日本に到着連絡船!
連絡船はパナマ出港後4ヶ月ほどで茨城国鹿島港に到着したのだ
鹿島港から早馬が出され、使者は茨城城を預かる嫡男・八幡と正室・歩美にとどけられた
「政所様、関白殿下からはどのような連絡ですか?」
興味津々、側室達が集まる
「関白殿下は従来から筆無精、こんな簡単な手紙です(笑)」
手紙を見せると
「あら…でも元気な知らせ、良いではありませんか」
「そうね!さぁ~仕事があるわ‼全国に御触れを!異国でイスパニアと戦いたい浪人は鹿島・日立港に集まるように!蒸気機関鉄甲船は5隻しか新たには出来てないから安宅舟を蒸気機関鉄甲船に繋げて浪人衆を乗せる手はずを!」
完成していた蒸気機関鉄甲船は、旗艦・大和型であった
アームストロング砲・ガトリング砲は、船に装備されたもの以外に、アームストロング砲50砲・ガトリング砲100砲が完成しており既に大量の補充用石炭と共に載せられていた!
「関白殿下は必要としておられる急ぐよう!出発は3週間後」
各地から、10000人の浪人が集まったが老齢な者や病弱そうな者は遠慮するように選択され約8000人の浪人が蒸気機関鉄甲船と曳航される安宅舟に乗り出発となった
日本国からハワイを経由してパナマ港城に到着するのは4ヶ月後の事であった