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1595年信長の最後

その日は突然訪れた

 1595年正月元日 二条城


信長は名護屋から上洛していた

 

 諸大名が集まり新年の挨拶 祝賀の宴席

 (トイレ)に向かった信長は突如倒れた…

現世で言うヒートショックからのくも膜下出血と思われる…


 一命は取り留めたものの予断の許さない状態に陥ったのだ

 戦国時代の武将は脳や心臓の血管疾病で死亡するものは多かった

 上杉謙信や山内一豊・蜂須賀正勝などが代表的だ

 それは、合戦時の保存食や塩気の強い物が好まれたからだ

 織田信長もまた味の濃い食べ物を好んだ

 

 この為、高血圧によるくも膜下出血であった

 

 祝賀の行事は取り止めとなり二条城には織田家の者と徳川家康そして三上龍之介正圀が残った

 

 なぜ、二人が残ったかは織田信長最大の協力者であったのと織田宗家に匹敵する大大名であったからだ

 

 

 龍之介は控えていた影鷹に

 「いつでも、(いくさ)出来るよう支度を内々に済ませておけ」

 と、命令し影鷹は配下の忍を使い嵐山城・近江八幡城・水戸城そして、伊達・最上両家にも指示したのである

 

 徳川家康も服部半蔵を使い同じ事をしていた

 

 そして、雪降る静かな一月三日早朝

 

 大鼾(おおいびき)をかきながら寝ていた織田信長は突如静になり

 着いていた薬師により脈を測られた

 

「お亡くなりになられました」


 第六天魔王と恐れられていた信長の最後は静かであった

 織田信長は死んだ

 

 

 波乱に満ちた生涯

 しかし、それとは裏腹に布団の中で死んだのである

戦場での死ではなく病死

 

 本能寺の変があったら49で幕を閉じていた織田信長

龍之介により、防がれ天下統一を成し遂げた織田信長


 62歳で幕を閉たのである

 

 龍之介と徳川家康はすぐ隣の部屋におり、息を引き取るのを見ていた

 

 この時、二人は信忠の動きに注意したのである

 

 配下を大勢集め城内で抹殺されないかを

 

 しかし、信忠は常識人であった

 

 「父・信長は死にもうした 二人には思うところもありましょうが父・信長を葬るまではお互いに静にしましょう…乱戦終わらせた父・信長への礼儀だと思ってくださらぬか?」

 

 龍之介は元より自分から天下を望む気はなく

 「当然の事この関白三上龍之介正圀、引き続き織田宗家の治世に協力します」

 

 徳川家康も

 「それがしも同じく」

 

 と、返答したのである

 

 そして、正月明け7日信長の死は公表され

 

 10日信長は、奇しくもあの京都・本能寺で盛大に葬儀が行われたのであった


葬儀には、龍之介は帝から代理として葬儀に参列するよう命じられた

それは龍之介は、帝の臣下である証であった

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