龍之介の食卓
龍之介の毎日の食事は、茨城県産の農畜産物・常磐物の海産物で充実していた。
準備するのは、身分が高くなった今でも歩美や側室達が行った。
それぞれ幕府や平和維持連合の役職にも着いていたため忙しいときには
台所役家臣が作っていた。
世界各地からの土産の献上品があればそれを好んで食べていた。
龍之介は豪華な金品を受け取らないため、食品の献上品は多かったが、
常日頃あるわけではない。
日常は質素、朝食には雑穀ご飯・茨城名産で作られた味噌汁・焼き魚・納豆・
季節の菜の物・根菜の煮物・卵料理そしてヨ-グルト、味噌汁には涸沼・牛久沼・
北浦・霞ヶ浦で採れるシジミを好んだ。根菜の煮付けも、これらの近くの湿地で
盛んに作られる蓮根を好んだ。
蓮根は、龍之介の好物であり煮物だけではなく天ぷらにして歯ごたえを楽しんだ。
朝食は、エリリやエタ-二ャが作るパンを主食とする洋食の時もある。
昼食には、常陸名産のそばを好んだ。
蒸した麺が主流であったが煮て食べる食べ方を好み平成と変わらない、掛け蕎麦や
ざる蕎麦を食べていた。
エリリやエタ-二ャが作るガレッタ
とうもろこし粉から作るトルティーヤなど粉物の加工されたものを食した。
龍之介の側室は多国籍の為、各地の料理が揃ったのである。
そういう点を言えば、豪華ではあったがその料理の仕方は台所役の家臣を通じて
偕楽園世界水戸の梅祭りで世界異臭珍味堂として使われる建物は普段は、庶民向け
料理教室が開かれ、国民の食事も充実が図られた。
夕食には朝食のメニュ-に加え、茨城県産豚・常陸牛・鶏・奥久慈軍鶏などの肉料理が
一品追加される、毎晩の晩酌は欠かさず日本酒や焼酎を楽しんだ。
焼酎は、奄美大島等で作られた黒糖焼酎を好んで飲んだ。
一日、二合までと決めていたがついつい飲みすぎてしまう龍之介、そんなところは
普通のおじさんであった。
そんな毎食を、円卓の囲炉裏で城にいる家族と共に食した。
龍之介の食事のこだわりは、毎日欠かさない発酵食品である。
腐敗臭の強いキビヤックなどは流石に、毎日は食べないし城に持ち込むのは家族の
反対でできない。
毎日食べる発酵食品は、味噌汁、納豆、ぬか漬け、ヨ-グルトである。
前世で百歳まで健康的に生きた龍之介、発酵食品が健康の秘訣だっのかもと考え
この異世界でも実践していた。
ヨーグルトもその為、畜産を奨励した時にすぐに生産の開始を支持しヨ-ロッパや
トルコの技術提供によって完成していた。
幕府直轄御用牧場で生産技術が完成すると、国内の畜産を行う民にもヨ-グルト菌と
製法が伝授され国民もヨ-グルトを食していた。
琉球や海外貿易で砂糖も豊富にあり、庶民も買えた為酸っぱいヨ-グルトに混ぜて
食べる、平成と変わらない味が確立された。
日本国民は牛乳の消化が合わない体質の物が多い為、ヨ-グルトは受け入れやすかた。
龍之介は料理が出来ない下手、しかし知識は豊富。
料理の何が駄目かと言うと味付けがまるっきり駄目、前世で何度か試みたものの
カレーを作れば味がなかったり逆にお尻から火が吹きそうなくらい辛かったり
ちょうど良い具合にできなかったのである。
シチュ-を作れば魔界で出されるかのように真っ黒なグロテスクな液体、魔王も食すのを
躊躇うようなシチュ-が完成し、前世の家族からは、「食材の無駄になるからやめて」と、
料理を禁止された。
その為、転移したこの異世界では料理はしなかったが指示はだし、その指示のもと
側室達や台所役の家臣により具現化された。
それにより、国民の食生活の向上につながったのだから良しと考える龍之介であった。