茨城国運営
常陸から茨城と名前を改めていた領地は、全体の街道を整備し、つなげたのである
海沿いに作った街道を陸前浜街道と呼び、この道より海沿いには家を建てるのを禁止したのであった
さらに、高台に見張り台を建ていつくるかわからない津浪に備えたのだ
見張りは、窃盗軽犯罪を行ったものの仕事にし給金も出したので、軽犯罪者が減ったのは言うまでもない
仕事がないから、犯罪にはしってしまったような者には、仕事を与えるのが良いと考えた龍之介
領民は津浪対策を不満に思ったが、領主・龍之介正圀が直接領民に説明したのだ
領主が、領民に…しかも、正二位左大臣関東管領職と言う身分の高い領主がだ
「津波からの被害から守るためだ…我が陰陽道よりの考えだがわかってくれぬか?」
農民・漁民
「領主様自らのお言葉では…」
「しかも、噂の領主様の陰陽力であっては」
「しかし、港まで行くのに不便が…」
「そこは、馬車で行き来出来るようにする」
農民・漁民
「馬車?」
「馬車?」
「牛車を馬が引くものと思ってくれ、これに荷を積めば不便は少なかろう…」
龍之介は、西洋から馬車を取り寄せ、国内生産をしていたのだった
これを、活用するための街道整備であったのだ
龍之介正圀は311東日本大震災の記憶があり、いかに被害を無くすかを考えたのであった
それでなくても、茨城国には度々津波が押し寄せていたのだ
馬車は、公営で走らせて運賃を取らず荷を運んだ
これにより領民の不満は押さえられた
そんなおり、日本の反対側で起きた地震から発生した津浪が日本に押し寄せたのだった
高台の見張りからは津波を知らせる鐘が鳴り響く
「カン!カン!カン!カン!カン!カン!カン!カン!カン!カン!」
海沿いにいた領民は高台に避難した
港には被害があったが、領民に被害はなく
「領主様の陰陽力は恐ろしく当たるから言うことを聞いていて良かった」
との、声が出たのであった
領主、龍之介正圀は領民との交流を続けたのであった
領土での目標に「領民皆1日三食食べられるような国作り」
簡単でわかりやすい目標は受け入れられ、領民はよく働いたのであった