第28話 常陸から茨城国へ
龍之介は前世での茨城県魅力度ランキング最下位が悔しかった。
その為、領地の常陸・上総・下総・磐城の繁栄に勤しんでいた。
前世の茨城もけして繁栄していないわけではないがなぜか魅力度が低い。
龍之介の領地は朝廷・安土幕府への貢献から房総半島全体も領地になっていた。
現在で言うまさにチバラキ県であった。
広大な領地を龍之介は領地全体の名称を「茨城国」と変えたのだ。
黒坂命が、茨の城を築いて賊を討伐した由来から茨城と言う常陸国風土記に記されていた由緒ある名を新たな国名にしたのだ。
この為、前世での茨城県より遥かに大きな茨城国に千葉県は合併された。
千葉~磐城までを茨城に合併した形になる。
龍之介の茨城愛であった。
茨城国は農業・漁業・炭坑・銅山・絹・造船・分野で繁栄した。
前世でも茨城県は有数の農産物が出荷され、工業面でも大企業世界のHIT●CHIもあり、鹿島コンビナートもあれば、有数の漁獲量の誇る魚の美味い県であり、牛や豚・鶏肉に蕎麦も最高級ブランドもある。
歴史的にも古い県なのになぜか魅力度最下位、龍之介は許せなかったのだ。
だからこそ、茨城国運営に心血を注いだ。
前世から信仰していた寺社仏閣の整備にも当たった。
茨城国には、有名な鹿島神宮・香取神宮・筑波山神社・笠間稲荷・御岩神社・雨引観音等があり整備し神職には摂関家二男三男などの無役無職の者になって貰う形をとり公家からの左大臣への妬みを減らす事にも努めたのだった。
龍之介は茨城国を後世で魅力度最下位にならないよう努力したのである。
過去の記憶をもとに、開拓整備だったので順調に進み実際の収入は400万石の大大名となっていたのである。
奥州の睨みとして、勿来城を改築した。
勿来は福島と茨城の県境にある勿来の関が有名である。
勿来の関は三大関所の時代があった、これは大和朝廷支配地と蝦夷を分ける関所であった。
龍之介は海沿いに街道を作り、旧勿来関所跡の山に質実剛健の山城を築いた。
街道を睨む山城は驚異的ではあったが、関所は常に開けられた状態で通行自由、有事の際に備えた城である。
奥州・羽州は伊達・最上が織田家に次男を人質に早くから出したことにより、 伊達奥州探題・最上羽州探題となり、青森の南部家の三大勢力でまとめられていたのであった。
港は、日立と鹿島に造船所を整備し他に北は小名浜、茨城国中間に鹿島・南に館山の港を整備し、西洋との交易の拠点としたのであった。
軍備は、謀叛を疑われない程度に少しずつ増やす形をとっていたのである。
織田家の協力者でありながら家臣ではない龍之介。
微妙な立ち位置であった。