縮み上がるような威圧感を感じつつ、慌てて総帥に頭を下げる。義虎はにこりともせずそんな寺崎を見つめていたが、やがて小さく頷いた。

「分かりました。頼みます」

 低い声で義虎は短くそう言うと、沙羅にその節くれ立った手を差し伸べた。
 沙羅はその手を左手で取ると、寺崎の手を右手で取り、蒼い輝きを放ち始めた。瞬時に、寺崎の記憶が沙羅に読み込まれ、それが義虎と亨也に伝わっていく。伝達は、一,二分で完了した。

「なるほど。滝川という男は操られていたというわけですな」

 義虎の言葉に、亨也は無言で頷いた。一体誰が操っていたのか……それについては、亨也は何も言わなかった。義虎と沙羅に対して、それは言う必要のないことだった。

「とうとう攻撃を仕掛けてきましたね」

 緊張した面持ちで沙羅が呟くと、義虎も小さく頷いた。

「これだけ長きにわたって、何事もなかったのが不思議なくらいだ。いよいよという感じだな。」

 真剣な表情で語り合う組織中枢の面々。だが、寺崎にはその話の内容はさっぱり理解できなかった。そんなことより、ストレッチャーに無造作に寝かされたままの紺野のことの方が、寺崎は気になって仕方なかった。見ると、先ほどよりさらに呼吸が不規則に、弱々しくなっている気がする。顔色も真っ青を通り越して、土気色だ。
 とうとうしびれを切らした寺崎は、怖ず怖ずと申し出た。 

「あの……」

 寺崎の声に、話し合っていた三人が同時に振り返った。
 その迫力に、寺崎は思わず言おうとしていた言葉を飲み込みかけた。ここにいるのは組織の中でも最中枢に位置する面々である。緊張しないわけがない。
 だが、意を決して寺崎は口を開いた。

「治療、してやらないと……。たぶんこいつ、かなりやばいです」

 寺崎の言葉に、沙羅は顔色一つ変えず、当たり前のように頷いた。

「そうね。見たところ、肺挫傷で呼吸不全を起こしてるわ。おそらく明日の朝まではもたないでしょう。早ければ日付が変わる頃には、死ぬわね」

 まるで世間話のようなその言葉に、寺崎は一瞬、凍り付いた。

「そこまでわかってるんでしたら、どうして……」

「治療はしません」

 寺崎はあまりのことに唖然として、数刻言葉もなく目の前の沙羅の整った顔を見つめた。

「……治療しない? どういうことですか」

「どういうこともなにも、言葉通りです。あれだけの力を持つのなら、我々にとってどういう存在なのかはっきりしない限り危険でしょう。危険なら、消えてもらわなければならない。このまま放っておけば、我々が手を下すまでもなく死んでくれる。だから、治療しない。それだけのことです」

 寺崎はその言葉に、完全に思考が停止した。
 信じられない思いで、ゆっくりと首を巡らし組織中枢の面々の顔を見渡す。魁然総帥も神代総代も、沙羅と同じ意見らしく何も言わない。
 そのまま、ゆるゆるとストレッチャーに横たわる紺野に目を落とす。
 ぼさぼさの髪が弱々しい呼吸を繰り返すその顔を半分覆い、足の傷から滲み出た血が汚らしい病院服を赤黒く染め上げ、その先から出ている裸足の足裏は、薄黒く汚れて血が滲んでいる。おそらく学校にテレポートしてきたときからずっと裸足だったのだろう。まるでぼろ雑巾のように汚らしい、無力な姿だった。
 こんな状態で、怜璃や、あの滝川とかいう男まで助けた紺野。その彼が、組織の都合で見殺しにされようとしている……寺崎は、背筋が凍るような思いがした。

「あんまりです! こいつは魁然総代を助けたんですよ。こいつが行かなければ、総代はおそらく無事ではなかった。その功績は大きいんじゃありませんか!」

 気がつくと、寺崎は声を荒げて叫んでいた。相手が総代だろうが総帥だろうが、そんなことはどうでもよかった。こんな極限状態にありながら、寺崎の制服が汚れることを気にして何度も離れようとした紺野。そんな男が、どうしても組織の存続を揺るがす危険人物とは思えなかった。
 だが、沙羅はそんな寺崎を馬鹿にしたように見やりながら冷然と言い放った。

