5月29日
5月29日(水)
「どうしてですか? 編集長!」
朝の編集室に、須永の甲高い声が響き渡った。
ひげ面の編集長は大きな肘掛けつきの回転椅子に背中をもたれ、いつもにも増して苦虫をかみつぶしたような顔で黙っている。
「この記事にはちゃんとした裏付けがあります! 高校での事件に至っては、私と石黒さんが実際にこの目で見ている。月曜にお伺いした時は編集長も乗り気だったじゃないですか! それが、どうして今日になって……」
編集長はため息をつくと、回転椅子をくるりと回し、濁った曇り空が広がる窓の方を向いた。
「ストップがかかったんだ」
「ストップ?」
編集長は立ち上がり、ビルの足下を行き過ぎるゴマのような車の列に目を落とす。
「二十五日の青南高校での事件について、一切触れてはならんという報道規制が敷かれた」
須永は目を大きく見開き、数刻呼吸も忘れて編集長を見つめた。
「それは、一体どういうラインから……」
「政界、財界から、警察幹部に至るまで、あらゆるラインからだ。これを無視することは即ち、我々がこの先仕事を続けることを諦めることを意味する」
再び通りに目を向け、黙り込んだ編集長の後ろ姿を見つめながら、須永はじっと拳を握りしめ、足の震えを止めようと必死だった。
☆☆☆
「失礼します」
民自党中凹区支部。大きな紫檀のデスクに腰をかけ、たばこを燻らせていた魁然廣政議員は、ゆっくりと顔を巡らせ、入ってきた男に目を向けた。
「須藤くんか。どうだ? 報道規制の方は」
「はい。大手はもちろん、中小の報道機関にも概ね伝わりました。あの事件に関する報道は恐らく殆どされないものと……」
「そうか。よかった。ではその旨、魁然総帥に報告しておいてもらえるか」
「分かりました。早速お伝えします。ところで、先生にお客様がお見えなんですが」
「そうか。誰だ?」
「経団連会長の魁然義文様です」
廣政はちょっと眉を上げて体を起こすと、吸っていたたばこを消した。
「わかった。すぐ入っていただきなさい」
須藤は恭しく一礼すると、部屋を出た。程なく須藤が開けた扉の向こうから、立派な顎髭を蓄えた恰幅のいい初老の男性が悠然と入ってきた。
「これはこれは、義文さん。わざわざおいでいただいて……」
廣政が勧めると、義文は一礼してソファにどっかと腰を下ろした。
「すみませんな。突然お邪魔して。お忙しかったんじゃありませんか?」
「いえ、大丈夫です。義文さんこそ、お忙しいのに」
「それが、突然予定が一つキャンセルになって、三十分ほど時間があいたものですから。ちょうど近くにおりましたので、突然お邪魔させていただいた次第です。申し訳ない」
「とんでもない。私も一度、義文さんとお会いせねばと思っていたところでして」
コーヒーを運んできた女性が去るのを待ってから、廣政は、徐に口を開いた。
「例の件については、もうお聞きになりましたか」
義文も深々と頷いた。
「私も、今日はそのことでお邪魔したんです」
カップの縁を立派な顎髭の間に差し込むようにしてコーヒーを口に運ぶと、ふうとため息をつく。
「報道の方は廣政さんの方に規制をかけていただいたので、恐らく大丈夫とは思うのだが、……どう思いますか? 廣政さんは、あの男について」
廣政は苦虫をかみつぶしたような顔で、頷いた。
「あの、紺野とかいう男ですね」
「あの男が護衛になってから、明らかに総代の周囲が騒がしくなってきている。あの男が、あの子どもを呼び込んでいるような気が、私はするんです」
すると廣政も、我が意を得たりと大きく頷いた。
「私もそう思います。あの男が現れてから、あの子どもの出現回数が飛躍的に増えた。あの男がやつを引き寄せているのは明らかです」
義文は頷きながら顎髭を撫でていたが、その手を止めると鋭い目をして廣政に向き直った。
「あの男は、組織を不安定にする要因になるような気がする」
「不安定に?」
頷きながら再びゆっくりと顎髭を往復する義文の手元を、廣政は緊張した面持ちで見つめる。
義文は顎髭を弄びながら、そんな廣政にちらりと目を向けた。
「どう思います? あの男の容貌」
廣政はドキッとしたようにその目を見開いた。
「神代総代と瓜二つの容貌に、ESP……しかも、かなりのレベルのESPを持つ男。嫌な予感がしませんか」
義文はそう言うと顎髭を撫でる手を止めて、じっと鋭い目で前方を見据えていたが、やがて静かに、だが、確信に満ちた声音でこう言った。
「私は、神代総帥が何かご存じのような気がする」
その言葉に、廣政は慄然として息を呑む。
「そしてそれは、神代総帥自ら白日の下にさらすことはできない。そういう事実を含んでいると、私は思うのです」
「おっしゃるとおりだと……思います」
廣政はやっとのことでこれだけ言うと、耐えきれなくなったように下を向いた。
義文は顎髭を撫でながら、微かに口の端を上げた。
「おおっぴらにできないのなら、我々が独自に動いても差し支えない。そう思いませんか」
廣政はぎょっとしたように目を丸くして義文を見つめた。ある程度予想してはいたものの、こうもあからさまに断言されるとは思ってもいなかったのだ。
義文はゆっくりと顎髭を撫でながら、遠い目をした。
「何百年も受け継がれてきた、我々一族の悲願。その悲願を背負っている、魁然総代。彼女に危険が及ぶようなことは、我々の手で即刻断ち切らねばならんのです。神代総帥がそれを承知していて、尚かつ魁然総帥が動かないなら、我々が独自に動くしかない。……違いますか?」
義文の言葉に頷きつつも、廣政はカラカラに渇いた喉にごくりとつばを送り込む。
「あの男を、消しましょう」
義文は顎髭を撫でながら、きっぱりと言いきった。
「それが我々一族の安定にとって、必要なことなのです」
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