日本国内情勢と嫡男・八幡元服
1604年
日本国内では、龍之介嫡男・八幡が12歳になっていた
伯父である帝から使者が茨城城に着たのである
使者は龍之介の妹が嫁いでいた摂関家の従二位内大臣九条実篤
「関白龍之介 嫡男・三上八幡、従三位中納言近衛大将に命じる為、元服をせよ」
これは、幕府拠点の茨城城代が無位無官のままではいかんと思った帝から勅命であった
さらに
「関白龍之介正圀・正室、歩美正四位下参議に任じる 引き続き龍之介正圀不在を守るように」
であった。
龍之介嫡男・八幡は龍之介の九条実篤が烏帽子親となり、元服をしたのだ
従三位中納言近衛大将藤原朝臣三上虎之助正長となったのであった
この頃、帝にも親王3歳 姫2歳が出来ており、龍之介から預かっている太郎が兄がわりになり御所城は賑やかであった
右大臣最上義光は蝦夷の開拓をアイヌ人と共同で行い、少しずつ農地を増やし寒冷に強い作物を育て、養羊も成功していたのである
さらに、苫小牧港でも蒸気機関鉄甲船が作られるようになっており
その蒸気機関鉄甲船を使い北方探索隊を出し、北方領土・樺太島に入植し日本国宣言を帝に頼みしていたのであった
樺太島には対ロシア帝国を想定した海城が築かれていた
伊達家留守を預かる伊達輝宗・伊達成実・片倉小十郎も、肥前・名護屋城の黒上影鷹協力のもと南方に勢力を拡大していた、それは敵対的な武力衝突ではなく、友好的に島を買う形であったのだ
パラワン島を買い取り・ホーチミンも買い取り海城建設が行われていたのだ
さらに、龍之介からの連絡船で精巧な地球儀とともに、パナイタン島を押さえよ
との、命令書が送られたて来たためパナイタン島を少し強引な買収であったが買い取り海城建設が始まっていたのだ。