羽柴秀吉の最後
羽柴秀吉は死期が迫っていた
秀吉は台湾に、城を建てた
海城で強大な城であった
長浜城の経験を活かした城である
「台湾城」であった
台湾城は三上龍之介正圀幕府への守りであり、明国との交易の場であった
枕元には、「おね」「秀次」「黒田官兵衛」「石田三成」他に側室達が控えていた
秀吉は虫の息であった
「…日本に戻りたい…日本に戻りたい…」
その一言を最後に息を引き取った
葬式を終え羽柴家の評定が開かれた
「秀次」を二代目羽柴台湾国王に決まる
そして、秀次は
「秀吉様の遺言を実行する 黒田官兵衛良い手立てはないか?」
「三上龍之介正圀は女子に弱いと聞きます!女子刺客を送り続けると共に、明国と同盟を結び日本国に攻め込みましょう しかし、三上龍之介正圀の海軍力は…強すぎます…我が軍も蒸気機関鉄甲船の量産が出来れば…」
三上龍之介正圀幕府の蒸気機関鉄甲船は最上・伊達を含めて大小合わせて総勢300を越えていた
半数が交易に出払い、半数が国を守る形である
肥前名護屋城に幕府直属50隻
琉球の港にも幕府30隻配備されていた
茨城国には幕府直属の100隻があり20隻が交易に出て80隻が守備に当たる形になっていた
蝦夷地の函館にも幕府直轄の海城が築かれ30隻配備されていた
幕府の蒸気機関鉄甲船は210隻である
日立の港で日々製造されていた
日立港は造船で栄えている
さらに、鹿島にも造船所が整備されたのであった
羽柴家はこの海軍力に対向する力がなかった…
世界には対向するだけの海軍力がある国はすでになかった
龍之介は海軍に力をいれていた




