4月15日 3
――火事だ! 紺野のアパートが!
凄まじいスピードで走る寺崎の眼前に、黒煙を巻き上げながら燃え上がるアパートが近づいてくる。消防車数台が駆けつけているが、路地が狭くなかなか側まで行かれないらしい。周囲には人だかりができ、見物人が固唾を呑んで見守っている。ピンと張り詰めた緊張感と、胸が押さえつけられるような不安を覚えつつ、紺野の無事を確かめようと寺崎が足を速めた、その時だった。
寺崎は再びテレポート反応を感じた。しかも、さっきとは明らかに違うエネルギーだ。
――別人か?
今度はすぐ近くだ。一瞬迷ったが、この火事の原因がそのESPを使った人物という可能性もある。寺崎は踵を返すと、川岸の方向へ走った。くねくねとした狭苦しい路地を抜け、あっという間に河川敷に出ると、防波堤のサイクリングロードへ駆け上がる。
と、十mほど先に、寺崎は見覚えのある人影を発見した。
「浩孝ぁ、浩孝ぁ。どこだ?」
確かにあの時会った、紺野の隣に住んでいるという老婆だ。火事から逃げてきたのか、髪は一部焦げて、顔もすすだらけだった。人を捜しているのだろうか、先ほどから誰かの名前を呼びながらきょろきょろと辺りを見回している。
「どうしたんすか、ばあさん!」
寺崎が声をかけると、老婆は驚いたように一瞬ビクッと体を震わせたが、それが先日会った高校生だと分かると、すぐに泣きながら寺崎に訴えかけてきた。
「ああ、あんたぁ、浩孝見なかったかい? 浩孝」
「浩孝って?」
「わしの孫じゃ! 火事で死にかけたわしを、たった今助けてくれたんじゃ。だのに、姿が見えんのじゃ」
胸に位牌らしき物体を大事そうに抱き、うろたえたようにこう繰り返しているのだが、寺崎が周囲を見回しても、それらしい人影は見あたらない。
「ばあさん、落ち着きなよ。そんな人……」
言いかけて、寺崎ははっとした。老婆の背中よりの右半身が、真っ赤に染まっているのだ。
「ばあさん、あんた、怪我してんじゃねえか?」
「え?」
老婆は寺崎に背中の衣服を引っ張ってもらって、やっと気がついたらしい。驚いたようにその血だらけの衣服を見やっていたが、
「これは、わしの血じゃないぞ」
そう言って、慌てはじめた。
「浩孝だ、これ、浩孝が怪我してんだ!」
老婆は震える声で呟くと、半狂乱になって叫びながら堤道を走り始めた。
「浩孝ぁ、どこじゃあ。浩孝ぁ……」
寺崎は走り去る老婆の後ろ姿を呆然と見送っていたが、足元を見てはっとした。老婆が立っていたあたりから、点々と血の跡が逆方向に続いていたのだ。その跡は土手を下る方向に続いている。川風に乗って、微かに血の臭いも漂ってくる。
寺崎はその跡が続いている土手の下を見下ろした。薄暗くて分かりにくかったが、下の方に、確かに誰か倒れている。赤いズボンをはいた、どうやら男らしい。老婆が言っていた浩孝とかいうやつだろうか? 寺崎は軽やかに土手を下ると、その人影に走り寄った。
「おい、大丈夫……」
声をかけ、肩に手をやって、寺崎は息を呑んだ。
男の右足は深くえぐれたように裂け、断裂した筋繊維が見えた。赤いズボンをはいているのかと思ったが、それは血で赤く染まってそう見えたのだ。口もとは吐いたとおぼしき血で汚れ、土手を転がり落ちたのだろう、草だらけだった。既に意識はなく、ぐったりしている。そばによると、煙のような焦げたにおいがした。
薄暗い夕刻の河川敷で、たいした明かりもなかったが、それは確かに彼……紺野秀明だったのだ。
☆☆☆
怜璃と談笑していた亨也が急に話を止めて、もう何分経ったであろうか。じっと何か感じ取っているように、鋭い目つきで池の向こうを見据えたまま、微動だにしない。
「……あの、亨也さん?」
何か怒らせてしまったのだろうか? 膨れあがった不安に耐えきれなくなった怜璃は、とうとう声をかけた。
と、その声にはっとしたように顔を上げると、怜璃の不安気な様子に気づいたのだろう。亨也は申し訳なさそうな笑顔を浮かべた。
「すみませんでした。ちょっと気になる動きを感じて」
そう言って頭を下げるので、怜璃は慌てて手をぶんぶん振った。
「いえ。そんな、とんでもないです。……でも、気になる動きというのは?」
「三回ほど、ESP反応を感じました」
「え、ほんとですか? 私は全然……」
怜璃は驚いて目を丸くした。自分もESPはキャッチできるが、全く感じなかったのだ。
「かなり遠いですから。十km近く離れています」
亨也はそう言うと、ESP反応を感じた方向なのだろうか、池の向こうに再び目を向けるとベンチから立ちあがった。
「怜璃さん、申し訳ありません。今日はこの辺で失礼しなければならないかも知れません」
「え?」
亨也は怜璃の方を振り返ると、にっこりと笑った。
「今日は楽しかったです。私は正直、今日まで不安でした。許嫁という人が、一体どんな女性なのだろう、十四歳も年が離れていて、本当にやっていけるのだろうか、と」
そう言うと亨也は優しい目で怜璃をじっと見つめた。
「許嫁が、あなたのような人でよかった。また、会いましょう。今度は、こんな見せ物みたいな状況ではなく」
亨也は怜璃に一礼すると、ゆっくりと会場の方へ向かって歩き始めた。
怜璃はその後ろ姿を、じっと見送っていた。何も言えなかった。胸が激しく高鳴り、頬が火照るような感覚を覚えながら、亨也の後ろ姿から目が離せなかった。
また会いたい、素直にそう思った。
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