「たとえそうだとしても、危険人物であることに変わりはありません。個人的感傷でものを言われてもね」

「個人的感傷では……」

 寺崎が更に声を荒げて反論しかけたときだった。

「いいん……です」

 薄暗いCR室に、掠れた、小さな声が響いた。

「……紺野?」

 荒い息づかいで途切れがちなその声は、確かに紺野のものだった。紺野は目を閉じたまま、呼吸の合間合間でようやく声を絞り出しているようだ。
 慌てて枕元に駆け寄る寺崎を、他の者たちはその場から冷然と眺めやった。

「構い、ません……」

「構わないってお前、そう言う問題じゃ……」

 思わず食い下がる寺崎に、紺野はぜいぜいと息を切らしながら、しかしはっきりとこう言った。

「死ねる、なら……嬉しい……」

 その言葉に寺崎は、言おうとしていた言葉を飲み込んだ。

――嬉しい?

「ただ、ひとつ、お願いが……」

「お願い?」

 紺野はうっすらと閉じていた目を開くと、奥に佇む神代亨也の方を見た。

「死んだら、しばらくの間……僕の、周囲を……シールドして……もらえないで……しょうか……」

 亨也は腕を組み、微かに眉を寄せた。

「どうしてですか?」

 紺野は荒い呼吸を繰り返しながら、再び力なくその目を閉じた。

「僕は、一度……死にました。でも、死ねな……かった……」

 その言葉に、一同はちらりと鋭い目線を交わす。
 寺崎は枕元にしゃがみ込むと、氷のように冷たい紺野の右手を自分の両手で包む込み、必死で叫んだ。

「何を言ってんだ? しっかりしろよ、紺野!」

 寺崎の言葉はしかし、紺野の耳には届いていないようだった。

「本当に、死にたかった……。でも、気がついたら、僕は……全くの、別人……紺野、秀明として、生まれていた……」

 その言葉に義虎は、はっとしたようにその目を見開いた。

「僕の、意志では……どうにも、ならない……。だから、細胞の……転移が、起きないように……シールドを……」

 紺野はそこまで言うとかなり消耗したのだろう、激しい息づかいで呼吸しながら言葉を止めた。
 義虎はそんな紺野をしばらくの間鋭い目でじっと見つめていたが、やがて静かに口を開いた。心なしか、震える声だった。

「……お前の本当の名は、なんと言うんだ」

 荒い息の間から紡ぎ出される消え入りそうな声は、その弱々しさとは裏腹な恐るべき衝撃をその場にいた全員にもたらした。

「東、順也……」

 言い終えると同時に、僅かに右に傾けられた紺野の口から、弱々しい咳とともに鮮血が溢れる。
 赤い液体はストレッチャーから、音を立てて白い床にしたたり落ちた。
 紺野の次の言葉は、切れ切れの送信(テレパシー)だった。

【すみません、これ以上……意識を、保て、ない……。お願いです……、シールドを……】

 それきり、紺野の送信は途絶えた。
 部屋にいた全ての者が動きを止め、瞬ぎもせず紺野を見ていた。
 静まりかえった部屋に、ストレッチャーから滴り落ちる血の規則的な音だけが、静かに響いている。

「魁然総帥、東順也とは、まさかあの事件の……?」

 最初に口を開いたのは亨也だった。魁然総帥はちらりと亨也に目をやると、血の気のない唇の隙間から掠れた声でその問いに答える。

「あの事件の犯人とされている男だ、対外的にはな。ただ、どこまでどのように関わっているか、結局真相は分からずじまいだった。あのあと犯人の司法解剖もしたが、確かに血液型が神代のものと同じ型だった。だが、どういう出自のどの一派の者かも、結局分からずじまいだった。どの程度のESPを持っていたのかも、どうして裕子が、あの男を相手に選んだのかも、本当に相手だったのかさえ……何もな」

 震える拳を握りしめ、腹の底から絞り出すような深いため息を一つ、つく。

「そしてあの赤子の行方も、未だにわからないままだ」

 それから、血反吐にまみれて横たわる紺野を恐ろしい形相で睨み付ける。

「この男が、その東順也だと……?」

 亨也はそんな義虎に、落ち着いた声音で問いかけた。

「どうしましょう? この男。このまま逝かせてしまってよろしいのですか?」

「まだ、間に合うか?」

「ESPで手術すれば出血の心配もありませんから、今なら大丈夫です。頸動脈に例の物を埋め込めば、もしもの時も心配ありません」

 義虎はしばらくの間何か考えているようだったが、やがて意を決したように頷くと、亨也に深々と頭を下げた。

「では、お願いします。申し訳ない。我が一族の不始末のためにお手数をおかけしますな」


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