保存食の開発
この時代の保存食は、塩漬けが基本である。
バリエ-ションが少なく味は濃く健康的にも問題があった。
そこで、龍之介は缶詰の開発を始めたのだが龍之介は料理が苦手である。
その為、料理には口出しをしなかったのだが戦の食料だけでなく、
非常食の備蓄を必要としていた。必要に迫られていたのだ。
そこで、缶詰の開発に着手したのである。
製造方法は知っていた龍之介、家臣に指示を与えると開発が
問題なく進んだ、それほど龍之介の家臣は万能であった。
試験的に鰯の缶詰が開発され量産に成功、続いて鯖缶の製造に成功した。
そこで、龍之介は好物のあん肝の缶詰の製造を依頼したのだ。
缶詰の基本工程が出来上がったため、
龍之介の好物であり茨城名物鮟鱇のあん肝の缶詰も問題なく
完成したのであった。
缶詰は、缶切りが開発されるまでは銃剣などでこじ開けるのが
前世での当たり前であったがそこは龍之介、 缶切りは同時に開発され
缶切りに悩むことはなかったのである。
龍之介は、通年を通してあん肝を食す事が出来て満足していた。
缶詰は備蓄を開始すると同時に、平和維持連合を通して各国に
製造方法が伝授れたのである。
飛行船艦や、ア-ムストロング砲・ガトリング砲などの兵器の製造方法は、
機密であったが世界に有用な物は惜しまず公表したのだった。
缶詰の伝授により、さらに龍之介の地位は平和維持連合でも盤石になった。
各国は、防災備蓄にするととももに名産物を缶詰にして輸出するようになった。
龍之介は、その中でもオリ-ブの実の缶詰がお気に入りとなった。
龍之介の好物の中で、歩美や側室達も怪訝な顔をせずに食す食べ物は珍しかった。