二大勢力
伊達政宗はまだ25歳の若者
野望に燃えている
しかし、情勢は織田家の天下であった
伊達家は早くから織田信長に贈り物をし、ほぼ同盟関係にあったため織田信長が幕府を開くにあたって奥州探題の役職を授かり領地拡大・小大名を家臣にする事ができたのである
父・伊達輝宗は阿武隈川の悲劇もなく健在
しかし、政治には関与せず楽隠居を楽しんでいた
そんなおり、織田宗家と関東管領職龍之介正圀の確執ができはじめてるのを気が付かない政宗ではなく、名軍師・片倉小十郎であった
どちらに加担しようか伊達家では評定と言っても腹心のみのであるが度々開かれ政宗・小十郎は決めあぐねていた
そんなところに来たのが、龍之介正圀からの使者であった
「予てより、申し出のあった側室の件承りましょう
さらに、最上義光との和睦に一肌脱ぎ申す」
との、使者でありこれを機に龍之介正圀との距離を縮めたのである
最上義光もまた同様の使者をうけ、更には伊達輝宗に嫁いでいる妹・義姫からも嘆願があったのである
三上龍之介正圀に義光は娘を政宗は妹を嫁がせる事により縁を結び、また最上家と伊達家の側室を結ばせた事により三上家・伊達家・最上家の3国同盟が成立したのである
同盟は公表こそされなかったものの、側室のやり取りは織田信忠にも耳に入り龍之介正圀の存在を苦々しく思っていたのである
龍之介は、現世では渡辺謙主演ドラマから伊達政宗のファンである
この為、同盟関係となった政宗と二人っきりになりたかったのだ
そこで龍之介は伊達と龍之介の領地境に近い、磐城(いわき市)の白水阿弥陀堂(現在・国宝)で密会をしたのである
10歳の差しかなかった龍之介と政宗はすぐに打ち解けた
また、最上義光との面会も羽黒山詣でを口実に羽黒山神社で行ったのだ
どちらにも、領地開発や築城・港開発に協力した
山形城はすでに三ノ丸まである輪郭式平城と整備されていたので、鶴岡の港の軍港としての整備を指南した
仙台城は現世では、伊達政宗時代には本丸しかなかったのであるそれは謀叛の疑いを恐れてであった
この世界では龍之介が後ろ楯となり、壮大な城塞となり天守をも持っていたのである
さらに、塩竈と仙台港の軍港としての整備を指南した
また、公家に近づく為に最上には羽黒山神社・伊達には塩竈神社・大崎八幡宮を発展させ、やはり無役の公家の次男三男を司祭に迎えたのだ
公家への橋渡しも龍之介が行ったのは言うまでもないだろう
龍之介は徳川家康からも側室を娶っていて仲は皆同様良かったが…徳川家康の動向には注意をしていたのである
織田宗家にあまりにも近しい同盟者だったからだ
上杉景勝は義を優先するか、朝廷を優先するか未だに不明であり監視対象としていた
二大勢力図式が出来つつあった