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1592年情勢

本能寺の変から10年

 1592年織田信長は59歳 正一位征夷大将軍

 肥前に名護屋城を築き拠点にし海外交易に励み、海外には友好的に購入した港・島があり日本国領地としては増えていた

 琉球は信長直属の属国となっていたが、琉球には米を

 琉球からは砂糖を購入する関係となっていた

 信長海外渡航は琉球の協力があった

 

 織田宗家は、 信忠37歳 従一位関白

 嫡男に、三法師改め元服したばかりの秀信12歳がいた

 従四位下岐阜守となっていた

 信忠は非凡ではなかったが秀信の将来を心配していたのだ、それは妹婿・左大臣龍之介正圀…信長・安土幕府の協力者であって家臣ではなかったのだ

 その為、警戒は当然であった

 信長から引き継いだ安土城は絢爛豪華ではあったものの戦いには不向き、それを琵琶湖の水を利用し大きな運河を作り水堀による総構えとしたのである

 向山のさらに破却した観音寺城を築上しなおしたのである二つの城で守を堅めたのだ

 観音寺城城主は秀信であった秀信

 秀信後見役は加賀に100万石の領地を持つ従三位権中納言前田利家であった

 前田利家はこの時53歳、家督は利長30歳に譲っていた

 

 柴田勝家は既に亡くなっていた

 嫡子はおらず、養子とも仲が悪く柴田勝家の領地をそのまま引き継がれず柴田家は一旗本として名前が残るだけであった

 領地は前田利家・佐々成政に任される形になったのであった

 前田利長30歳 能登・加賀・越前

 

 佐々成政56歳 越中・飛騨

 

 三河・遠江・駿河・伊豆・甲斐は従二位内大臣徳川家康49歳

 

 正三位大納言上杉景勝 36歳 越後・下野・会津

 

 伊予・讃岐・阿波・淡路は次男・正三位中納言四国探題 信孝34歳、土佐の長曽我部はその配下

 

 武蔵・上野が信長の三男・従三位権中納言武蔵の守信雄34歳

 

 羽柴秀吉55歳は従三位権中納言九州探題

 実質、養子秀次24歳が跡を継ぐべく精進していた

 

 明智光秀64歳は従三位権中納言中国探題を嫡男・光慶23歳が受け継ぎ後見役となっていた

 毛利はその配下

 

 伊達政宗25歳は正四位上奥州探題として宮城・岩手・福島の一部

 伊達輝宗48歳はご隠居様と呼ばれ政治からは離れていた

 

 最上義光46様は正四位上羽州探題として秋田・山形の一部を治めていた

 嫡男・義康17歳

 

 青森と蝦夷の一部を南部直信46歳従四位下陸奥守が治めていた

 

 龍之介は

 正二位左大臣関東管領職藤原朝臣三上龍之介正圀30歳

 磐城・常陸・下総・上総・安房、飛び地に近江の一部・山城の嵐山を治めている大大名

 公家大名などと呼ばれていた

 

 

 

 

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